BRAND STORY

#004 Marmot / マーモット – 33年前に生まれた『軽量化哲学』への再挑戦

2016.03.18
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What’s BRAND STORY/優れた製品を開発するメーカーには、それを実現させるだけの「他にはない何か」があるはず。でも普段の僕らは、つい新製品ばかりに注目しがちです。そこでBRAND STORYでは、編集部がリスペクトするあのメーカーの「他にはない何か」を自分たちの目で確認し、紹介したいと思っています。

Why Marmot/『山の本格派』、そんなイメージのあるマーモットが、今ウルトラライトのギアづくりを始めている。なぜ今、ウルトラライトなのか。実は1983年のマーモットのカタログには、すでに「LIGHTPACKING」というコンセプトが謳われていた。第4回は、自身の過去の『軽量化哲学』への再挑戦を始めている「マーモット」をお届けします。

ウルトラライトの新たな地平 / マーモット × ウルトラライト = Re:LIGHTPACKING。も公開中!

* * *

マーモットと聞いて、どんなブランドイメージを抱くだろうか。過酷な環境下でも耐えうる製品群を持ち、数多くの山岳ガイドや冒険家のサポート等を行なっていることから、アルパインクライミングの印象が強いかもしれない。

そんな同ブランドが、今年2016年の春夏シーズンに掲げたコンセプトが、『Re:LIGHTPACKING』である。なぜマーモットが軽量化にフォーカスするのか、なぜ今のタイミングで軽量化なのか。

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その背景を探るべく、マーモットからデザイナーの佐藤史佳氏と、今シーズンから同ブランドとコラボレーションすることになったハイカーズデポの土屋智哉氏を招き、インタビューを行なった。

今回の記事では、まずはマーモットのDNAを紐解くヒストリーを前半に。そして後半にマーモットの今を二人に語ってもらう。

■ 西海岸のカウンターカルチャーから生まれた自作スリーピングバッグ

マーモットの創業者であるデイヴ・ハントリー、エリック・レイノルズ、トム・ボイスの三人は、大学在学中にたまたま出会う。クライミング仲間となった三人は、当時ブランドを立ち上げようなどとはまったく考えていなかった。

Eric's Birthday Party 8 '72 C-18

PHOTOGRAPHS BY DAVE HUNTLEY

デイヴがカリフォルニア大学サンタ・クルーズ校に入学したのは1969年のこと。ベトナム反戦運動が盛んだった当時、学生がストライキを起こしたため春学期の授業は閉講に。そこで彼は、その空いた時間でクライミングをするようになる。折しもカウンターカルチャー全盛期でバック・トゥ・ザ・ネイチャーという自然回帰の機運もあっただけに、彼に限らず多くの若者が山に向かうようになっていた。デイヴはこう振り返っている。

デイヴ「当時大学の周りにはロッククライミングに適した場所がなくて、練習のために大学のキャンパス内の校舎を登ることにしました。ドリルで校舎の壁に穴を空けてボルトを打ち、ロープをかけたんです。それで何度か大学当局と問題になって、学内の警備員に追いかけられたこともありました(笑)」(MARMOT BRAND BOOK 2015より)

1970年の秋にはエリック・レイノルズが同校に入学。彼はトム・ボイスとともにアラスカの「ジュノー雪原調査プロジェクト」にアシスタントとして参加し、戻って来た際にデイヴと顔を合わせることになる。

意気投合した三人は、ヨセミテをはじめとした数々のビッグウォールに登り、多くの時間を一緒に過ごした。ただ、お金がなかったこともあり、ウェアやギアをすべて購入するのは難しい。そんな背景もあり、デイヴは自作を始める。最初はミシンを使ってダウンジャケットを製作。その後、サンタ・クルーズでダウン製品を作っているお店の工房を使わせてもらえることになり、そこでスリーピングバッグを作り始めた。

Curry Parking lot Attention

ヨセミテ公園にあるハーフドームの麓の駐車場にて。創業者の三人は、1972年の秋にハーフドームの北西壁に挑んだ。PHOTOGRAPHS BY DAVE HUNTLEY

デイヴ「私は当初、スリーピングバッグから作ることにしました。ゼロから作り上げていったのです。それで完成すると、それを見た何人かが、『いいね、僕にも作ってくれないか?』と言ってきて、私は大学寮でさらにスリーピングバッグを作り始めました」(MARMOT BRAND BOOK 2015より)

1973年秋のクライミングの帰りのことだった。三人はいつものように話し合っているうちに、アイデアを思いつく。僕らで何かを始めるべきだ!と。それぞれクライミングにおいては装備に苦労してきただけに、すぐに壊れたりしない長持ちするギアが必要だった。でも市場には満足できるものがない。だったら自分たちでやろうじゃないかとなったのだ。

こうして、1974年のはじめにマーモットは誕生した。デイヴ21歳、エリック19歳、トム18歳のことであった。パタゴニアのイヴォン・シュイナードが、シュイナード・イクイップメントの直営店をベンチュラにオープンしたのが1970年。ダグ・トンプキンスが、ザ・ノース・フェイスを創業したのが1966年。マーモットもまた、アメリカ西海岸に端を発するカルチャーと時代背景のもとに生まれてきた、ひとつのインディペンデント・メーカーだった。

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エル・キャピタンの中腹にあるテラス「エルキャップ・タワー」でのエリックとデイヴ。PHOTOGRAPHS BY DAVE HUNTLEY

■ ダウンジャケット108着、納期は1週間後

現在もアメリカでは、マーモットといえばダウンジャケットやスリーピングバッグなど、ダウン製品の品質の高さで有名である。ダウンにまつわるエピソードは創業時に遡る。

マーモットは、コロラド州グランドジャンクションにある小さな石造りの建物を借りて、ほそぼそとモノづくりをスタートさせた。そして、転機は突然訪れた。ある日、マイク・フーバーと名乗る男性からオフィスに一本の電話が入る。

「108着のダウンジャケットを製作してくれ。納期は1週間後だ。君にできるかい?」

実は創業前、トムはナショナルジオグラフィックの撮影アルバイトで、南米に行っていた。その際、デイヴが作ったスリーピングバッグを持っていた。それを見たマイクが気に入って、覚えてくれていたのである。

彼らは「YES!」と即答した。そして「マイク、この電話をもらう前から、僕らは用意を初めていたよ」と続けたのだった。

1週間でダウンジャケット108着を作るなどということは、無茶を通り越して不可能といっても過言ではない。でも彼らはそれを成し遂げたのである。

Catalog 1977 Golden Mantle

マーモットの初期のダウンジャケット「Golden Mantle」

 デイヴ 「この受注は、商売としてはとても大きなものでした。私たちは狂ったように働き、確かさらに何人か雇い、それは秋というよりはまだ晩夏でしたが、すべての商品を発送することができたのです」(MARMOT BRAND BOOK 2015より)

ちなみに『Golden Mantle』と名付けられたこのダウンジャケットは、とある映画の撮影スタッフ用だった。その作品とは、クリント・イーストウッド監督・主演の山岳アクション映画『アイガー・サンクション』である。

■ アウトドアブランド初のGORE-TEXプロダクト

1976年、画期的なマテリアルとの出会いが訪れる。それがGORE-TEXである。今や、アウトドアウェアに欠かせない防水透湿性素材として有名だが、当時はまだまだ無名だった。それもそのはず、当初は電気ケーブル素材として開発されたものだったからだ。

1969年にアメリカのWLゴア&アソシエイツ社が開発したその素材に目をつけたのがマーモットだった。現在のULギアも、その多くが、パラシュートやヨットの帆に使用される素材などの転用アイデアから生まれている。昔も今も、発想の柔軟性をもったチャレンジャーの存在によって、イノベーティブな製品が創られるのである。

Catalog 1978 GORETEX Sleepingbag

GORE-TEXの採用にチャレンジしたスリーピングバッグ。1976年に製品化

 彼らはGORE-TEXを用いたスリーピングバッグを製作。防寒テストとして食肉用冷蔵庫に7連泊し、防水テストとして消防用スプリンクラーを使用するなど、過酷な環境条件を想定して幾度となくテストを繰り返した。満足する結果が得られた後、そのマテリアルを100フィート(約30メートル)購入し、スリーピングバッグはもちろんウェアなどにも採用した。

デイヴはそもそもパターンを専門に学んだことのないモノづくりの素人だった。でも、エリックの体に生地をあててパターンをいちから作ったり(いわゆる立体裁断)、クライミングでの実体験を活かしたりと、アナログな手法で製品開発をしていた。

デイヴ「往々にして、多くの正式な準備を重ねることは、イノベーションとして必ずしも良いことではないと私は思うのです。なぜなら人々はどうやったらできるのか、あらかじめ習ってしまうからです。でもそうすると、私のように別のやり方を見つけることはできなくなってしまいます。私はいつも自分のことを『マヴェリック』、独立独行の人だと思っています。まず自分でやってみるんです。訓練を受けたわけでも、教育を受けたわけでもなくても、やってみるんです」(MARMOT BRAND BOOK 2015より)

(次ページ:1983年「LIGHTPACKING」のコンセプト誕生から、2016年「Re:LIGHTPCAKING」へ)

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根津 貴央

根津 貴央

1976年、栃木県宇都宮市生まれ。幼少期から宇宙に興味を抱き、大学では物理学を専攻。卒業後、紆余曲折を経て広告業界に入り、12年弱コピーライター職に従事する。2012年に独立し、かねてより憧れていたアメリカのロングトレイル「パシフィック・クレスト・トレイル(PCT/総延長4,265km)」のスルーハイクのために渡米。約5カ月間歩きつづける。2014年には「アパラチアン・トレイル(AT/総延長3,500km)」の有名なイベント「Trail Days」に参加し、約260kmのセクションを歩く。同年より、グレート・ヒマラヤ・トレイル(GHT)を踏査する日本初のプロジェクト『GHT Project(www.facebook.com/ghtproject)』を仲間と共に推進中。2018年4月、TRAILSに正式加入。著書に『ロングトレイルはじめました。』(誠文堂新光社)、『TRAIL ANGEL』(TRAILS) がある。

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