リズ・トーマスのハイキング・アズ・ア・ウーマン#27 / 海外ロングトレイルの定番アプリ「Guthook」開発者インタビュー (前編)
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文:リズ・トーマス 写真:ライアン・リン、ポール・ボドナー 訳・構成:TRAILS
アメリカのロングトレイルを歩くスルーハイカーにとって、もはやマストアイテムとなっているのが、『Guthook App』(ガットフック・アプリ / 別名、アトラス・ガイド・アプリ) というロングトレイル用のGPS地図アプリ。
この『Guthook App』の開発者が、実はリアルなPCTスルーハイカーであることは、日本ではほとんど知られていない。
今回の記事は、このアプリを開発した、ライアン・リン (トレイルネーム:ガットフック) というハイカーの、生い立ちと開発経緯に迫った貴重なインタビューだ。
『Guthook App』(iOS版) が誕生したのは、2012年のこと。
最初はPCTのアプリをリリース。その後、つぎつぎと他のロングトレイルのアプリも開発し、現在はアメリカの3大トレイルだけでなく、他のアメリカのロングトレイルもかなりカバーしている。
さらにアメリカ以外、ニュージーランドやオーストラリア、ヨーロッパのトレイルにも対応。
興味深いのは『Guthook App』がアプリ至上主義ではなく、アプリユーザーに対して、紙地図やコンパスとの併用を推奨していること。おそらくは、それも開発者自身がリアルなハイカーであることによるものだろう。
本邦初公開の、『Guthook App』開発者へのインタビューを、前編、後編にわけてお届けします。
ガットフックのWEBサイト (https://atlasguides.comより)
はじめに
私は今回、Guthook App (ガットフック・アプリ / 別名、アトラス・ガイド・アプリ) の創業者のひとり、ライアン “ ガットフック ” リン氏にインタビューしてきました。
このアプリは、PCT (※1) からローカル・トレイルまで、ほとんどのスルーハイカーがロング・ディスタンス・トレイルで使用しているスマートフォンアプリで、これがあれば、水場やトレイルタウン、キャンプ場などの情報が簡単にわかります。
私はガットフックに、彼がスルーハイカーからアプリメーカーになった経緯や、ハイキングアプリ開発者の彼がどのような生き方をしてきたのかを、聞きたいと思ったのです。
※1 PCT:Pacific Crest Trail (パシフィック・クレスト・トレイル)。メキシコ国境からカリフォルニア州、オレゴン州、ワシントン州を経てカナダ国境まで、アメリカ西海岸を縦断する2,650mile (4,265㎞) のロングトレイル。アメリカ3大トレイルのひとつ。
ATをスルーハイクしている時の、ライアン “ ガットフック ” リン。
2010年にPCTをスルーハイクしたときに、iPhoneアプリを着想した
—— リズ:ガットフック、今日はありがとうございます。多くのスルーハイカーがあなたのルーツに興味を持っています。まずは、アウトドアを始めたきっかけを教えてください。
ガットフック:私は、ど田舎で育ちました。そこではハイキングが当たり前でした。大学に入学してからは、ハイキングやバックパッキングに夢中になりました。
そして、ワイオミング州のNOLS (National Outdoor Leadership School ※2) で1学期を過ごしました。その時に “ そろそろ本格的にアウトドアのキャリアを積もう ” と思ったんです。
その時点では、それが実際にどうなるのかはわかりませんでした。私はNOLSの後、大学を卒業してAT (※3) をハイキングしました。
※2 NOLS (National Outdoor Leadership School) :米国を拠点とする非営利の野外教育学校で、ワイオミング州のランダーに本部がある。環境倫理、アウトドア・スキル、野外医学、危機管理&判断力、長期遠征でのリーダーシップなどを教えることを目的としている。
※3 AT:Appalachian Trail (アパラチアン・トレイル)。アメリカ東部、ジョージア州のスプリンガー山からメイン州のカタディン山にかけての14州をまたぐ、2,180mile (3,500km) のロングトレイル。アメリカ3大トレイルのひとつ。
—— リズ:ガットフック・アプリのアイデアは、どうやって思いついたのですか?
ガットフック:PCTの中間地点でポール (現在のビジネスパートナー) と出会ったんです。2人ともPCTをスルーハイクしていました。私たちは、どこかでスマートフォンのアプリについて話をしました。2010年のことです。
最初のiPhoneが誕生したのは2007年。だから、当時はまだすごく新しかったんです。アプリを作るというアイデアも新しく、みんな考えようとしていました。
—— リズ:2010年のPCTでは、他のハイカーもiPhoneを持っていましたか?
ガットフック:いいえ。その年、トレイルで出会ったハイカーの中でスマートフォンを持っていたのは、たった2人だけだったと記憶しています。でも本当は、もっとたくさんいたでしょう。
ガットフックが2010年にPCTをスルーハイクした時に使用していたガイドブック。
—— リズ:私が2009年にPCTをハイキングしたとき、トレイルの序盤でiPhoneを持っている人に1人だけ会ったのを覚えています。その時は “ どうやって充電してるんだろう? ” と思っていました。
ガットフック:今ではもはやiPhoneを持っていること自体が普通になっているけど、誕生してからまだ10年も経っていないと思うと、本当に信じられません。
ガットフック・アプリ開発のきっかけ
—— リズ:あなたはPCTを歩き終えた後、何をしたのですか? PCTのアプリ開発に取り組もうと思ったきっかけは?
ガットフック:PCTを終えてからの3カ月間は、何をしていたかもあまり覚えてなくって、今後どうするかも決めていませんでした。
共同創業者のポール・ボドナー。彼とは、2010年のPCTで出会った。
—— リズ:面白いですね。その感覚は、私が2010年にCDT (※4) を終えた時もまったく同じでした。
ガットフック:実際のところ、私をアプリ開発に駆り立てたのはポールではありませんでした。家族の友人で、コンピュータに詳しく、教育でコンピュータを使っている女性がきっかけだったんです。
彼女は私にアプリ開発にチャレンジしてみることを強く勧めてきたのです。それでポールのところに行って、“ おい、オレたちが話していたことを覚えているか? やってみようぜ ” と。それが始まりでした。
※4 CDT:Continental Divide Trail (コンチネンタル・ディバイ・トレイル)。メキシコ国境からニューメキシコ州、コロラド州、ワイオミング州、アイダホ州、モンタナ州を経てカナダ国境まで、ロッキー山脈に沿った北米大陸の分水嶺を縦断する3,100mile (5,000km) のロングトレイル。アメリカ3大トレイルのひとつ。
仕事をしながら、趣味としてアプリ開発に取り組む
—— リズ:学校では何を専攻していたのですか? それは、ハイキングアプリの開発者になるための素養になりましたか?
ガットフック:歴史を研究していました。ハイキングをするために大学を卒業したんです。
コードの書き方は、たくさんのウェブサイトや本、YouTubeで勉強していました。いまの時代のスキル習得方法ですよね。そしてアプリを開発するというのは、どこまでやっても、勉強になることがつねにあります。
何年かプログラミングをやってみて、ようやく「自分のやっていることが本当にわかった」と実感できるようになりました。自分のやっていることを完全に理解したと思うと、また別のことに取り組むんです。結局それがまったく新しいチャレンジになるのです。
—— リズ:最初のプロトタイプを経て、本当に市場に適したものを開発するまでに、どのくらいの時間がかかりましたか?
ガットフック:プログラミングの初日からアプリのリリースまで、約1年でした。でも、私はまだしも、なぜ他の人がこのアプリを気に入ってくれるのかを理解できるようになるまでには、数年かかりました。
—— リズ:アプリ開発に取り組んでいた最初の数年間は、フルタイムで取り組んでいたのですか? それとも他の仕事をしなければなりませんでしたか? また、その期間、スルーハイクはできましたか?
ガットフック:2010年以来、完全なスルーハイクはしていません。ロングトレイル (※5) などのそれほど長くないトレイルのスルーハイクや、ATの大きなセクションのハイキングはしましたが、ほとんどの夏はサマーキャンプ (※6) で働いていました。
オフシーズンはイースタン・マウンテン・スポーツというアウトドアショップで働いていました。アプリの開発をしていたのは、平日の夕方や早朝と、休日です。図書館に行ってもキーボードを叩くばかりでした。
※5 ロングトレイル (Long Trail) :アメリカ・バーモント州にあるハイキングトレイルで、総延長は273mile (439kme)。米国最古のロング・ディスタンス・トレイルであり、1910年〜1930年の間にグリーンマウンテンクラブによって創設された。
※6 サマーキャンプ:一般的に夏季休暇の間に実施される、10代を対象とした教育目的のキャンプ。
—— リズ:それはすごいエピソードですね。その間、家族や友人はあなたがサマーキャンプで働くことについてどう思っていましたか? 有名大学を卒業して、サマーキャンプで働き、その他の時間はアプリの開発をする。家族は不思議に思ったのではないでしょうか。
ガットフック:アプリはギャンブルだと親もわかっていたのが、幸いしました。でも、それは可能性を秘めていました。
私の友人のほとんどは、私のことを普段はハイキングをしている人間だと思っていました。でも、私はこれまで一緒に歳を重ねてきた人たちと同じレールに乗ったことはありません。
当時、私は27歳でした。その年頃の人はみんな、自分自身のことをまだわかってないのだと思います。
アプリ開発がメインの仕事になる
—— リズ:どのタイミングで、アプリに十分な自信を感じて、サマーキャンプやアウトドアショップで働かないと決めたのですか?
ガットフック:アプリを買ってくれている人がたくさんいて、サマーキャンプで働かなくても家賃を払うのに十分な収入が得られることがわかったのです。
でも、それがはっきりするまでは、他の仕事を続けていました。私は、アプリ開発だけに専念するという選択肢を考えていなかったのです。
誰かが投資してくれるなんて想像できなかったので、外部からの投資を受けようと思ったこともありません。しかし2015年の夏には、これが単なる副業の趣味ではなく、ビジネスとして成立するフェーズになっていたのです。
現在の、PCTのガットフック・アプリ。デザインも使い勝手も、かなり向上している。
—— リズ:私も自分の会社のTreeline Review (※7) で同じプロセスを体験しました。だからこういった起業家の最初の歴史はのめり込んで聞いてしまいます。他の人の軌跡を聞くのは面白いですね。
ガットフック:正直なところ、ここまで成長するとは想像もしていませんでした。最初から、季節労働をしながら、その合間に、このアプリで少しでも稼げたらと考えていたのです。
仕事と仕事の間隔は、少なくとも数週間〜1カ月あります。私はタイプ的に、アウトドア好きの季節労働者の多くがやっているようなライフスタイルは向いていなかったので、この仕事がうまくいってよかったと思っています。
※7 Treeline Review:リズ・トーマスが創設者の一人である、レビューサイト。リサーチとテストによる客観的なギアレビューにくわえて、数十のレビューサイトからのレビューを集約。
2010年にスルーハイクしたPCTの、カナダ国境にて。ポール (左) とガットフック。
ガットフック氏の生い立ちと開発初期の経緯について聞いた、リズによるインタビュー前編。
アウトドアの仕事をしたいと思っていた青年が、スルーハイキングをきかっけに、当たり前のことを嫌い、それまでになかったビジネスにチャレンジし、そして成功していく。
そのストーリーは、多くのハイカーを惹きつけるものであり、またULのガレージメーカーにも似たチャレンジ・スピリットを感じさせてくれます。
後編では、ガットフックの現在と未来について、話が続いていきます。
TRAILS AMBASSADOR / リズ・トーマス
リズ・トーマスは、ロング・ディスタンス・ハイキングにおいて世界トップクラスの経験を持ち、さまざまなメディアを通じてトレイルカルチャーを発信しているハイカー。2011年には、当時のアパラチアン・トレイルにおける女性のセルフサポーティッド(サポートスタッフなし)による最速踏破記録(FKT)を更新。トリプルクラウナー(アメリカ3大トレイルAT,PCT,CDTを踏破)でもあり、これまで1万5,000マイル以上の距離をハイキングしている。ハイカーとしての実績もさることながら、ハイキングの魅力やカルチャーの普及に尽力しているのも彼女ならでは。2017年に出版した『LONG TRAILS』は、ナショナル・アウトドア・ブック・アワード(NOBA)において最優秀入門書を受賞。さらにメディアへの寄稿や、オンラインコーチングなども行なっている。豊富な経験と実績に裏打ちされたノウハウは、日本のハイキングやトレイルカルチャーの醸成にもかならず役立つはずだ。
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(英語の原文は次ページに掲載しています)
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