HIMALAYA MOUNTAIN LIFE #5 – GHT Project / マカルー 〜 ソルクンブ
文・写真:根津 貴央 構成:TRAILS
ヒマラヤのロングトレイル『グレート・ヒマラヤ・トレイル(GHT)』を踏査するプロジェクト『GHT Project』。プロジェクトメンバーのひとりであるTRAILS crewの根津が、12月4日(火)に旅を終えて無事帰国。そんな興奮さめやらぬ彼から、さっそく旅のレポートが届きました!
今回旅したエリアは、出国前にアップした計画編の記事にある通り、ヒマラヤ屈指の高峰エリアであるマカルー〜ソルクンブ(エベレスト)。
計画では、3Cols(スリー・コル / 3つの峠)と呼ばれる標高6,000m前後の峠を越える予定でしたが悪天のため断念。その代わり、これまでほとんど紹介してこなかったGHTのロワー・ルート(GHTはアッパー・ルートとロワー・ルートの2本で構成されている)を歩くことに。
計画は変更したものの、そのおかげで例年以上にアドベンチャラスな旅になったという。そのバリエーションに富んだヒマラヤの魅力を、とくとご覧あれ。
ちなみに、これで第5回目の踏査が完了し、全行程の約6割を歩き終えたとのこと。残り約4割をあと3回かけて踏査する予定だ。
歩いた日数は28日。総距離は約230km。アッパー・ルートとロワー・ルート両方を踏査するという、これまでにない旅となった。
ヌン〜ホンゴン / 現地ガイドの故郷で、飲めや食えやの大宴会!
GHTは辺境にあるため、たいていたどり着くまでに数日〜1週間程度かかってしまう。でも、そこに到達するまでの旅路がまた魅力的なのだ。
たとえばセドゥア村。ここは、プロジェクトの一員といっても過言ではない、おなじみの現地ガイドの故郷。それもあって、たくさんの村人から歓迎された。
出産祝いで村人が集まっていたとある家にて。赤い小さなバケツは、トゥンバと呼ばれるネパールの地酒。
まずは昼過ぎに出産祝い真っ最中の家に招かれて、宴会がスタート。飲めや食えやで、大盛りあがり。ようやく終わったと思ったら、そこに同席していた村人に「ウチにも寄っていきなさい!」と言われまくり、結果、4軒ハシゴすることに。
毎回、ロキシー(ネパールの地酒)で乾杯だったためかなり酔っ払い、若干吐き気すらあったのだが、なぜか心地良かった。
また、セドゥア村にほど近いカスワ川沿いでのキャンプも忘れられない。ここには、カルダモンの栽培をしている家族(父親、長男、次男、父親の弟)が滞在していて、急きょ彼らにお世話になることになった。
カルダモンの栽培をしている一家。驚くほどみんなフレンドリーだった。
最近、ネパールではカルダモン栽培が流行ってきているらしく(いいお金になるそうだ)、あちこちでその畑を目にする。聞けば、長男と次男はカトマンズの大学生で、学費の足しにするために手伝いに来ているそうだ。
家族総出で畑仕事に精を出す。気づけば、その光景が僕の瞼に焼きついていた。
ホンゴン〜マカルーB.C. / 次々と襲いかかる降雪と濃霧
ヌンから歩きはじめて8日目にして、ホンゴンに到着し、ようやくGHTに合流した。ホンゴンから高度差1600mを登りつめると、標高3954m地点にあるモルン・ポカリという湖が現れた。
急斜面を登りつめた先に現れたモルン・ポカリは神々しく、聖地のように思われた。
この頃は天気も良く、まさに絶景エリア。足跡ひとつない雪原を歩み進め、トレースを刻んでいく。まるで自分たちオリジナルのGHTのラインを描いているようで、その一歩一歩がなにかとてつもなく重要な行為のように思えた。
でも、その数日後から天候は悪化。僕たちは毎日のように降雪と濃霧に包まれることになった。地図を出してルートファインディングすることもしばしば。何回かロストもした。ビバークもした。
当然、計画していた日程よりも大幅に遅れることになったが、慌てることも焦ることもなかった。むしろ僕たちは計画通りいかないことを楽しんでいた。GHTはそういうもの、旅とはそういうことだからだ。
悪天で思うように行かないことばかりだったが、悲壮感は一切なく、テント内はいつも笑い声が絶えなかった。
マカルーB.C.〜セドゥア / 標高6,000mクラスの峠に、突っ込むか? 引き返すか?
悪天を受け止めながら旅をつづけていたものの、さすがに悪天のままだと、標高6,000m前後の峠を越えるのは難しい。行けなくはないかもしれないが、リスクが大きすぎる。僕たちは、時折「早く晴れないかなぁ」と口ずさみながら、マカルーB.C.(標高4870m)を目指した。
マカルーB.C.を目前して、前方の雲がサーッと流れはじめ、青空と太陽が見えはじめた。そして眼前に、巨大なマカルー(標高8468m)が顔を出した。
よし来た! これなら行ける! そう思ったのもつかの間、辺りはあっという間に霧に包まれてしまった。さらに雪もぱらついてきた。
さあ、どうするか。突っ込むか。引き返すか。あるいは停滞して天気の回復を待つか。みんなで作戦会議をして出した結論、それは引き返すことだった。
突っ込むのは危険だし、かといって停滞して天気が変わらなかったら待っていた日数が無駄になる。僕たちは峠越えのために来たわけではなく、GHTを通じてヒマラヤの魅力を発信するために来たのだ。
今のタイミングであれば、ロワー・ルートに足を伸ばして、そこを1週間ほど踏査することもできる。これを逃すと、あとはカトマンズへと戻るだけの行程になってしまう。
通称、ヒマラヤのヨセミテ。右端にあるのが、アマブジュン(妊婦のおなか)と呼ばれる岩壁。
こうして僕たちは、きびすを返し、ロワー・ルートへと向かうことにした。その決断がヒマラヤの神々に祝福されたのだろうか、翌日の天気は最高だった。マカルーB.C.に来るまでは濃霧でまったく見えなかった周辺の山々が姿を現した。数日前、このエリアは『ヒマラヤのヨセミテ』と呼ばれていると聞くも、まったく意味がわからなかったのだが、ようやくそれを理解することができた。
とある峠にて。マカルーB.C.からセドゥアに戻るルートはかなり積雪量が多く、想像以上にタフな行程となった。
セドゥア〜ブン / 肥沃な土地に住まう人々とのふれあい
ロワー・ルートは、アッパー・ルートとは異なり、土地が肥沃で稲作地帯が広がっていた。同じGHTとはいえ、これほど景色も気候も、空気も匂いも違うとは、GHTの懐の深さ、ヒマラヤの奥深さを感じずにはいられなかった。
高標高エリアでは叶わなかった洗濯、洗髪も、久しぶりに実現。自然の恵み、水のありがたさを実感した瞬間でもあった。
ロワー・ルートで特に印象に残っているのは、サルパ・フェディという村。ここは、紙漉き(かみすき)の村として有名で、その光景や村人の営みにふれることを訪れる前から楽しみにしていた。
しかし、数日前に聞いた話によると、実は3年前に村を流れる川が氾濫して大きな被害を受け、紙漉き産業が廃れてしまったとのこと。5年前、リーダーの根本がここを訪れた際に、宿のご主人から手づくりの和紙を購入したことを懐かしそうに話していただけにとても残念だった。
ただ、幸運にも村でそのご主人と会うことができた。今はもう紙漉きを辞めてしまったそうだが、作った和紙が残っているということで、1枚だけ購入させてもらった。
もうわずかとなってしまったようだが、現在も紙漉きに携わっている人もいる。
ロワー・ルートを歩いていると、あちこちに新たな車道(とはいっても未舗装路だが)ができつつあることがわかる。きっと、今回訪れた村の景色も、産業も、人の暮らしも、数年後にはガラッと変わってしまうのだろう。
良し悪しではない。それはつまり、その都度、過去のネパール、現在のネパール、未来のネパールを味わえるということ。僕は、今回めぐった村々を、またいつか訪れたいと思った。
毎年変化するトレイル、それこそがGHTの魅力なのかもしれない。
今回のゴール地点は、ライ族の村として有名なブン村。急斜面にたくさんの家が建てられているのが印象的だった。
GHT project第5弾の旅が終わった。5年かけてようやく全行程の約6割を歩き切った。残りの4割はあと3回かけて踏査する計画だ。
半分以上を踏査し終えてもなお、GHTの全貌をとらえることはできていない。それがまた、僕たちの踏査欲をかきたてるのだ。
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