リズ・トーマスのハイキング・アズ・ア・ウーマン#11 / グレート・ディバイド・トレイル(その3)
文:リズ・トーマス 写真:リズ・トーマス、ナオミ・フデッツ 訳:大島竜也 構成:根津貴央
カナダのロッキー山脈を通るGDTを歩きはじめたリズとナオミ。一難去ってまた一難。女性ハイカーの2人旅とは思えないほど、旅はいよいよタフな様相となってきました。グリズリーベアの恐怖。荒れたトレイルのなかのルートファインディング。雨季にもかかわらず異例の渇水によるピンチ。リズのレポートを読んでいると、自分のスキルと感覚を全開にした、チャレンジングなロングディスタンスハイキングの様子が、ひしひしと伝わってきます。
ただ、今回の旅で登場するバンフ国立公園をはじめ、カナディアンロッキーの大自然や動物たちは、まさにここにしかない驚くべき景色です。その光景もリズがレポートしてくれています。そして地元の人の優しさに触れたりと、ハイキングトリップの楽しみも随所にあらわれます。くわしくは、以下のリズのロングレポートを読んでお楽しみください。
【前回までのあらすじ】
ある日の日没後、やむを得ずグリズリーベアの生息地にテントを張ることになってしまった。そこは、リズが『最悪キャンプ場賞』を授与したいと思うほどの場所。いったい2人は、どんな一夜を過ごすことになったのでしょうか。
グリズリーベアの徘徊するエリアで、びくびくのテント泊
グリズリーベアを避けるために仕方なく選んでテントを張ったのは、デコボコした岩だらけ場所でした。結局、あまり眠れないまま朝を迎えました。しかし幸いなことに、テントは、グリズリーにやられることはなく無事でした。その後、恐ろしいタスクを、自分がやることにしました。それは……食料袋を丘の上に取りに行くことです。
グリズリーベアが出没する際の多くは、食べ物が目当てです。私たちの食べ物はクマ用耐性バッグ(ベアープルーフバッグ)に入れ、丘の上の樹木に縛っていました。昨晩、巨大なグリズリーベアを1kmほど離れた場所で目撃したので、大きなクマがこのエリアに住んでいることは明らかでした。匂いを嗅ぎつけたクマが、食べ物のまわりをウロウロしているのではと想像していました。「どうか、私が強く結んでくくりつけた食べ物が、まだ残っていますように!」
丘の上に着き、その木のところまで行きましたが、クマがそこを訪れた形跡はありませんでした。救われました!私は喜びのあまり、テントを片付けているナオミにすぐに電話して、「私たちの食べ物はクマに食べられてないわ!」と伝えました。
私たちはすばやく食べ物をバックパックに詰め込み、テントを張った場所から出発しました。ただ気になるのは、昨晩に暗闇の中だったので渡渉をやめた川の状態です。ところがその川まで行ってみると一晩でLeRoy Creekの水位は低下していて、簡単に渡ることができました。あれだけ心配していたのが嘘のようだと笑ってしまいました。しかし、またこの次には、Palliser川という、ガイドブックに非常に危険だと書いている川があります。
バックパッカーのスキルが求められるチャレンジングトレイル
手入れが行き届いてない道がつづくなか、私たちは歩いていきました。バックパッカーとしての長年の経験は、トレイル上のどんな小さな形跡も見逃さない目を養ってくれました。このスキルは、経験豊かなバックパッカーにとっては当たり前でも、経験が浅い人にとってはかなり羨ましいスーパーパワーです。
私たちは、整備されていない道を、地図を見ながら歩いていたため、必要以上に時間がかかっていました。大きなケルンのある交差点に着くと、そこにある矢印はより整備された道を指していました。それまで歩いてきた荒れた道のことを考えれば、整備された道に行きたい気持ちでいっぱいでした。しかし地図と照らし合わせると、その道は誤った方向に向かっていることに、私たちは気づくことができました。
さらに歩きつづけると、危険だと書かれていたPalliser川に到着しましたが、水位は驚くほど低い状態でした。私は川の上に落ちた小さな常緑樹を見つけました。それから推測すると、この川幅はだいたい3mくらいです。
シューズを濡らすことすらなく渡渉はできたのですが、その後に渡った草地は、腰ほどもある高い草があり、しかも草には露がびっしり。私のスカートとスパッツは、それですっかり濡れてしまいました。また最悪なことに、背の高い草の中には大きな岩が隠れています。歩くときには、この岩の障害を乗り越える必要があります。そのときに、「草の中に隠された岩で足首の捻挫をしないように気をつけて」と、他のハイカーが警告を思い出しました。
バックパッカーにとって、足首を捻挫してしまうことは最悪のケガのひとつと言われています。そのせいでハイカーをやめることもあるくらいです。しかし、実際にはその経験は多くの人から同情を得ることになるので、それほど悪いことではないと私は思います。
もしハイカーが厳しい道に果敢にチャレンジして崖から落ちてしまい、ヘリコプターで救出される羽目になったとします。でも、その経験はキャンプファイヤーのまわりでみんなに話すことができる、トレイル・エンディング・ストーリーになります。そう、ハイカーにとって挑戦するに値する岩や、乗り越えるべき障害物がなかったら、そのハイクには栄光も価値もないのです。
ハードな道の途中でご褒美となった、産まれて初めての狼との遭遇
私たちは、世界的に有名なバンフ国立公園に足を踏み入れることを心待ちにしながら、Palliser Passに向かう急な道を登りました。私たちの心は、昔ながらのバンフのイメージでいっぱいでした。
シーズンの後半に北向きのルートを選んだ私たちに対して、多くの人々がフィニッシュするには遅いタイミングだと教えてくれました。トレイルエンジェルからは、南向きルートを取るハイカーがそろそろ多く来るので、そこで南向きに行くべきだとアドバイスされていました。だからナオミと私は、南向きハイカーが到着する前にバンフに到着することを目標としいて、もうすぐその目標も実現するところまで来ていました。
Palliser passのすぐ下にはコバルトブルーの湖が広がっていました。「あれは温泉ですか?」と、まわりの人に尋ねました。ある寒い夜に、ナオミと私は温泉に入ることを妄想していたのですが、いままで歩いてきた場所では水が冷たく入れなかったのです。そのときに、遠吠えをする声が聞こえてきました。湖はゆるやかな斜面のところにありました。私たちの両側には山がせまるようにあり、湖を下る道は険しく急でした。その遠吠えのあるじが誰であっても、私たちと同じこのすり鉢状の中にいることは事実です。そこにいるのは私たちだけではなかったのです。歩みを進めると、その遠吠えがもっと近くに聞こえてきました。なんと、それは狼の声だったのです。私は、実際に狼が遠吠えをしているのを、初めて目の当たりにしました。そして、その唄声をもっと聞いていたいと思いました。
バンフを見渡す場所に位置している広大なPalliser Passは、まったく期待外れでした。バンフならではの壮大な景色はありませんでした。トレイルも、比較的資金に余裕があり、メンテナンスが行き届いているだろうと考えていたのですが、実際のところあまり整備がされていませんでした。
広い牧草地を通ると、今まで見たことのない「Living Trail Register」(=自分の名前をノートに記録するのでなく、時間の経過とともに生物分解する木材に記すこと)を見つけました。そこに私たちの前にここを通った友人の名前も見つけました。この美しく変わった登録簿の名前を読んで、私たちはひとりではないように感じました。
さらに先に進むと、すぐにトレイルはまた枝や草がぼうぼうと生えた状態に。とがった枝や草で、足は傷つきます。下りの道だったのに、次のキャンプ場までは思ったよりずっと時間がかかってしまいました。
人気のバンフ国立公園!なのに、奇妙なほど人の姿がいない・・
バードウッドクリークキャンプ場(実際のところかなり荒廃していましたが)で休憩した後、私たちはバンフのメインエリアに向かって進みました。奇妙なことに、トレイル上には人影も、人がいた形跡すら見られませんでした。
ハイシーズン用のボードサインで囲まれたレンジャー・ステーションの前も通りましたが、人の気配がありません。シーズン後半にハイキングをしているのは事実ですが、レンジャーがすでに山を降りる時期でもありません。他のハイカーはどこにいったのでしょうか?私たちは人気の国立公園に来たはずなのに……。木に取りつけられた目印のテープを見ながら歩いてきたのですが、トレイルが閉鎖されているというサインは一度も見ませんでした。一体何が起きているのでしょうか?
Spray Valleyのトレイルヘッドに近づくにつれ、道は少しずつ歩きやすくなってきました。小川には橋もかかってます。私たちがスプレー州立公園とバンフ国立公園の境界線にあるメインのトレイルに到着したときには、「Palliser Passまで約26㎞」という標識があり、私たちが歩いてきた道が正しかったことも確認できました。
その後、道幅が広いメイントレイルで、私たちはようやくハイカーグループに出くわしました。彼らは大声で私たちに何かを伝えたい素振りで近づいてきます。「やっとパーミッションをゲットできた!」と、彼らは私たちに伝えてきました。「最近、クマの活動がとても活発で、そのせいで予約のキャンセルが相次いでいたみたい。おかげで僕たちはパーミッションを入手することができたんだよ」。人がいなかったのはクマが原因でした。ちなみに、バンフのキャンプ許可証を得るのは大変難しいと言われています。ハイカーグループのもうひとりは、「(クマがよって来ないように)大声で叫んでいただけさ」と話していました。たしかに彼は大きい声を出していました。
引き続き状況を話してくれている間、私たちは休憩がてらスナックを頬張っていると、銃弾が発砲されたような大きな音が聞こえました。レンジャーがこんな日中に暴れているクマでも撃ったのでしょうか?米国の国立公園とは異なり、銃はカナダ国立公園では厳しく禁止されています。先ほどの週末ハイカーの二人にもその音は聞こえたようですが、私たちと同じように、何だったかわかりませんでした。
パーミッションがないため、停滞を許されない区間をゆく
夜にキャンプ場に着いたとき、カルガリーからきた賑やかな6人組と一緒になりました。彼ら曰く、レンジャーは彼らに対してもクマについて警告をしていたとのこと。また「(クマの出没頻度を考慮し)4人以下のグループには許可を出していないよ」と彼らは教えてくれました。ナオミと私の2人分の許可証は数カ月前に取りましたが、まだ有効なのでしょうか?今夜は興味深い夜になりそうです。
サンシャインビレッジのスキー場にあるゴンドラに乗るため、私たちは早く起きて出発し、少しでも距離を稼ごうとしていました。ゴンドラで山を下って食料補給が必要だったのです。
しかし、私たちの地図の精度が低く、このプランを実現するためには、今日どのくらいハイクする必要があるのか、それが30mile(48km)以上なのか、25mile(40km)以上なのか、まったく定かではありませんでした。肝心のゴンドラも、何時で運行を終了してしまうかわかりませんでした。でも、選択肢はありませんでした。というのも、事前準備のときに距離計算に間違いがあったため、今夜の公園内キャンプ場の使用許可をもってなかったのです。だから私たちは今日中にこの公園から出るしか、選択肢がなかったのです。
人混みのいないバンフのメインエリアは、まるで魔法のようでした。氷河はエメラルド色のMarvel湖の上に浮かび、朝陽の光で輝いていました。そんな素晴らしい光景が、人混みがまったくない環境で存在しているのが衝撃的でした。みんな、さぞかしクマが怖かったのでしょう。
私たちはWonder Passまで登り、アイコンのようなAssiniboine山の景色がようやく見えてきました。この山を見てふざけて “Mt.Cinnabon”(シナモンロールを売っているお店)と呼びました。(お腹が空いていて、食べ物のことが私たちの頭にくっきりとイメージされたんですもの)。
その峠で初めて出会ったのは、近くのAssiniboine Lodge&Naiset Cabinsから来た人たちでした(Assiniboine Lodge&Naiset CabinsはMt. Assinboineの麓にある2つの高級宿泊施設で、裕福なハイカーが歩くことなくヘリコプターで訪れる場所です)。
そのマッターホルンのような急峻さと、マゴグ湖に反射された様子は圧巻でしたが、何より人ごみが私たちを圧倒しました。景色を楽しみたかったのですが、パーミッションの再発行のために、わざわざサンシャインビレッジまで戻らないためにも、私たちは急ぐ必要がありました。また天気予報によると次の2日間は、雪の予報になっていました。ロッジでホットドリンクを楽しむこともできないという、とても悲しい決断をして、私たちは先へ進みました。
雨季のGDTでまさかの渇水。“Never trust a hiker”
さらに進み、Og湖の近くまで来ました。午前11時の時点で、すでにキャンプ場が先着順のキャンパーで混み始めていました。湖の水位はびっくりすぐほど低くなっていました。私たちは水が必要でしたが、マップを参考にしてCitadel Passに着く前に給水できると思い、そのまま歩き続けました。
その後、Valley of the Rocksを通りましたが、そこは南カリフォルニアのPCTと同じように乾いて荒漠としていました。ほかの場所で目にした松林も同じような状態で、雨がしばらく降っていないことは明らかでした。
砂漠でかなりの時間を過ごしたバックパッカーは、水分に匂いがあることを知っています。ナオミと私は喉がどんどん渇いてきました。地図によると、何本もの川を渡る予定でした。私の想像では、私たちはきちんと地図に沿って歩いていたはずですが、渡った川床に水はなく、泥だけ。空気の中に水分の匂いも感じたのですが、肝心の水は見つかりませんでした。
私たちの反対方向から下り坂を歩いてきたハイカーがいました。ちょっと鼻にかけた調子で話す年配の人でしたが、彼が言うには、地図にある大きな湖はすべて乾燥していて、Sunshine Villageまで水がないとのことでした。
“Never trust a hiker”(ハイカーを信用してはいけない)という古いことわざがありますが、その言葉は私たちの希望をなくすには十分でした。雨季の時期に湿気が多いとされるGDTを歩いて、まさか脱水状態になりそうになるとは誰が思ったでしょうか?ルーキーミスとしか言いようがありません。
トレイルが平坦になり最初に目にはいった湖も乾いているようでした。地図にある他の2つの湖も同じです。しかし、渇ききったカラダの私たちは、可能性を信じて奥の湖に向かって歩きました。そして、ついに20cmの狭い流れの先にあった浅い池を見つけ、どうにか渇きを癒すことができたのです。私たちはそのときほんとうに喜び合いました。
私はお腹が痛くなるまで水を飲みました。その後Citadel Passまで歩くと、なんと水が流れる小川がありました。なぜあの鼻にかけた調子で話をしていた年配ハイカーは、あんな間違ったことを言ったのでしょうか?
町へとつづくゴンドラの営業時間が終了間近。果たして間に合うのか!?
道の途中で出会った、ゴンドラで登って来たという20歳のハイカーの話では、「ゴンドラは1時間後におわってしまうよ」とのことでした。急ぐ必要があります。距離を考えると、全力で走れば間に合う計算でしたが、ゴンドラに着くまでの間には巨大な隠れた峠があります、不安でしたが、とにかく走りました。走る勢いでバックパックのハーネスが肩を擦りましたが、とにかくゴンドラでバンフまで降りる必要があったのです。私たちは、バンフ国立公園のスキーリゾートであるサンシャインビレッジはもちろん、どの公園のキャンプ許可も取っていません。もし間に合わなかったから、今夜どこで寝るのでしょうか?
私とナオミはゴンドラにつづく道に着くまで全力で走りました。肺が痛くなってきましたが、ようやくゴンドラが目に入ってきました。私たちはオペレーターのいるところまで走りました。入口の上にかかった大きな時計は、終了時間の5分後を指していました。
「ゴンドラはもうおしまいだよ」と、彼は素っ気なく言いました。ゴンドラが動いていたにもかかわらず、なぜおしまいなのか理由を尋ようとしましたが、私は疲れていたので、ほとんど話すことができませんでした。
ところが、「でも、従業員のバスは山のふもとの駐車場まで行くよ」と彼は安心させてくれるように教えてくれました。ナオミと私は従業員用の建物に向かって歩き、東ヨーロッパの国から来たと思われるフレンドリーなバスの運転手と話をしました。バスに乗っていたのは、少数の従業員と私たちだけです。道の片側は大きな崖で、こんなところを冬の雪の中でも運転しているなんて信じられないと私が思っているうちに、バスはゴンドラ下の大きな駐車場に到着しました。
ナオミと私はお互いを見つめ、互いに抱きしめました。 駐車場の場所は、バンフの町から11㎞のところでした。 私たちは歩き過ぎで疲れていて、ヒッチハイクしようと思いましたが、周辺はあまりに人通りが少なく難しそうでした。そうしたら、さきほどのバスの運転手さんが、隣の同僚にボスには内緒だよと言ってから、なんと私たちを町まで連れていってくれましたのです!
私たちは人やクルマやレストランの匂いでいっぱいダウンタウンに到着しました。周辺のホテルは一晩600ドルほどで到底予算内にはおさまりませんでした。バンフ国立公園から出たのに、私たちは今夜も眠る場所を確保するのが厳しい状況でした。しかし町に着いたアドバンテージとして、ファミリースタイルの4人用のディナーを、二人で分けあって食べることができたのでした。
TRAILS AMBASSADOR / リズ・トーマス
リズ・トーマスは、ロング・ディスタンス・ハイキングにおいて世界トップクラスの経験を持ち、さまざまなメディアを通じてトレイルカルチャーを発信しているハイカー。2011年には、当時のアパラチアン・トレイルにおける女性のセルフサポーティッド(サポートスタッフなし)による最速踏破記録(FKT)を更新。トリプルクラウナー(アメリカ3大トレイルAT, PCT, CDTを踏破)でもあり、これまで1万5,000マイル以上の距離をハイキングしている。ハイカーとしての実績もさることながら、ハイキングの魅力やカルチャーの普及に尽力しているのも彼女ならでは。2017年に出版した『LONG TRAILS』は、ナショナル・アウトドア・ブック・アワード(NOBA)において最優秀入門書を受賞。さらにメディアへの寄稿や、オンラインコーチングなども行なっている。豊富な経験と実績に裏打ちされたノウハウは、日本のハイキングやトレイルカルチャーの醸成にもかならず役立つはずだ。
(英語の原文は次ページに掲載しています)
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