リズ・トーマスのハイキング・アズ・ア・ウーマン#22 / ULブランド創業者3人のミニマリズムの思想(中編) Six Moon Designs
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文:リズ・トーマス 訳:平井聖也 写真:リズ・トーマス、TRAILS 構成:TRAILS
いつもTRAILSの記事を読んでくれているリズが、連載記事『BRAND STORY』にインスパイアされ、スピンオフ企画として出張インタビューをしてきてくれました。
リズが駆けつけた場所は、ULガレージブランドが集うMinimalist Party(ミニマリスト・パーティー ※)。2013年のパーティーには、日本からはULギアショップとしてHiker’s Depot、メディアとしてTRAILSが唯一参加。そんなTRAILSとしても思い入れのあるイベントで、リズが今回紹介するのは、Six Moon Designs(シックスムーンデザインズ)です。
リズが同ブランドの創業者Ron Moak(ロン・モーク)にインタビューをし、創業のきっかけ、ULやミニマリズムに対する考え方をまとめてくれました。
ギアについてだけでなく、ULギアメーカーとしての会社のあり方に関するフィロソフィーまで語られている、とても貴重なインタビューです。ロンが言及している、第一世代ULギアメーカーと第二世代ULギアメーカーの違いも、とても興味深い話です。
※Minimalist Party:2010年のOR(Outdoor Retailer Show / 世界最大級のアウトドアギア見本市)からスタートしたEvernew主催(当時)のイベントで、ウルトラライトギアのブランドやガレージブランドなどを中心とした、ミニマリストたちのパーティー。第1回目は、Gossamer Gear創業者のGlen Van Peski(グレン・ヴァン・ぺスキ)による、ウルトラライト・バックパッキングのプレゼンテーションも行なわれた。
創業者であり社長でもあるRon Moak(ロン・モーク / 左)と、オペレーション部門の責任者である息子のBrandon Moak(ブランドン・モーク)。TRAILSも参加した2013年のミニマリスト・パーティーにて。
ロン・モーク(Six Moon Designs創業者)のミニマリズムとの出会い。
「信じられないかもしれませんが、始まりは1970年代に遡ります」とロン・モークは語り始めました。他のULブランドの創業者と同様、彼のミニマリズムへの取り組みは、起業を考える何十年も前から始まっていました。
彼が1970年代に初めてアパラチアン・トレイル(AT)のスルーハイキングをした時、すでにウルトラライトのパイオニアであるエマおばあちゃん(※)の話は、よく知られていました。
しかし当時は、ブーツの代わりにテニスシューズを使用したり、テントの代わりにシャワーカーテンを使用したりしていたため、その領域にチャレンジしたいと考えるブランドやハイカーはいませんでした。1970年代において、ウルトラライトは極端なものと見なされていたのです。
※エマおばあちゃん(Grandma Gatewood):エマ・ゲイトウッド。1954年に、アパラチアン・トレイルのスルーハイキング(女性単独では初)を達成。ライトウェイトな道具が特徴的で、ウルトラライトの母と称される。
エマおばあちゃんがATをスルーハイキングした実話をもとにした絵本。邦訳版も出版されている。
しかしモークは、ATの場合、荷物の重量がネックになることがわかっていました。そこで彼は、市販されているギアを購入して自分でカスタマイズして軽量化を図りました。具体的には、ストラップとバックルを切り落として使用していたそうです。「省けると考えられるものはすべて排除し、残されたのは基本的にコアの部分だけでした」と彼は説明しました。
モークは、10日間分の食料を持ってATの最北端のカタディン山をスタートして、南下しました。彼と彼の家族のバックパックの重量は約15キロでした。1970年代、ATをハイキングする多くの人の荷物が22〜31キロだったことを考えると、驚くべき軽さです。彼曰く「さらに南下し、補給するものが少なくなった頃には、バックパックの重量を9〜11キロまで減らすことができた」とのことです。
ATを歩くために、自分はもちろん息子と妻のギアもすべて作った。
ATでのMYOG(Make Your Own Gear:ギアの自作)や既製品のカスタマイズからスタートし、自分の会社を設立するまで、どのような経緯があったのですか?と聞くと、「何年もかかりました」と彼は笑って答えました。「ガンを克服した時にレイ・ジャーディンの本が出版されたのです」と語るモークは、1997年にATを再びハイキングすることを決めました。
レイ・ジャーディン独自のライトウェイトでシンプルなバックパッキングの方法論を説いた『Beyond Backpacking』。
当時、モークはテントの代わりにタープを20年間使用していました。彼はまた、自分でビビィサックを作っていました。1997年、彼はATのハイキング用に息子と妻のギアをすべて作りました。さらにPCTを歩いた時には、自分と息子のギアをすべて作りました。
「モノを作るのは楽しかったですね。それが当時のカルチャーだったのです」と彼は説明してくれました。当時ほとんどのPCTハイカーは自分自身で軽量なギアを作っていました(Make Your Own Lightweight gear)。「私たちはみんなDIYをしていただけで、ビジネスについては何も知りませんでした。ただ楽しんでいただけなんです」と彼は笑い話のように語ってくれました。
しかし2000年頃、スルーハイカーたちは、一般の人が作れるギアには限界があることに気づき始めていました。モークは自分でバックパックを製作しつつも、それに加えて軽量テントも必要であることはわかっていました。当時、Wanderlust Gear(ワンダーラスト・ギア)のKurt Russell(カート・ラッセル)だけが、ウルトラライトのテントを販売していました。でも、カートはそれらすべてを自分ひとりで縫うことに、すごく苦労していました。
ウルトラライト・ギアを購入できる会社の必要性を強く感じ、ブランドを立ち上げる。
モークは、ミニマリストのコミュニティには、ウルトラライト・ギアをもっとたくさん販売できる会社が必要だと考えました。当時、軽量バックパックよりも、軽量テントに対して多くの需要がありました。
また彼は、PCTでDIYのパターンで作ったバックパックを背負って、悲惨な経験をしたことがあります。それもあって、もっと良い設計のバックパックがあれば、ミニマリストたちの役に立てるだろうと考えたのです。そのために、彼は長距離での使用に耐えうるバックパックをデザインする必要がありました。
2002年頃、初期のギアブランド創業者の多くがThe American Long Distance Hiking Association-West(※)のギャザリングに来て、自分たちのデザインを披露していました。 モークも自身のバックパックを持っていきました。
※The American Long Distance Hiking Association West (ALDHA-West) :ロング・ディスタンス・ハイカー、および彼らをサポートする人々の交流を促進するとともに、教育し、推進することをミッションに掲げている団体。ハイキングのさまざまな面における意見交換フォーラムを運営したり、ハイカー向けの各種イベントを開催したりしている。詳しくはこちらの記事を参照ください。
ALDHA-Westのギャザリングというイベントで展示された、シックスムーンデザインズのプロダクト。奥にはタープテントもある。
ULAのBrian Frankl(ブライアン・フランクル)は参加した際に、自分の会社ではテントを作るべきではないと早くから気づいていました。またTarp Tent(タープテント)のHenry Shires(ヘンリー・シャイアーズ)は、タープテントを持ってきました。
ULA、タープテント、そしてシックスムーンデザインズの3人のギア・デザイナーは、ALDHA-WESTのイベントでスルーハイカーにそれぞれのデザインを披露しました。それからほぼ20年後の現在、この3社すべてがスルーハイキング・コミュニティにおけるビッグネームになっています。
一般の人がMYOGで作るのが難しい、より精巧なギアが必要になってきた。
自分でギアを作りたいという人々が、完成品のミニマリスト・ギアを購入するよう変わっていきましたが、その要因は何だと思いますか?とモークに質問してみました。
「シンプルなDIYは簡単です。しかし、より精巧なギアが必要な場合、パターンを取得しても自宅でそれを作るのが難しいのです」。
当時、レイ・ジャーディンはPCTハイカーに人気だったパターンを提供していました。「MYOG(Make Your Own Gear)タープは非常にシンプルでした」とモークは言いました。 当時のタープは2つの平らなパネルを使用しており、端を補強していました。でも、自分自身のテントを作るとしたら、いくつかのプロトタイプを作らなければならないのです。
モークは、約15個のタープのプロトタイプを試し、1日かけてパターンを作り、その後数日かけてテントを縫いました。「それから私はそれを裏庭に持って行き、張って眺めて、それが失敗作だとわかり涙を流しました。そして翌日に裁断と縫製をやり直したのです」と彼は語りました。
虫除けと通気性を備え、重量が2ポンド未満(約900グラム未満)のテントの設計は、単純なタープの設計よりも困難で時間がかかりました。「さまざまな幾何学が関係しているため、私は古い大学の本を取り出してきました」と彼は笑いました。現在、設計の多くはコンピューターで行なわれています。しかし当時、ギアを設計する技術はそれほど発展していませんでした。
レインポンチョとシェルターいずれの役割も兼ね備えた、ULを代表するマルチユースなギア「Gatewood Cape」(ゲイトウッド・ケープ)。この名前は、前述のエマおばあちゃんから取ったもの。
マスプロダクトのできること、できないこと。
10年ほど前から多くの大手ブランドがウルトラライト市場に手を出し始めたのに対して、モークは、ウルトラライト・ギアを望んでいる人々に満足してもらえるような製品を作れていないことに、大手ブランドは気付き始めるだろうと考えていました。
「ミニマリスト向けの製品は、1年も経てば、もう次の製品が現れてきます。大手ブランドと私たちは、考え方も扱っている市場も異なるのです。大手ブランドはウルトラライト市場に、なかなか参入することができませんでした。私たちが彼らの市場に参入できなかったように」と彼は語りました。
しかしウェアのマーケットは、大手企業もミニマリスト・ギアで参入できると、モークは思っていました。彼が言うには「ウルトラライトのウェアは街で着ていたって、このアウトドア用のウェアは素晴らしい!」ってわかるためです。
第一世代ULメーカーと第二世代ULメーカーの違い。
容量57リットルながら重量がわずか425gという、シックスムーンデザインズのバックパックのフラッグシップモデル「Swift Pack」(スウィフト・パック)。軽量ながらメインボディにダイニーマ生地を用いているため、プロテクション機能も優れている。
モークにミニマリズムとウルトラライトギアの未来について尋ねると、他の創業者たちとは異なる答えがかえってきました。
「この業界を生み出した人たちは高齢化しています。一方で、私たちの後に始めた第二世代の若い人たちがいて、彼らは確立されたマーケットで戦うことができるという利点があります」。
モークがシックスムーンデザインズを始めたとき、彼は設立と販売に5年かかると考えていました。もしそのマーケットが存在しなければ、彼は去ることになります。ULガレージブランドのGoLite(ゴーライト)はウルトラライト・ギアの需要を作り出しましたが、それが続くかどうかは誰もわかりませんでした。
モークと他の創業者は、製造業の知識がありませんでした。また企業をどのように運営すればいいのかも知りませんでした。彼らは製品の作り方を知っていましたが、ウェブサイトの作り方や生産ラインの組み立てについては知りませんでした。
しかし、彼らは幸いなことにタイミングが良かったのです。「インターネットの黎明期で、基本的に無料でインターネットにアクセスしてクライアントを獲得できました」。そのためZ-packs(ジーパックス)やHyperlite Mountain Gear(ハイパーライトマウンテンギア)のような新しいブランドは、シックスムーンデザインズなどの前からあるブランドを見て学び、実店舗ではなくインターネットでの販売をメインにしました。
ミニマリスト・パーティーでは、スライドなども用いながら、業界の課題や展望についてもさまざまな議論がなされる。TRAILSも参加した2013年のミニマリスト・パーティーにて。
しかしモークは、次世代のULギアブランドが私たちと異なるのは、投資家の役割だと言います。
ULギアブランドは次第にしっかりした企業組織になってきています。財務責任者(CFO)を外部から招き、マーケティングにたくさんの費用をかけ、会社として成長していくことを目指しています。
モークは、「私たちについては、ビジネスを知らずにやっていたというのが強みでもありました。」と当時を振り返っています。「私たちは自然に成長しました。そして今では営業やマーケティングの担当者、そしてサポート担当者がいます。工場も複数あります」と彼は言っていました。
資金は、第一世代と第二世代のULギアブランドの大きな違いでしょう。モークは、 「私たちは完全に自己資金で運営してきました。誰にもお金を借りることなく、儲けはすべてを会社への再投資にあてています。そして、スタッフは高くない給料のままで続けています」、と話していました。
プロダクトも会社もミニマリズムの考え方に基づいて運営している。
「私にとってミニマリズムは、プロダクトの要素であるのと同様に、会社の要素でもあります。私は、製品をミニマリスト・ギアとして作るのと同じように、会社をミニマリスト・カンパニーとして運営しているのです」、とモークは話していました。
「ミニマリズムは、軽量なギアという意味だけではないのです」とモークは言います。「ミニマリズムとは、本質的には、負荷を減らすための知的な意思決定なのです。どのギアを持っていくかを選択をするときに、私たちがしようとしている行為は、知的な意思決定をするという行為なのです」。
「同じことは会社にもあてはまります。 会社では、負荷が多いものを把握し、積極的な意思決定を試みます」。そう振り返りながら、彼は続けました。「そして、私はそれほど速く拡大しないことを選びました」。
「私は、まず自分ができることに集中しています。だから良い製品を作ることができるのです」とモークは言っています。彼は、ユーザーからの1対1のフィードバックを大切にしています。彼はデザイナーとして、複数のユーザーからのフィードバックを受け取り、より良いデザインを作れるように意識しています。
でも、もっとも重視しているのは、ミニマリズム。そこは他のULブランド創業者と変わりません。
日傘としても雨傘としても使える「Silver Shadow Umbrella」(シルバー・シャドウ・アンブレラ)は、フレームとシャフトにカーボンファイバーを用いてさらなる軽量化を実現。今やULハイカーのマストアイテム。
TRAILS AMBASSADOR / リズ・トーマス
リズ・トーマスは、ロング・ディスタンス・ハイキングにおいて世界トップクラスの経験を持ち、さまざまなメディアを通じてトレイルカルチャーを発信しているハイカー。2011年には、当時のアパラチアン・トレイルにおける女性のセルフサポーティッド(サポートスタッフなし)による最速踏破記録(FKT)を更新。トリプルクラウナー(アメリカ3大トレイルAT, PCT, CDTを踏破)でもあり、これまで1万5,000マイル以上の距離をハイキングしている。ハイカーとしての実績もさることながら、ハイキングの魅力やカルチャーの普及に尽力しているのも彼女ならでは。2017年に出版した『LONG TRAILS』は、ナショナル・アウトドア・ブック・アワード(NOBA)において最優秀入門書を受賞。さらにメディアへの寄稿や、オンラインコーチングなども行なっている。豊富な経験と実績に裏打ちされたノウハウは、日本のハイキングやトレイルカルチャーの醸成にもかならず役立つはずだ。
(English follows after this page)
(英語の原文は次ページに掲載しています)
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