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土屋智哉「ウルトラライトを巡る旅と本の話」

2017.12.22
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前半】でUL(ウルトラライト)のイメージ一番素敵なかたちで見せてくれているのが、スナフキンなんじゃないか、という『ムーミン谷の仲間たち』の話から始まった、「ウルトラライトを巡る旅と本の話」も後半へ。

土屋さんのULの考え方にも影響を与えている田部重治の本から、芭蕉に見るUL的感性とは?という興味深い話が続きます。さらに話は、アメリカのカウンターカルチャーにおける自然観についての話につながります。ULの源流を、いろいろな本から読み解いていきます。後半も、引き続きお楽しみを!

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田部重治の本には、ウルトラライトの哲学を思わせる、自然との関わり方や、峠道、里に近い山を放浪する面白みが溢れている。



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田部重治『新編 山と渓谷』 岩波文庫
上田哲農『きのうの山 きょうの山』中公文庫

いにしえの岳人のなかでも、田部重治(たなべ じゅうじ)という人がいて、僕の本(※土屋智哉『ウルトラライトハイキング』山と渓谷社)のなかでも、この人のことを紹介しています。芭蕉、河口慧海とかは、山に登るという意識ではなく、旅をするという感覚でした。田部重治が活躍した大正〜昭和初期は、登山という文化がヨーロッパから入ってきた頃です。そのなかにあって、旅として山を歩くという意識をもった人が、田部重治という人だと思うんですよね。

彼の盟友だった木暮理太郎(こぐれ りたろう)とかは、日本山岳会の設立にも尽力して、のちに会長にもなったりする人です。田部重治も木暮理太郎も、日本アルプスの最初の頃の探検時代にも大きく関わっている人でもあるんです。だけれども、その人が歳を重ねるごとに、奥秩父とかの、峠道や里に近い山を放浪することに、面白みを感じるようになってくるんです。

大正〜昭和初期にかけての岳人のなかで、あえて田部重治を取り上げているのは、彼は「荷物は軽い方がいい」とか、「登山靴よりも草鞋(わらじ)の方がいい」とか、あなたはULハイカーですか?みたいなことをかなりはっきりと言葉として書いているからなんですね。僕の場合はそういったところに、とてもシンパシーを感じたりしています。

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高い山ばかりでなく、峠や里山みたいなことでいうと、上田哲農(うえの てつの)さんの『きのうの山 きょうの山』という本は、田部重治と同じよう文脈で読んでもらえる本だと思うんです。POP HIKE CHIBAもそうだし、ULハイキングもそうだけど、ハイキングという言葉をあえて選んでいたりだとか、ハイカーっていう呼称にこだわったりするのって、「歩く」ということ自体に面白みを見出している部分が大きいと思っているんですね。山を旅することに上下はない、といったら変だけれども、技術的に難しいことをするからよいということではなく、そういった競争関係には入らなくてもいいわけじゃないですか。

田部重治もそうだけど、上田哲農さんというのも、第2次RCC(ロック・クライミング・クラブ)という、日本のなかですごく先鋭的なクライミングとか、国内の初登攀争いをがんがんやっていた人でもあるんですね。で、そういう人がというか、そういう人だからこそ、競争とはちがう世界を見られたのかなという気もします。競争のない世界の自由さっていうのを感じたときに、そっちの世界に惹かれていったのってわかる気がするんですよね。

もちろん両方あっていいことなんだけど、初登攀をするとか、より高い難易度のことをする、っていうことがあるから、登山文化っていうものは進化していくわけですし。一方で、それとバランスをとる上でも、競争とはちがう自由なものがあった方がよくって、上田哲農さんなんかは、たぶんそういうことを自分の人生のなかで、バランスをとってやっていたのかなと思います。それが無理のない感じで、フラットにやわらかく表現されているなと感じるんです。自分のなかでは、ULをやるときに、「やっぱりハイキングでいいじゃん」って思っていることと、相通じるんですよね。

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芭蕉は定型詩という型のなかで、自由な魂を表現した。ULはベースウエイト4.5kg以下という「型」ので、自由な楽しみを試みる。そこになにか共鳴する部分を感じるんです。



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阿部喜三男‎, 高岡松雄, 松尾靖秋『芭蕉と旅』現代教養文庫

日本を舞台にしたときには、芭蕉がいるわけです。もともと旅と文学は密接な関係がありますよね。同じ俳句の話だと、自由律俳句をやっていた種田山頭火とかもいるわけだけれども、日本の定型詩と旅という組み合わせにUL的な面白さを感じて、『芭蕉と旅』という本を持ってきました。

芭蕉がやっていた定型詩というのは、形が決まっているんだけれども、自由な魂を感じらるものだと思うんです。散文詩ではなく、あくまで定型詩。形は決まっている、でも自由。それ自体がなんかULっぽくないですか?ULだと「ベースウェイト4.5kg以下」(※水、食料、燃料等の消費アイテムを除外したバックパックの総重量)という世界のなかでどうするか、というスタイルですよね。例えば、タープで寝て、キルトを使って、ウエストベルトなし、フレームなしのバックパック、というようなある種の定型の形があります。でもその重さの基準のなかで、いろいろ自由なことしようとする、ということがあるわけです。そこになにか共鳴する部分を感じるんです。

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自分のなかでは、ULは芭蕉の定型詩の世界と似た感覚もあって。自由な心をもって旅をしている、ということもそうです。しかも、芭蕉はかなり長い距離を歩いてますよね。ゼロ年代前半頃、僕らがULハイキングに興味を持ちはじめたときっていうのは、歩くということに改めて面白さを感じたんですよね。ほかにも釣りだとか、走ることだとか、クライミングだったりとか、いろいろあるけれども、そもそもULを好きになったりしたのって、「歩くだけでいいんだ」っていう部分が大きかったんですよね。誰もができる歩く、っていうことだけでいいんじゃん、っていう。そういったある意味での突き抜けた感じっていうのが、楽いんですよね。

突き抜けて歩いている人で、かつ定型詩という型のなかで自由なものを表現しようとしている。そういうのが、自分のなかでは非常にULっぽいと感じたんです。旅のスタイルとかも含めてね。



ウルトラライトハイキングは、アメリカで起こったムーブメントなので、やっぱりアメリカの文学やアメリカの思想とも密接に関わっているんです。



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ソロー『森の生活』岩波文庫
ジャック・ケルアック『路上』河出文庫
鈴木大拙『東洋的な見方』岩波文庫
ジョン・クラカワー『荒野へ』集英社文庫

今日、参加している人のなかで、アメリカ文学が好きっていう人いますかね?今まで話してきたようなことに関して、アメリカではビート(※Beatnik, Beat Generation)っていう文学運動があったんですね。ウルトラライトハイキングは、アメリカで起こったムーブメントなので、やっぱりアメリカの文学やアメリカの思想とも密接に関わっているんです。アメリカのなかで脈々とつむがれるウルトラライトの源流というようなものです。

アメリカでは自然をどう見てきたかということに関していうと、19世紀中頃から20世紀にかけて、かなり大きな自然回帰運動が起きるんですね。ひとつは、超絶主義/超越主義(Transcendentalism)っていって、ソローとかエマーソンっていう思想家がいます。ソローの『森の生活』は有名な本なので、読んだ人もいるかもしれませんね。

19世紀の中頃から後半、自然は自然のあるがままのものを敬おう、という考えがさかんに謳われるようになります。簡単に言っちゃえば、自然を克服するのではなくて、あるがままの自然を敬い、超絶的な自然の凄さに感謝する、というような感じのものです。それが戦後になると、今度はビートっていう文学運動が起きるんですよね。その時のビートの考え方にも、人智を超える自然をあるがままに受け止め、畏れ敬うっていう思想があります。

ケルアックの『路上』は、当時の資本主義に対するカウンター的な考えとか、経済社会に対して反旗を翻すというような、反社会的な側面が目立つんだけども、その向こう側に、自然に帰っていきましょうっていう、考えや動きがあるんですね。だから『路上』とかビートの運動っていうのが、バックパッキングや自然回帰の運動になっていったり、今でいうウルトラライトハイキングであったり、長く自然のなかを旅するロングディスタンスハイキングなんかにもつながってくるんです。

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ケルアックとかビートの運動には、日本の禅がすごく影響を与えていたりします。禅の本っていうのは、直接的には山の本ではないけど、自然をどう見るかっていうことが、すごくでてくるんですね。これは鈴木大拙(すずき たいせつ) さんの『東洋的な見方』という禅の本です。この人は、宗教家ではなく学者です。スティーブ・ジョブスも禅に影響を受けた人です。そういった今の北米における英語の”ZEN”を広めた人が、この鈴木大拙さんです。

数年前に映画にもなった『イントゥ・ザ・ワイルド』ってありましたよね。その原作がこの『荒野へ』という本です。これはヒッピーカルチャーじゃないけど、さっきの『路上』のようなヒッピーカルチャーの現代の末裔というか、最後の尾っぽみたいなところにあるのがこの本です。

この本のなかで書かれているのも、人間が自然の中に入っていくのってどういうことなんだろう、ということです。彼はアラスカに入っていったときに、現地の人たちがこれがなきゃダメだっていうものをほとんど持たずに、自然のなかへ入っていきますよね。最後は、無計画なところもあるから、死んでしまうんだけれども。自然のなかで生きるっていうことを実践しようとしている話です。



ちなみに、ヘミングウェイの『老人と海』は、ブックカバーをはずすと81g。ジャック・ロンドンの『荒野の叫び声』は76g。100g以下ですよ(笑)



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ヘミングウェイ『老人と海』新潮文庫
ジャック・ロンドン『荒野の叫び声』岩波文庫

ヘミングウェイの『老人と海』とか、ジャック・ロンドンの『荒野の叫び声』とかは、文庫本として、とにかく軽いじゃないですか(笑)。岩波文庫とか新潮文庫のなかには、山にもっていくのにちょうどいい薄さの文庫本が、たくさんありますよね。折ってポケットに突っ込んでもOKという薄さの文庫本。これならば、嗜好品を山に持っていくのはちょっとなぁ、と思っているハイカーも持っていけるんじゃないのかなあと。

ちなみに、ヘミングウェイの『老人と海』は、ブックカバーをはずすと81g。ジャック・ロンドンの『荒野の叫び声』は76g。100g以下ですよ(笑)。そういう文庫の軽さっていうのもありますよね。

今回はアメリカ文学では、ビートの本当かも紹介しました。なんかビートの文学って、若いときに読むならばすごく刺激的なんだけれども、自分のなかでは歳をとってから読むと、なんか青臭すぎちゃったりして。ビートをきちんとビートとして読むならば、読むのに一番適した時期って、僕としては、大学生くらいの年齢から20代前半くらいの頃かな、という感覚もあるんです。

そうなったときに、アウトドアの本場のアメリカや、ほかの海外の文学作品のなかで、自然に関係するものということでいうと、この2冊は代表的な本でもあると思うんですよね。欧米の自然について書かれる本っていうのは、超絶主義やビートなんかもそうですけど、自然と反対にある文明批判として「バック・トゥー・ネイチャー(自然へ帰ろう)ということを謳っているものが多いですよね。大いなる自然のもとへみたいなことですよね。そういうった文明批判ということが読み取れるのが『荒野の叫び声』ですよね。

反対に『老人と海』に関しては、そういう説教臭さがない、淡々としたハードボイルドな感じが好きなんですよ。最後なんて、「あんなにがんばったのに!」みたいな。ここにでてくる漁師のおじいちゃんは、生活がかかっているから、やっていることは無意味ではないんだけど、最後にやっていることが無意味になっていくような感じがあって。僕らハイカーがただ歩いていることも、意味のないことというか、ある意味で無為な行為なんだな、っていうのも感じさせる本です。わざわざ意味をもたせなくてもいいじゃないか、って。



おわりに: 自然を身近に感じて、山をシンプルに歩いてみる




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ウルトラライトっていうと、本や雑誌のなかでは、軽量な道具を買って山に行きましょうとか、そういう話になりがちなんですよ。僕のお店もそういうものを売るんだけども、でもウルトラライトって、ギアマニアの人たちだけの考え方ではないし、ロングハイクをする人だけのためのものでもありません。どちらかというと、いま話していたように自然を身近に感じて、山をシンプルに歩いてみましょう、っていうことのほうが実は大事だったりします。

自然を身近に感じるために、自分と自然とのあいだにある道具とかを、なるべく少なくしたり、軽くしたり、シンプルにしたりしているだけなんです。だからかならずしもあたらしい道具を買う必要はないし、いまもっている道具を変えなくてもいいから、山のなかで自然の音に耳をちょっと傾けるみたいなことを、たまには思って山歩きをしてもらうと、面白いと思います。

あたらしい山雑誌を見なくても、自然をとらえる心っていうのは、いままでに出版されている本の中からも読み取っていくことはできます。音楽を聞きながら、本を読みながら、またこんど山に行くときの心の栄養を蓄えておくと、山の歩き方がちょっと変わったりするんじゃないかなと思います。遠くの山に行かなくても、POP HIKE CHIBAで歩くような、身近なこういう房総の山もいいなあと、今日もあらためて思いました。こんな感じで今日のお話はまとめておきたいと思います。ご静聴ありがとうございました。

(2017年11月 POP HIKE CHIBA vol.6 館山野鳥の森, 土屋智哉「ウルトラライトを巡る旅と本の話」より)

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WRITER
土屋智哉

土屋智哉

1971年、埼玉県生まれ。東京は三鷹にあるウルトラライト・ハイキングをテーマにしたショップ、ハイカーズデポのオーナー。古書店で手にした『バックパッキング入門』に魅了され、大学探検部で山を始め、のちに洞窟探検に没頭する。アウトドアショップバイヤー時代にアメリカでウルトラライト・ハイキングに出会い、自らの原点でもある「山歩き」のすばらしさを再発見。2008年、ジョン・ミューア・トレイルをスルーハイクしたのち、幼少期を過ごした三鷹にハイカーズデポをオープンした。現在は、自ら経営するショップではもちろん、雑誌、ウェブなど様々なメディアで、ハイキングの楽しみ方やカルチャーを発信している。 著書に 『ウルトラライトハイキング』(山と渓谷社)がある。

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