TRAILS REPORT

ロングトレイルの作り方(前編)/ 信越トレイルの誕生秘話

2015.07.17
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取材:TRAILS 構成/文:根津貴央

ロングディスタンス・トレイル(以下、ロングトレイル)は、日本において2012年頃から注目を集めるようになった。数多くのメディアで特集が組まれ、国内外のさまざまなトレイルが誌面をにぎわせた。それをきっかけにロングトレイルを知り、歩くようになった人も少なくないだろう。

それから3年経ったいま。現状はどうだろうか。どうやら以前ほどの注目は集めていないようである。しかしそんな中、世の中の流れに一喜一憂することなく、地道かつひたむきに運営し、地元住民にもハイカーにも支持されつづけているロングトレイルがある。長野県と新潟県の県境、関田山脈を貫く総延長80㎞の『信越トレイル』だ。このトレイルが、国内のロングトレイルのパイオニアであり、成功事例として取り上げられることが多い。

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信越トレイルは日本初のロングトレイル。原生に近い状態のブナ林が魅力のひとつ。

成功を支える5つの仕組みは以下の通りである。

◉行政主導だけでない、官民連携による運営体制の確立

◉ボランティアベースの広域の維持管理体制の構築

◉「里山」という地域の自然資源の再発見(グリーン・ツーリズムのさきがけ)

◉ロングトレイルという新しいものに対する地元住民の理解促進

◉強いフィロソフィーと求心力を持ったリーダーの存在

ビジネス書のごとく結論を導き出すだけなら簡単である。一見、マネすれば誰でもできるようにも思えてしまう。しかし、言うは易く行なうは難し。上記すべてを完璧に実行することは容易いことではない。では、どうやって信越トレイルはそれを実現し、そして継続しつづけているのか。

そこで今回、『ロングトレイルの作り方』と題して、2回にわたり信越トレイルを徹底解剖する。このトレイルを掘り下げることによって、日本のロングトレイルのあり方、進むべき道が見出せればと思う。第1回目は、NPO法人信越トレイルクラブ事務局長兼なべくら高原・森の家支配人である高野賢一(たかのけんいち)氏にお話を伺い、誕生の背景に迫った。

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高野氏は、大学卒業後、北海道のリゾートホテル勤務を経て知床で自然保護と利用に関する仕事に従事。2004年に飯山市に移住し、現在に至る。


日本にロングトレイルを紹介した第一人者との出会い


信越トレイルを語る際によく取り上げられるのは、作家でありバックパッカーである加藤則芳(かとうのりよし)氏である。彼は日本にロングトレイルを紹介した第一人者であり、同トレイルの構想段階から深くかかわってきた。いったいどんな縁が両者を結びつけたのだろうか。

「当時、私はまだここに居なかったのですが、『ヒッピーみたいな男が森の家にやってきた』と前支配人の木村が言っていました(笑)。実は当時(2000年)、郷土の宝であるブナ林を守る活動を始めたのですが、その活動が『Outdoor(山と溪谷社)』に取り上げられまして。その記事を見て加藤さんが訪ねてきてくれたのです。それが最初の出会いですね」

記事はモノクロの目立たないベタ記事だったが、自然保護を唱えつづけてきた加藤氏は強い関心を持ったようだ。ただその時は、名刺交換をして軽く話をした程度で終わったという。

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故・加藤則芳氏。ロングトレイルを日本の文化の中に根付かせるべく尽力した。『ジョン・ミューア・トレイルを行く』『メインの森を目指してーアパラチアン・トレイル3500㎞を歩く』(いずれも平凡社)など、著書多数。

「その後、国交省(当時は建設省)の地域連携に関する調査事業(北陸地域の地域づくり戦略事業)がスタートして、長野県と新潟県で何かできないかという話が、当時飯山市長だった小山邦武(こやまくにたけ)さんに持ちかけられたんです。他のエリアでは連携軸として河川や鉃道、道路が一般的でしたが、小山さんは県境の関田山脈を利用したトレッキングルートを提案し、すぐに関係団体や山脈に隣接する市町村を巻き込んだ委員会が立ち上がりました。信越トレイルという名前こそありませんでしたが、これが最初の一歩でした」

そこでロングトレイルに精通した加藤氏に声をかけ、一緒に信越トレイルを作っていくことになったのだ。自然保護の哲学を持ち、アメリカのロングトレイルの仕組みや運営方法にも詳しい彼が、信越トレイル立役者のひとりであることは言うまでもない。しかし、ここで重要なのは、発案したのは地元の委員会であったということ。

決してノーアイデアのなかで加藤氏によって信越トレイルが立ち上げられたのではない。そもそも“道”を作ろうと考えていたのだ。ここには自発的なムーヴメントが存在していたのである。


キーパーソンは元飯山市長だった


「そもそも、なぜ小山さんに調査事業の話が来たのか。そこがポイントでもあります。彼は1990~2002年の12年間にわたって飯山市長を務めていたのですが、それ以前は飯山で30年ほど牧場主をしていたんです。その中で、不登校の子どもを受け入れたりもしながら、誰よりも自然の中で生活することの大切さを実感していました。市長になってからもそのスタンスは変わらず、なんとかして裏山(関田山脈)を有効活用できないかと考えていました。ここは豪雪地帯ですから、この雪というのはスキー場関係者以外の方々には邪魔者と思われることもありました。でも彼はそう考えなかった。雪は資源であり、プライスレス。たとえ10億円払ったとしても決して手に入れることはできないものだと。この地域ならではの恵みの素晴らしさや価値を粘り強く市民に問いかけながら、景観を大事にしたり資源を大切にする取り組みを始めたのです」

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元飯山市長の小山邦武氏(信越トレイルクラブ代表理事)。飯山の自然に魅せられ、それを守り、活かすさまざまな取り組みを行なった。信頼は厚く、地元の人からは「総理大臣になったほうがいい」と言われていたほど。

そして小山氏が市長に当選して3年後の1993年に、農水省がグリーン・ツーリズム(農山漁村地域において自然、文化、人々との交流を楽しむ滞在型の余暇活動)の促進を本格化させ、モデル地区を募った際、まっさきに手を挙げたのが飯山市だった。

「飯山市では、グリーン・ツーリズムという言葉が用いられる前から似たようなことはやっていたんです。学習塾の夏合宿とか、高校生や大学生が夏の間勉強しにくるとか。グリーン・ツーリズムとしては、農村に滞在しながら田んぼや畑、自然に触れるという取り組みをメインに行なっていました」


都市農山村交流における拠点『なべくら高原・森の家』


そして、よりしっかり活動していくためにも都市農山村交流の拠点が必要だと考え、鍋倉山の麓に『なべくら高原・森の家』を作ろうとした。しかし、議会で発案したものの猛反対を受ける。議員の多くが反対の手を挙げたのだ。

「なんで町から遠いそんな辺鄙な所に作るのかと。当時、すでに新幹線の駅ができることは決まっていたこともあり、お金は町の中心部に使うべきだという意見でした。地元の人からすれば、こんなただの裏山を見ても価値があるとは思えないのは当然のことです。施設を作って体験の拠点にすることの意義は見えづらい。でも、外から来る人にとっては絶対必要なんです。その必要性や重要性を、小山さんは一人ひとりに熱く語り、時間をかけて納得してもらったんです」

こうして1997年に、後に信越トレイルのビジターセンターともなる『なべくら高原・森の家』は誕生した。とはいえ、施設があれば万事うまくいくというわけではない。大切なのは、それを利用しつつ何をするかだ。小山氏たちは、初期段階で体験業だけでは立ち行かないことには気づいていた。そこで、公益的な活動が必要ではないかと考え、2000年、当時衰弱しつつあった地元の巨木ブナの保全を目的に『いいやまブナの森倶楽部』を立ち上げた。方針としては、人を入れないことで守るのではなく、ルールを決めて歩いてもらうことに主眼を置いた。巨木の前だけはロープを張ったが、そこまでのアプローチはちゃんと道を作って歩けるようにする。見せながら守るという取り組みを始めたのである。そしてこの遊歩道や観察道を、森の家が中心となって作っていった。

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グリーン・ツーリズムの拠点施設『なべくら高原・森の家』のセンターハウス。6ヘクタールの敷地内にさまざまな施設がある。

そもそもこの地域は、ブナの森の伐採計画があったものの地元の意向で中止になり、さらにバブル期には鍋倉山をスキー場として整備することを目的に大規模リゾート開発計画が打ち出されたが、最終的には当時飯山市長だった小山氏が計画を中止させた経緯がある。こうして地元が愛するブナ林は守られてきたのである。以来、小山氏は「100年後の未来に素晴らしいブナの森を残したい」という想いで、活動を牽引しつづけてきたのだ。

「信越トレイルの考え方は、イコール森の家の考え方なんです」と高野さんが語るように、この施設の存在、考え方こそが、信越トレイルのベースになっている。そして、小山氏の想いと行動力、グリーン・ツーリズムをはじめ自然を活用した地域振興の取り組みがあったからこそ、信越トレイルへと発展していったのである。


本格的な調査事業がスタート


2000年から調査事業がスタートし、関田山脈を貫くトレッキングルートの構想が具体化していくこととなる。飯山市長の小山氏が委員長となり、加藤氏はもちろん、自治体の首長や有識者、山の関係者と委員会を開き、話を詰めていく。加えて、地域の歴史や文化、関田山脈の状況、人が歩くことによる効果などを徹底的に調査・研究した。加藤氏の存在も大きかった。長野および新潟で何回も講演会を開き、ロングトレイルは何ぞや?ということを語ってもらい、地域の人への理解促進を図った。

「加藤さんは、私たちにロングトレイルの魅力とトレイル運営に関する方法論を教えてくれました。信越トレイルのガイドラインの一番目に『生物多様性の保全を基本にします』とあるのですが、これはもともと私たちも地域づくりの柱のひとつとして考えていましたが、加藤さんはこれを誰よりも大切にしていました。憲法みたいなものなので、これを逸脱することは絶対にやりませんということ。たとえば私たちをはじめ観光に携わる人は、少しでも早く来訪者を増やしたいと考えて拙速に事を進めがちです。でも、システムが整う前にやるのはダメだ・・・といったように、ストップをかけるのが加藤さんでもありました。また県境や市町村の境は人間が勝手に決めたもの。自然を守るという取り組みにしても、市町村ごとに異なる。それは本当に自然にとっていいことなのかは分からない。だから、山全体で自然を見ていくべきだと常々仰っていたのも加藤さんです」


本場アメリカでの現地視察と管理団体『信越トレイルクラブ』の発足


2003年には、加藤氏の先導のもとアパラチアン・トレイル(AT)の視察にも行き、アメリカ政府の機関やNPOから話を聞いた。実際に整備作業にも携わった。ロングトレイルをただの誘客で終わらせてはいけない、一過性のものでは意味がない。ATのように何十年というスパンで地域に根ざしたものにしていくことが重要であることを再認識し、国との連携がなければ絶対にうまくいかないということも確信した。また、1㎞の道であれば誰かひとりが頑張って草刈りでもすれば維持できるかもしれないが、数十kmともなればそうはいかない。地域全体で守っていく必要があるし、そのためには責任ある管理団体も必要になる。そう考え、2003年秋には『信越トレイルクラブ』が発足した。

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アメリカのロングトレイル『アパラチアン・トレイル』の視察風景。現地のボランティアスタッフと共にメンテナンス作業にも携わった。


サービス哲学を根付かせた前支配人


また『なべくら高原・森の家』設立時に小山氏が声をかけた前支配人の木村宏(きむらひろし)氏(信越トレイルクラブ理事)の存在も欠かせなかったと高野氏は語る。

「彼は、リゾート開発会社を経て斑尾高原でペンション経営をしていたので、確固たるサービス哲学があるんです。道標が少しでも傾いていれば厳しく指摘する。トレイルは商品。人に歩いていただくサービスとして、品質管理を徹底していましたね。お客さまに対してどう向き合うか、来られた方に楽しんでもらい幸せになって帰ってもらうにはどうしたらいいかを考えているのです。このスタンスは、ガイドの養成においてもとても役に立っています」

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信越トレイルという商品のクオリティに誰よりもこだわりを持っていた木村宏氏。信越トレイル誕生の立役者のひとり。


全国で初めて国とNPOが協定を結ぶ


2004年10月には、信越トレイルクラブと林野庁中部森林管理局北信森林管理署、関東森林管理局上越森林管理署が、ルート整備・維持などで協力する協定を締結。全国で初めて国とNPOが協定を結んだ瞬間でもあった。

「トレイル作りにおいて、計画段階から国の方々もポジティブで協力的だったのが幸いでしたね。通常、整備においてはいちいち許可申請をしてそれがおりてから入るという流れ。でも協定を結ぶことで、シーズン中の整備期間と内容等の計画を最初に申請すればスムーズに作業を行なえるようになったのです。これがトレイル整備をより加速させることになりました」

こうして2000〜2008年まで8年の歳月を経て、ようやく信越トレイルが完成したのである。

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北信・上越森林管理署と協定を締結。今年も4月に更新し、官民連携は今もなおつづいている。


地元行脚の苦労と成果


当然ながら、日本に馴染みのないロングトレイルを作るにあたっては、さまざまな懸念も取りざたされた。

「いちばん苦労したのは、地元の方々に理解していただくことですね。当時、トレイルに隣接する集落は90以上。そのすべての長宛にアンケートを渡して、トレイルを作るにあたって懸念することは何か?田んぼや畑も近いのでし尿問題など気になることはあるか?水源はどこか?といったことを聞きました。さらに、エリアごとに夜な夜な説明会を開いて、話をして。そしたら、山が荒れたらどうするんだ?山菜が採られたらどうする?ゴミも捨てていくのでは?など、シビアな意見がたくさんでてきました」

さすがに懸念点すべてを解消することは難しい。信越トレイルクラブの事務局は、解消のための努力を約束しつつ、トレイルを作ることによるメリットを丁寧かつ根気強く説明した。信越トレイルができることによって、これまで訪れなかった人々が足を運んでくれ、トレイルだけではなくこの地域にも注目してくれるようになり、それが活性化につながる。決してお金儲けだけのためではないと。

「毎回、説明会は1時間半くらいで終わって、じゃあ飲むか!となる。そうなると話が進むんです。お父さん方も『オマエ知ってるか?あの山の上にはこんな湧き水が流れていてなあ』と笑顔で話してくれたりして。昔はみんな山に入っていたから、実際のところ、そこに興味を持ってくれる人が出てくるのは嬉しいんです。ひとしきり語り合って、最終的には、じゃあ一緒にやるか!となるんです。その繰り返しでしたね」

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熱意を持って開催しつづけた地域住民に対する説明会。対話を積み重ねることで信頼関係を築いた。


トレイルがつないだ人と人


この活動を1年もつづけたのである。誠意を持って話せば分かるというのも事実ではあるのだろうが、価値観の異なる人に納得してもらうのは至難の業でもあるはずだ。高野さんは笑って話してくれたが、かなり苦労したに違いない。でも、やることが決まり地域の人に整備を手伝ってもらうようになったある日、心から幸せを感じた瞬間があったという。

「整備に入ったときのことなんですけど。峠を挟んで住んでいる方々が、昼ごはんを食べながらこう話していたんです。『こんな機会でもなかったら、お互いこれほど近くに住んでいても一生会わなかっただろうな』。これは本当に嬉しかったですね。そうなんです、これが大事なんです。こういった交流が目的でもあるんです」

地域の経済活動に貢献することは重要だが、それだけではないと高野さんは言う。たとえば、昔は地元の学校でも、林間学校となるとここに山があるにもかかわらず行き先は苗場山や北アルプスだった。しかし、最近では信越トレイルができたことで、学校の生徒や家族も足を運ぶようになってきているのだ。

「今後、オレは大学は県外に行くけど近い将来は飯山に戻ってくる!という人が増えれば地域のためにもなるじゃないですか。地域にとっては人という資源がいちばん大事ですから、その一助になればと思っています。また県外から訪れた人が、いい所ですね!素晴らしい環境に住んでますね!と言って評価してくれたら、誇りも生まれてきます。それは『価値の逆輸入』だと思っていて、そういうことも非常に大切だと考えています」

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道標の設置をするボランティア。現在も、年間400名ほどのスタッフが整備に携わっている。


信越トレイルのこれから


2008年の全線開通以来、歩く人の数は着実に伸びている。昨年度は、年間3万4,500人が訪れた。足を運ぶ人がほとんどいなかった山域に、これだけ来るようになったのだ。順調に思えるが、決してそうではないと言う。

「目標設定はしていませんが、地域経済への影響面を考えるとまだまだですね。ただ、人数をどこまで伸ばすか、どうやって伸ばすかが課題です。たとえば、来訪者が3万4,500人の倍になった場合に、平日も含めて均等に分散すればいいんですが、おそらく紅葉期の週末など一時期に集中する。そうなると利用過多になってしまうんです。解決策はまだありません。ただ現状考えていることとしては、ルートを北に延ばして苗場山までつなぐこと。総延長120㎞弱になる見込みですが、これも利用者増加のひとつにはなると考えています」

信越トレイルと言えども、経済活動に寄与するという点では課題は多いようである。ちなみに、来訪者の中で宿泊を伴う人の割合は2割程度。3万4,500人をベースに考えた時に、歩ける期間(無雪期)が6カ月として1カ月に歩く人数は5,750人。1日にすると約190人。その2割となると38人程度。信越トレイルクラブに加盟している宿はエリア全体で50軒ほどなので、それを考えると確かに少ないというのもうなずける。

「ただ、全部の宿にそれなりの人数を提供することは困難ですし、それが目的でもありません。信越トレイルはツールのひとつでしかないので、宿泊施設の方々にはうまく利用していただきたいと考えています。実際、なかにはかなりの人が泊まっている宿もあるんです。そういう所は、独自のトレッキングプランや送迎サービスなどを用意していて、WEBも含めてしっかり営業活動をしているんです」

信越トレイルが地域づくりのすべてを担っているわけではないのである。あくまで手段のひとつ。それをどう活かすは、使う人次第なのだ。一方で、運営サイドとしては、品質管理を徹底しつつPRやブランディングをしっかりやることで、有益なツールでありつづける必要がある。

前述の通り、ロングトレイルは一過性ではダメなのである。

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今年3月に飯山駅にオープンした『信越自然郷アクティビティセンター』。アウトドア情報の提供に加えギアのレンタル、ツアーの手配、講習会なども行なう。新幹線の駅舎内にアウトドア施設があるのは全国でここだけ。

「ロングトレイルを歩くことを、いちアウトドアアクティビティとして紹介するのではなく、歩く文化としてどう浸透させるかを考えることが大事です。それが地域経済においても重要になるわけなんですが、そこに注力しているトレイルは少ないように思います。また長距離になればなるほど難易度は高くなります。たとえば数百kmのトレイルであれば、どう維持管理していくのか?信越トレイルの80kmでも大変で、今はいちNPOでなんとかやれていますが、さらに長い距離をひとつの組織で対応するのは難しい。となると支部が必要になって、それを束ねていかなくてはいけない。でも支部のひとつが、経営が厳しくなったのでウチはやめます!となってしまったらダメになってしまいます。アメリカではATをはじめ支部組織がうまく機能しているトレイルも多いですが、日本では大きな課題になると思っています」

いかに地元に根ざしたロングトレイルを作り、そして長期スパンで維持管理をつづけていくか。この答えを持たずして、ロングトレイルを作ることは難しい。信越トレイルが成功している理由は、そこにある。確固たる理念と信念を持ってスタートし、それを今もなお徹底しているからである。さらに言えば、スタート前に、元飯山市長の小山氏を中心とした方々が、長年にわたり自然利用や地域づくりの基盤を構築していたからなのである。ロングトレイルありきではなく、その地域の魅力は何なのかを掘り下げること。それが重要なのだ。

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全線開通から7年。アパラチアン・トレイルのように何十年もつづき、文化となるにはまだまだこれからだ。

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WRITER
根津 貴央

根津 貴央

1976年、栃木県宇都宮市生まれ。幼少期から宇宙に興味を抱き、大学では物理学を専攻。卒業後、紆余曲折を経て広告業界に入り、12年弱コピーライター職に従事する。2012年に独立し、かねてより憧れていたアメリカのロングトレイル「パシフィック・クレスト・トレイル(PCT/総延長4,265km)」のスルーハイクのために渡米。約5カ月間歩きつづける。2014年には「アパラチアン・トレイル(AT/総延長3,500km)」の有名なイベント「Trail Days」に参加し、約260kmのセクションを歩く。同年より、グレート・ヒマラヤ・トレイル(GHT)を踏査する日本初のプロジェクト『GHT Project(www.facebook.com/ghtproject)』を仲間と共に推進中。2018年、TRAILSに正式加入。2024年よりTRAILSのHIKING FELLOWに就任。著書に『ロングトレイルはじめました。』(誠文堂新光社)、『TRAIL ANGEL』(TRAILS) がある。

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