アイスランド縦断ハイキング 575km / 18 days by ホイットニー・ラ・ルッファ #03
(English follows after this page.)
文:ホイットニー・ラ・ルッファ 写真:ホイットニー・ラ・ルッファ、マイク・アンガー、ナオミ・フデッツ 訳・構成:TRAILS
今回レポートするのは、ミーヴァトン湖からニイダル小屋までの250km。
このセクションでは、ストームに遭遇し、遮るものがない火山帯の大地での砂嵐、厳しい寒さのなかでの渡渉、そして降雪と、アイスランドの大自然と向き合った。
ホイットニーが今までの30年間のロング・ディスタンス・ハイカーの経験でも最も過酷な環境であったという。
ホイットニーはロング・ディスタンス・ハイカーであり、アメリカのハイキング・コミュニティに強くコミットしているハイカーのひとりでもある。ULギアメーカーのシックス・ムーン・デザインズ (Six Moon Designs ※1) でボードメンバーを務めた後、2025年より地図アプリのFarOutの最高収益責任者 (CFO) として活動している。
TRAILS – HIKING FELLOWのリズ・トーマスとは、古くからのハイカー仲間であり、アメリカのロング・ディスタンス・ハイカーのコミュニティであるALDHA-West(※2)では運営サイドのハイカーとして共に中心的な役割で活動している。
ホイットニーの初来日のときに、TRAILS Crewは彼と出会い、感性が共感し、即座に意気投合。以来、彼の来日の度に酒を酌み交わす間柄。2023年のPCT DAYS (※3)では、TRAILS Crewのトニーと現地で会っており、その後、ホイットニーが日本に来たときには、彼をゲストにTRAILSでイベントも開催している。
そのホイットニーの憧れの地のひとつが、「火と氷の国」とも呼ばれる、地球の自然の驚異が感じられるアイスランドであった。
この記事では、ホイットニーがアイスランド縦断のJ Leyルート(※4) 535kmをロング・ディスタンス・ハイキングしたレポートを、全6回で連載する。
それでは、厳しくも美しいアイスランドの自然を旅するトリップレポートの、第3回をお楽しみください。
アークレイリの町でリサプライ (補給) をして、ラグーンの温泉も堪能。
ミーヴァトン湖でゼロデイを過ごした後、私たちは再び旅を再開しました。まずはアークレイリの町で、補給など実用的な用事を済ませに行きます。
この日はバスが運行していなかったので、レンタカーを借りて1時間半ほどかけて車でアークレイリの町まで行くことになりました。
アークレイリの町では、手頃な価格の地元アイスランドのブランドの新しいレインパンツを見つけました。そして「ボーナス (Bónus)」というスーパーマーケットで、これからの250kmを歩くために必要なものを調達しました。
この日は、アイスランドのなかでも有名な温泉のあるラグーンのひとつである、「ミーヴァトン・ネイチャー・バス (Myvatn Nature Baths)」 に行けたので、1日の締めくくりは完璧でした。シリカなどのミネラル豊富に含んだ、独特の青色の温泉でした。この温泉に何時間も浸かり、サウナを楽しみ、冷たい水に浸かってリフレッシュしました。
アイスランドの火山地帯の砂漠と溶岩流が広がる大地をハイキング。
翌日、アイスランドの内陸部に向けて出発しました。この先にある火山によってできた大きな砂漠が広がる大自然に、テンションが上がっていました。
トレイルはほとんど一日中ロードに沿って進みました。風はほとんど吹いていないなか、蚊の大群に遭遇したため、バグネットをかぶって歩かねばなりませんでした。お昼前頃に未舗装のロードに入り、その後、谷のなかを歩いて進みました。
ようやく蚊もだんだんといなくなって、アイスランドの素晴らしい景色を楽しむ余裕も出てきました。この日の最後は、小さな川のそばで静かにキャンプをしました。
しかし、こんな楽な日が突然に終わろうとしていることに、このときは気づいていませんでした。
レンジャーから「ストームが来て、風速38~50m/s、大雨、そして雪が降るよ」という知らせ‥。
翌朝は美しい青空とともに始まりました。私たちは火山地帯の砂と溶岩流の大地を歩き、ボトニ小屋へと向かいます。
ボトニ小屋は、アイスランドの内陸部にあるシェルターです。日本やアルプスにあるものよりも質素で、最低限の設備の小屋です。
小屋で温かいランチをとりながらルートを確認しているとき、嵐が近づいていることに気づきました。その後、この日に予定していた42kmを進んでいきました。
その休憩中に、エルフ (妖精) のような姿をしたパーク・レンジャー (公園管理人) に出会いました。すると、そのレンジャーが「ハリケーンが近づいていて、風速38~50m/s、大雨、そして雪が降るよ」という衝撃的な情報を教えてくれました。
私たちはすぐに計画を変更しました。その夜に泊まる予定だったディンギウフェル小屋よりも先にある、緊急避難用のシェルターのキスティフエル小屋までたどり着けるように進むことにしました。この日は、計画変更により51kmも歩くことになりました。
ヨーロッパ最大のヴァトナヨークトル氷河の近くを歩く。
翌日、まだ外が暗い時間に、歩き始めました。嵐が来るまでに今日の目的地の小屋にたどり着くために、午後3時までに 43kmも進む必要があったので、かなり追い込んで歩きました。
地形的には歩きやすく、楽に時間を稼ぐことができました。砂の道に沿って谷を登り下りして進みます。
この日は、ヨーロッパ最大の氷河であるヴァトナヨークトル氷河の近くを歩きました。しかし高濃度の硫黄で汚染されているため、氷河の水は飲まないようにと警告されていました。
ランチ休憩をとった後、私たちは火山の急斜面の高いところにある小屋まで、長い登り道を全力で登っていき、予定通り午後3時になんとか小屋に到着しました。
もう嵐が始まるはずの時間でした。
小屋は簡素で、部屋のなかでは灯油の匂いが漂っていました。入り口の泥よけ室にストーブがあり、なかには簡素な二段ベッドがありました。
数時間後に嵐が襲ってきたときには、私たちはこの小屋がまさに避難所となりました。夜通し風が激しく吹き荒れ、小屋全体が大きく揺れ、そのまま建物が崩れてしまうのではないか、と不安のなか夜を過ごしました。
さえぎるものがない荒野に吹く、砂嵐にのなかを歩いていく。
朝になっても風はおさまりませんでした。しかし私たちは20km先にある、次の小屋まで歩いてみることにしました。
この日は、5時間も極寒の砂嵐のなか戦いました。重ね着をしていても、それでも肌に砂が刺さる感覚が残りました。
渡渉をしたり、風と戦ったり、この時間が永遠に続くように感じました。その後、目的地のガサウアイナスカリ小屋に、ようやくたどり着くことができました。するとそこには 2 人の若いスイス人ハイカーが、すでに避難をしていました。
快適な小屋で、アイスランドの砂漠のオアシスのような居心地のよい場所でした。水道があり、ベッドもきちんと整っていました。
その夜、スイス人は経験がそれほどないハイカーだったので、その日の夜、ルートのプランニングをサポートしてあげたり、「ガイア GPS」のアプリを教えてあげたりしました。そして翌日はそのスイス人ハイカーたちと、一緒に歩くことにしました。
30年間のロング・ディスタンス・ハイキングの経験の中で、最も過酷な1日。
翌日が、私たちにとって最大の難関でした。
嵐がおさまらない中、ニイダル小屋まで39kmのハイキングです。外は一夜にして雪が一面に広がっていました。そして風速16m/sの強風がずっと吹き続けていました。
スイス人ハイカーたちは、先に出発しました。背負っていた鮮やかな黄色のバックパックのおかげで、遠くからでも目視できました。
歩き始めてすぐに川があり、乾いた靴下は履いていられたのは、たった3分でした。
容赦ない風のため、私たちはペロトン (1列の集団になっての歩行) のテクニックを身につけざるを得ませんでした。1列になって歩き、10分ごとに位置を交代して、風の抵抗を分担しました。
天気は雪、雨、みぞれが交互に降り、ゴアテックスのウェアもびしょ濡れになりました。
ほとんど立ち止まることもできませんでした。午前10時頃、日差しが少しだけ差し込んで、近くにあった岩陰で少し休むことができました。そこでスイス人ハイカーに追いつきました。そして、彼らに小川を渡るときには、シューズを履いたままでいるようにアドバイスしました。その後はみんなで輪になって立ち、水を分け合いました。
散々なひどい状況にもかかわらず、「僕たちはビーチで遊ぶのではなく、これを選んだんだね」とブラックユーモアと言って、自分たちの状況の不条理さを笑い合いました。
渦巻く雪の先にようやくニイダル小屋が見えました。私たちは残りのエネルギーを振り絞ってそこへたどり着き、最後の川を渡ってドアを勢いよく開けて、「やった!!」と暖かく安全な場所へ飛び込みました。
レンジャーや小屋の管理人への感謝。
ニイダル小屋の管理人は素敵な女性で、すぐに濡れた服を脱ぐのを手伝ってくれて、温かい飲み物を用意し、温かいシャワーまで案内してくれました。そこでは制限なく使える、アイスランドの豊かな地熱水に助けられました。
その1時間半後、スイスのハイカーたちが同じように悲惨な状態で到着しました。私たちは、自分たちがしてもらってように、彼らを温めるサポートをしてあげました。
その夜、私たちは小屋で他のゲストと一緒に旅の話をして、次に行ってみたい場所などで盛り上がりました。レンジャーの天気予報を確認して、最悪の天候を乗り切るためにもう1泊ここで停滞するという、賢明な決断をしました。
レンジャーがこの先の数日間の天気予報を教えてくれて、最悪の天候が過ぎるのを待つために小屋にもう 1 泊した方がいいと提案してくれました。私もその考えに同意し、この小屋にもう1日滞在することにしました。
30年間のロング・ディスタンス・ハイキングの経験の中で、このセクションは私がこれまでに直面した中で最も困難な状況でした。
寒くて濡れた状態。容赦のない風。そして休憩できる場所がない吹きっさらしの地形。この組み合わせは、肉体的にも精神的にも、限界を試される状態でした。この嵐の中をハイキングできたことに、今でも時々驚いています。出会ったレンジャーや小屋の管理人が提供してくれた重要な情報と精神的サポートに、感謝してもしきれません。
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