AMBASSADOR'S

土屋智哉のMeet The Hikers! ♯2 – ゲスト:勝俣隆さん

2015.03.06
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■居酒屋「かぶと」の夜

土屋 話は変わるけど、べぇさんが寺澤さんとか俺とかと繋がるきっかけって何だっけ?

勝俣 やっぱり『山より道具』だよね。新しいプロダクトが出たとき、ネットで検索するじゃないですか。だいたい『山より道具』がヒットするんですよ。

三田 当時アメリカで英語で検索してもですか?

勝俣 そう。で、「なんだろうこの人は?」ってずっと思ってた。

三田 じゃあ当時アメリカの人も道具の検索すると『山より道具』が何件目かに出て、「なんだこれ?」とか思ってたんですかね。

勝俣 だと思うけど。それで『山より道具』のコメント欄に「実は自分も同じの買ったんですよ」って書き込みして。

土屋 当時は『山より道具』のコメント欄が日本のULのフォーラム的な役割を果たしていたんだよね。そこが情報がいちばん集まるとこだったから、いろんな人が発言してて。そのなかでべぇさんはアメリカでULを実践している人なんで、本場の話を聞きたいってのがみんなあった。

勝俣 そのコメント欄でやりとりしてたら寺澤さんがどうやら僕の実家の近くに住んでいると。じゃあ日本に一時帰国するときに会いましょうってことになって。

土屋 でも寺澤さんとべぇさんはその前に会ってるよね。2007年に寺澤さんとか『山より道具』周辺の人たちがULの本場を歩こうって盛り上がって、JMTに行ったんだよね。今思えばJMTはULの本場じゃなかったんだけど(笑)。それをべぇさんが現地でサポートしたの。そのアメリカの出会いが終わったあとにべぇさんが日本に一時帰国することになって、そのときに俺が寺澤さんに呼ばれたんだよね。

 

勝俣 このボルダリングの人がね(笑)。杉並の『かぶと』っていう居酒屋で2007年。それで三人とも杉並出身だったんだよね。

土屋 「日本のULの中心は杉並なんじゃね?」なんてね。でも、中心できるほど人いねえよってさ(笑)。

勝俣 当時ULやってるひとなんてたぶん20人くらいしかいなかっただろうからね。

土屋 寺さんなんか「ULはもうすごく流行っているんだ」なんていってたけど、「いやいや、あなたのブログのコメント欄だけですから」って(笑)。べーさんが唯一冷静だったかもしれない。アメリカの状況を知っているし、遠くから日本を見てるから。日本じゃ逆に本場がわからないから勘違いして「ULキター!」みたいに盛り上がってた。

勝俣 中学生みたいにね。

土屋 それで飲んでるとさ、みんな自分たちが大好きでコミットしてるULってカルチャーに対する愛情が溢れてたんだろうね。よく考えるとなんの確証もないんだけど、寺さんと俺は「このムーブメントは絶対続くよ! 大きくなるよ!」」って盛り上がってさ。寺さんは「俺は書く!」と。ブログを書き続けると。で、こっちもノリだよね。「じゃあ俺は売る!  ULの専門店をやる!」って。で、べぇさんは「俺はトリプルクラウンを歩く!」って。「俺は書く!」「俺は売る!」「俺は歩く!」「俺たち頑張ろうぜ!」みたいな(笑)。

勝俣 がっちり握手してね(笑)。

土屋 ほんと。当時はネットの世界がすべてだったし、完全に「厨二病」だよね。

JMTで光合成する土屋さん。

■2008年のジョン・ミューア・トレイル

勝俣 でもULが発展した理由はやっぱネットだよね。コテージ・マニファクチュアラー(Cottage manufacurers。英語圏では所謂ガレージ・メーカーをこういう。ガレージ・メーカーは実は和製英語)みたいな小さな会社はネットができてはじめてビジネスが成り立つようになったから。それができるのが2000年以降の話で。だからそもそものレイ・ジャーディンの発想がひとつと、もうひとつがインターネットの販売ができるようになったこと、そしてもうひとつはシルナイロンができたことというか、素材が進化したこと。ULギアのメーカーって基本は素材ありきなんですね。新しい素材を仕入れてそれを形に作っていく。

土屋 シンプルな形だからこれ以上崩しようがないし、下手にいじると重たくなるからね。

勝俣 デザインは基本的に昔ながらのものだけど素材を変えていく。だから既存のものに新しいテクノロジーを組み合わせてイノベーションを起こすっていう、非常にシンプルなビジネスだよね。

土屋 ORショー(*1)でも2000年前後ってわけわからないコテージ・マニファクチュアラーがいっぱい出てたんだよね。彼らは販売ルートがないから展示会に出てお店に買ってもらうしかなかった。でもゼロ年代の中盤以降はそれがガクっと減ったっていうのは、お店に頼らなくてもネットで直販できるようになったから。それってすごく大きな転換点だった。

勝俣 「ライト&ファスト」は大手が作ったアイデアなんですよね。でもULはそうじゃなくて、そこの出だしがまず違うなって。いままでは製造業者の提案型のギアだったのが、ユーザー目線のギアになって、それが面白かった。じゃあここで門外不出の映像を…

土屋 うわ、恥ずかしい! でもこの興奮状態で話せるのはこのときだけだよね。

三田 ひとりでスルーハイクを達成した直後に誰かに思いの丈を語ることができるって、すごく幸せですよね。

土屋 だからべーさんには感謝なんですよ。でも恥ずかしい(笑)。長えよ、もうやめようよ~。ちょっとトイレ行ってくる(笑)。

三田 土屋さんのJMTのときべぇさんはトレイル・エンジェル(*2)としてどのようなことをされたんですか?

勝俣 凄いことをしたんですよ、僕は。行きはヨセミテ・ビレッジまでの400kmくらいをクルマで送って、次は400kmクルマで走って往復30kmくらい歩いてフード・ドロップ(食料の補給)をして、最後に迎えに行くときは往復1200kmくらい走ったかな。安請け合いはするもんじゃないと思った(笑)。

Whitney portalに佇む土屋さん。

土屋 (トイレから帰ってきて)たしかにいま考えるとすげえ迷惑かけたと思う(笑)。サンフランシスコの空港についたときは「本当に来ちゃったの?」っていわれたけどね。でも最高のトレイル・エンジェルだったよ。フード・ドロップしてくれたときも、それまでは膝痛くてリタイアも考えてたんだけど、お寿司とか食べさせてくれて、それがうまかったんでまた最後まで歩ける気になったもんね。今回、二回目にべぇさんに出てもらいたかったのは、ハイカーズ・デポの以前の時代の大きなキーパーソンのひとりだから。それは俺にとってだけじゃなくて、当時アメリカのリアルな情報を発信して俺らの架け橋になってくれた人だから。その当時の日本でULを模索していたハイカーにとっては欠くことのできない人物だったんだよ。

勝俣 そんなの10人くらいだったと思うけどね。(ムーンライト・ギアの)千代ちゃんとか(山と道の)夏目さんとか…。

土屋 ハイカーズ・デポとしても土屋としても『かぶと』での夜だとか、「JMT来なよ」っていってくれたりだとか、ところどころですごく背中を押してくれたから。

Mt.Fuji Designs(勝俣さん)製タープ。レイウェイ・タープにインスパイアされたビーク付きのデザインで、スピンエーカー生地を使用し、足下に向けてトリムされている。

(*1)ORショー:アメリカのソルトレイク・シティで年二回行われる巨大アウトドア展示会。アウトドア•リテーラー・ショー。(*2)トレイル・エンジェル:アメリカのロングトレイルにおいて食料や水を差し入れてくれたり、家に泊めてくれたり、クルマでトレイルまで送ってくれる等、ハイカーを物心両面で支えてくれるボランティアのこと。

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土屋智哉

土屋智哉

1971年、埼玉県生まれ。東京は三鷹にあるウルトラライト・ハイキングをテーマにしたショップ、ハイカーズデポのオーナー。古書店で手にした『バックパッキング入門』に魅了され、大学探検部で山を始め、のちに洞窟探検に没頭する。アウトドアショップバイヤー時代にアメリカでウルトラライト・ハイキングに出会い、自らの原点でもある「山歩き」のすばらしさを再発見。2008年、ジョン・ミューア・トレイルをスルーハイクしたのち、幼少期を過ごした三鷹にハイカーズデポをオープンした。現在は、自ら経営するショップではもちろん、雑誌、ウェブなど様々なメディアで、ハイキングの楽しみ方やカルチャーを発信している。 著書に 『ウルトラライトハイキング』(山と渓谷社)がある。

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