LONG DISTANCE HIKER #12 鈴木栄治 | 日常生活でもトレイルライフを味わっていたい
話・写真:鈴木栄治 取材・構成:TRAILS
What’s LONG DISTANCE HIKER? | 世の中には「ロング・ディスタンス・ハイカー」という人種が存在する。そんなロング・ディスタンス・ハイカーの実像に迫る連載企画。
何百km、何千kmものロング・ディスタンス・トレイルを、衣食住を詰めこんだバックパックひとつで歩きとおす旅人たち。自然のなかでの野営を繰りかえし、途中の補給地の町をつなぎながら、長い旅をつづけていく。
そんな旅のスタイルにヤラれた人を、自らもPCT (約4,200km) を歩いたロング・ディスタンス・ハイカーであるTRAILS編集部crewの根津がインタビューをし、それぞれのパーソナルな物語を紐解いていく。
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第12回目に紹介するロング・ディスタンス・ハイカーは、鈴木栄治 (すずき えいじ) a.k.a. Turnip (ターニップ) さん。
栄治さんは、2016年に夫婦でアパラチアン・トレイル (AT ※1) をスルーハイクしたロング・ディスタンス・ハイカーだ。
栄治さんは、ATを歩く前は東京在住だったが、帰国後、夫婦で信越トレイルのトレイルタウンである長野県飯山市に移住。栄治さんは信越トレイルクラブ事務局のスタッフとして働きはじめ、もう丸5年が経過した。
『LONG DISTANCE HIKERS DAY』 (※2) には、第1回の2016年からほぼ毎年参加してくれている。最初はお客さんとして、2回目はATハイカーとして、その後は信越トレイルの事務局スタッフとしての役割も加わり、さまざまな立場で関わってくれている。
スルーハイキングを通じて、トレイルライフの魅力に取り憑かれたものの、毎年のようにアメリカのロングトレイルに足を運ぶことを望んではおらず、それよりも、いま住んでいる場所でつねにトレイルで生活しているような状態でありたいと言う。
ロング・ディスタンス・ハイカーである栄治さんが目指す、つねにトレイルで生活しているような暮らしとは?
ちなみに、信越トレイルでは、アメリカのロングトレイルをスルーハイキングした3人のハイカーが、今までにスタッフとして働いている (現在もスタッフ募集中 ※3)。これまでそんなトレイルは日本になかったし、すごく貴重なことでもある。今回から3回連続でその3人のスルーハイカーを紹介したい。
アメリカには、歩くための長大なトレイルがあることを知った。
—— 根津:栄治さんは2016年、37歳の時に人生初のロングトレイルとしてATを夫婦でスルーハイクしました。なにがきっかけだったのですか?
鈴木:「2013年にたまたま読んだ雑誌に、ロングトレイルの特集があったんです。そこでATが紹介されていて、歩いてみたくなったのがきっかけですね」
—— 根津:もともと長く歩くのが好きだったんですか?
鈴木:「小さい頃から学校が嫌いで、つねにどこか違うところに行きたい願望があったんですよね。それで大人になってからいろいろ行けるようになって、20代半ばの頃は、西日本を中心によく歩き旅をしていたんです。長いときで1年半くらい旅に出てました。
当時の僕は、思いつくままに適当に道 (舗装路) を決めて目的なく歩いていたんです。でも、アメリカにはわざわざ歩くためにつくられた長大な道があると。それにすごくビックリして、興味を持ったんです」
—— 根津:山の中を半年も歩きつづけることへの不安や躊躇がありそうなものですが。
鈴木:「あんまりなかったですね。半年間歩いて過ごせるなんて素晴らしいなぁという感じでした」
—— 根津:奧さんと二人で行くのは決めていたのですか?
鈴木:「決めていたというよりは、それが自然だったんでしょうね。山歩きも一緒にしてましたし、説得したわけでもなく、僕が、行こうよ! って誘ったら、いいよー! みたいな (笑)。
雑誌でATを知ったときは定年後でもいいかなと思っていたんですが、それから3年後に、夫婦でこれからの人生をどうしようか、生活自体を変えようかというタイミングがちょうど訪れたんですよね。それで、この機会に行くことにしたんです」
音楽を聴きながら酒を飲んでるときの気持ち良さ。それが歩いているだけで感じられる。
—— 根津:実際歩いてみてどうでしたか?
鈴木:「実際には、まさに期待どおりという感じで楽しかったですね。毎日歩いて過ごしたら楽しいだろうなぁと思って行ってみたら、ほんとそのとおりで、そのまま半年が過ぎました」
—— 根津:そうなんですか。初めてロングトレイルを歩く人は、荷物が重いだとか足が痛いだとか、洗礼を受ける人が多いんですが、そういうのはなかったんですね。ちなみに、これまでの日本での歩き旅との違いはありましたか?
鈴木:「僕は、ロング・ディスタンス・ハイキングは、決められた長い道を歩く一種のアクティビティだと捉えています。昔の僕は、自由を求めていたというか、決められたようなやり方での歩き旅はしたくなかった。だから、若い頃だったらATには行っていないでしょうね」
—— 根津:歳を取ったからこそATを楽しめたと。若い頃となにが変化したのですか。
鈴木:「若い頃は、未知のことや放浪的なことへの憧れがあったんです。知らないことと出会って自分がどう感じるかとか。自分探し的な部分がありました。
でも歳を取って、もうそういう要素はなくなって、ただ歩くだけというのをしたくなったんです。ATはトレイルもちゃんと整備されていて、サインもあって、ただただ歩くことだけに集中していればいいのが良かったですね」
—— 根津:あれこれあまり考えずに、無心で歩きたいと。歩く瞑想、みたいなイメージですかね。
鈴木:「そういうと高尚な感じになってしまうので、瞑想とは言いたくないんですけど。ひょっとしたら、ちょっとお酒飲んだときの感覚と近いかもしれないですね。瞑想というよりは酩酊 (笑)」
—— 根津:歩いているだけなのに、そのくらい気持ちがいいと (笑)。
鈴木:「そうですね。あと僕は普段、歩きながら音楽を聴くのが好きなんですけど、ATを歩いているときは、音楽を聴かなくても、歩いていること自体がリズムになっている感覚はありましたね。歩いているだけで、音楽にノレている感じというか、音楽に合わせてカラダを揺らしている感じというか。
要は、音楽を聴きながらお酒を飲んでる感じが、音楽もお酒もなくても味わえるのが、ロング・ディスタンス・ハイキングの魅力なんじゃないかと。それを半年間も毎日つづけられるんだから、まあ楽しいですよね」
年に一度ではなく、365日ずっとハイキングをしている状態でいたい。
—— 根津:ロング・ディスタンス・ハイキングにハマって、また歩きに行く人は多いですが、栄治さんはそうではなく、帰国後、信越トレイル事務局のスタッフという道を選びました。トレイルに関わる仕事をしたかったのですか?
鈴木:「もちろん、また歩きたいっていう気持ちはあるんですけど、働いてお金を貯めて時間を作ってまた歩きにいく、というサイクルの生活をしたくはなくて。
僕は、ずっとハイキングをしている状態でいたいと思ったんです。トレイルを歩いていたときのあの感覚を、毎日ずっと味わいたい。そういう生き方はできないかと。それで、たまたま縁があって信越トレイル事務局の仕事の話がきて、山の麓で暮らすようになり、トレイルの仕事に関わるようになったんです」
—— 根津:信越トレイル事務局のスタッフになって、2022年の10月で丸5年が経ちました。ずっとハイキングをしている状態でいたい、という願いは実現できましたか?
鈴木:「まだまだ途上ですね。もちろんゼロではないですよ。
ATを歩いているときは、自分の生活を自分で組み立てる感覚がありました。いま、山の近くで古民家暮らしをしていて、家の修繕や除雪をはじめ、都会で生活していたときと比べると暮らしていくためにやることが多いんです。そういう点では、いまもトレイルのつづきという感じはあります。
仕事に関していうと、信越トレイルは2021年9月に30㎞距離が伸びて110㎞のトレイルとなったのですが、その延伸事業に携わることができて、トレイルを作る醍醐味を味わいました。延伸に限らずハイキングのフィールドを自分の手で作るというのは、とてもやりがいのある仕事ですね」
This is LONG DISTANCE HIKER.
『 毎日がロング・ディスタンス・ハイキング 』
栄治さんとは長い付き合いだが、これまでてっきり、彼がスルーハイキングを経て、トレイルを歩く以上に、作りたくなったのだと思っていた。
しかし、根底にある彼の思いは違っていた。栄治さんは、「ずっとハイキングをしている状態でいたい」と思っていたのだ。それは毎年のようにロングトレイルを歩くこと以上に難易度が高いことであり、誰よりもハイカーとしての欲が強いとも言える。
栄治さんは、歩き手から作り手に立場を変えたわけではなかった。あいもかわらず、ロング・ディスタンス・ハイカーであり、自分の理想を実現するべくハイカーとして日々を生きているのだ。根津貴央
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