ザ・ロングトレイルのスルーハイキングレポート(その2)| by 河西祐史 a.k.a. Wonderer #08
文・写真:河西祐史 構成:TRAILS
クレイジーなまでにアメリカのロングトレイルを歩きまくっている日本人ロング・ディスタンス・ハイカー、河西祐史 a.k.a. Wonderer (ワンダラー)。自分が行きたいと思うアメリカのトレイルをまとめた『おもしろそうリスト』は、つねにパンパン。そのくせ歩きに行くと、トレイルそっちのけでガンガン寄り道をしてアメリカを遊び倒してしまう型にハマらないハイキングスタイルが、僕たち好み。そんな河西さんによる、This is Americaなハイキング・レポート。
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河西さんほどアメリカのトレイルを歩いている現役日本人ハイカーはいないだろう。そんな彼による、ロングトレイル (LT ※1) のスルーハイキングレポート第2回目。
LTは、アメリカで一番古いロング・ディスタンス・トレイルとして知られており、アパラチアン・トレイル (AT) を作るにあたって、そのモデルになったトレイルでもある。まさにアメリカのロング・ディスタンス・トレイルの源流ともいえるトレイルだ。
前回は、LTとアパラチアン・トレイル (AT) が重なる地点で、2010年のATの旅を思い出しながら「ATよ、オレは帰ってきたぞ」とアガっていた河西さん。
ガス缶が調達できない、ローカルバスに乗れない、シェルターがないといった、ハプニング続きのスタートであったが、徐々に旅のペースをつかんでいく。
その後のLTのスルーハイキングは、どのように進んでいくのか。第2回のレポートをお楽しみください。
雨、そして渡渉。秋の冷たい川に膝まで浸かる。
ベニントン (※2) は感じのいい街だった。次の街を調べると、バスでこのベニントンと行き来できるようだ。そして、次の街には安い宿はない。3日後に、またここに戻ってこようと決めた。
郵便局から少し先の街へバックアップの荷物を送り、なのに意外と重いまま (食料を買いすぎた) のバックパックを持ってチェックアウトに向かうと「送ってやるぞ」とホテルのスタッフが言う。この街にはトレイルヘッドで降ろしてくれるバス路線があるので、あえて頼んではいなかったのだが、せっかくなので甘えさせてもらう。
歩き始めて1時間ちょっと、道路から1.6mile (2.5km) でシェルターに着く。予報ではこれから雨で、どうするかなと思っていると、濡れるほどではないがぽつぽつときた。まだ午後イチだが、ここで泊まることにする。ずっとこのスタイルになってしまいそうだけど。
夜中は大雨になったが朝には止んだ。翌朝、岩も枯葉も濡れて足元が危なっかしいながらトレイルを進むと、前を行く若い男女のカップルがいた。体力はありそうなのだが、2人とも荷物が素晴らしく大きい。
男性が案内役で、女性のほうはハイク経験が少ないらしく、それでも楽しんで「何もかもビショビショね!」などと笑いながら進んでいる。そのうち「お先にどうぞ」と道を譲ってくれた。
追いつかれると気まずいからさっさと進むと川があった。これが増水で渡れない。上流、下流と水面に出ている岩を探すが、どうにも危なそうだ。あきらめて靴と靴下を脱いでいる間に2人に追いつかれた。
女性は「これは記念になるわ、信じられない! こんなことってあるの?」と大爆笑で靴を脱いでいた。自分はサンダルを持っていたのだが、彼らは裸足で冷たい水に踏み込んだのでもう大騒ぎだ。支えあいながら叫んだりふらついたりしてそれでも進む2人を見て、なんだかこっちも楽しくなって先へ進む。彼女がハイクを嫌いになることはなさそうだ。
うっかり土曜にシェルター泊となり、大騒ぎする若者の集団に遭遇。
道路から3日目、定員16人という大きなシェルターに着く。LTを保守整備するGMC (グリーン・マウンテン・クラブ) が直接管理するエリアで、夏から秋まではケアテイカー (管理人) が常駐し、1泊5ドルを支払う必要がある。
しかしもうシーズンオフで人はいない、支払いの必要もないと聞いていて、誰もいないのかと思って暗くなるまで歩いて行ったら、地元らしき若者が集団で大騒ぎしていた。うっかりしていたが土曜日だ。
隅っこのバンクベッド (木製のつくりつけ簡易ベッド) を使わせてもらう。一応挨拶したりしたのだが、あちらのあまりのハイテンションぶりに全くついていけない。こちらはこちらで夕食を済ませ、寝床に入ろうとするころには彼らも片づけを始め、21時には消灯して全員すぐ眠りに落ちた。すごい。
翌日、少しショートカットして早い時間に道路に出る。街に下りられるバスがあるとネットで見たからだが、結局来なかった。
後で聞いて回ったところ、そのバスはスキー客向けに昨年始まったばかりで夏場は走らないらしい。結局ヒッチで街に下り、さらにバスでベニントンに戻る。またハイカー・レートでゼロデイだ。なんだかちっとも進まない。
1年近くスルーハイクをしつづけている、とんでもないハイカーと出会う。
ショートカットのルートは急坂で下りだった。だから戻るのはキツい。ちょっと頑張って、薄暗くなるころに2階フロアがある大きめのシェルターに。
自分は1階の隅に陣取ったが、21時すぎくらいにヘッドランプを点けて一人のハイカーがやってきた。音に驚いて自分もライトを点けたが、向こうは挨拶もせず2階に上がって食事と寝床だ。
そのうち真っ暗になったが、なんだかゴーっと音がする。ストーブのガスが燃える音だ。何やってるんだ、と思っていたらいわゆる「ハッパ」の匂いがしてきた。そこでストーブの音は止まず、さらにヘンな匂いも……「ケミカル」かな。もしかして、ヤバい奴なんじゃなかろうか。オレ、このまま寝てて良いのかな?
心配しながらも寝てしまったが、翌朝挨拶してみたら普通に話せるハイカーだった。ただ、やってることは普通じゃなかった。彼はECT (イースタン・コンチネンタル・トレイル ※3) をスルー (スルーハイク) していて、もう少しでゴールだという。
つまりフロリダの先端、キーウエストから北上して、冬までにたどりつけなそうだったからマサチューセッツから「フリップ」(※4) してカナダのニューファンドランドへ行き、そこから南下してここまで来た。
歩き始めたのは「去年の11月だ」という。もうじき丸1年だ。とんでもないな。彼は南へ、自分は北へとシェルターを後にする。
ラトランドという街で、とあるコミュニティが運営している宿に泊まる。
スキー場を通り、針葉樹林帯を抜け、岩肌の上を歩き、小さな山頂を踏んで広葉樹に囲まれた川筋まで下る。低山に見られるありったけのバリエーションをこなして、夜はシェルターに泊まる。だんだんパターンができてきて、問題点もはっきりしてきた。
自分は頑張って1日に15mile (24km) とか歩くが、疲れてしまうのでゼロデイを取る。街に出る日、戻る日は当然距離が短くなる。だから平均すると大して進まない。もうしばらく、ATと共用している区間は「頑張って進む」路線で行くと方針を決めた。
出発から14日目、ラトランド (※5) という街に着いた。この街のことは、ちょっとどう書いたらいいのか悩む。
自分は道路に出て「手を挙げれば止まってくれる」ローカルバスに乗ったのだが、反対側から来たハイカーとバスの中で話し「よし一緒にホステル泊まろうぜ」と合意して街に下りたのだった。2人とも不安があったのだ。ラトランドには有名なハイカーの宿があるのだが、これは、とある “コミュニティ (共同体)” が運営しているのだ。
彼らはカフェ兼デリ、だから中で飲食できてテイクアウトもできるレストランのような店を経営しながら、集団で共同生活を送っている。
一般には宗教ととらえられていて、たまに事件を起こしてニュースになることもある。そういう、はっきり言ってしまうと「カルト」と呼ばれることもある彼らのたくさんの支部 (日本にもある) のうち、どういう経緯かラトランドのものは建物の一部をホステルとしてハイカーに開放しているのだった。
特に勧誘などはされないが、そもそも恐れて泊まらないハイカーも多い。自分はATを歩いた時に泊まっていて勝手が分かっていた。一緒に来たハイカーは「お前がいなきゃ泊まらなかったかな」と言っていた。詳細は省くが結局自分はちゃっかりゼロデイを取り、またバスでトレイルに戻る。
ATから離れて、より厳しい地形を歩いていく。
ここでLTとATが別れた。より地形が厳しくなる、と言われている。トレイルに戻って3日目、ちょっと試してみようと自分の限界だろう場所にキャンプするつもりで歩く。
16.5mile (26km) 歩いたが、やはり地形が厳しく最後はヘッドランプを点けてようやく目的のスキー場に着いた。ところが、アプリに「素晴らしいキャンプサイト!」などと投稿されていたそこは、山頂の平らな地面がすべて水浸しという悲惨な状況だった。
仕方なくスキーリフトの頂上あたりで平らな床に腰かけて夕食にし、そこらの森に分け入ってハンモックを吊る。降水確率0%なのに、夜半には雨が降る。朝、車で登れるスキーコースから日の出を見に来た若者たちがゾロゾロと近くを通り、いい見世物になってしまう。ハーイと笑顔で声をかけながらパッキング。
バスがあるはずの道路で、バスが来ないという事態にまたも遭遇。電話して聞いてみると、事前に申告しないとここまでバスは行かないという。またヒッチだ。奇跡的に上手くいき、少しトレイルから遠い大きな街ミドルベリー (※6) にすんなり出られた。
ちょうど天気が気持ちよく晴れてきて、よしもう一丁試そうと気合を入れ直す。大急ぎで食料とガスを買い、今度こそはとバス会社に電話してトレイルヘッドまで連れていくよう頼み (乗ってるときはドライバーに言うだけでいいよ、と軽い返事)、バスの時間まで図書館でモバイルを充電させてもらう。
滞在わずか5時間、その日のうちにトレイルに戻ることに成功した。悪運め、参ったか……いや、やってやったぜという高揚感はあるが、やっぱり街ではちゃんと休むか。疲れてしょうがない。
バーモント州で3番目に高い、キャメルズ・ハンプに登る。
標高が高いエリアで気温が低い予報になり、有名なスキーパトロールの宿泊所 (シーズン以外はハイカーに解放されている) に泊まることにする。
中は暖かく朝日も素晴らしい、という情報にうきうきしながら到着したら、ちょうど週末でまたもや若者の集団と一緒になってしまった。我ながら学習能力の低さにびっくりする。
出発前からチェックしていた難所が近づいてきた。「山というより巨大な岩の集まり」と言われるキャメルズ・ハンプ (※7) は、それでもバーモントで3番目に高い山だ。
登るのも大変だが、そこからトレイルは一気にLT最低標高の川まで下る。都合よく天気が晴れなので、朝露を避けて9時半に出発。岩肌が乾いた時間に高所を通過し、下りの途中で少し寄りづらい位置にあるシェルターに行くことにした。
計画通り安全に山頂を越えたが、下りが慎重すぎ暗くなってしまい、シェルターが見つけられず30分ほどサイドトレイルで迷う。
翌日は下り半分、川沿いのほぼフラットなトレイル半分で昼過ぎには街へ至る道路に出た。ヒッチして、歴史的な街並みの残るウォーターベリー (※8) へ。クタクタになったが、心配だった区間をこなして満足だ。あとはもうゆっくり行こう。
河西さんによる、アメリカで一番古いザ・ロングトレイルのスルーハイキングレポート (その2) は、川あり、岩あり、苔あり、山頂ありと、このトレイルならではの自然の豊かさが印象的だった。
河西さんも、ようやく歩くペースが掴めてきた様子である。いよいよスルーハイキングも終盤戦。
次回、最終回のスルーハイキングレポート(その3)は、1/20 (金) に公開予定です。
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