土屋智哉「ウルトラライトを巡る旅と本の話」
話:土屋智哉 取材/構成:TRAILS
「映像や音と同じように、私達が旅にでる衝動を感じるきっかけとして『本』というものも間違いなく存在するはずです。それは、紀行文であったり、冒険記であったり、あるいは哲学書や、逆になんて事のない日々の出来事を綴った随筆のようなものかもしれません。」(cafe STAND 「POP HIKE CHIBA」案内文より)
UL(ウルトラライト)とは、道具を軽くするというだけの話ではなく、軽くシンプルになって、山のなかにいること自体をもっと楽しもうよ、山の中で感覚をひらくことをもっと大切にしようよ、という姿勢を大事にすることでもある。それって、道具を軽くすること以上に大切なことかもしれない。
けど、そういった感覚を、言葉にすることは意外と難しい。本や文学は、そんな感覚について、そうそうそういう感じ、と教えてくれたり、自分のなかにある模糊とした感性を拾い上げてくれたりする。
以下に掲載したのは、今回のPOP HIKE CHIBAで、ハイカーズデポ土屋さんが「ウルトラライトを巡る旅と本の話」と題して、紹介してくれた本の話だ。その内容は、たんなる本の紹介にとどまらず、本を紹介する土屋さんの話自体が、ウルトラライトやロングディスタンスハイキングについて、その本質やフィロソフィーを教えてくれる、きわめて優れた解説文にもなっている。
年の暮れから年初めのゆっくりできるとき、あらためて山を想う。今回の話は、そんなときの心のバイブを満たしてくれる最高のガイドにもなるだろう。年末年始にまったり読んでもらえるように、ほぼノーカットでいつもよりも長いテキストで掲載した。追加インタビューをもとに、当日に語りきれなかった本の話も加えてある。ゆったりまどろんだあなたの部屋のなかで、あるいは山のテントのなかで、ゆっくりと読んでもらえたらと思う。
山にいること自体を楽しむとか、ロングハイクの旅のイメージは、いろんな本のなかからも拾うことができるんです
山にいることを楽しむ。それって、自然と自分との距離をどれだけ近づけられるか、ってことになると思うんですね。で、じゃあそういう楽しみ方ってどういうことなんだろう、っていうのを考えたときに、意外と本の中からもそういうものが拾えることってたくさんあるんですよね。
山のことを読もうと思うと、いまは雑誌がメインになってしまうというのはあるんだけども、実はいままで出版されてきた本(※単行本)のなかでも、山を感じられるとか、シンプルに自然を楽しむとか、そういうことも、実はいろんな本のなかに隠されていたりします。ウルトラライトっていうのも、シンプルになることで山をもっと近くで感じたい、っていうことがあったりします。
ウルトラライトのもとになったもので、ロングトレイルやロングハイクっていうのがあります。でもロングトレイルという言葉は聞くけども、じゃあロングトレイルの紀行文みたいな本っていうと、なかなかないんですよね。でも、ロングトレイルっていう長い歩き旅を感じられるもの、という視点で見直すと、そういう本は意外とあるんです。
■土屋智哉が選んだ 「ウルトラライトを巡る旅と本」 POP HIKE CHIBA ver.
ヤンソン『ムーミン谷の仲間たち』講談社文庫
西岡一雄『泉を聴く』中公文庫
串田孫一『山のパンセ』岩波文庫
知里幸恵『アイヌ神謡集』岩波文庫
志水哲也『果てしなき山稜』ヤマケイ文庫
河口慧海『河口慧海日記』講談社学術文庫
田部重治『新編 山と渓谷』 岩波文庫
上田哲農『きのうの山 きょうの山』中公文庫
阿部喜三男, 高岡松雄, 松尾靖秋『芭蕉と旅』現代教養文庫
ソーロー『森の生活』岩波文庫
ジャック・ケルアック『路上』河出文庫
鈴木大拙『東洋的な見方』岩波文庫
ジョン・クラカワー『荒野へ』集英社文庫
ヘミングウェイ『老人と海』新潮文庫
ジャック・ロンドン『荒野の叫び声』岩波文庫
ウルトラライトのイメージを一番素敵なかたちで見せてくれているのが、スナフキンなんじゃないか、って思ってるんです。
今日、持ってきたのは、純粋な山の本とか紀行文とかではないんです。まずは、ムーミン谷の本からいきましょうか。
ムーミンの本のなかには、シンプルな旅をするっていう感覚があります。このなかでスナフキンというのが出てきますよね。僕は自分のお店(ハイカーズデポ)で、ウルトラライトハイキングってどんなイメージですか?っていうのを、初めての人に話すときに、それはスナフキンだ、っていう話をするんですよ。
僕自身がそうなれるわけではないんだけど、スナフキンに憧れている部分も少しあるんですよね。どういうことかというと、ムーミンのなかに出てくるスナフキンって、たくさんの荷物は持ってないですよね。それで放浪するような旅をしてるじゃないですか。『ムーミン谷の仲間たち』のなかにも、こんな一節があります。
「三月のすえの、あるよくはれた、おだやかな日のことでした。北へ北へとめざしてきたスナフキンは、まだ山の北側に雪がきえのこっているあたりまできました。かれは、南の故郷をでて、小鳥がさえずっているのなんかをききながら、だれにもあわずに、一日じゅう歩いてきたのです。」
(ヤンソン『ムーミン谷の仲間たち』山室静訳, 講談社文庫より)
スナフキンって、べつにハイテクなテントを持って旅をするわけではなく、雨が降りそうになったらば、木の木陰とか雨がちょっとしのげるところに入る。寝袋を持つわけでもなく、夜になったらば、毛布を敷いたり、かぶったりする。バーナーを持ってくるわけでもなく、そこで焚き火を起こして、お湯をわかして、持っているパンをかじる。夜は星をながめて、朝は朝で小鳥のさえずりを聞いて目が覚める。とにかくひたすら歩いて旅をして。何か目的があるわけではなく、ただ自然の中を歩いて旅をしていますよね。
そういう姿とか、そういう旅のあり方っていうのが、一番シンプルな旅なのかもしれないなと思うんです。山に行くとなると、山で何をするか、っていう目的も山のなかに持っていってしまいがちですよね。もちろん写真を撮るとか、絵を描くとか、ご飯を食べるとか、お酒を飲むとか、それはそれでとても素敵な楽しみです。
そうなんだけれども、山にいること自体を楽しむとか、歩くこと自体を楽しむっていうのも、あっていいんじゃないのかな、って思っています。じゃあそれってどういうこと?っていうと、なかなかイメージしづらいんだけど、一番素敵なかたちで見せてくれるのが、スナフキンなんじゃないのかなと思っています。だから僕は、ウルトラライトって何?っていうと、一番わかりやすいのはスナフキンですよっていう話をするんです。
昭和期の先鋭的な山登りをしていた人のなかにも、身近な里山を歩いたりして、ああ、やっぱりこういうのもいいなあって思うような人がいたんですね。
西岡一雄『泉を聴く』中公文庫
串田孫一『山のパンセ』岩波文庫
いま話をしたスナフキンのような山の楽しみ方って、実はそんなに目新しいものではなかったりします。日本だと、昭和30~40年代は山ブームだったんですよ。そのときは山の文学もけっこうあったんです。たとえば中公文庫なんかには、昔の岳人や山を歩く人たちが書いた、いろんな本があったりします。
そのなかで「静観派」っていう言葉があります。登山が流行ったときって、その登山の理想像というか、目指した先のゴールは、ヒマラヤだったんですよね。より高くより難しく、というのが、山登りの世界です、っていう時代があったんです。
でも、そういう先鋭的な山登りをしていた人のなかにも、そういうのにちょっと疲れてしまったときに、身近な里山を歩いたりして、ああ、やっぱりこういうのもいいなあって思うような人がいたんですね。今日来た方も、どっちかっていうとのんびりと山を歩くのが好き、っていう方が多いと思うんです。
西岡一雄さんという方が書いた『泉を聴く』という本があります。タイトルからしてぐっときますね。泉を見るではなく、泉を聴くなんです。実はこの人が、みなさんもご利用する(アウトドアショップの)好日山荘さんを作った人なんです。
この人はクライミングをかなりやっていた人なんですね。先鋭的な登山をしていた人です。ハードな登山をやってたんだけど、この本ではハードな登山じゃなくて、静かな山のなかで感じられる風の音だったりとか、鳥の声だったりとか、峠を越えて歩く楽しさだったりとか、里山での人の触れ合いだったりとか、森のよさみたいなものを、書いてるんですね。難しい登山をしましょうとか、普通の人ができないことをしましょうとかではなくて、単純に山のなかで自然を感じましょう、ということですよね。
こういうことを書いている静観派、って呼ばれ山の文学があったんです。古い本の中には、こういう本もたくさんあります。今回のPOP HIKE CHIBAとかで集まるような人たちが、好きなスタイルなんじゃないのかなあとも思います。
昔の本を読むと、旅情感を誘われます。すごく“旅感”があるんです。山で何をしたっていう話よりも、山で何を感じたっていう話が多いんです。
昔の本を読むと、旅情感を誘われます。すごく“旅感”があるんです。山で何をしたっていう話よりも、山で何を感じたっていう話が多いんです。そういう本のなかで、『山のパンセ』っていう本があります。串田孫一さんの本ですね。
こういう昔の人の随筆は、タイトルだけを見ていても面白いです。ちなみに『山のパンセ』のなかに、「不安の夜」っていうのがあります。楽しく夜を過ごすのではなく、山のなかでテントで眠るとき、不安なことってあるじゃないですか。風のバサバサいう音が余計に聞こえてきたりして、べつにたいしたことじゃないんだけど、これからもっと風が強くなったらどうなるんだろうとか。ちょっとした雨の音が気になったりだとか。山で不安な夜を過ごすことって誰もがあると思うんですよね。
そういう誰もが感じる不安な夜って、自然のなかにいるから感じられることですよね。山小屋や街のなかだったらば、感じられないことだと思うんです。山に入って、山のなかで布一枚のテントのなかで寝てるから感じられることです。不安なのは嫌なことかもしれないけど、でもそれって、とても自然を感じられているときでもありますよね。
自然のなかで暮らす、自然を知る、ということに関心がわいてくると、ネイティブの人たちの生き方や考え方にも興味がでてきます。
自然のなかで生活するっていうことでいうと、たとえばソローの『森の生活』という本がありますが、POP HIKE CHIBAに来ている方は、自然のなかで暮らすとかいうことについては、もしかしたらネイティブ・アメリカンやアイヌといった、先住民とか原住民の人たちの暮らしや知恵とかに、興味がある人も多いかもしれませんね。自然のなかで暮らす、自然を知る、自然を感じる、ということに関心がわいてくると、こういった人々の生き方や考え方にも興味がでてきますよね。
この『アイヌ神謡集』という本は、アイヌの19歳の女性の方が書いた本なんですよ。アイヌ語で口伝えに謡い継がれてきた神謡をまとめた本です。日本人には八百万神(やおよろずのかみ)という考え方がありますよね。今日のハイキング中に見た巨木みたいに、自然のなかで何かを見ると拝みたくなったりします。おそらくネイティブの人たちの感性や考え方とかって、日本人はすっと入ってくると思うんですよね。
『アイヌ神謡集』のような本を読んだ後に山に行くと、自然の感じ方が変わってくるんじゃないかなと思います。木のとらえ方とか、風の音をどう感じるかとか、海をどう見るのかとか、川の流れをどう見るのかとか、水そのものをどう考えるかとか。そういったように自然をどう感じるかが変わっくるのが、とても面白いと思います。
日本人がやっていた北海道のロングハイクの旅。いにしえの日本人の旅に感じるUL的な感性。
志水哲也『果てしなき山稜』ヤマケイ文庫
河口慧海『河口慧海日記』講談社学術文庫
さっき話していたような、ロングトレイルやロングディスタンスハイキング(ロングハイク)っていう山の長旅のカルチャーがあるんですけれども、それそのものを書いた紀行文っていうのは実はそんなにないんですね。
志水哲也さんが書いた『果てしなき山稜』という本があって、これは、北海道の南の襟裳岬から北の宗谷岬まで、雪の時期に全部通しで歩いた人の話です。実はこの本で書いていることって、アメリカのロングハイクのやり方にとても近いんですよね。
ロングハイクで6ヶ月も歩く、っていってもなかなか想像つかないじゃないですか。あたりまえですが、6ヶ月分の食料なんて担げないじゃないですか。僕らみたいに登山をやっていた人間だと、長く歩くっていうのは全部担ぐっていうイメージをしがちだけど、実は4~5日山を歩くっていうことの繰り返しなんですよね。
たとえばアメリカのロングトレイルを歩くハイカーたちが、どういうスタイルで歩いているかというと、4~5日歩いてはふもとに降りるんです。そこで休憩して、次の分の食料を買って、また4~5日とか一週間とか山に入って、それでまたふもとに降りて、という繰り返しなんです。山を長く歩くっていうのは実はそういうスタイルなんですよ。この『果てしなき山稜』に書かかれている旅では、まさにそういうやり方で歩いているんです。この本が出た当時(※初版1995年)はロングハイクの見方をすることは、ほとんどなかったんだけども、いま改めて見ると、実はそういったロングハイクのスタイルなんですよね。
『果てしなき山稜』は、志水哲也さんが歩いた北海道の旅の記録なんだけど、長く歩いていると、どんどん内省的になってくんですよね。北海道を歩きながら、自然の景色や凄さに感動するんですけど、それ以上に歩いてる自分って何なんだろうとか、そういう方向にいくんですよね。
この本を書いてるときって志水さんが若い時だから、働きもしないで、山をずっと歩いている自分は何なんだ、みたいな感じで、疑問とか葛藤とかも出てくるんですよ。ロングハイクのスタイルだけでなくって、そういった葛藤とか、ロングトレイルを長く旅する人の心持ちも、すごく文章としてあらわれてるんですよね。
同じような日本人による長旅の本だったらば、河口慧海(かわぐち えかい)という、日本人で初めてチベットに入国をした人の本があります。そのチベットへの旅の話が、『河口慧海日記』という本になっています。
昔の人の歩き方って、かなりUL度が高くなりますよね。UL(ウルトラライト)の文脈だと、グラン・エマ(※1954年に、当時67歳で3500kmにおよぶアメリカのロングトレイルをスルーハイクしたおばあちゃん)の話がよくでてきます。シャワーカーテンをテントにして、Kedsのスニーカーを履いて、ずた袋をバックパック代わりにして歩いちゃう、という話ですね。
そういったように昔の人の旅のスタイルって、いまもヒントをあたえてくれたります。河口慧海は、この当時(明治33年
/1900年)に、チベット仏教の経典を求めて、チベットのラサへ向かう旅をしたわけです。登山として行っているわけではなく、旅ですよね。もちろんテクニカルなテントなんかがあるわけでもないんです。その旅のなかで、いろんな町に行くわけだけれども、それこそロングハイクのように、町から町のあいだは、当然、山のなかを越えなければいけないから山道を歩く、という感じですよね。その途中で野営をしなければいけない場合は、岩陰をさがして野営をしたるするわけです。着ているものとかも、着の身着のままのシンプルなかたちであったりとかします。
そういうのって、ある意味、ウルトラライトっぽいですよね。ウルトラライトって、軽いってことだけじゃなくって、シンプルということが大事なんだ、というときに、こういった本を読むと、気づかされることがあります。
【次ページ:後半はUL哲学について、日本のULの原点から、北米カウンターカルチャーの自然観まで、さらに縦横無尽に語ってくれます】
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