TRAILS REPORT

ロングトレイルのつくり方 ~信越トレイルの誕生秘話~

2020.05.08
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文:TRAILS 写真:信越トレイルクラブ、TRAILS 構成:TRAILS

日本における初の本格的ロングトレイルである信越トレイルは、どのようにしてつくられたのだろうか。

現在、80kmの全線開通をしてから10年以上の歳月が経過した。そして来年は苗場山への延伸が予定されている。念願であった延伸が決まった今、改めて信越トレイルの誕生のヒストリーを見つめ直してみたい。

信越トレイル誕生のキーパーソンの一人としてよく語られるのは、日本にロングトレイルを紹介した第一人者である加藤則芳氏である。しかし、それだけでは十分ではない。実は信越トレイルの誕生までには、地元の人々の発案と努力による、日本初の取り組みが多くなされてきた。

信越トレイルの成功を語る上での5つのキーワードがある。

◉ 行政主導だけでない、官民連携による運営体制の確立
◉ ボランティアベースの広域の維持管理体制の構築
◉ 里山という地域の自然資源の再発見(グリーン・ツーリズムのさきがけ)
◉ ロングトレイルという新しいものに対する地元住民の理解促進
◉ 強いフィロソフィーと求心力を持ったリーダーの存在

これらを信越トレイルはどのように実現し、そして継続しつづけてきたのか。信越トレイルクラブ事務局・なべくら高原・森の家へのインタビューを通して、その誕生ヒストリーをひもといていく。
※本稿は、2015年7月にTRAILS webmagazineに掲載された同タイトルの記事を再編集・再構成したものです。

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信越トレイルの誕生秘話を語ってくれた、NPO法人信越トレイルクラブ事務局長兼なべくら高原・森の家支配人(2015年当時)の高野賢一氏。

信越トレイル・ストーリーズ

本稿は信越トレイルHP(ホームページ)の全面リニューアル(2020年3月)にともない、HP内の特集記事として企画された「信越トレイル・ストーリーズ」という記事シリーズのために制作された。「信越トレイル・ストーリーズ」では信越トレイルが他にはない魅力を持つトレイルとなった背景が、加藤則芳氏が込めた理念、トレイル誕生秘話、地域の人々の思いなどを通して語られていく。長年、信越トレイルを取材してきたTRAILS編集部が監修/制作を担当。(信越トレイルHP http://www.s-trail.net/


日本にロングトレイルを紹介した第一人者との出会い。


作家・バックパッカーの加藤則芳氏は、信越トレイルの構想段階から深くかかわっていた。いったいどんな縁が両者を結びつけたのだろうか。その出会いは、信越トレイル80km(斑尾山〜天水山)までが開通した2008年から、さかのぼること8年前のことであった。

高野:「『ヒッピーみたいな男が森の家にやってきた』と当時の支配人の木村が言っていました(笑)。実は当時(2000年)、郷土の宝であるブナ林を守る活動を始めたのですが、その活動が『Outdoor』(山と溪谷社)に取り上げられまして。その記事を見て加藤さんが訪ねてきてくれたのです。それが最初の出会いですね。」

記事はモノクロの目立たないベタ記事だったが、自然保護を唱えつづけてきた加藤氏は強い関心を持ったようだ。ただその時は、名刺交換をして軽く話をした程度で終わったという。

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故・加藤則芳氏。ロングトレイルを日本の文化の中に根付かせるべく尽力した。『ジョン・ミューア・トレイルを行く』『メインの森を目指してーアパラチアン・トレイル3500㎞を歩く』(いずれも平凡社)など、著書多数。

高野:「ちょうどその頃、国交省(当時は建設省)の地域連携に関する調査事業(北陸地域の地域づくり戦略事業)がスタートして、長野県と新潟県で何かできないかという話が、当時飯山市長だった小山邦武(こやまくにたけ)さんに持ちかけられたんです。

他のエリアでは連携軸として河川や鉃道、道路が一般的でしたが、小山さんは県境の関田山脈を利用したトレッキングルートを提案し、すぐに関係団体や山脈に隣接する市町村を巻き込んだ委員会が立ち上がりました。信越トレイルという名前こそありませんでしたが、これが最初の一歩でした。」

そこでロングトレイルに精通した加藤氏に声をかけ、一緒に信越トレイルをつくっていくことになったのだ。自然保護の哲学を持ち、アメリカのロングトレイルの仕組みや運営方法にも詳しい彼が、信越トレイル立役者のひとりであることは言うまでもない。

しかしここで重要なのは、地域の自然資源の価値を地元の人が再発見し、そこからあたらしいものをつくろうとする自発的な動きがすでにあったということだ。同時に加藤氏の側も、日本においてロングトレイルを具現化できる場所はないかと探していたのだった。


キーパーソンは、裏山の価値を早くに再発見した、飯山市長だった。


高野:「そもそも、なぜ小山さんに調査事業の話が来たのか。そこがポイントでもあります。彼は1990~2002年の12年間にわたって飯山市長を務めていたのですが、それ以前は30年ほど飯山にある実験農場で酪農経営をしていたんです。その中で、不登校の子どもを受け入れたりもしながら、誰よりも自然の中で生活することの大切さを実感していました。市長になってからもそのスタンスは変わらず、なんとかして裏山(関田山脈)を有効活用できないかと考えていました。

ここは豪雪地帯ですから、この雪というのはスキー場関係者以外の方々には邪魔者と思われることもありました。でも彼はそう考えなかった。雪は資源であり、プライスレス。たとえ10億円払ったとしても決して手に入れることはできないものだと。この地域ならではの恵みの素晴らしさや価値を粘り強く市民に問いかけながら、景観を大事にしたり資源を大切にする取り組みを始めたのです。」

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元飯山市長の小山邦武氏(信越トレイルクラブ・代表理事も務めた)。飯山の自然に魅せられ、それを守り、活かすさまざまな取り組みを行なった。信頼は厚く、地元の人からは「総理大臣になったほうがいい」と言われていたほど。

そして小山氏が市長に当選して3年後の1993年に、農水省がグリーン・ツーリズム(農山漁村地域において自然、文化、人々との交流を楽しむ滞在型の余暇活動)の促進を本格化させ、モデル地区を募った際、まっさきに手を挙げたのが飯山市だった。

高野:「飯山市では、グリーン・ツーリズムという言葉が用いられる前から似たようなことはやっていたんです。学習塾の夏合宿とか、高校生や大学生が夏の間勉強しにくるとか。グリーン・ツーリズムとしては、農村に滞在しながら田んぼや畑、自然に触れるという取り組みをメインに行なっていました。」

農業に関する研究もしていた小山氏は、「農業は、生命の営みを、その死を含めて見せてくれる。こうしたことを通して、人間の謙虚さ、自然に対する畏敬の念が生まれてくる」という考えを持ち、農業や自然を通した教育の力にも強い信念があった。小山氏にとっては、グリーン・ツーリズムは、単に地域活性というだけでなく、都市の子どもたちの生きる力を育てる取り組みでもあった。


都市農山村交流における拠点『なべくら高原・森の家』をつくった先見の明。


そして、よりしっかり活動していくためにも都市農山村交流の拠点が必要だと考え、鍋倉山の麓に『なべくら高原・森の家』をつくろうとした。しかし、議会で発案したものの猛反対を受ける。議員の多くが反対の手を挙げたのだ。なぜなのか。

高野:「なんで町から遠いそんな辺鄙な所につくるのかと。当時、すでに新幹線の駅ができることは決まっていたこともあり、お金は駅の近くにある町の中心部に使うべきだという意見でした。

地元の人からすれば、こんなただの裏山を見ても価値があるとは思えないのは当然のことです。施設をつくって体験の拠点にすることの意義は見えづらいでしょう。でも、外から来る人にとっては絶対必要なんです。その必要性や重要性を、小山さんは一人ひとりに熱く語り、時間をかけて納得してもらったんです。」

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グリーン・ツーリズムの拠点施設『なべくら高原・森の家』のセンターハウス。6ヘクタールの敷地内にさまざまな施設がある。

こうして1997年に、後に信越トレイルのビジターセンターともなる『なべくら高原・森の家』は誕生した。しかし、施設をつくり体験型サービスを提供するだけでは、この施設の意義が伝わらないと小山氏たちは気づいていた。

そこで公益的な活動が必要ではないかと考え、2000年、当時衰弱しつつあった地元の巨木ブナの保全を目的に『いいやまブナの森倶楽部』を立ち上げた。その方針として、ブナの森に人を入れないようにするのではなく、自然にダメージを与えないようなルールを設けることで、自然のなかを歩いてもらうことに主眼に置いた。例えば、巨木の前だけはロープを張ったが、そこまでのアプローチはちゃんと道をつくって歩けるようにする。見せながら守るという取り組みを始めたのである。そしてこの遊歩道や観察道を、森の家が中心となってつくっていった。


信越トレイルのある関田山脈には、原生に近いブナの森が多く残っている。

そもそもこの地域は、ブナの森の伐採計画があったものの地元市民の意向でそれを中止させた事例があった。バブル期には鍋倉山をスキー場として整備することを目的に大規模リゾート開発計画が打ち出されたが、それも最終的には当時飯山市長だった小山氏が計画を中止させていた。こうして地元が愛する原生に近いブナ林は守られてきたのである。

以来、小山氏は「100年後の未来に素晴らしいブナの森を残したい」という想いで、活動を牽引しつづけてきたのだ。

「信越トレイルの考え方は、イコール森の家の考え方なんです」と高野さんが語る。なべくら高原・森の家という施設の存在、考え方こそが、信越トレイルのベースになっている。そして小山氏の想いと行動力、グリーン・ツーリズムをはじめ自然を活用した地域振興の取り組みがあったからこそ、信越トレイルへと発展していったのである。


地域のメンバーと加藤氏がチームとなって、本格的なトレイルづくりが始まる。


2000年から調査事業がスタートし、関田山脈を貫くトレイルの構想が具体化していくこととなる。

飯山市長の小山氏が委員長となり、自治体の首長や有識者、山の関係者と委員会を開き、トレイルの話を詰めていく。この委員会では、単にトレイルをつくるだけでなく、地域の歴史や文化、関田山脈の状況、人が歩くことによる効果なども徹底的に調査・研究した。ここに加藤氏が加わったことも、非常に大きかった。加藤氏は長野および新潟で何回も講演会を開き、「ロングトレイルは何か」ということを繰り返し語り、地域の人へロングトレイルの意義を伝えていった。

高野:「加藤さんは、私たちにロングトレイルの魅力とトレイル運営に関する方法論を教えてくれました。信越トレイルのガイドラインの一番目に『生物多様性の保全を基本にします』とあるのですが、これはもともと私たちも地域づくりの柱のひとつとして考えていましたが、加藤さんはこれを誰よりも大切にしていました。」


地域の自然を守ることが、信越トレイルの理念およびガイドラインとして徹底されている。

高野:「このガイドラインは憲法みたいなものなので、これを逸脱することは絶対にやりませんということ。たとえば私たちをはじめ観光に携わる人は、少しでも早く来訪者を増やしたいと考えて拙速に事を進めがちです。でも、システムが整う前にやるのはダメだ・・・といったように、ストップをかけるのが加藤さんでもありました。

また県境や市町村の境は人間が勝手に決めたもの。自然を守るという取り組みにしても、市町村ごとに異なる。それは本当に自然にとっていいことなのかはわからない。だから、山全体で自然を見ていくべきだと常々仰っていたのも加藤さんです。」


本場アメリカでの現地視察と管理団体『信越トレイルクラブ』の発足。


2003年には、加藤氏の先導のもとアパラチアン・トレイル(AT)の視察にも行き、アメリカ政府の機関やNPOから話を聞いた。実際に整備作業にも携わった。

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アメリカのロングトレイル『アパラチアン・トレイル』の視察風景。現地のボランティアスタッフと共にメンテナンス作業にも携わった。

ATは1968年にナショナル・トレイルの第1号に指定された歴史を持つロングトレイルである。3,500kmもの長さがあるこのトレイルは、管理者は国(国立公園局)であるが、民間との連携の仕組みがすばらしく、整備・維持は主に民間のボランティアによって行なわれ、それにより何十年も守られつづけてきた。

ロングトレイルをただの誘客で終わらせてはいけない、一過性のものでは意味がない。ATのように何十年というスパンで地域に根ざしたものにしていくことが重要である。このことを視察にいったメンバーは再認識し、また国との連携がなければ絶対にうまくいかないということも確信した。またATとは規模は違えども、信越トレイルをつくるには複数の県や市町村がお互いに連携をしていくことも欠かせない。このようなことを実現するためには、責任ある管理団体も必要になる。そう考え、2003年秋には『信越トレイルクラブ』が発足した。

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『アパラチアン・トレイル』の視察では、アメリカ政府の機関やNPOから直に話を聞き、ロングトレイルの維持の仕組みや、そのフィロソフィーを学んだ。


日本で初めて国とNPOが協定を結んだ先進事例。


2004年10月には、信越トレイルクラブと林野庁中部森林管理局北信森林管理署、関東森林管理局上越森林管理署が、ルート整備・維持などで協力する協定を締結。全国で初めて国とNPOが協定を結んだ瞬間でもあった。

高野:「トレイルづくりにおいて、計画段階から国の方々もポジティブで協力的だったのが幸いでしたね。通常、整備においてはいちいち許可申請をしてそれがおりてから入るという流れ。でも協定を結ぶことで、シーズン中の整備期間と内容等の計画を最初に申請すればスムーズに作業を行なえるようになったのです。これがトレイル整備をより加速させることになりました。」

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北信・上越森林管理署と協定を締結。

また『なべくら高原・森の家』設立時に小山氏が声をかけた前支配人の木村宏(きむらひろし)氏(現・信越トレイルクラブ代表理事)の存在も欠かせなかったと高野氏は語る。

高野:「彼は、リゾート開発会社を経て斑尾高原でペンション経営をしていたので、確固たるサービス哲学があるんです。道標が少しでも傾いていれば厳しく指摘するんですね。トレイルは『商品』。人に歩いていただくことは『サービス』として、品質管理を徹底していましたね。お客さまに対してどう向き合うか、来られた方に楽しんでもらい幸せになって帰ってもらうにはどうしたらいいかを考えているのです。このスタンスは、ガイドの養成においてもとても役に立っています。」

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信越トレイルという商品のクオリティに誰よりもこだわりを持っていた木村宏氏。信越トレイル誕生の立役者のひとり。

木村氏はIターンで飯山の斑尾高原に移住した人であり、だからこそ地域の魅力に敏感に気づく「外部の視点」を持っていた。彼だからこそ、外部の視点から見た、地元の人が気づきづらい地域の魅力を、高い品質の「サービス」で届けていくことができたのだ。


一番の苦労は地元住民に、トレイルの価値を理解してもらうこと。


当然ながら、日本に馴染みのないロングトレイルをつくるにあたっては、地元の人々にさまざまな懸念や心配もあった。

高野:「いちばん苦労したのは、地元の方々に理解していただくことですね。当時、トレイルに隣接する集落は90以上。そのすべての長宛にアンケートを渡して、トレイルをつくるにあたって懸念することは何か?田んぼや畑も近いのでし尿問題など気になることはあるか?水源はどこか?といったことを聞きました。

さらに、エリアごとに夜な夜な説明会を開いて、話をして。そしたら、山が荒れたらどうするんだ?山菜が採られたらどうする?ゴミも捨てていくのでは?など、シビアな意見がたくさんでてきました。」

さすがに懸念点すべてを解消することは難しい。信越トレイルクラブの事務局は、解消のための努力を約束しつつ、トレイルをつくることによるメリットを丁寧かつ根気強く説明した。信越トレイルができることによって、これまで訪れなかった人々が足を運んでくれ、トレイルだけではなくこの地域にも注目してくれるようになり、それが地域の活性化にもつながる。

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熱意を持って開催しつづけた地域住民に対する説明会。対話を積み重ねることで信頼関係を築いた。

高野:「毎回、説明会は1時間半くらいで終わって、じゃあ飲むか!となる。そうなると話が進むんです。お父さん方も『オマエ知ってるか?あの山の上にはこんな湧き水が流れていてなあ』と笑顔で話してくれたりして。昔はみんな山に入っていたから、実際のところ、そこに興味を持ってくれる人が出てくるのは嬉しいんです。ひとしきり語り合って、最終的には、じゃあ一緒にやるか!となるんです。その繰り返しでしたね。」

この住民説明を1年間かけて丁寧につづけた。その後、トレイルづくりを実現にこぎつけ、地域の人に整備を手伝ってもらうようになったある日、心から幸せを感じた瞬間があったという。

高野:「整備に入ったときのことなんですけど。峠を挟んで住んでいる方々が、昼ごはんを食べながらこう話していたんです。『こんな機会でもなかったら、お互いこれほど近くに住んでいても一生会わなかっただろうな』。これは本当に嬉しかったですね。そうなんです、これが大事なんです。こういった交流が目的でもあるんです。」

地域の経済活動に貢献することは重要だが、それだけではないと高野さんは言う。たとえば、信越トレイルができたことで、地元の学校の生徒や家族も足を運ぶようになってきているのだ。

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道標の設置をするボランティア。現在も、年間400名ほどのスタッフが整備に携わっている。

高野:「今後、オレは大学は県外に行くけど近い将来は飯山に戻ってくる!という人が増えれば地域のためにもなるじゃないですか。地域にとっては人という資源がいちばん大事ですから、その一助になればと思っています。また県外から訪れた人が、いい所ですね!素晴らしい環境に住んでますね!と言って評価してくれたら、誇りも生まれてきます。それは『価値の逆輸入』だと思っていて、そういうことも非常に大切だと考えています。」


8年の歳月をかけて完成したトレイル。


こうして2000〜2008年まで8年の歳月を経て、ようやく信越トレイルが完成したのである。2008年の全線開通以来、歩く人の数は着実に伸びている。今では年約3万5,000人が訪れるトレイルとなった。

高野:「ロングトレイルを歩くことを、いちアウトドアアクティビティとして紹介するのではなく、歩く文化としてどう浸透させるかを考えることが大事です。それが地域活性においても重要になるわけなんですが、そこに注力しているトレイルは少ないように思います。」

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その後に続く日本各地のロングトレイルのひな形となった信越トレイル。

いかに地元に根ざしたロングトレイルをつくり、そして長期スパンで維持管理をつづけていくか。この答えを持たずして、ロングトレイルをつくることは難しい。信越トレイルが成功している理由は、そこにある。確固たる理念と信念を持ってスタートし、それを今もなお徹底しているからである。さらに言えば、スタート前に、元飯山市長の小山氏を中心とした方々が、長年にわたり自然利用や地域づくりの基盤を構築していたからなのである。ロングトレイルありきではなく、その地域の魅力は何なのかを掘り下げること。それが重要なのだ。

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信越トレイル・ストーリーズ

本稿は信越トレイルHP(ホームページ)の全面リニューアル(2020年3月)にともない、HP内の特集記事として企画された「信越トレイル・ストーリーズ」という記事シリーズのために制作された。「信越トレイル・ストーリーズ」では信越トレイルが他にはない魅力を持つトレイルとなった背景が、加藤則芳氏が込めた理念、トレイル誕生秘話、地域の人々の思いなどを通して語られていく。長年、信越トレイルを取材してきたTRAILS編集部が監修/制作を担当。

  

— Contents —

#01 加藤則芳スペシャルインタビュー

#02 ロングトレイルのつくり方

#03 ボランティアがトレイルを守りつづける

#04 地域の人々がつくるロングトレイル

#05 加藤則芳のあゆみ

#06 信越トレイル延伸

  

信越トレイルHP http://www.s-trail.net/

※TRAILS webmagazineでも#02〜#06のコンテンツを公開。

 

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佐井聡(1979生)/和沙(1977生)
学生時代にバックパッカーとして旅をしていた2人が、2008年にウルトラライトハイキングというスタイルに出会い、旅する場所をトレイルに移していく。そして、2010年にアメリカのジョン・ミューア・トレイル、2011年にタスマニア島のオーバーランド・トラックなど、海外トレイルでの旅を通してトレイルにまつわるカルチャーへの関心が高まっていく。2013年、トレイルカルチャーにフォーカスしたメディアがなかったことをきっかけに、世界中のトレイルカルチャーを発信するウェブマガジン「TRAILS」をスタートさせた。

小川竜太(1980生)
国内外のトレイルを夫婦二人で歩き、そのハイキングムービーをTRAIL MOVIE WORKSとして発信。それと同時にTRAILSでもフィルマーとしてMovie制作に携わっていた。2015年末のTRAILS CARAVAN(ニュージーランドのロング・トリップ)から、TRAILSの正式クルーとしてジョイン。これまで旅してきたトレイルは、スイス、ニュージーランド、香港などの海外トレイル。日本でも信越トレイル、北根室ランチウェイ、国東半島峯道ロングトレイルなどのロング・ディスタンス・トレイルを歩いてきた。

[about TRAILS ]
TRAILS は、トレイルで遊ぶことに魅せられた人々の集まりです。トレイルに通い詰めるハイカーやランナーたち、エキサイティングなアウトドアショップやギアメーカーたちなど、最前線でトレイルシーンをひっぱるTRAILSたちが執筆、参画する日本初のトレイルカルチャーウェブマガジンです。有名無名を問わず世界中のTRAILSたちと編集部がコンタクトをとり、旅のモチベーションとなるトリップレポートやヒントとなるギアレビューなど、本当におもしろくて役に立つ情報を独自の切り口で発信していきます!

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