STORY

井原知一の100miler DAYS #12 | 家族との生活(Barkley Marathons)

2022.04.06
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文・写真:井原知一 構成:TRAILS

What’s 100miler DAYS? | 『生涯で100マイルを、100本完走』を掲げる、日本を代表する100マイラー井原知一。トモさんは100マイルを走ることを純粋に楽しんでいる。そして日々、100マイラーとして生きている。そんなトモさんの「日々の生活(DAYS)」にフォーカスし、100マイラーという生き方に迫る連載レポート。

* * *

トモさんの暮らしを「走る生活」「食べる生活」「家族との生活」という、主に3つの側面から捉えていきながら、100マイラーのDAYSを垣間見ていこうというこの連載。第12回目のテーマは、「家族との生活」です。

今回は、2022年のトモさんの初100mileとなった『Barkley Marathons』(以下、バークレー ※) を紹介してくれます。

バークレーは、「世界一過酷なレース」と呼ばれ、この36年間で完走者がたった15人しかいないほど。トモさんも過去2回はDNF (Do Not Finish) で、今回が3回目の挑戦です。

トモさんはこれまでの課題を克服すべく練習を行ない、3度目の正直を目指します。「こんなに自信を持ってバークレーに挑めたのははじめてだったと思う」と語っていたトモさんの結果はいかに?

くわえて、レース自体はアメリカ・テネシー州での開催ですが、その前後で、家族とはどんな生活を送っていたかについても語ってくれます。

※ Barkley Marathons (バークレー・マラソンズ):アメリカ・テネシー州のフローズンヘッド州立公園で毎年3月に開催されている耐久レース。「世界一過酷なレース」とも呼ばれている。1986年に第1回目が開催。以来、36年間で完走したのはたった15人。発案者は、ラズ(ゲイリー・カントレル)。初開催から何度も距離、ルート、標高が変更され、現在は約20mile (32km) のループで構成。これを5周すると完走となる。3周 (60mile) したランナーは「ファンラン」を完走したと言われる。実際のところ、総距離は100mile以上、累積標高は2万m以上、制限時間60時間。エントリー方法も公開されておらず、謎の多いレースでもある。トモさんは、2017年、2018年に出場してDNF (Do Not Finish)。

レース前のリラックスしたトモさん。中央が、Barkley Marathonsのレースディレクターであるラズ。

Barkley Marathons:今回は最低でも4周以上をして、その先の景色が見たい

今年で3度目の挑戦となったバークレー・マラソンズ。約20mile (32km) の周回コースを5周すると完走となります。ランナーはコンパスと地図だけを頼りに、森の中に隠された14カ所の本を見つけて、自分と同じゼッケン番号 (1周ごとに番号が変わる) のページを破り取って戻ってくる、というルールになっています。

僕は1回目 (2017年) に1周、2回目 (2018年) に3周したので、今回は最低でも4周以上をして、その先の景色が見たいと思っていました。

ただ、不運にも昨年の勝手100mile中に、転倒による骨挫傷をしてしまいました。それが完治したかわからない状態で現地入り。それもあって、レース前の試走は全歩きだったとはいえ、100km近くも歩けたことに喜びを感じて、胸の鉛のような重りがスッと抜けたような感じがしました。

これまで見ることのできなかった新しい景色を見るべく、必死に走るトモさん。

スタートして1周目のことでした。2冊目の本まで行く途中の下り坂で転倒し、大きな岩に左膝を強打しました。ヤバいと感じるも、もともと右膝が骨挫傷していたから、ちょうどバランスが取れたらいいかなと安易に思っていたものの、次第に左膝が腫れあがって曲げにくくなり、焦りを感じました。

10時間かけて1周目を終え、ラズに、もぎとってきた本のページを渡す。

でも、コース上にある14カ所の本をどんどん探し、ほとんどミスナビゲーションなく1周目を10時間ぴったりでゴール。2周目からは、夜に入り、天気は土砂降りの雨でした。

藪漕ぎも多いから薔薇に引きちぎられウェアもボロボロに。それでもなんとか16時間くらいかけて帰ってきました。でも、タフなコースな上に悪コンディション、何回転んだかわからないくらい転び、左膝もさらに腫れあがり痛みも増してくると、鼻息が荒く、夢と希望を抱いていたスタート前の自分が、徐々に消えていきました。

徐々に腫れと痛みが増してきた左膝。

スタート前にはFIVE OR DIEと言っていた自分はどこに行ってしまったのか……。3周目を行こうと思えば行くことができた。でも行かずに、今回のバークレーは2周で終えました。3度目の正直ということわざがあるのなら、自分は次回こそ完走して、4度目の正直ということわざを作ってみせたいです。

【家族との生活 (その1):レース4週間前】 娘のさくらと一緒に、愛犬オレオの散歩に行く

愛犬オレオと一緒に、高尾エリアのトレイルを散歩。

今回のレースは海外、しかも試走期間も設けていたので、3週間くらい家を明ける予定でした。そのため、出発前はなるべく家族との時間を過ごしました。

普段から家で仕事をすることが多いので、娘のさくらが学校から帰ってくる前には仕事を終わらせるようにしていました。帰ってきたら、一緒に愛犬オレオを連れて、近くの初沢山に散歩に行くのが楽しかったですね。週末にはさくらのクライミングに行って登っている姿を目に焼き付けたりもしていました。

バークレーのために3週間ほど不在になるので、出発前はできるだけ家族との時間をつくった。

あと、出発する10日前のバレンタインデーにもらった手作りクッキーは、すごく嬉しかったです。

【家族との生活 (その2):レース直前】 妻や娘からの「頑張ってね」というメッセージに励まされる

 

アメリカ滞在時も、家族とはこまめにコミュニケーションをとっていた。

アメリカに入国していたので、家族とのコミュニケーションはLINEやメッセンジャーを使ったビデオ電話やメッセージのやりとりでした。

時差が13時間ということもあり、アメリカの夕方が日本の朝だったりと連絡は比較的取りやすかったです。

この時期にさくらが体調を崩したのですが、自分は助けてあげることもできず、ただただ妻には申し訳ないという気持ちでいっぱいでした。

自分が夢や希望を持って好き勝手にやっているなか、家族が辛い思いをしていることで少し滅入ることもあったけど、妻やさくらから常に「頑張ってね」と言われたことが大きな支えになりました。

自炊となると、毎日同じものばかりになってしまっていた。

毎日の食事においては現地での自炊が多く、メニューもほぼ一緒だったので、あらためて毎日健康的で美味しい料理を作ってくれている妻には、感謝の気持ちしかありません。

【家族との生活 (その3):レース直後】 アメリカのウォルマートで、娘のおみやげをゲット

レース後は、友人であるブライアン (右) の家にお世話になった。

引き続きアメリカに滞在していました。アメリカ出国前72時間前にPCR検査を受けないといけなかったので、レース3日後のフライトをとっていました。

レース後は現地の友人であるブライアン宅にお世話になり、引き続き家族とはLINEやメッセンジャーを使ったビデオ電話やメッセージのやりとりがつづきました。

さくらのおみやげを買いに、ウォルマートへ。

さくらがおみやげにジグソーパズルが欲しいと言っていたので、近くのウォルマートというスーパーマーケットに、1000ピースのジグソーパズルを買いに行きました。

【家族との生活 (その4):レース2週間後】 家族と一緒に過ごすことで、心も体も充電中!

おみやげのジグソーパズルにご満悦のさくら。

帰国時の水際対策もだいぶ緩和されたため、自分の場合は入国後にPCR検査を受け、公共交通機関を利用して自宅に帰り、3日間の自宅待機で済みました。本当は6日間なのですが、2日目で再度PCRを受けて陰性だったため3日間に短縮されました。

ただ、帰国してもケガで足が腫れあがっていたので、大きな移動はできません。さくらとはおみやげに買って帰ってきたジグソーパズルをやったり、家で一緒に過ごすことが多かったです。

帰国1週間後にMRIを受けたところ、骨には影響がなく、重度の打撲という診断結果でした。2週間たったあたりから徐々に膝の違和感も取れてきました。

家族とオレオの散歩をするのが、なによりの癒し。

ちょうど春休みシーズンに突入したので、さくらと一緒にお昼ごはんを作って食べたり、オレオの散歩に行ったり、週末は相変わらずクライミングする姿を見に行ったり。

家族で過ごす時間が多く、次の大きなチャレンジに向けてしっかりと心も体も充電できています!

次の100mileに向けて、まずはしっかり充電。

レース中の転倒によるケガで、3度目の正直とならなかったバークレー・マラソンズ。

でも、トモさんは悲観的になることなく前を向いている。眼差しはすでに4度目のバークレーをしっかり捉えているのだ。

そのポジティブさ、折れない心はどこから来るのか。100mileが好きだからであることは言わずもがなだが、今回書いてくれたような家族の存在が、何よりもの支えになっているのだろう。

TRAILS AMBASSADOR / 井原知一
現在の日本における100マイル・シーンにおいてもっともエッジのた立った人物。人生初のレースで1位を目指し、その翌年に全10回のシリーズ戦に挑み、さらには『生涯で100マイルを、100本完走』を目指す。馬鹿正直でまっすぐにコミットするがゆえの「過剰さ(クレイジーさ)」が、TRAILSのステートメントに明記している「過剰さ」と強烈にシンクロした稀有な100マイラーだ。100マイルレーサーではなく100マイラーという人種と呼ぶのが相応しい彼から、100マイルの真髄とカルチャーを学ぶことができるだろう。

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WRITER
井原知一

井原知一

1977年、長野県生まれ。アメリカの大学を卒業後、仕事を転々とした末、2007年にスポーツ商社に転職。同企業のダイエット企画がきっかけでトレイルランニングに出会う。当時31歳。すぐさま夢中になり、トレイルラン2年目でOSJ (アウトドア・スポーツ・ジャパン) のシリーズ戦全戦を完走。3年目にはSFMT (信越五岳トレイルランニングレース) で8位。初めての100マイルは、2010年に自ら企画した草レースTDT(ツール・ド・トモ)。以降100マイルの魅力にとりつかれ、『生涯で100マイルを、100本完走』を掲げて走るようになる。つねにチャレンジしつづけることをモットーとし、90歳での100マイル完走も目標のひとつ。走ることの素晴らしさを広め、人生を変えるきっかけづくりのために、ポッドキャスト『100miles, 100times.』や、自ら立ち上げた『Tomo's Pit』を通じてコーチングも手がけている。

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