LONG DISTANCE HIKER #11 関口文雄 | リタイア後に、まだ見ぬ冒険を求めて
話・写真:関口文雄 取材・構成:TRAILS
What’s LONG DISTANCE HIKER? | 世の中には「ロング・ディスタンス・ハイカー」という人種が存在する。そんなロング・ディスタンス・ハイカーの実像に迫る連載企画。
何百km、何千kmものロング・ディスタンス・トレイルを、衣食住を詰めこんだバックパックひとつで歩きとおす旅人たち。自然のなかでの野営を繰りかえし、途中の補給地の町をつなぎながら、長い旅をつづけていく。
そんな旅のスタイルにヤラれた人を、自らもPCT (約4,200km) を歩いたロング・ディスタンス・ハイカーであるTRAILS編集部crewの根津がインタビューをし、それぞれのパーソナルな物語を紐解いていく。
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第11回目に紹介するロング・ディスタンス・ハイカーは、関口文雄 (せきぐち ふみお) a.k.a. Flyingfishさん。
関口さんは、62歳でアパラチアン・トレイル (AT ※1) をスルーハイクしたロング・ディスタンス・ハイカーだ。若い頃からハイキングをしていたわけでもなく、48歳から山を歩き始めた。
スルーハイクする前には、『LONG DISTANCE HIKERS DAY ※2』にもお客さんとして2回参加し、2022年4月のイベント開催の際は、スピーカーとして登壇して経験談を語ってもらった。
聞けば、この11月の初旬、パシフィック・クレスト・トレイル (PCT ※3) のパーミット (※4) の申請にトライしたとのこと (結果、取得ならず。1月に再トライするそうだ)。
現在65歳の関口さんが、来年PCTを歩こうとしていたとは思ってもみなかった。一体何が、関口さんをロング・ディスタンス・ハイキングへと駆り立てるのか。その理由に迫ってみたい。
「人生1回きりだから好きなことやってみたら」と妻に背中を押されて。
—— 根津:そもそも海外にすら行ったことがなかったそうですね。そんな関口さんが、どういういきさつでATをスルーハイキングしようと思ったのですか?
関口:「2008年6月に、鳴神山 (なるかみやま) という地元 (群馬) の山を登るためにクルマで向かっていた時のこと。バックパックを背負って道路を歩いている人がいて、同じ山を登るんだろうと思って声をかけて乗せてあげたんです。
話をしていたら、その人がATをスルーハイクした人だったんです。そういう長い道があって、そこを歩く人がいるということを知ったのが最初のきっかけです」
—— 根津:ATのことを聞いて、ビビッと来たと。
関口:その時はちょっと興味を持ったくらいで、ネットで調べてみたら『LONG DISTANCE HIKERS DAY (以下、LDHD)』というイベントがあることを知りました。それで2018年、2019年と連続で参加し、ATを歩いた人の話を聞いて、自分でも行けるかもしれない!という気になったんです」
—— 根津:とはいえ、初の海外、初のロングトレイルということで、それなりにハードルの高さもあったのではないですか?
関口:「そうですね。ただ2019年は、定年退職後に再雇用で2年間働き終えて、ちょうどキリがついたタイミングでした。前々から、仕事が終わったら何かやってみたい気持ちはあったんですよ。子どもも働きはじめて、義務も責任もなくなった。一家を養わなければならないっていう縛りもなくなったんです。
くわえて、妻が「人生は1回きりだから、好きなことやってみたら」という言葉をかけてくれて。それまで少し躊躇してたんですけど、今やらなきゃいつやるんだ!と、妻の言葉に背中を押されて踏み出すことができました」
毎日ハードだけど、ハイカーや地元の人との草の根の交流に救われた。
—— 根津:日本で長く登山もやっていましたし、先ほどおっしゃっていたように「自分でも行けるかもしれない!」というイメージもお持ちだったので、初めてのロングトレイルとはいえ意外とすんなり歩けましたか?
関口:「それが最初からとにかく登って降りての繰り返しで、毎日がハードでした。自分はこんな苦しい思いをするためにここにきたのか? 定年後の悠々自適な毎日が待っていたはずなのに……と思いました (苦笑)。荷物は重いし、坂は急だし、腰は痛いし、このあとどうなるのか、歩きつづけることができるのか不安でしたね」
—— 根津:その不安は、どうやって解消したんですか?
関口:「歩いているなかで、ヒッチハイクしたり、トレイルタウンに立ち寄ったりするじゃないですか。すると、会う人会う人、スルーハイクしてるんですか? という感じで、讃えてくれるんですよね。
トレイルエンジェル (※4) やトレイルマジック (※5) もありがたかったですね。トレイルマジックに遭遇すると、ほんと天国というか、それまでの苦労や辛さが吹き飛んでしまうんです。
そういう人との交流のおかげで、苦しいだけじゃなくて、喜び、楽しさ、そういうのを感じはじめたのが大きかったですね」
—— 根津:関口さんの心境に変化を与えたそういった数々の出会いのなかで、特に印象的だったものはありますか。
関口:「ピアリスバーグという町に行くためにヒッチハイクした時のこと。町に着いて、郵便局で荷物をピックアップして、歩きはじめた際にトレッキングポールがないことに気が付きました。クルマに忘れてきてしまったんです。
ポールがないとテントも張れないので、これは困ったなと思ったんです。それから1時間以上経ったでしょうか。とある信号に差しかかった時に、横から出てきたクルマがなんと自分がヒッチハイクしたクルマだったんです。
ドライバーのおじさんに聞いたら、自分を探すために、1時間くらいかけて近くのホステルを何軒か回ってくれたと。それがすごく嬉しかったですね。そこで生活している人との草の根の交流といいますか、これがロング・ディスタンス・ハイキングの魅力のひとつだと思いました」
身の丈にあった冒険がしたい。
—— 根津:現在65歳だそうですが、来年はPCTのスルーハイキングもチャレンジ予定なのですよね。ATだけでは満足することなく、まだまだやりたいことを実現していきたいのですね。
関口:「一度歩いて、沼にハマってしまったといいますか (笑)。PCTは、今年のLDHDに参加していたハイカーが何人も歩きにいっていて、いいなーと思っていたんです。
私は歳が歳なんで、チャンスが限られています。スルーハイクではなくセクションハイクでもいいので、またアメリカの空気を吸ってみたいと思っています」
—— 根津:関口さんをアメリカのロングトレイルへと駆り立てる原動力はなんなのでしょうか?
関口:「ATを歩き終えた時はすごい充実感だったんですけど、終わったという気持ちがなく、次に続く旅だったなという感覚があったんです。1度経験すると中毒じゃないですけど、そういう部分があるかもしれないですね。あれだけ辛かったのに (笑)」
—— 根津:辛かったのにまた行きたくなる。不思議ですね。
関口:「日本でお遍路も歩いたりしましたけど、言葉は通じるし、どこにいっても安全ですよね。守られているというか。それはそれでいいんですけど、なにか冒険したいというか、未知のところに行きたいというか。もちろん死んでしまっては元も子もないですけど、冒険心をくすぐる要素がロングトレイルにはあるんですよね。命をかけない、身の丈にあった冒険といいますか。
これまで日本で生活してきて、家庭を持って、子どもも育てて、何の不自由もないと思っていましたけど、アメリカに行って冒険をすることで、別の世界があることを知りました。もっともっと、知らないところに行ってみたい、知らない風景を見てみたいんです」
This is LONG DISTANCE HIKER.
『 身の丈にあった冒険 』
関口さんは、何かすごいことをしたいわけでもなければ、人から注目されたいわけでもなく、命の危険をおかしてチャレンジしたいわけでもない。
60歳を過ぎてもなお、そこにあるのは、知らないところに行ってみたい、知らない風景を見てみたい、という自分の心の底から純粋にわき出る好奇心。それが原動力になって、歩きつづけているからこそ、彼の佇まいはいつも軽やかであり、清々しくもあり、楽しげなのだ。
本人曰く、身の丈にあった冒険。関口さんにとっては、その手段が、ロング・ディスタンス・ハイキングだったのだ。根津貴央
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