LONG DISTANCE HIKER #10 利根川真幸 | どこかの誰かの幸せにつながるロング・ディスタンス・ハイキング
話・写真:利根川真幸 取材・構成:TRAILS
What’s LONG DISTANCE HIKER? | 世の中には「ロング・ディスタンス・ハイカー」という人種が存在する。そんなロング・ディスタンス・ハイカーの実像に迫る連載企画。
何百km、何千kmものロング・ディスタンス・トレイルを、衣食住を詰めこんだバックパックひとつで歩きとおす旅人たち。自然のなかでの野営を繰りかえし、途中の補給地の町をつなぎながら、長い旅をつづけていく。
そんな旅のスタイルにヤラれた人を、自らもPCT (約4,200km) を歩いたロング・ディスタンス・ハイカーであるTRAILS編集部crewの根津がインタビューをし、それぞれのパーソナルな物語を紐解いていく。
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第10回目に紹介するロング・ディスタンス・ハイカーは、利根川真幸 (とねがわ まさゆき) a.k.a. TONYさん (以下、トニー)。
トニーは、2015年にパシフィック・クレスト・トレイル (PCT ※) をスルーハイクし、帰国後も、信越トレイル、北根室ランチウェイ、熊野古道、塩の道トレイル、南房総ロングトレイル、摩周・屈斜路トレイル (MKT) など、国内のトレイルを歩きつづけているロング・ディスタンス・ハイカーだ。
MKTに関しては、釣りとパックラフトも組み合わせたトニーらしいトリップの模様を、TRAILSの記事でも紹介したので (詳しくはコチラ)、覚えている読者もいるのではないだろうか。
彼と話していていつも感じるのは、ロング・ディスタンス・ハイキングというカルチャーへの愛情である。自分だけではなく、このカルチャーに触れた人に、歩く旅の喜びを感じてほしいと、いつも願っているのだ。
その思いは、なにがきっかけでどう形成されていったのか。PCTのスルーハイクの経験を通じて、それを紐解いてみたい。
敷かれたレールから外れて、自分のやりたいことに挑戦したい。
—— 根津:海外に行ったこともなければ、ロング・ディスタンス・ハイキングの経験もなかったトニーが、30歳のタイミングでなぜPCTに?
利根川:「それまで普通の、敷かれたレールに沿ったような生活を送っていたんですよね。30歳が近づくにつれ、このままでいいのか? もっと自分のやりたいことに挑戦してみてもいいんじゃないか? という思いが芽生えてきて。
そんなタイミングで、加藤則芳さんの『ロングトレイルという冒険』をはじめとした、ロングトレイル関連の本を読んで憧れを抱くようになったんです」
—— 根津:ある意味、自分探しのタイミングだったと。その手段としては、他にも放浪の旅に出るとか、世界一周だとか、ワーホリだとか、海外の高峰に登るとか、いろいろあるじゃん。どうしてロングトレイル、しかもPCTだったの?
利根川:「もともと大自然のなかで遊ぶのが好きだったので、ヨセミテへの憧れは持っていたんです。あと、木工作品とかのクラフトにも興味があって、知り合いの木工作家さんからオレゴンの魅力を聞いたりしていて。それでアメリカ西海岸にはずっと興味がありました。
くわえて、ロングトレイルの本を読んだときに、トレイルでの生活にすごく惹かれてしまって。そういった僕の興味・関心がぜんぶ詰まっていたのが、PCTだったんです」
—— 根津:希望と期待に満ちあふれていて、もうPCTには楽しみしかないって感じだね。それで行ってみたら案の定がっつりハマってしまったと。
利根川:「いや実は最初はぜんぜんそうではなかったんです。意気揚々とスタートしたんですが、思い通りにいかない毎日でした。
初めての海外でしたし、英語もろくに話せず、他のハイカーともうまくコミュニケーションが取れず。でも一人で歩くのは不安だから他のハイカーと一緒に歩くんですけど、それはそれで自分のペースで歩けないストレスも抱えてしまい、しかもそれがきっかけでちょっとしたケガもしてしまって。
憧れだったPCTがぜんぜん楽しくない……という状況でした」
僕は自分のためだけに歩いているんじゃない。
—— 根津:憧れが大きかったぶん、落胆も大きかっただろうね。そこから、どうやって気持ちを持ち直していったの?
利根川:「セイントっていうハイカーと仲良くなったんですが、彼に『PCT楽しいか?』と聞かれたことがあって。まあ楽しくなかったですけど、とりあえず苦笑いで『Yes』と答えたんです。そしたら、彼はなにか察したようで、こうつづけたんです。
これを聞いて吹っ切れたんですよね。初めて今の自分を受け入れることができました。こんなはずじゃなかったという思いがなくなり、これでいいんだと思えたんです」
—— 根津:『We are PCT hiker』って、めちゃくちゃいい言葉だね。もともとは、敷かれたレールから飛び出したくって、なにかに挑戦して成し遂げるためにPCTに来たわけだよね。でも、そういう野心や克己心みたいなものからも解放された感じなのかな?
利根川:「そうですね。セイントだけではなくいろんなハイカーとの出会いを通じて、自分の価値観が変わっていきました。
当初はスルーハイクするぞと意気込んでいましたが、途中で、スルーハイクだけが目的じゃないなと思いましたし、まあできなかったらできなかったでいいやとなりました」
—— 根津:アメリカのハイキングカルチャーに救われたわけだ。
利根川:「まさに、その通りです!」
—— 根津:でも結果としては、スルーハイクすることができたよね。やはりそこに対するこだわりはあった?
利根川:「実はもうひとつ大きな出会いがあったんです。PCTの終盤、ワシントン州の北部だったんですけど、そこでたびたび地元のハイカーと会ったんですよね。
みんな口々に、『あなたは私の誇りよ』『キミは憧れだよ』『最後までがんばってね』って声をかけてくれるんです。僕みたいに、日本から来た大して英語もできない薄汚れた格好のハイカーに対してですよ。
僕は自分のためだけに歩いているんじゃないんだなと思いましたね。こういうまわりの人のためにも歩こう! となったんです」
—— 根津:スルーハイカーをサポートする人々や、そういったカルチャーに触れることで、自分のためだけの旅ではなく、どこかの誰かの思いも含んだ旅であることを体感したんだね。それで前に進みつづける気持ちが湧き出てきた、ということ?
利根川:「そうですね、それが結果としてスルーハイクにつながっただけなんです」
ロング・ディスタンス・ハイキングをすることが、誰かのプラスになればいい。
—— 根津:トニーは帰国後も、信越トレイルや摩周・屈斜路トレイル (MKT) をはじめ、国内のロングトレイルを歩きつづけているよね。なにがトニーをロングトレイルに駆り立てているの?
利根川:「やっぱり歩くこと、自然に浸ること、人と接することが好きなんですよね。自然を楽しむだけであれば登山でもいいんでしょうけど、長い期間にわたって自然だけではなく人の営みにも触れながら歩き旅をするのが、すごく楽しくて。
これはPCTの経験が大きく影響しているからだとは思います。僕は、ロング・ディスタンス・ハイキングをすることで、素の自分でいられる気がしていて。だからまた歩きに行ってしまうのです」
—— 根津:やはりPCTがターニングポイントだったんだね。自然だけではなく、人の存在が大きいと。
利根川:「PCTをスルーハイクしたことで、トレイルを作った人、メンテナンスしている人、トレイルエンジェル、地元の人など、関わっているすべての人への感謝の念が強くなったんです。
だから僕も、自分が歩くことで、トレイルに関わっている人はもちろん、次に歩く人に対しても何かしら喜びを感じてもらえたらいいなと、つねづね思っているんです。
実際、僕が帰国してからPCTの話をして海外トレイルを歩きに行った人もいます。僕自身、PCTを歩いたことは自分の人生にとってプラスでしかないので、そういう幸せを他の人にも伝えていけたらいいなと思っています」
This is LONG DISTANCE HIKER.
『 誰かの幸せを願って
歩きつづける』
ロング・ディスタンス・ハイキングは、その過程において、他のハイカーや地元の人、メンテナンスクルーなど他者との交流はあるものの、基本的には極めて私的な行為である。自分が歩きたいから歩く、というのが前提のはずだ。
にもかかわらず、トニーは、誰かのためになることを願って歩いている。トニーがPCTを歩いたことで、価値観をアップデートできたのと同じように、ロング・ディスタンス・ハイキングをまだ知らない人がこの世界やカルチャーに触れることで、より幸せになってほしいという。
その接点づくりの旅を、トニーは今もつづけているのだ。利己ではなく利他。それはまるで、歩くトレイルエンジェルのようでもある。
根津貴央
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