アリゾナ・トレイルのスルーハイキングレポート(その2)| by 河西祐史 a.k.a. Wonderer #02
文・写真:河西祐史 構成:TRAILS
クレイジーなまでにアメリカのロングトレイルを歩きまくっている日本人ロング・ディスタンス・ハイカー、河西祐史 a.k.a. Wonderer (ワンダラー)。自分が行きたいと思うアメリカのトレイルをまとめた『おもしろそうリスト』は、つねにパンパン。そのくせ歩きに行くと、トレイルそっちのけでガンガン寄り道をしてアメリカを遊び倒してしまう型にハマらないハイキングスタイルが、僕たち好み。そんな河西さんによる、This is Americaなハイキング・レポート。
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河西さんほどアメリカのトレイルを歩いている現役日本人ハイカーはいないだろう。そんな彼が、この連載第一弾でレポートしてくれるのは、アリゾナ・トレイル (AZT ※1)。
前回の記事で、スタート前からがっつりと寄り道をして楽しんで、ようやくアリゾナ・トレイルを歩きはじめた河西さん。
序盤のノーザン・セクション一番の見所は、なんといってもグランドキャニオン国立公園。
なかでも、グランドキャニオンの谷底まで下って反対側に登りかえす『リム・トゥ・リム』は、このセクション最大のハイライトだ。
一方、観光客にも大人気のエリアだけに、キャンプ場の予約もなかなか取れない。でも、さすがアメリカのハイキング事情に詳しい河西さん、事前に抜かりなく準備して向かったようだ。
河西さんにとっても、憧れのグランドキャニオン。どんな準備をして、どう楽しんだのか。第2回のレポートをお楽しみください。
すれ違ったハイカーと、水場の情報交換。
歩きはじめてすぐ、ああ山火事があったんだなと思わせる景色になる。この先の水事情に、不安は募るばかりだ。雨降ったのになあ。
最初の丘を登り切り、スタートしたエリアが見えなくなる頃に反対側からハイカーが来た。挨拶を交わすと、ちょうどアリゾナ・トレイルをスルー (スルーハイキング) し終えるところだった。次の水場のことを聞いてみたが、もうゴールだからあまりチェックしなかったという。
ハッとして、ゴール近くのキャンプ場、ドライ (水がない) だぜと言うと、「えっ? 今夜はあそこでキャンプの予定なんだ、水くらいどこか近くに……ない? まったく? ううむ……」と考え込んでしまった。
気持ちは分かる。自分が目指している水場まではまだ1時間はかかる。さあゴールという気分だった彼が、1時間かけて引き返せるかというと難しいだろう。進め、のほうがまだマシかもしれない。
キャンプ場で一般客に、少し水を分けてもらえないかと聞いてみろよ。北からクルマが入ってこられないせいであまりキャンパーはいなかったけど、万一の時はダートを行けば水たまりがある。泥の川より北にあるけど暗くなる前には着けるだろ、と精いっぱいの情報を伝えて別れる。
ほどなくして森に入り、そのうち目指す水場に着いた。しっかりと補給。もう少し進み、自分も今夜はドライキャンプ (水場がない場所での野営) だ。
足首まで埋まるほどの積雪。防寒着 & レインウェアのフル装備で歩く。
翌日は、乾いているが森になっているエリアを進む。ようやくアリゾナらしい景色が楽しめるようになってきたが、夕方には山火事による閉鎖区間にぶち当たってしまう。
おまけに雪の予報だ。10月のこの秋の季節であれば、雪が降ることもあるのだ。雲が西から来る、東へ逃げれば標高が下がる……いろいろ考えたが、迂回路として提案されている西側のダートに出て、すぐのところでキャンプ。積もってもいいや、道路だし歩けるだろと思っていたら、夜半から嵐になり明け方には足首まで埋まるほどの雪になってしまった。
防寒着を着込んだ上にレインスーツ、足元はウールソックスに防水靴下の『フル装備』で出発。風は落ち着いたが少しずつ雪が降りつづき、気温が上がってこない。どうしてもの時はあそこへ逃げよう、と思っていたリゾートを目指すことにする。ダートを半日歩いて舗装された道路にぶつかり、そこから道路を1時間。ホテル兼レストランやガソリンスタンドが併設する交差点へ。
ホテルに入ってみると、そこらじゅうに人がいた。みんな逃げてきたのだ。隅っこに暖炉があり、周りにバックパックを転がしてハイカーたちがたまり場にしていたので話しかける。ホテルは満室で、みんな何かマジック (※2) を期待して待っているという。どうやらキャンセル待ちしつつ、ダメなら部屋を取っている観光客に「床でいいから寝させてくれ」と頼む気らしい。
キャンセル待ちは観光客も含めて20人以上、と聞いて自分は退却。さらに1時間歩いて、キャンプ場なんだけどちょっと部屋もあるという穴場を目指す。雪は止んだが、今夜こそ寒くなる。もうトレイルに戻る気力もない。テレビも電波もないが、清潔で乾いた部屋が取れた。
いよいよ、グランドキャニオン国立公園へ!
今後は晴れる、の天気予報を信じて翌日からトレイルへ。最初こそキツかったが雪は順調に溶けていき、1日半ほどでグランドキャニオン国立公園のノースリムのエリアに着く。ここから谷へ下って、サウスリムまで歩いていくのだ。
一度道路に出て自動車の列に加わり、ゲートで入場料を払った。キャンプ場のハイカー・バイカー (自転車乗り) サイトにキャンプ。グランドキャニオンにも公営のキャンプ場がある。全米屈指の人気で予約は困難と言われるが、ハイカーは行ってみて空きがあれば泊まれるのだった。車やバスで入場すると、このサイトには泊まれない。
翌日はバックカントリー・インフォメーション・センターへ。ノースリムには、その名を世界に知られるグランドキャニオンロッジなどの歴史的な建物群があり、そこにはレンジャー常駐のビジターセンターもある。
だがそちらは観光客向けで、急に訪れて泊まりたいと言っても「みなさん半年前から予約しているんですよ。さ、お帰りを」と追い払われるだけである (実際に現場を目撃した)。ほかの国立公園でもそうだが、バックカントリー向けのオフィスがあれば、ハイカーはそっちへ行くのだ。
ハイカーだけが手にできる可能性があるという、優遇措置。
さて、ここからはちょっと公開すべきかためらうけれども、ちょうど国立公園のキャンプ予約システムがネットに移行する時期の話として一応記録しておく。グランドキャニオンには谷を横断するトレイルがあり、一度谷底に下って反対側に登る『リム・トゥ・リム』 (※3) は多くのハイカーにとって夢のひとつだ。
谷底近くにはいくつかの「キャビン」を持つ宿泊施設とキャンプ場があるが、こここそフツーは無理と言われるほど予約が難しい。だが実は、レンジャーたちはロング・ディスタンス・ハイカーに「特別な配慮」をすることになっていて、アリゾナ・トレイルハイカーは結構キャンプできるのだった。
具体的にはキャンプ場に空きやキャンセルがあればそこへ、無ければホースライダーのサイトに泊まらせてもらえる。歴史的な経緯から乗馬でトレイルを行けるようになっていて、谷底にも馬をつないで泊まれる専用キャンプサイトがあるのだが、そこがいっぱいになることは現在ではまずない。ハイカーは特別の事情に限ってその使用が許される……ことがある、のだという。絶対、ではない。
自分は一応事前に問い合わせたのだが、時期的にまず大丈夫と言われて、なんと予約ナシで現地に到着した。ちょうどこの日からノースリムの道路が冬季閉鎖 (出ていくのはOK) で、観光客が激減するタイミングだった。
加えて2021年は新型コロナのせいで、乗馬 (馬やラバ) でツアーを組んでいる業者がみんな休みだったらしい。拍子抜けするほどあっさりと、第一希望のキャンプ場が取れた。
もっと人が多い時期は、アリゾナ・トレイルハイカーも事前にEメールで予約を取ったりしているという。今後、ネット予約のシステムとどう折り合いをつけていくか分からないが、なんとかこの状況を維持してもらいたいものだ。
ゼロデイ (休息日) をとって、グランドキャニオン散策。
この日はノースリムをうろうろして休む。ゼロデイ、つまり1マイルも歩かないハイカーの休日だ。夕方、谷の景観が有名なブライトエンジェルポイントに行ってみると、たくさんの一般客がいた。アメリカ人は夕日を眺めるのが好きなのだ。売店で食料も補給できたし、満足してキャンプ。唯一残念なのは、故障のためシャワーが使えないことだった。
翌朝。早朝3時ごろ、トレイルランナーが出発。谷底でキャンプせず、1日でリム・トゥ・リムをやるのだ。5時ごろ、隣でキャンプしてたハイカーのカップルが出発。アメリカ人は暑さの中を歩くことを嫌う。
7時、ようやく起きてお茶を沸かしていると、ほかのハイカーはパッキングしていてそのうちにみんないなくなってしまう。のろのろと食事をし、陽射しでタープの霜が溶けて乾くまで待って出発。もう9時だ。
グランドキャニオンの絶景のなかを歩く、リム・トゥ・リム。
素晴らしい景色の中を、1日かけて下る。谷底まで標高差は1,800mくらい。下るにつれ気温は上がり、谷底のキャンプ場に着いた18時に25℃くらいだった。4日前は積雪の中を歩いていたのに。
こうなると、今度は夜が寝苦しい。驚くほど整備されたキャンプ場だったため、なんだか都市のすぐ郊外にいるような気分になる。
さらに翌日。コロラド川にかけられた橋を渡り、今度は1,400mほど登る。もうTシャツに短パンだ。登るにつれ、向こうから来る日帰りのハイカーが少しずつ増えてくる。服装はカジュアル、荷物は水のボトルだけだったりする。
途中トイレがある場所に差しかかると、突然カップ型のマスクをした一人の男が坂の上に進み出て大声で話し始めた。
「紳士淑女のみなさん! 申し訳ない、これからこのトイレは閉鎖される。作業終了まで、1時間半ほどかかる見込みだ。ご協力に感謝する!」
オーウとかオーヤーとかいう声が上がる。興味を持ったデイハイカーが話しかけていたので会話を聞いてみると、タンクを引っ張り出してヘリコプターで吊れるようにするんだ、などと説明していた。
マスクの彼はオリーブグリーンのキャップに同色のカーゴハーフパンツで、グレーのTシャツには国立公園のサインであるアローヘッド (矢じり) の輪郭が大きく描かれていた。公園関係者としてはもっともラフなスタイルだろう。
レンジャー (普通は制服を着ている) ではなく「トイレの整備が俺の仕事だ。ほかにも担当のトイレがある、こんな仕事でもこの公園で働けるのは誇らしい」と語る彼に、みな口々に素晴らしい仕事よ! とか、あなたたちのおかげで我々は楽しめるんだ、ありがとう! などと声をかけていく。クレームはゼロだ。
ちなみに自分はほかの国立公園でもそっくりの状況に出くわしたことがあるが、やっぱり苦情などはなく、みんな職員の仕事を褒めたたえてお礼を述べていた。最初に「レイディース・アンド・ジェントルメン!」と言われるからだろうか。
グランドキャニオンを越え、酒と食料をゲットして贅沢な野営。
ついに登り切った、と思うとそこからが長い。サウスリムのエリアは広大な観光地で、歩いて移動するのは無理がある。
こちら側でもハイカー・バイカーサイトがあるというキャンプ場にどうにかたどり着く。みんな車で来るキャンプ場の、受付に一番近いところにキャンプしていいというだけだった。
体に鞭打って売店へ。さすが超人気観光地、売店は普通のスーパー並みの充実ぶりだ。そして酒コーナーが素晴らしい。品ぞろえの豊富さ、気の利いたセレクト、良心的な価格。全米ロングトレイル沿線でもトップクラスだ。
野外で過ごしていると、たまに見る「文明」にコーフンしてしまう。普通は自然を見に行く場所である国立公園が、ハイカーには光り輝く文明スポットなのだった。
酒と食料を確保し、満ち足りてキャンプ。唯一残念なのは、メンテナンス中とのことでシャワーが使えないことだった。またか。たっぷり汗をかいてきたんだ、明日こそ頼むよ。
雪のなかを歩いたあとに、標高差1,800mのグランドキャニオンのリム・トゥ・リムを満喫。タフなセクションを終え、観光地でお酒と食料を手に入れて満足げにタープ泊をする河西さん。
序盤の大きなハイライトを越え、次はどんな景色と出来事が待ち構えているのか、楽しみだ。
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