FISHING ESSAY

フライフィッシング雑記 田中啓一 #01 消える道具

2022.12.16
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文・イラスト・写真:田中啓一

What’s 『フライフィッシング雑記』 | フライフィッシャーであり、ハイカーであり、ファッションデザイナーである田中啓一さんによる、フライフィッシングにまつわるエッセイ。フライフィッシングは美しく、格調高く、ワイルドで、創意工夫の奥深さがあり、TRAILS読者とは親和性の高い個性あふれる遊びだと思う。釣り人はもちろん、釣りをしたことがない人も、田中さんが綴る魅惑的な言葉に運ばれて、フライフィッシングの深淵なる世界へ旅だっていただきたい。

消える道具

「田中さんて、釣具に拘りませんよね」

とある時A君が言った。いや、かなり拘ってるし、と反論しようと思ったが、よく考えてみたら、その時に使っていた釣具は10年、ともすれば20年以上前に買ったものばかりだった。買った時は、拘り抜いた選択だったのだが、それ以降、必要のない竿やリールは買っていなかった。

つまり釣具をコレクションしようという気がなかったわけだ。では私にコレクション癖がないかと言えば、大いにある。子供の頃は切手集め、大人になってからはクラシックカメラのコレクションにハマっていた時期があった。

しかし写真を撮る際に「今オレはライカ (※1) を使っているんだ」というような誇らしい気持ちになったことは一度もない。その時は被写体に集中していて、そんな雑念が入る隙間は無かった。

釣りの時もそうだ。ハーディー (※2) のパラコナトラウトというバンブーロッド (※3) を振っていても 「今オレはイギリス皇室御用達の釣竿で釣りをしているんだ」 などという興奮を覚えたことはなかった。釣り場で竿を眺めるのは、せいぜい釣った魚と一緒に写真を撮る時くらいのものだ。

フライフィッシングに限らず、多くの釣りは常に集中を余儀なくさせられる。悠長に道具を眺めて悦に入っている暇はない。道具は、それが手に馴染めば馴染むほど、その存在は意識されなくなる。優れた道具とはそういうものだと気づいたのは、釣りを始めてかなりの年月が経ってからだ。

釣具は乱暴には扱わないが、必要以上に丁寧にも扱わない。時にはぶん投げる時もある。当然ブランク (※4) には傷が付くし、リールも岩に擦れて傷だらけだ。実際何本も竿を折った。そう言えば、ハーディーのフェザーウエイトというリールは傷が付けば付くほど、塗装が剥げるほどに風格が増してくる逸品だ。オービス (※5) のCFOシリーズもそうだ。

最近のハイテクな雰囲気のキラキラしたリールはどうなんだろう。果たして使えば使うほど風格が出てくるのだろうか。甚だ疑問である。

読者の中には、ああ、ダメージジーンズみたいなものか、と思った人もいるだろう。正しくもあり、間違いでもある。

「ダメージジーンズ」と名付けた時点で途端に無粋に堕ちるのだ。ましてや、わざと膝に穴を開けたり、シワの跡をそれらしく加工したものなど論外である。

色の抜けたジーンズはもちろん美しい。それには理由がある。デニム生地の経糸 (たていと) は芯まで染まっていないのだ。もともと作業服なので丁寧な染色は不要だったのだろう。緯糸 (よこいと) には生成りの糸を使う。

だから、新しいうちは濃紺でも、褪色したり、表に多く出ている経糸が擦れて芯の白い 色が顔を出したりして、また緯糸の生成りも相まって、古びた良い味わいを醸し出す。

しかしそれをわざとやっちゃあダメなんだ。だから私はジーンズは新品しか買わない。そして洗いたくなった時に洗う。もちろん、もう作っていないもので、どうしても欲しいものがあれば古着を買うが、極めて例外的だ。何年も着込んでいるうちに、気がついたら随分と色が抜けてきたな、というのが良いのである。

実家に古いトンカチがあった。昔、親か祖父が買った安物のトンカチだろうが、木製の柄が長年の使用で焦げ茶色になり尻の方は丸く角が取れて艶々と光っていた。

似たような古びかたをする木製の道具がある。バイオリンだ。

ストラディバリウスという名器の名前は誰もが一度は聞いたことがあるだろう。それと双璧を成すのがグァルネリ・デル・ジェスだ。どちらも 17世紀から18世紀にイタリアで作られた楽器だ。この二大巨塔に限らず、オールド及びモダンと分類されるうちの20世紀より前に作られたバイオリンは、独特の美しさを持っているものが多い。

楽器の角々が適度に丸くなり、ニスの経年変化で古色を纏う。奏者の手や肩に擦れた部分はニスが薄くなり、それが景色となる。大小様々な傷が数百年の間にこの楽器を弾いた多くの音楽家の存在を彷彿とさせる。こんなに美しい道具が他に存在するだろうか、と私は思う。

では実際にステージでそれを弾きながら、バイオリニストはどう思っているのだろう。おそらくは演奏に没頭していて「今私は数十億円のストラディバリウスを弾いているんだ」などという雑念は毛ほども出てこないはずだ。そんな人がもしいたら偽物だ。

優れた道具はとても美しい。ただ人がそれを使う時、その存在は意識されなくなる。
消えるのだ。


 
※1 ライカ (Leica):19世紀に、Ernst Leitz I世が、ドイツで創業したカメラメーカー 35mmフィルムカメラの元祖。質実剛健、カメラの機能美の頂点に君臨する。と私は思っている。

※2 ハーディー (Hardy):19世紀、William HardyとJohn James Hardy兄弟が、イギリスで創業した老舗釣具メーカー。優れたフライロッドとフライリールを生産してきたが、フライリールは特に美しく、好事家の間ではコレクターズアイテムになっているほどである。

※3 バンブーロッド:竹の表面に近い強靭な繊維が集まった部分のみを、テーパーがついた正三角の断面を持ったスティックに削り出し、それを6本貼り合わせて作った釣竿。フライロッドの場合は、それに糸を通す ガイドとコルク製のグリップを取り付け、竿尻にはリールを固定するリールシートを装着する。竹特有のしなやかさと反発力を兼ね備え、且つとても美しい釣竿である。

※4 ブランク:釣竿の本体部分のこと。ブランクにリールシート、グリップ、ガイドがついてフライ竿になる。

※5 オービス (Orvis):19世紀にCharles F. Orvisがアメリカに創業した老舗釣具メーカー。インプレグネイテッドという、竹の繊維に樹脂を浸含させて強度を持たせたバンブーロッドで一世を風靡した。リールもとても美しく機能的だが、一説では、イギリスのハーディーのOEMだと言われている。

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WRITER
田中啓一

田中啓一

東京生まれ。ファッションデザイナー、大学非常勤講師。入間川や相模川のオイカワ釣りで釣りに目覚め、10代後半でルアーフィッシングと出会い、ほどなくフライフィッシングにはまる。日光の湯川をはじめ、国内の渓流や湖にヤマメ、イワナ、各種鱒 (トラウト) を追い求める。ニュージーランド、パタゴニアなど、海外での釣行の旅もしている。シーバス、タナゴ、マブナ、クロダイ、ハゼなど、幅広く釣りを楽しむ。2000年代よりULギアに関心を持ち、MYOGで釣り用のシャツやパンツ、アルコールストーブ、ペグケースなどの自作も嗜む。ULギアは、主に釣り泊の道具として使用している。

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