フォロワーゼロのつぶやき 中島悠二 #21 躺平 (タンピン) 主義
<フォロワーゼロのつぶやき> 中島君(写真家)による、山や旅にまつわる写真と、その記録の断面を描いたエッセイ。SNSでフォロワーゼロのユーザーがポストしている投稿のような、誰でもない誰かの視点、しかし間違いなくそこに主体が存在していることを示す記録。それがTRAILSが中島君の写真に出会ったときの印象だった。そんな印象をモチーフに綴られる中島君の連載。
#21「躺平主義」
前回ここで「よこになりたい」と書いたら、今中国では「寝そべり族」と呼ばれる現象が若者の間で流行っているとネットで流れてきた。中国語では「躺平 (タンピン)」と簡潔に表す。ただ寝転がっている人たちらしい。
若者が、家か、あるいは外で。年中寝ているだけ。もちろん仕事はしない。「寝そべり学の先生」と呼ばれて衆目を集める人がいる。「寝そべりは正義」「寝そべることは私の賢者の行動」。「寝そべっているときだけが、人間が万物の尺度たりえるのだ」とか、なんだかすごい。「猫や犬のように寝そべっている」という。
前職をやめてフリーになりたての頃は全然仕事がなかった。仕事がないから家でよこになっていた。テレビをつけてゴロゴロしている。一人暮らしなので、とても静か。テレビを消すとシーンとする。すずめがチュンチュンと鳴くと、部屋に間抜けな空気が漂ってくる。すると驚くほど早く夕方になるのだ。
「さすがに起きろ、時間を無駄にするな」という “社会の指令” が脳内にきこえてくる。「ごもっとも」と思いつつ、動かない。電話にもでない。これは抵抗だから。「自分は休みを高い金を払って買っている、だから貧乏なんだ」とおかしな理屈を捻りだすと、仕事のないことを正当化できた。
自分は「躺平」だったかも。
レベッカ・ソルニットは「何もしないことは案外難しい 歩くことはほとんどなにもしないことに近い」と書いた。金言と思う。
ずっと「躺平」は難しい。そのうち寝返りも限界がきて、夢からも締め出されると、とうとう立ち上がってしまう。もう彼らは歩いていると思う。押し出されるように歩き出してみると、さてどこに向かうのか。
すると中国では、突如としてゾウも北上をはじめたという。
何が起ころうとしているのか?
僕はメッセージを受信する。
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