BRAND STORY

国産カスタム・フライロッドのパイオニア MACKY’S CREEK(マッキーズ・クリーク) – その4 <証言録> 「MACKY’S CREEK」という場所

2022.10.21
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文・構成:TRAILS 写真:宮坂雅木、柴田哲也、山田貴志、冨岡和陽、TRAILS

What’s BRAND STORY?/ 優れた製品を開発するメーカーには、それを実現させるだけの「他にはない何か」があるはず。でも普段の僕らは、つい新製品ばかりに注目しがちです。そこでBRAND STORYでは、編集部がリスペクトするあのメーカーの「他にはない何か」を自分たちの目で確認し、紹介したいと思っています。

Why MACKY’S CREEK?/ 1980年創業のMACKY’S CREEK (マッキーズ・クリーク ※1)。オーナーは、「マッキーさん」の愛称で親しまれている宮坂雅木 (みやさか まさき) 氏。フライフィッシャーの間では、言わずと知れた国産カスタム・フライロッドのパイオニアである。そんなマッキーズ・クリークが、2022年8月31年、42年の歴史に幕を下ろした。「MACKY’S CREEK」という場、およびマッキーさんが作り出したカスタム・フライロッドの製品シリーズ「ARTIST」が日本のフライフィッシングシーンに与えた影響とは。

*   *   *

マッキーズ・クリークの足跡を辿りなおし、その生い立ちから独自性、存在意義までを紐解いていく今回のBRAND STORY。本来は1ブランド1記事が原則だが、今回は日本のフライフィッシングシーンにおける歴史的とも言える瞬間にTRAILS読者のみなさんにも立ち会っていただきたく、全6回にわたる特別企画としてお届けする。

今回の「その4」は、関係者の<証言録>の第2回。MACKY’S CREEKという場所 (お店・工房) の特殊性について、その深層に迫る座談会である。

※1 マッキーズ・クリーク:後に名称をマッキーズに変更しているが、マッキーさんと相談の上、今回のBRAND STORYではTRAILS編集部からのリスペクトを込めて創業当時から使用していたマッキーズ・クリークという名称を使用している。


マッキーズ・クリークの外観。

座談会のメンバー紹介

今回集まっていただいたのは、マッキーズ・クリークのことをよく知る常連さん5名と、マッキーさんと創業前から親交があり、その後、創業と同時にマッキーさんとはロッド・ビルディング (※2) からマッキーズ・クリークの製品広告まで、幅広くマッキーさんと制作をともにしてきた柴田哲也さんの計6名。

みなさん、フライフィッシングをこよなく愛する方々であり、且つ、マッキーズ・クリークという場、およびマッキーさんが作り出したカスタム・フライロッドの製品シリーズである、ARTISTに特別な愛着を持つ方々である。そして、今回はスペシャルゲストとしてマッキーさんご本人にもお越しいただき、またとない特別な場となった。

※2 ロッド・ビルディング:自分の釣りのスタイルや好みに合わせて、ロッド(竿) のパーツやマテリアルから調達し、自らの要望に合わせて、自分仕様のロッドを、自らで(またはロッド・ビルダーに依頼して)組み上げていくこと。(詳細は以下の記事を参照: 国産カスタム・フライロッドのパイオニア MACKY’S CREEK(マッキーズ・クリーク) – その2 「MACKY’S CREEK」と「ARTIST」https://thetrailsmag.com/archives/59272

マッキーズ・クリークと出会ったきっかけ。

—— まずは、みなさんが、どういうきっかけでマッキーズ・クリークに行くようになったかを教えてください。柴田さんは、マッキーズ・クリーク創業の前から、マッキーさんとはお知り合いだったんですよね?

 

柴田哲也さんは、マッキーズ・クリークの創業前から、マッキーさんと親交が深かった。

柴田哲也 (以下、柴田):フォトグラファー時代に所属していた事務所を辞めて、どうしようかっていうときに、マッキーさんが声をかけてくれたんです。ウチの事務所を使っていいよ、と。それで写真機材やらなんやら置かせてもらって、そこで仕事をして。すごく助けてもらいました。

山田貴志 (以下、山田):一緒に始めたようなもんでしょ?

柴田:マッキーさんが、突然、店をやる! って言い出して (笑)。僕も、じゃあここは使えないから自宅でやるしかないなと。いろいろ手伝ったりはしていましたね。


今井泰行さんは、遊びに行ける面白い釣り具屋さんを求めていたタイミングで、マッキーズ・クリークを知った。

今井泰行 (以下、今井泰):ちゃんと覚えてないけど、釣り雑誌にマッキーズ・クリークが載っていて行ってみたんですよね。オープンして1年経ったか経たないかくらいだった気がします。

山田:私は、もともと京橋のつるやに行ってたんだけど、移転して遊びに行くところなくなってしまって。近くにロッドを作っている店があると聞いて、それがマッキーズ・クリークでした。当時私は、ルアーをメインでやっていたので、ルアーロッドを作ってもらうために行きました。


田中啓一さんは、マッキーズ・クリークの創業直後に訪れて、すぐさま通い詰めるようになった。

田中啓一 (以下、田中):私は、オープンしてすぐでしたね。アウトドア関係の知り合いが新富町に面白い店ができたって言って、連れていってくれたのがマッキーズ・クリークでした。

今井武人 (以下、今井武):友人が新富町に住んでいて、うちの近所に変な釣り道具屋があるんだけど、一緒に行かないか? って言われて行ったのがきっかけです (笑)。1983年か84年くらいかな。


冨岡和陽さんは、他のメンバーと比べるとマッキーズ・クリークに通い出すのは遅かったものの、訪れる頻度と過ごした時間は、誰よりも多かった。

冨岡和陽 (以下、冨岡):私は、養沢毛鉤専用釣場のスクールに参加したときに、マッキーズ・クリークを紹介してもらって行きました。2004年か2005年ですね。みなさんよりもずっと遅いタイミングです。

店に工房が併設され、ロッド・ビルディングができ、そのやり方も教えてくれる。

—— マッキーズ・クリークは、もともとフィッシャーマンズワークショップと謳っていて、店内に工房も併設されていました。お客さん自らロッド・ビルディングができるし、そのやり方も教えていました。このスタイル自体がとてもユニークですよね。しかもタダで貸して教えてくれるという……驚きでしかないです。

 

今井武人さんは、マッキーズ・クリークの工房で、よくロッド・ビルディングを行なっていたお客さんのひとり。

今井武:あらためてそう言われると、全部タダで使っていた自分がひどい人間のような気もしてきますが (笑)、当時はそれが当たり前というか、そういう感覚でしたね。

田中:みんな、20代前半くらいで若かったですから。そこでパーツを買って、マッキーさんに「作っていいよ」って言われたら、やったー! くらいの感じですよ。


山田貴志さんは、マッキーさんがロッドの作り方まで教えてくれることに驚いたという。

山田:ブランクとかパーツを売っているところはいくつもあったんですよね。でも、作り方まで教えてくれてたのは、マッキーさんだけでしょ。もしかしたら、他の店の人はそこまで知らなかったのかもしれない。

今井武:たしかに、マッキーさんみたいにすごく細かいところまで知ってるって感じじゃなかったですね。グリップは完成品を売っていましたし。マッキーさんみたいに、削って自分の好きなカタチにするとか、そういうスタイルではなかったです。

—— ロッド・ビルディングができ、そのやり方まで教えてくれるというのは、マッキーズ・クリークというお店のあきらかな特徴ですね。しかも、まだ当時、新しいものであったカスタム・フライロッドというものが、作り方のノウハウが開示され、実践できるのは、モノづくりの空間として素晴らしいですね。

 

 
田中:当時、工房で作らせてくれるお店はマッキーさんのとこだけでしたね。そんな店は他になかったですし、まずお店自体がサロンなんですよ、それがやっぱり一番ですよね。

—— なるほど、マッキーズ・クリークは、ただ工房を併設するだけでなく、人と情報が行き交うサロンのような場であり、コミュニティだったのですね。

部室のように、カジュアルで自由なコミュニティ。

—— サロンというワードが出てきました。ロッドを作れる、作り方を教えてくれるだけでもユニークなわけですけれど、それ以上にサロンであることがすごいと。

 
冨岡:サロンっていうかっこいい言い方じゃなくて、私は部室って呼んでました。

今井武:マッキーさんが部室だと思っていいよって言ってたんで。

冨岡:部室感覚で、ずーっと入り浸っていました。コーヒーを飲んだり、お客さんが釣行先から買ってきたお土産のお菓子をいただいたり。


ロッド・ビルディングができる工房が併設されている、マッキーズ・クリークの店内。

—— 店主が部室だと思っていいと言っても、居心地が良くないと入り浸ることはないですよね。それだけ楽しい空間だったと。どこがそんなに良かったのですか。

 
山田:入り浸っていても、マッキーさんは自分の仕事が始まったら、誰の相手もしないですから。来た連中がそこで勝手に遊んでるんです。

今井武:私なんか、お客さんが来たときに接客もしましたからね。商品説明したり。


 
山田:ロッドも売りましたからね。柴ちゃんがこれは扱いにくいから……って言ってたのを、ダメだよ、いいから売っちゃいなよって言って、お客さんにこれあってると思いますよ! と (笑)。

今井武:こういうプロショップって、良くも悪くも怖い店員さんがいて、入っちゃいけない雰囲気があって。でもマッキーズ・クリークはそうじゃない。


マッキーズ・クリークは、創業以来、何度か移転している。ここは茗荷谷の最後の店舗。

—— でも、初めて行った時は緊張しましたね。正直、このドア開けてもいいのかな? いきなり入って怒られたりしないかな? と。勇気を出して入ってみたら、マッキーさんに「どうぞ座ってください」って言われて、それで2時間くらいお話しさせていただきました。

 

 
冨岡:私も最初は緊張しましたよ。たぶん柴田さんもいらっしゃったときだと思うんですけど、なんかお店のようでお店じゃないような。店の前をうろちょろしながら、入ろうかな、どうしようかなと。

それで入ってみたら、座ってくださいとは言われなかったですけど、フライをやってみたいと言ったら、「適当にそのへんの竿を振ってみなさい」って言われて。私はまったくやったことがなかったので教えてもらおうと思ってたんですけど、「振ってみて一番いいやつがいいんだよ」って言われて。それで、とりあえずじゃあこれでっていう感じでスタートしたので、最初の1本目からマッキーさんのロッドなんです。

—— マッキーさんの人柄だと思いますが、釣りに限らず、みなさんといろんな話をしていたと思います。それが部室という表現にもつながっている気がするんですが、たとえばどんな話とかしましたか。

 
山田:たくさんあるんだけど、言えない話ばっかり (笑)。あとは、まあ当時は自分の仕事がキツかったから、マッキーさんと話していると、なんとなく気が晴れるんですよ。


 
今井武:マッキーさんとはいろいろ喋りましたね。あまりここで披露するような話でもないですけど、老いることはどういうことなのかとか (笑)。べつに哲学的な話じゃなくて。いろいろ個人的なことで話をしたら、「歳をとるとこういう現象になるんだよ」なんて言われて、そうなのかーと思ったり。

山田:ヘソから下の話ですよ (笑)。


 
今井武:あと、今のように世間でワークバランスとか言い出される前ですが、突然「オレは金持ちになるのはやめた。時間持ちになるんだ」って言われて、私もべつにガツガツ働いていたわけじゃないけど、金を稼ぐことが全てではないという考えを肯定されたようでうれしかった覚えがあります。まあそれで嫁さんには白い目でみられるわけだけど (笑)。

田中:当時マッキーズ・クリークは閉店時間っていうのが特になくて。だから常連の人たちは、コーヒー飲みながらずーっとだべってたんですよ。僕もクルマで仕事終わってから行くことが多かったので、夜中までいて。

それでマッキーさんも終電なくなって、家まで送っていったり。そういうのはよくありましたね。何話したかはぜんぜん覚えてないですね (笑)。

なによりフライフィッシングの仲間であるということ。

—— 最後に、マッキーズ・クリークおよびマッキーさんとの思い出のエピソードを、教えてください。

 
山田:60歳の還暦になると、みんなで赤いベストを送り合うっていうのがあって。毎回マッキーさんが手書きで、デザインを描いてくれるんです。この還暦ベストは、もう7つくらい作っています。もらった人は、本当はワンシーズン着なきゃいけないのに、みんな1回ぐらいしか着ないんです。


60歳の還暦の時にプレゼントされる、赤色のベスト。

今井武:柴ちゃんがね、これ着て行ったら釣れないっていうから (笑)。

柴田:僕はね、釣りが下手なんですよ。

山田:いや、でもしつこいんだ。一度出たらね、じーっと1時間でも2時間でも待ってる (笑)。

—— マッキーさん、山田さん、冨岡さんの3人は、毎年北海道に釣行に行っていると聞きました。

 
冨岡:マッキーさんに、北海道にはよく連れてっていただきました。北海道の知り合いから、今年はあの川がいいらしいよ、とか情報もらったりして、もう頭の中は妄想でいっぱい。おそらく3人のなかで一番妄想が膨らんでるので、現場についたら、クルマのキーを置いて、あとは閉めておいて! と言って先に釣りに行くんです。「オイ、キーを置いてくのかよ」みたいな感じで、他の2人は怒ってると思います。


釣行の写真。マッキーさんと常連さんで釣りに行くことも多かった。左から、冨岡さん、マッキーさん、山田さん。

山田:はじめのうちはね、ぜーんぶちゃんとやってくれたの。

全員:

山田:僕は靴を履かないで、オールインワンのウェーダーにするから、クルマを出たらすぐに川に向かって最初に入れるんですよ。最初の1発目は絶対釣れる。冨ちゃんはそれを覚えたら、もう全然2人を見てない。

冨岡:人生の先輩ですけど、釣りは上下関係がないですから。

柴田:マッキーさんだって、若い頃は、クルマが止まった途端に歩き出していたからね。あれーって思ったけど、クルマの中でもう履いてんだもん。竿も繋げてね。ラインも通して。クルマを停めて、ここから入りますって言った途端に、一人でスイスイ行っちゃうんですから。


 
今井泰:私はマッキーさんと銀山湖に行きました。関越がまだ東松山までしか通ってなくて、今に比べてかなり時間をかけて行きました。マッキーさんって、聞き上手であり、話上手だから、すごくいろいろ話をしたと思うんですけど、何を話したかはあまり覚えていなくて。でも、開高健さんとのエピソードはすごく面白かったですね。

マッキーさん:今井さんはね、能の家元のご子息なのよ。

今井泰:いや家元ではないんですよ。そういえば、家にも遊びにきてくれましたよね。

マッキーさん:家に松の絵が描かれたひのき舞台があるの。そこに酒を持っていって、4人くらいで飲んで。

冨岡:なんかいたずらしたんじゃないんですか?


 
マッキーさん:舞台に上がってさ。もう打首ものよ (笑)。

全員:

冨岡:絶対なんかやってそうだなぁ。

マッキー:神聖な舞台なのに、酔っ払い4人が。その写真があるよね。


 
田中:お母さんが関西風のおでんを振る舞ってくれて。それがすごく美味かったの。

今井泰:よく覚えてるね。

マッキーさん:最初に今井さんが店に来て話したときは、なんでこの人は大きな声なんだろうって。

全員:

冨岡:職業柄ですね。

今井泰:通る声って言ってください (笑)。


 

マッキーズ・クリークは、ただモノを売るだけの店ではなく、当時あたらしい分野であったフライロッドのロッド・ビルディングの技術を研鑽する工房であり、部室のようにフライフィッシャーが集まり、ロッド・ビルディングのノウハウがオープンにやりとりされるコミュニティの場でもあった。

この場づくりの自由さが、フライフィッシング・シーンにおいて新しいものが生み出された背景にあったことは重要なポイントである。またマッキーズ・クリークという場(お店・工房)は、後に登場する新たな国産フライロッド・メーカーが誕生する土壌さえもつくっていくことになる。

次回の記事では、そんな土壌から誕生した多くの国産フライロッド・メーカーの中から、特にマッキーズ・クリークと関係が深いフライロッド・メーカーであるカムパネラの石川寛樹さんによる証言録をお届けする。フライロッド・メーカーの視点から、マッキーズ・クリークがフライフィッシングのシーンに残した影響とは何かに迫っていく。

<国産カスタム・フライロッドのパイオニア MACKY’S CREEK(マッキーズ・クリーク)>

その1 フライフィッシングの歴史 〜 「MACKY’S CREEK」誕生前夜

その2 「MACKY’S CREEK」と「ARTIST」

その3 <証言録>「ARTIST」というロッド(竿)

その4 <証言録>「MACKY’S CREEK」という場所

その5 <証言録> カムパネラ石川寛樹氏が語る「MACKY’S CREEK」

その6 <回顧録> 宮坂雅木氏が語る「MACKY’S CREEK」誕生秘話

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佐井聡(1979生)/和沙(1977生)
学生時代にバックパッカーとして旅をしていた2人が、2008年にウルトラライトハイキングというスタイルに出会い、旅する場所をトレイルに移していく。そして、2010年にアメリカのジョン・ミューア・トレイル、2011年にタスマニア島のオーバーランド・トラックなど、海外トレイルでの旅を通してトレイルにまつわるカルチャーへの関心が高まっていく。2013年、トレイルカルチャーにフォーカスしたメディアがなかったことをきっかけに、世界中のトレイルカルチャーを発信するウェブマガジン「TRAILS」をスタートさせた。

小川竜太(1980生)
国内外のトレイルを夫婦二人で歩き、そのハイキングムービーをTRAIL MOVIE WORKSとして発信。それと同時にTRAILSでもフィルマーとしてMovie制作に携わっていた。2015年末のTRAILS CARAVAN(ニュージーランドのロング・トリップ)から、TRAILSの正式クルーとしてジョイン。これまで旅してきたトレイルは、スイス、ニュージーランド、香港などの海外トレイル。日本でも信越トレイル、北根室ランチウェイ、国東半島峯道ロングトレイルなどのロング・ディスタンス・トレイルを歩いてきた。

[about TRAILS ]
TRAILS は、トレイルで遊ぶことに魅せられた人々の集まりです。トレイルに通い詰めるハイカーやランナーたち、エキサイティングなアウトドアショップやギアメーカーたちなど、最前線でトレイルシーンをひっぱるTRAILSたちが執筆、参画する日本初のトレイルカルチャーウェブマガジンです。有名無名を問わず世界中のTRAILSたちと編集部がコンタクトをとり、旅のモチベーションとなるトリップレポートやヒントとなるギアレビューなど、本当におもしろくて役に立つ情報を独自の切り口で発信していきます!

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