リズ・トーマスのハイキング・アズ・ア・ウーマン#02 / アーバン・ハイキングへの挑戦
文/リズ・トーマス 写真/ギルバート・ガルシア 訳/大島竜也 構成/根津貴央
前回の記事#01において、スルーハイキングの虜になるまでの経緯を語ってくれたリズ。その後、彼女はある事柄について深く考え始めるようになる。それは、なぜ「ロング・ディスタンス・ハイキング」がこうも人を引きつけてやまないのか?という問いに対してだ。その答えを探るべく、彼女は再び旅に出た。それは意外にも大自然とは対極にある世界だった。
■アーバン・ハイキングへの誘い
何が人を “ロング・ディスタンス・ハイキング” に引きつけるのだろう?自然に対する愛情なのか?それとも、チーズバーガーを好きなだけ食べるための言い訳なのか?はたまた、踏み出した足の先にもう一方の足を踏み出すことに対する愛情からなのか?昨年の春、私はその疑問の答えを探しに、答えがもっとも見つからないと思われる場所、ロサンゼルスに出かけた。
すべてはある人の奇妙なメールから始まった。2012年のハイキングシーズンが終わりを迎える頃、私は冬の間の仕事を探すことに苦労し、トレイルへ行くことに飢えていた。そんな時期に、アンドリュー・リッチマンから要望もしていないのにある試みを提案された。アンドリューは60代になるが、かつてはヨセミテの登山家として有名で、現在もアウトドアで形に残る歴史をつくることに熱意を燃やしている。その彼が私に提案したのは、「ロスに来て、アーバン・スルーハイク(都会のスルーハイキング)の新記録の樹立に挑戦すること」だった。
そのメールをもらった当時、コロラド州にある自宅では雪が降っていて、彼の言うオフシーズンの晴れた暖かい気候のなかでスルーハイクを楽しむというアイデア(ただし、舗装された道路の上を歩く条件付きだけど)はとてもエキサイティングに思えた。 仮にこのアーバン・スルーハイクが楽しいものではなかったとしても、少なくともシーズン前の良いトレーニングになる。そう考えた私はアンドリューに提案を受け入れる返事をした。すると、彼からアーバン・スルーハイクに関する詳細を記した長文メールがたくさん送られてきたのだった。
■アーバン・トレイル『インマン300』誕生の背景アンドリュー曰く、ロスはかつてはアメリカ国内でも公共交通機関がもっとも発達している都市だったらしい(1世紀前には現在のニューヨーク市の1.25倍のトラック交通量があった)。 ロスがまだ高速道路を建設する前だったが、通りで多く見かける市街電車の普及により、すでにロス郊外へ人口が伸びる動きが始まっていた。その電車の運営会社オーナーであるハリー・E・ハンティントンは思いついた。市街電車で儲けた蓄えをダウンタウンから伸びる郊外地域の開発に使って移住を促せば、さらに多くの人が彼の会社の電車を利用するだろうと。
ハンティントンの郊外開発地を買う人が、煩わしさを感じることなく電車の駅まで行けるように、彼はたくさんの歩道敷設を計画した。ただ計画の唯一の問題は、その多くが丘陵地帯という特殊な立地で、駅までの近道を確保しなければならないことだった(ちなみに、「HOLLYWOOD」のサインで有名なハリウッド・ヒルズも開発地域のひとつ)。問題解決のために考えられたのは、高低差のある土地を急な階段でつなぐことだった。これにより、高い丘の上に住む人たちが電車のある丘の下の駅まで行くアクセスが容易になった。
しかし、時代が変わり電車が車にとって変わると、線路は無くなったが歩道はそのままの形で残っていた。何年も経つと自動車社会の最たる都市であるロスでは、歩行者を見かけることがほとんど無くなり歩道の存在意義はどんどん薄くなっていった。歩道を使う人がいても、ギャングの活動、ドラッグ、アルコール、殺人事件に関するものが多くなっていた。しかし、ここ最近10年間で、ロスは地元の人々が中心となって全米でもっとも活気ある歩行者コミュニティーをつくる取り組みがなされていて、その主な活動を公共の歩道で実施している。活動の目的は、歩道を家族や高齢者、そして学校に通う子供たちが安全に利用できる場所にし、近隣の人々との交流を促すことにあった。
アンドリューは、LA stairway community(ロス階段コミュニティー)の中でもっとも活動的なメンバーだった。彼と彼の妻であるインがロスの公共階段について初めて知ったのはバックパッカーマガジンに掲載されていたダン・コーペルの記事がきっかけだった。ライター兼ロスの自転車と歩行者コミュニティーのリーダー的存在のダンは、当時ジョン・ミューア・トレイル(ヨセミテの丘陵地帯〜ホイットニー山の頂上地点である標高4,350mの地点までの約340kmのトレイル)に挑戦する準備を進めていて、ロスの公道と階段を合わせたルートが彼にとって良いトレーニングになることを発見した。そして、ロス独特の急な階段を活用し、35kmの距離で1,500mの標高のある、まるでジョン・ミューア・トレイルの1日を再現したようなルートを考案した。
一方で、ロスの階段博士であるボブ・インマンは週毎にロスの隠れた名所を歩くツアーを彼の近隣の人たちと企画していた。 ロスの街中の公共階段に関する詳細な地図が無いため、ボブとダンの2人は街中で見つけた公共の階段地図を大量に集め、実際に足でその存在を確認してより正確な地図づくりにあたった。2012年には、ボブのリストは300にもなり、2人は地図でさまざまな階段を繋げて日帰りハイクイベントを企画した。ダンは、ビッグ・パレードと呼ばれる日帰りでは制覇できないルートを繋げた約64kmをハイクするイベントを行なったりしていた。
PCT(アメリカ西海岸にあり、メキシコ国境〜カナダ国境まで続く約4,264㎞のトレイル)をスルーハイクした経験を持つアンドリューとインは、さらに大きな計画を練っていた。2人は、散在する階段のすべてを繋ぎ、制覇するのに1週間以上を要するルートが必ずあるはずだと考えた。そしてボブにコンタクトを取ったが、彼はそれを検証することに乗り気ではなかった。しかしボブが、謙遜しながら自分が作ったリストをアンドリューとインに見せたとき、2人は大変感心し、ルートを総称してボブの名を冠した『インマン300』と名付けるべきだと主張するほどだった。ボブ、アンドリューそしてインの3人は10日間かけてその検証を行なった。ロス中を歩いたその旅は大変実りのあるもので、彼らは他のハイカーにもぜひ同じ経験をしてもらいたいと思い、あまたのアスリートにコンタクトをとったが、興味を示したのは私ただひとりだけだった。
■アーバン・スルーハイクの準備私がアンドリューに『インマン300』に参加すると言った時、まさか準備や地図づくりのために何カ月もパソコンの前で作業する羽目になるとは考えてなかった。ボブは10日間の検証の旅で得た情報をベースに、グーグルマップでルートを作成済みで、階段のリストもシェアしてくれた。しかし、彼のルートをもとにして実際にかかった半分の時間でゴールできるプランを考えるのが私の仕事だった。そのため、結局のところ自然の中でスルーハイクのルートを考える以上の時間を、アーバン・スルーハイクに費やすことになった。
私は作業を始めてすぐに、この計画作業は自然の中でスルーハイクをする計画作業とは異なる制約があることに気づいた。 AT(アメリカ東海岸にあり、スプリンガー・マウンテン〜カタディン山まで続く約3,540㎞のトレイル)やPCTをハイクする場合、毎日どれくらいの距離を歩くかについては計画しない。でも、できるだけ長い距離を稼いで暗くなったらルート付近のキャンプサイトでテントを張ってその日を終えるのが普通である。その「暗くなって眠りたい時に寝る」ことは、決められたキャンプグラウンド以外でも公共の土地であれば多くの場合問題はない(日本やアメリカ等の一部のエリアを除いては)。
しかし、アーバン・ハイキングの場合、特にロスのように地域によって治安が悪い場所では、暗くなったからと言ってどこでもキャンプをするわけにはいかない。そうなると、毎日のルートの最後にホテルや泊まれる友人宅を見つける必要があり、その泊まれる場所をもとに正確にすべてのルートを計画する必要があるのだった。そんな計画が書かれた150ほどのグーグルマップのスクリーンショット画面のコピーを手に、私はラスベガス発のバスでロスに到着した。到着した場所はホームレスの方々が並んでテント生活をしている場所で、「私は一体ここで何をしているんだろう?」を思わざるを得なかった。私はアウトドアウーマンとして、都会で歩く際に遭遇するであろう危険に対してまだ心の準備ができていないようだった。今後どんなことが待ち受けているのか、不安がよぎった。
次の日、私が本当に『インマン300』の準備ができているかを確認するために、アンドリューとLA stairway climbing community(ロスの階段クライミングコミュニティー)から来た2人の人物は、私をテストコースにあたる日帰りハイクへと連れ出した。そのコースは「ステアトレック」と呼ばれる標高1,500mはあるであろう80の階段があるルートで、距離は約38kmにおよぶ。この程度の距離と高低差はスルーハイカーにとって大したレベルではないけれど、私をテストに連れてきた階段の専門家たちはハイキング中ずっと私の様子を観察し、根を上げないか確認をしていた。もし、私がこのステアトレックを制覇できなかったら、『インマン300』に挑戦することは不可能だと思われただろう。でも結果は当初の予定より早くゴールしただけでなく、登り階段の日帰りルートとして有名なトマト・パイという名のルートにもゴール後に挑戦した。1日でこの2つのルートを制覇した例は今まで無かったようで、トマト・パイをゴールした後に、アンドリューと関係者たちは褒めちぎってくれて、『インマン300』についても楽観的なコメントをしてくれた。
■『インマン300』スルーハイク(DAY1〜DAY2)2〜3日のオフの後、私は午前5時30分にフリントリッジ・ヒルズから『インマン300』をスタートしたのだが、直後に、スルーハイクを森の中でする場合と都会でする場合のもっとも大きな違いを発見した。都会では好きな時に用を足しに行けないのだ。そのため、美しいパサデナ住宅街を歩いていても、頭の中にあるのはどこかでトイレを借りれないか?ということだった。その後、約18km進むとやっとスーパーを見つけたので、速やかに食料補給と用を足しに中に入って行った。しかし、初日も半分を終える頃、私の足は痛み始め、足首は腫れ、骨折など大事に至っていないことを願うばかりだった。私は1日中舗装された道を歩いただけでギブアップすることだけは、したくなかった(たしかに舗装された道は、足の骨や関節への衝撃が土の道より大きいのは事実だが)。
私の心配をよそに、2日目の朝になると幸運にも足の状態は奇跡的に良くなっていた。おかげで快調にルートを進み、有意義な時間を過ごすことができていた。それも道に迷うまでではあったが・・・。都会のハイクで道に迷うことは森の中でのそれとは異なる。今回のアーバン・ハイカーとしての目的は、ただA地点〜B地点に行くということではなく、ロスのすべての階段を把握することだった。だから私は道に迷ったと言うより、始めた探検は完了せずに帰れないという気持ちから、階段を見つける必要に駆られていたが、見つけることができないでいたのだ。
都会の階段は軒の間や車の陰、茂みやゴミ箱の後ろに隠れていることが多いため、見つけるためにはつねに用心深くなる必要がある。私の友人で『インマン300』を歩いたことのあるライアンが良いたとえをしていた。階段クライミングはユタ州のキャニオン・カントリーでハイクするのと似ていて、つねにキャニオン(峡谷)の数を数える必要があり、もし数え違いをしてしまうと道のない場所を無理やり進んで目的地に辿り着く必要があると。ロスの住宅街ではゲートで遮られた場所や、番犬や人が私を不審者扱いし警察を呼ぶと言ってくるような場所があるので、用心深く階段を見つける必要があるのだ。最終的には進むべき階段を見つけることができたが、おかげで貴重な日中の時間のうち1時間を費やすことになってしまった。
2日目の終わりに私は『インマン300』の中でもっともあやしい界隈を通り過ぎることになっていた。日中だとまったく問題はないが、暗くなって女性かつロス出身でもない私ひとりで歩くことは避けたい場所だった。計画段階からこの場所に来る頃には暗くなっているとわかっていたので、事前にアンドリューとボブ、彼らの友人のスティーブと落ち合う予定をし、クルーとしてこの界隈を通り過ぎることにしていた。無事に出会うことができた私たちは、歩みを進めた。しかし予想通り治安が悪く、特にハイウエイの下を通り過ぎる際にあやしい様子を目にした。私はクルーと一緒だったにも関わらず身の危険を感じずにはいられなかった。
階段クライミングコミュニティーの人のなかには、『インマン300』でもっとも危ない場所は高速道路脇にカゴのような網で囲われている歩行者通路だという人がいる。たしかに車のヘッドライトが歩行者を照らし、歩行者は光で視界を遮られてしまうのだが、ロードウォーキングに慣れている私にとっては、セメントで固められた障害物とカゴ状の網で守られたこの通路は、まったく恐れるに足りない場所だった。逆に私の神経を刺激したのは、カゴ状の通路から見えるハイウエイ横にあるホームレスキャンプの様子がうかがえる覗き穴の存在だった。ロスに来る前にアンドリューからこの場所について説明を受けていて、覗き穴からは注射器が散在している様子が見えることもあるらしい。このハイウエイを通り過ぎると、静かでのどかなシルバーレイク&エコーパークの楽園があり、丘の上の小さな家々が広がる素敵な地域でデイブが居を構えている。それはまるでロード・オブ・ザ・リングに登場するエルフを連想させるようだった。
シルバーレイク&エコーパークは、20年前は治安の悪い場所だったが、今はとても美しい建築、ガーデンや歩道などがあり、全米でも時代の先端を行く職人が集う場所になっている。そこはまるで南カルフォルニア特有のセンスの良さが加わったサンフランシスコの街並みを感じさせてくれる。デイブはタイルの階段でできた通路の先にある丘の上のツリーハウスのような家に住んでいる。道路に面していないために配達業者はかわいらしい家々が並ぶ様子を横目に階段を登り、その先にある小川にかかった小さな橋を渡っていくつもの庭とベンチを通り過ぎ、彼の小さな道路のないコミュニティーを満喫することができる。私はそのコミュニティーでハンモックで2晩を過ごしたが、まるで(ロード・オブ・ザ・リングに出て来る)リベンデルの町に、骨の折れる旅から休息を求め避難してきたホビットのような気分だった。
■『インマン300』スルーハイク(DAY3〜DAY4)もしあなたがロスで日帰りのアーバン・ハイキングをすることがあれば、私は『インマン300』の3日目のルートのいずれかを強くオススメしたい。これらのルートは地元では“ステアトレック(スタートレックをモジった名前)” “トマト・パイ・ルート”と呼ばれ、ロスの公共階段のなかでもっとも密度の濃い地域に案内してくれる。このルートから見える景色は素晴らしく、肉体的にもチャレンジングである(標高1,500m、距離約38km)のはもちろん、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのレコーディングスタジオ、数々の有名なハリウッド俳優やミュージシャンの家の前を通り、そして素晴らしい食べ物にも出合うことができる。
素晴らしい食べ物との出合いという点では『インマン300』は他のどのスルーハイクにも勝っていると言えるだろう。ステアトレックやトマト・パイなどのルートは大きな市場や青空市場、そしてグルメたちが集う場所も通過する。ルート上のある場所では実際にオレンジやグレープフルーツ、そして隠れたイチゴの木まであり、トレイルエンジェル(ハイカーを有志で支援してくれるボランティア)が水を提供してくれる場所もあり、スルーハイカーにとっては人気の場所になっているのだ。
4日目には、私はダウンタウンを通ってロスのなかでもっとも象徴的な地域を歩いたが、2日目に地図をよく見ていなかったためにいくつかの階段をカウントできずにいることに気づいた。そこで私は後戻りしたが、結局道に迷ってしまい、携帯電話の充電も切れる羽目になってしまった。私はその日の目的地であるトレイルエンジェルの家から約16km離れた場所にいて、バスを使わざるを得ない状況になってしまった。その日は日曜日だったためバスの運行は限られていた。だからその日のハイクは諦めて、バスの運行が終了する前に目的地に到着することを優先したのだ。しかし、目的地に到着するにはバスの乗り換えが必要で、私は真っ暗な街角で1時間ほど待たされることになりテンションが下がってしまった。最終的には携帯電話と胃袋の充電のためにケンタッキーフライドチキンの店舗に入り、そこでトレイルエンジェルにピックアップしてもらうことになった。
私は『インマン300』は車を使わないスルーハイクにしたいと考えていたので、誰かに車で迎えに来てもらうのは誇らしいことではなかった。でも、本数の限られたバスを使って真夜中にお年を召したトレイルエンジェルおふたりの家に着くのは失礼にあたるので、今回は賢明な選択だったと思う。
■『インマン300』スルーハイク(DAY5〜DAY6)5日目、私は前日にハイクを中断した地点にバスで戻る必要があるだけでなく、昨日の分を取り返すべく距離を稼ぐ必要があった。その日のハイライトはラスティック・キャニオンを通ることで、そこにはオークの木々が並び、小川が木々に沿って流れている自然を感じさせるが控えめな地域。小川に生息するカエルの鳴き声は、夜な夜なそのキャニオンに響いていた。
また、パシフィック・パリセードの近隣も海の眺めが大変印象的で、ハイライトと言える場所だろう。私は5日目の終わりには全行程を終えたいと思っていたが、辺りが暗くなってもまだ6時間のハイクが残っていた。その日はトレイルエンジェルの家にもう一晩泊まることにしたのだった。
6日目、昨晩の続きからスタートし、6〜7時間後には海岸沿いのサンペドロ近隣地域の最終地点に到着し、ついに『インマン300』を終えることができた。踏破を祝うために私は今までのハイキングキャリアで初めて外食に出ることにした。すると、入ったお店の店主は私のハイクに感心して、なんとピザをサービスしてくれたのだ。
都会にはたくさんの奇抜で美しく、そして楽しませてくれることがある。だから最終的に人々は都会に住み、日々意心地よく生活する努力をして暮らしている。今回の『インマン300』の旅はスルーハイカーたる意味と、なぜ私はスルーハイキングを楽しいと感じるのかを思い起こさせてくれた。私は踏み出した足の先にもう一方の足を踏み出すこと、そして自分にチャレンジすることを楽しいと感じ、時速約5kmで歩きながら世の中を見て、目の前の広がる景色からその場所についてできるだけ多くのことを学ぶのが大好きなのだ。
私は旅を通して新しい人々と出会い、新しい場所で異なる生活を体験することで、人として成長できることをとても嬉しく思う。都会の景色は、決して山脈の自然の景色ほど素晴らしいものではない。けれど、アーバン・ハイキングは人間がどれだけ素晴らしいかということを再認識させてくれる。
私たちのようにできるだけ多くの時間を森の中で過ごす人が「自然は素晴らしいけど、人間はダメだ」と言うのは簡単なこと。でも、ロスのように日々混雑していて、歩道も汚くて、空気が汚い場所でも、私は心が美しく、良い人たちをたくさん見つけた。それは、私が今回、個人的な先入観や悲観的な見方を持ってハイクに取り組むことをしなかったからだと思うし、そう感じることができたのは私の喜びでもある。
自然、都会を問わずスルーハイキングはいつも私たちに多くの学びを与え、素晴らしい世界とそこに住む人々と私たちを繋げてくれるのだと思う。
※より詳しくアーバン・ハイキングについて知りたい方は、私が『インマン300』でガイドブックとして使った本『Finding Los Angeles by Foot』をオススメします。TRAILS AMBASSADOR / リズ・トーマス
リズ・トーマスは、ロング・ディスタンス・ハイキングにおいて世界トップクラスの経験を持ち、さまざまなメディアを通じてトレイルカルチャーを発信しているハイカー。2011年には、当時のアパラチアン・トレイルにおける女性のセルフサポーティッド(サポートスタッフなし)による最速踏破記録(FKT)を更新。トリプルクラウナー(アメリカ3大トレイルAT, PCT, CDTを踏破)でもあり、これまで1万5,000マイル以上の距離をハイキングしている。ハイカーとしての実績もさることながら、ハイキングの魅力やカルチャーの普及に尽力しているのも彼女ならでは。2017年に出版した『LONG TRAILS』は、ナショナル・アウトドア・ブック・アワード(NOBA)において最優秀入門書を受賞。さらにメディアへの寄稿や、オンラインコーチングなども行なっている。豊富な経験と実績に裏打ちされたノウハウは、日本のハイキングやトレイルカルチャーの醸成にもかならず役立つはずだ。
(英語の原文は次ページに掲載しています)
- « 前へ
- 1 / 2
- 次へ »
TAGS: