リズ・トーマスのハイキング・アズ・ア・ウーマン#19 / サンディエゴ・トランス・カウンティ・トレイルのスルーハイキング(後編)
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文・写真:リズ・トーマス 訳:齊藤瑠夏、神長倉佑 構成:TRAILS
『SDTCT(サンディエゴ・トランス・カウンティ・トレイル)』のスルーハイクに、4人の仲間とともにチャレンジしたリズ。
東端のソルトン湖をスタートした一行は、荒涼とした巨大な砂漠を歩き、浸食された奇岩エリアを抜け、サボテンなどの植物にも触れながら、ロング・ディスタンス・ハイキングを楽しみました。
このエリアは、PCT(パシフィック・クレスト・トレイル)の南カリフォルニア・セクションに近く、自然環境もほぼ同じであるため、リズたちもPCTを歩いた時のことを思い出して、胸を熱くしていたそうです。
PCTを歩いたTRAILS編集部Crewの根津も、前回の記事を読んでこう語っていました。
「リズたちと同じく、まさにPCTを歩き始めた頃の光景がよみがえってきました。SDTCTのすぐそばには、PCTの南端をスタートしていちばん最初のトレイルタウンでもあるジュリアンという町があります。ここはアップルパイの町として有名で、僕がPCTを歩いた時に立ち寄ったMom’s Piesというお店は最高でした。リズのトリップ・レポートを読んでいたらいろいろ思い出してしまって、僕もSDTCTを歩きたくなりました」
アメリカを中心に第一線でロング・ディスタンス・ハイキングを実践しているリズが、いま注目しているSDTCT。後編ではDAY4〜DAY7の旅のストーリーをお届けします。
ルートは、東はソルトン湖から西はデル・マーのトーリー・パインズ・ビーチまで。リズと仲間たちは、東端から出発して、6泊7日でスルーハイキングした。
DAY4 / みんなが待ち望んでいた、思い出のPCTとの再会。
トレイル上にあるSDTCT(サンディエゴ・トランス・カウンティ・トレイル)の標識。
この日は、PCT(パシフィック・クレスト・トレイル)に差しかかることを知っていた私たちは、ワクワクしながら目覚めました。PCTを一度でも歩いたことのあるハイカーは、そのトレイルのサインを再び見たいと、心からそう思っています。SDTCTとPCTが交わるほんの短い道を歩くことを想像しただけで、そこでのステキな思い出がよみがえってくるのです。
でもそこにたどり着くには、傾斜が急で、岩の多い古い道路をのぼりながら、オリフラム・キャニオンを通らなければなりません。そこをなんとか越えると、頂上から見えるカヤマカ・マウンテンズとその周囲すべての景色が、PCTのことを思い出させてくれます。
道路のそばで、何台かのトラックと数人のハンターたちがキャンプしていました。そこで中途半端に食べ物を食べようとした後、私たちは道をくだっていきました。
すぐに私たちの歩く道路はPCTに差しかかりました。全員その標識とともに写真を撮り、でもすぐに歩みを再開し、サンライズ・ハイウェイへと向かいました。PCTもサンライズ・ハイウェイを通り越すのですが、その地点はここよりも何マイルかくだったところです。PCTとは短時間の再会でしたが、それでも自分のホームに帰ったかのような心地でした。
私たちはハイキングを続け、オークの木の生える開けた草原をカヤマカ・ランチョ州立公園とカヤマカ自然保護区に向かって進みました。道中、急に現れたマツ林に見とれましたが、ハイカーというものは頭の中で考えることの多くが食べ物のこと。そこでは長居せずに通り過ぎました。
カヤマカ湖近くの店では、そこにあったテラスで(同じくそこを家族で訪れていた人たちの食事を私たちハイカーが邪魔しないように)食事をしました。食料などを補給したその店の商品は、大きさや一般的な店で見られる値段とは関係なく、すべての商品が同じ価格で販売されているようでした。そのレストランで買ったチキンポットパイを手に、山へと緩やかに曲がりくねりながらつながっているピースフルな道へと入っていきました。
その晩、パイン・ヒルズ消防署に到着しました。歩いていたトレイルは、ちょうど私有地の中を通っていたのですが、優しい消防署の人たちは、私たちが彼らの庭でキャンプすることを許してくれました。今晩もテントなしで寝ることにした私たちの頭の近くに、巨大なマツの木から大きな松ぼっくりが落ちてきました。こんな経験を1月にしているというのが不思議な感じでしたが、山の中のマツの木の間で眠るのは、とても気分がよかったです。
DAY5 / 砂漠地帯ならではの絶景と、枯れた巨大な滝。
早朝、私たちはインディアン居留地を通る荒いダートロードを歩き、どこからともなく現れたトレイルヘッドにたどり着きました。ここでは、ほとんどの人が選ばない通りを進むことにし、谷へとつながる昔の採掘場を降りていきました。いつの間にかマツの木はなくなり、このトレイルで初めての小川を越えました。シダー・クリークという小川でしたが、この日は幸いにも緩やかに水が流れていました。
私たちはサンディエゴ川の源流からくだって行きました。近くには、ミラード・フォールズという大きな滝が、ヨセミテサイズの巨大な一枚岩を流れ落ちていました。といっても、その水量は滴るほどで、サンディエゴ郡で最長のこの滝はほとんどの期間枯れているのです。
私たちの進むルートは、古くからの道と新しい道の両方を通り、年間を通じて水量のある、さらに別の有名な滝まで続いています。砂漠地帯と半乾燥地が多いサンディエゴ郡には、滝はそれほど存在しません。そのためシダー・クリーク・フォールズは、郡中の10代や若者から人気があります。
でも不幸なことに、高い気温と水不足、アルコール、岸から滝への飛び込みなどにより、多くの不運や傷害などの事故が起こっているのです。その中には、本人の意思に関係なくハイキングに連れてこられてしまう飼い犬たちの不幸も含まれています。ここは、その美しさとは裏腹に悲しい場所なのです。
この干上がった滝の規模は、サンディエゴ郡のなかでも最大かもしれない。
でも、新しく設置されたその道は多くの人で賑わい、最高のコンディションでした。私たちは、トレイルヘッドにある噴水式の水飲み場に向かい、道路脇にごみを捨てるハイカーに厳しく注意しながら、歩みを速めました。
私有地を避けるために、藪漕ぎをしながらキャンプ地へ。
日陰になっていたトレイルヘッドそばのピクニック場所で涼みながら(1月とは思えない暑さでした!)、デリバリーのピザを食べた後、私たちは再び歩き始めました。旅の始まりは何もない砂漠地帯でしたが、もう文明世界に入ってしまいました。さあ、この先は何が待ち受けているのでしょう?
事態が悪いほうへ転がっていったのはここからでした。次のエリアはSDTCTと、それに反対する人たちとの衝突がわかりやすく表れている場所です。トレイルは大農場の隣を通っていて、充分に開けた土地があるにもかかわらず、そこでは通行する権利が最小限の面積にとどめられています。
その問題を回避するために、私たちは低木の茂みの中を藪漕ぎしていくことで、大農場の私有地ではなく、公共の土地を進み続けようとしました。でも、残念なことに途中で進む方向がわからなくなり、かろうじてキャンプ地にたどり着いた時にはあたりは暗闇でした。
暗闇の中、私有地であることを示す標識が掲げられたゲートのある道に差しかかりました。でも、手元の地図を見るとその道路はまさしく公共の道となっていました。その時、岩の隙間に監視カメラの目が光っているように見えたのですが、友人はそれを私の思い違いだろうと言いました。
どちらが正しいのかわからないまま、私たちは道沿いの公共の土地になっているところでキャンプすることにしました。数分後、クルマがゆっくりとゲートから出てきて、あたりをさまよっていました。運転手が私たちを探すために見回っているのかもしれない! そう思い、私たちは全員ヘッドライトを消して息を殺してやり過ごしました。
DAY6 / 警察による拘束というハプニングを経て、エル・ケイジョン山へ。
昨晩クルマが来た直後、私たちは6日目は早朝に出発しようと決めました。その道は公共の管理下にあり、私たちに通行権がありました。多くのハイカーグループはここを通り、わずか2日前にもここを通過したというグループがいたと耳にしていたのです。でも、自信を持って歩いていたのはほんの15分間だけで、午前6時、私たちは捕まってしまいました。
酷い尋問というのは古い西部劇の中の話でしかありません。実際には腰に銃をさげたジェントルマンがハイカーたちを並ばせて、その間、私たちは静かにそして礼儀正しく立っていました。
警察は私たちを拘束する理由をみつけられず、すぐに開放してくれました。でも、これはハイカーとしての私のなかで過去最低の出来事だったので、その後、私たちは嬉々として国有林の藪漕ぎを再開しました。
エル・ケイジョン山の頂上に行くためには、岩をよじ登る必要がある。
藪に覆われた旅路の途中、ソルトン湖(私たちのスタート地点)をゴールに、東へ向かう3人のハイカーに遭遇しました。私たちはクルマで見回りをしていた男について警告しました。彼らには誰が地図を記したのかも伝えました。非公式の監視官がSDTCTについて森林局と頻繁に話しているため、彼らはこのことについて知る必要があると思ったのです。
数時間後、一人が森林局にかけ合ったという報告を持ち帰ってきました。近くに私有物があるものの、ゲートで閉鎖されていた道は通行権により解放されました。ハイカーのなかで、ここでこんなネガティブな体験をしたのは、後にも先にも私たちだけです。森林局はその後土地管理者に警告しました。でもその経験は私たちにとっては震えるほど怖いものでした。そしてPCTでこのようなことが一度も起きていないことに感謝しました。
私たちはデイハイクで有名なエル・ケイジョン山をくだりました。そこからは、開けた土地を持つ公立の公園とトレイルの連続です。不幸なことに、最後の公園にたどり着いたときにはすでに日没で、閉園時間でした。さらに悪いことに、レンジャーが私たちが公園に入っていくのを見ていたのです。でも彼女は親切で、旅について説明すると、私たちがさらに歩こうとしていることをすぐに了承してくれました。
暗くなった時、私たちはまだキャンプ不可の場所にいました。なので、舗装された道まで出て、Uberでタクシーを呼び、そのままレストランまで連れていってもらいました。夕飯を食べながらホテルも予約しました。シャワーを浴び、良い休みをとって一晩したら、ついにトレイルでの最終日です。
DAY7 / 小川や樹林帯を抜け、太平洋でフィニッシュ。
朝食後、またUberでトレイルヘッドまで向かい、ペナスキートス・クリークという小川に沿って歩く、穏やかな郊外の道から旅を再開しました。このセクションは他よりも発展しているようで、たくさんの人が利用していました。SDTCTのなかで、ここが特別景色がいいわけではないのですが、山までのロングドライブなしに簡単に訪れることができるということが、多くの人に人気のようです。
クロワッサンとタコスのために何度か休憩した後、太平洋に面したトーリー・パインズ・ビーチまで来れば、そこがSDTCTのゴールになります。
6日前にスタートして、自然の砂漠から、マツの木が茂る公立の森林公園を抜け、低木の茂みをかき分けて、郊外を進み、海辺まで歩いてきたことは、なんだか信じられないことのようです。
SDTCTは今回私たちが歩いたルートだと153マイルで、ハイカーの仲間たちとの再結集には完璧な長さでした。ほとんどいつも雪の降らない、冬季のハイキングのために集まったのは楽しかったです。
でも、最も重要なのは、自分たちのロング・ディスタンス・トレイルを守るためにハイカーたちが手を合わせれば可能性が広がるんだ! ということを、SDTCTが示してくれていることです。
SDTCTは、人々の愛とサポートによって生き残っているトレイルなのです。多くの人がハイキングすればするほど、SDTCTは強く、そしてより楽しいルートになっていくのです。
TRAILS AMBASSADOR / リズ・トーマス
リズ・トーマスは、ロング・ディスタンス・ハイキングにおいて世界トップクラスの経験を持ち、さまざまなメディアを通じてトレイルカルチャーを発信しているハイカー。2011年には、当時のアパラチアン・トレイルにおける女性のセルフサポーティッド(サポートスタッフなし)による最速踏破記録(FKT)を更新。トリプルクラウナー(アメリカ3大トレイルAT, PCT, CDTを踏破)でもあり、これまで1万5,000マイル以上の距離をハイキングしている。ハイカーとしての実績もさることながら、ハイキングの魅力やカルチャーの普及に尽力しているのも彼女ならでは。2017年に出版した『LONG TRAILS』は、ナショナル・アウトドア・ブック・アワード(NOBA)において最優秀入門書を受賞。さらにメディアへの寄稿や、オンラインコーチングなども行なっている。豊富な経験と実績に裏打ちされたノウハウは、日本のハイキングやトレイルカルチャーの醸成にもかならず役立つはずだ。
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(英語の原文は次ページに掲載しています)
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