LONG DISTANCE HIKER #02 清水秀一 | 3年連続スルーハイキング
話・写真:清水秀一 取材・構成:TRAILS
What’s LONG DISTANCE HIKER? | 世の中には「ロング・ディスタンス・ハイカー」という人種が存在する。そんなロング・ディスタンス・ハイカーの実像に迫る連載企画。
何百km、何千kmものロング・ディスタンス・トレイルを、衣食住を詰めこんだバックパックひとつで歩きとおす旅人たち。自然のなかでの野営を繰りかえし、途中の補給地の町をつなぎながら、長い旅をつづけていく。
そんな旅のスタイルにヤラれた人を、自らもPCT (約4,200km) を歩いたロング・ディスタンス・ハイカーであるTRAILS編集部crewの根津がインタビューをし、それぞれのパーソナルな物語を紐解いていく。
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第2回目に紹介するロング・ディスタンス・ハイカーは、清水秀一 (しみず ひでかず) さん。
清水さんは、2003年にJMT (※1)、2004年にPCT (※2) 、2005年にAT (※3) をスルーハイクした。初回に紹介した日色 (ひいろ) さんと同様、清水さんも日本人におけるロング・ディスタンス・ハイカーのパイオニアの一人だ。
日色さんがPCTを歩いたのは彼が24歳の時。一方、清水さんが歩いたのは、38歳の時。
清水さんは14年間の社会人生活を経て、ロング・ディスタンス・ハイカーへと「転身」した。その旅のあり方もまた日色さんとは異なり、不自由さを楽しむ余裕のある旅のスタイルだった。
※1 JMT:John Muir Trail (ジョン・ミューア・トレイル)。アメリカ西部のヨセミテ渓谷から米国本土最高峰のホイットニー山まで、シエラネバダ山脈を南北に貫く211mile (340㎞) のロングトレイル。ハイカー憧れのトレイルで、「自然保護の父」として名高いジョン・ミューアが名前の由来。
※2 PCT:Pacific Crest Trail (パシフィック・クレスト・トレイル)。メキシコ国境からカリフォルニア州、オレゴン州、ワシントン州を経てカナダ国境まで、アメリカ西海岸を縦断する2,650mile (4,265㎞) のロングトレイル。アメリカ3大トレイルのひとつ。
※3 AT:Appalachian Trail (アパラチアン・トレイル)。アメリカ東部、ジョージア州のスプリンガー山からメイン州のカタディン山にかけての14州をまたぐ、2,180mile (3,500km) のロングトレイル。アメリカ3大トレイルのひとつ。
右端が、清水さんが2004年にPCTを歩いた時のバックパック。容量は70Lで総重量は30kgほど。
PCTハイカーと出会い、カナダまでつづく道を知る。
PCTとJMTが重複するルートにあるミューア・ハット。PCTハイカー、JMTハイカーいずれにとっても思い出深いスポットだ。
—— 根津:清水さんは、2003年にJMTをスルーハイクし、翌年にPCTをスルーハイクしました。もともとPCTを見据えて歩きはじめたのですか?
清水:「JMTは、加藤則芳さんの本や彼を取り上げたテレビ番組を見て興味を抱きました。PCTに関しては、JMTをスルーハイクしている時に、たまたまPCTハイカーに会ったのがきっかけですね。
若い男性だったんだけど、話をしたらPCTなるものを歩いていると。スルーハイカーかどうかはわかりませんでしたが、彼の話を聞いて、『ここから歩いていけばカナダまで行けるんだ!』と、PCTがすごく身近に感じられたんです」
PCTらしい長い長いトラバース道。清水さんは、このトレイルがカナダまでつながっていることを知る。
—— 根津:とはいえ、日本においてPCTの情報がまだ少なかった時代なので、いろいろ苦労されたのでは?
清水:「観光ビザの取得くらいですかね。旅行代理店に連絡したら、『観光目的で、ビザの取得は難しいと思いますよ』と言われて。でも、日色さんがブログにビザ取得のドキュメントを載せてくれていたので、それをお手本にさせてもらいました。彼のブログがなかったら行けていたかどうかわかりません」
無事に観光ビザも取得できて、メキシコ国境前にあるPCTのスタート地点にたどり着いた。
スルーハイクは、未知の日常を過ごしているのが楽しい。
—— 根津:清水さんは、20代の頃からクルマでアメリカをロードトリップしたりと、毎年のようにアメリカを旅していたと伺いました。JMTを境に、がっつりハイキングに傾倒するようになったと思うのですが、そこまでハマった理由を教えてください。
清水:「クルマで旅していた頃は、今日はグランドキャニオン、明日はモニュメントバレーといった感じで、観て、写真撮って、おみやげ買って、の繰り返しでした。
もちろんそれが楽しかったのですが、PCTはそうではありませんでした。PCTのスルーハイクが他の旅といちばん違うのは、生活自体が楽しいということ。
寝ることも、起きることも、朝食を作ってテントを畳むことも、歩くことも、日常の楽しみがずっとつづく。朝から晩まで24時間楽しいのです」
毎日テントに泊まりながら旅をつづけた。テントから眺める夜空もすばらしかった。
日々の自炊。大したものを作るわけではないのだが、些細な日常が楽しくて仕方なかった。
—— 根津:日常が楽しいというのは、スルーハイクならではなのかもしれませんね。
清水:「日々、未知の世界を歩いていて楽しい、未知の日常を過ごしているのが楽しい、という感覚でした。おそらく、もう1回PCTを歩いても同じ楽しさはぜったい味わえないんだろうなと。
そこには初体験だからこそのドキドキ、ワクワクがある。最初のまっさらでかつ先入観のない気持ちがそうさせているのだと思います。
スタート後1週間くらいは荷物の重さがしんどかったが、徐々に慣れて歩くのが楽しくなった。
カナダの国境が近づいてきた時、そもそもスルーハイクしたくて歩いているわけですから、ゴールしたらやったー! って思うだろうと予想していました。でも、終わった時がいちばんさみしいというか、悲しかったのを覚えています。
振り返って、なんであんなにさみしかったんだろうと考えた時に、初めてならではの興奮みたいなものが大きく影響していたんだろうなと。翌年にATを歩いた時は、スルーハイクの要領とかもわかっているからいろいろ想像できてしまって、PCTの時のような感情は得られませんでした。
カナダ国境にあるPCT北端のターミナスで、仲間のハイカーたちと乾杯。うれしさよりもさみしさのほうが大きかった。
トレイルエンジェルのことも知らなかった。
—— 根津:2004年当時は、特に日本人ハイカーにとってはPCTの情報が入手しづらくてさぞかし大変だったのかと思っていたのですが、逆にそれが良かったと。
清水:「トレイルエンジェル (※4) のことすら知らないくらいでしたから。現地で出会ったハイカーは、どこそこにトレイルエンジェルがいるといった話をしてくれていたんですけど、私からすれば、そんなタダで泊まれるような家があちこちにあるわけないと思ってました。
※4 トレイルエンジェル:ハイカーに対してボランティアで宿泊場所や食事を提供してくれる人のこと。アメリカのハイキングカルチャーを象徴する存在でもある。
たびたびトレイルエンジェルやトレイルマジックに助けられた。予想していなかっただけに、喜びもひとしお。
でもそのぶん、何かをあてにすることなくぜんぶ自分でやらないといけないと思いながら旅をして、そのなかで『寄っていきなよ!』とか言われるとすごく嬉しいし、より感謝の気持ちも大きくなります。
翌年にATを歩いた時は、エンジェルいるかな? マジックあるかな? みたいに期待してしまう自分がイヤでした。無くてがっかりした時に、自分の卑しさを感じるというか」
スルーハイク中は、飲み水を補給すべく幾度となく川の水を浄水した。
—— 根津:計画どおりだったり、予定調和になってしまうと、旅が旅でなくなるということですよね。想定外のハプニングも含めてすべてを楽しみたいと。
清水:「私は、それまでの海外旅行においても不自由を楽しむというスタンスだったので、情報がありすぎるのは面白くないと思っていました。
もちろん危険を回避するための情報は最低限必要ですが、行き当たりばったりで珍しいものに出会ったり、意外なものに遭遇したり。それが旅の醍醐味だと思います。わからないなかで現地ではじめて出会って、文化の違いに気づいたり、驚いたり、それが楽しいんです。
PCTはそういう意味においてもすごく楽しかった。やりたいことを体現することができました」
仲間のハイカーと休憩中。清水さんの充実感たっぷりの表情が印象的。
This is LONG DISTANCE HIKER.
『 情報収集をしすぎず
あえて不自由を楽しむ 』
海外、しかもスルーハイキングとなれば、念入りな準備をしたくなるもの。なぜか? もちろん安全を担保するためでもあるが、それ以上に、困りたくない、大変な思いをしたくないからだ。
でもそれを突き詰めていくと、旅のすべてが計画どおり、予定調和へと向かい、偶発性が排除される。それじゃつまらないと考えているのが清水さんだ。
情報が少ないぶん、トラブルやハプニングの確率も増えるだろう。でも、それすらをも楽しんでしまおう、という未知なるものへの強烈な好奇心こそが、彼をロング・ディスタンス・ハイカーたらしめている。
根津貴央
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