ザ・ロングトレイルのスルーハイキングレポート(その3)| by 河西祐史 a.k.a. Wonderer #09
文・写真:河西祐史 構成:TRAILS
クレイジーなまでにアメリカのロングトレイルを歩きまくっている日本人ロング・ディスタンス・ハイカー、河西祐史 a.k.a. Wonderer (ワンダラー)。自分が行きたいと思うアメリカのトレイルをまとめた『おもしろそうリスト』は、つねにパンパン。そのくせ歩きに行くと、トレイルそっちのけでガンガン寄り道をしてアメリカを遊び倒してしまう型にハマらないハイキングスタイルが、僕たち好み。そんな河西さんによる、This is Americaなハイキング・レポート。
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河西さんほどアメリカのトレイルを歩いている現役日本人ハイカーはいないだろう。そんな彼による、ロングトレイル (LT ※1) のスルーハイキングレポート第3回目 (最終回)。
LTは、アメリカで一番古いロング・ディスタンス・トレイルとして知られており、アパラチアン・トレイル (AT) を作るにあたって、そのモデルになったトレイルでもある。まさにアメリカのロング・ディスタンス・トレイルの源流ともいえるトレイルだ。
前回の記事で、LT最大の難所でもあるキャメルズ・ハンプ (バーモント州で3番目に標高の高い山) を越えた河西さん。
ウォーターベリーという街に降りて、「あとはもうゆっくり行こう」と心に決める。いよいよLTも残りわずか。どんなフィナーレを迎えるのか?
大好きなベン&ジェリーズのアイスクリーム工場に寄り道。
ウォーターベリーでは街の観光はさておき、郊外のアイスクリーム工場へ。自分はベン&ジェリーズのファンなのだ。30分ほどの短いツアーだが、限定のフレーバーを食べられたりして結構楽しかった。
上機嫌で宿に戻る途中、スーパーに寄って次の街までの食料を買い込み、外に出ると雨が降っていた。0%の予報だったのに!
今回、シェルターにとどまったり街でゼロデイを取ったりして、トレイルの雨はすべて回避している。まさかこんなところで……。
バックパック(空っぽにして持ってきた)に食料をぶち込んでレインカバーをかけ、レインジャケットを着て、暗くなったのでヘッドランプも装着して帰る。やることは街でも山でも変わらない。
ゼロデイを取らずにトレイルに戻る。このあたりからは1日に10mile (16km) 以上歩くことは避け、7〜8mile (11〜13km) おきにシェルターがあるので、そこに泊まる前提で進む。街に下りる日、トレイルに戻る日はハーフ・ゼロデイとするが、それでも7mileくらいは歩けるものだ。このほうがガンガン進んで街でゼロデイを取るより、体の負担が少ない気がする。
人混みを避けるべく頑張ってたどり着いたシェルターが、めちゃ混みだった。
バーモント州最高点のマウント・マンスフィールド (※2) へ。同じような高さの山が連なっていて、稜線からはあまりキツくもないだろうと思っていたらまあまあハードだった。なんなら、それぞれのピークがそれぞれハードだ。
高所にはシェルターではなく「ロッジ」と呼ばれる建物があり、ちょうど日本語にすると山小屋のようになっている。もういなかったが、夏場はケアテイカー (管理人) が常駐していて、ハイカーは5ドル払って泊まるようになっている。ラッキーなことに自分は独り占めで1泊できた。あとでGMC (グリーン・マウンテン・クラブ ※3) に寄付しよう。
街までの最後のピークはスキー場の頂上で、こぎれいなスキーパトロールの小屋が建っていた。丸太や無垢の木材ではなく、ペンキが塗られたモダンな小屋だ。ハイカーも使っていいようだが、ちょうど土曜日なのを思い出した。ここはまた、朝日を見に来る若者でいっぱいになるかもしれない。暗くなってしまうかもしれないが、少し先の小さくてクラシックなシェルターまで頑張って行こうと決める。
着いてみると読みが大ハズレで、こっちがめちゃめちゃ混んでいた。斜面にあってほとんど平たいスペースなどないが、シェルターのすぐ近くに大型のテントが無理矢理2基あり、シェルターの中にも寝床が作られている。
思わず笑ってしまいながら挨拶してみると、別々のグループが週末を過ごそうと下から登ってきて、ここでカチ合ってしまったらしい。テントは小さい子供連れの2家族 (と大型犬1頭)、シェルターのほうは2人組の中学生男子だった。
シェルターの中は「びっちり並んで6人」のサイズだった。少年たちと反対サイドに寝床を作らせてもらう。「ここって、水場は?」と聞いてみると、1人が「こっちだ、案内するよ!」と先導してくれる。あれがプリヴィ (トイレ) だ、ここがストリーム (水が流れている場所) だ、ちょいとトリッキーだが上のほうにボトルで水を受けられるところがある、ときびきび教えてくれる。
夕食後も彼らと少し話すが、なんというか野外でキャンプとかできちゃう自負にあふれていて……いっぱしの、というと失礼かもしれないが、大人みたいな口をきくのがほほえましい。
朝日を見にピークへ登るぞ、だから早起きしてあれをしてこれをして、暗いうちに……と寝袋に収まってからも2人で話し合っている。翌朝、ちょっと曇っていたが彼らはさっさとパッキングし、元気よく出発していった。
半分以上空いたシェルターにテントのちびっ子たちが上がってきて、今度は楽しいふれあいタイムになる。親たちが「彼はロングトレイルを歩いてるんだぞ!」とか「聞いてみましょう。ねえ、どのくらいの長さなの?」などと振ってくるので、こちらもスルーハイカー役としていろいろ語ってやる。
この子たちもそのうちボーイスカウトに参加したりして、中学に入るころには親公認で、友達と泊りがけのハイクに出かけたりするようになるのだろうか。
お目当の宿に泊まれず、偶然出会った男性に世話してもらう。
出発し、電波が入ったところでメールをチェック。今夜泊まりたい宿に昨日送っておいたメールに返信がない。電話してみるが留守電だ。あれれ、どうしたんだろう? 雨の予報だから、何とか泊まりたいんだけど。
時々電話しながら進むが、そのうち道路に出てしまう。西に行けば宿、東に行けば街。とりあえずスーパーに行こう、と東へ向かう。そういえば日曜だった。いろいろ立ち寄ろうとするが、アウトドア用品も売るホームセンターは休み、食事ができるバーはまだ開いてない。なんだか雲行きが、空も雰囲気も怪しくなってきた。
さすがにスーパーはやっていて、食料や酒を補給できた。が、その間に外は大雨に。途方に暮れていると声をかけてくれた熟年の男性が「宿の女主人は妻の元同僚」という、ちょいちょいハイカーの面倒をみているらしい方で、とにかく宿まで乗せて行ってくれる。着いてみると奥様どうしは大変に会話が盛り上がったのだが、ハイカー御用達のこの宿は、もうシーズンのため閉めたとのことだった。
ここからが大変で、スイッチが入った彼は自分を乗せて隣町の知ってる宿へ、そのまた隣町の知ってる宿へ。結局引き返して反対側の隣町へ、電話で確認が取れたホテルへ向かいながら「いいか、ここからヒッチで戻るのは難しい。明日の朝、私に電話しなさい。迎えに来るから」と言って自分をホテルに落としていってくれた。奥さん (と2頭の犬) は1時間以上連れまわされた恰好だ。申し訳ない。
翌朝。仕事中の奥さんは置いておいて、トレイルヘッドまで自分を送ってくれた彼は、犬の散歩がてら最初の見晴らしスポットまで一緒にハイクしてくれた。
いつもは「上」の駐車場に車を停めて散歩するんだが、これは大変だ。もっとトレーニングしないと! と息を切らす彼と話しながら登る。
見下ろす川は夏にはカヌーで楽しめる、この川の名前は元はフランス語だが間違えられて今の名前 (ラモイル川) になった、もう50年ほど見ているがこの景色はほとんど変わらない……
どの話題も興味深い。向こうは向こうで、なぜ日本人がこんな辺境にとか、アメリカの他のロングトレイルとどこが違うのかなど、疑問が尽きないようだった。
天気が怪しくなってきたので、ハンモック&タープから、ダブルウォールのテントにチェンジ。
そろそろ最北のエリア。「キャンプ」と呼ばれる場所が見られるようになってきた。場所としての呼び名はキャンプ。そこに水場やプリヴィもあるが、泊まれる建物としてはキャビン (四方に壁がある建物だと分かる呼び名) がある。キャビンの使い道としてはシェルター (ハイカーが泊まる建物) ということになる。
一つの州でも、地域で特色があるものだ。時々はクラシックな、3方向しか壁のないシェルターもあるが、これは使い道がシェルターなのであって、建物のつくりとしてはリーントゥという。もう11月、気温が下がってきてトレイルで氷を見る機会も増えてきた。なるべくキャンプからキャンプへと泊まり歩くようにする。
最後の街、モンゴメリーセンター (※4) へ。予約したホステルに行ったら、そこはスキー客の宿として知られる場所だった。改装中なので個室使ってくれとかいう雑な話になったが、そもそもスキー期間中も「泊まったらセルフで現金置いて出ていってよい」という自由なスタイルの宿だった。
雨が降ったので、翌日はゼロデイとする。郵便局に行ったら小さな支局が閉鎖されていて、バックアップの荷物はこの街にないことが判明。
「じゃあなんで受け付けたんだ」と思わず宿で愚痴ったら、同情した客の1人が車で近くの本局まで乗せて行ってくれて事なきを得た。長期滞在中の彼は近くに森を買っていて、遊びのために泊まれる小屋をDIYで建設中だという。
あとたった2泊3日の予定だが、天気がちょっと際どい。最後の最後にハンモック&タープを止め、ダブルウォールのテントと交換した。防水のブーツに穴が開いてしまったので防水ソックスも取り出す。助かった。
全米トップクラスの豪雪地帯に入り、雪が舞い始める。
街から出るヒッチハイクで乗せてくれたのは、これからそのあたりを探索するハンターだった。動物の種類で解禁日が違ったり、弓を使った猟が早期解禁になったりでかなりややこしいが「11月がメインのシーズンだ。雪が降ると足跡が丸見えだから、今みんな一斉に山へ向かってるぜ」という。いろんな意味でハイカーにはヤバい。
今日のうちに行けるだけ行くと、リーントゥ型のシェルター (3方向しか壁がない) に泊まることになってしまうが、それでも一気に進むことにした。
有名なスキー場でもあるジェイピーク (※5) へと登っていく途中、さらさらした粒状の雪が舞い始める。グリーンマウンテンズの標高は最高でもマウントマンスフィールドの1,339m、ジェイピークの山頂は1,200mもない。それでもこの一帯は、全米トップクラスの豪雪地帯だという。
一応引き返すのと、スキーリゾートに逃げ下りるシナリオも考えながら進む。次第に雪は吹き溜まりに積もり、それなのに水でズブズブの地面はそのままで、防水ソックス越しにひんやりした水が触れるのも感じた。現在の装備でギリギリだなと思う。その夜はシェルターの中にテントを張った。
翌朝。歩き始めてから気がついた。なんだこれ、速い!
今まではぬかるみを見つけるたびに踏める石を探したり、誰かが放り込んだ枝の上をよろよろ歩いたり、ちょっと森にはみ出せないか勘案したりしながら進んできたのだった。それが全部凍っている。スタスタ歩くとこんなに速いのか、と感覚がおかしくなりながら国境へ。
旅の終わり。心の中から何かが去っていく。
風が出てきて、寒いサムイと声に出しながら記念撮影した。風から逃げようと、急いで近くのキャンプに移動する。
LTの北端から東へと下るサイドトレイルは「ジャーニーズ・エンドトレイル」 (※6) という。
自分が逃げ込んだのはジャーニーズ・エンドキャンプだ。旅の終わり、なのだった。一息つくが、まだ14時だ。見込みよりずいぶん早く着いた。ここでのんびりもう1泊、の予定だったが……ああ、旅の終わりだな。心の中から何かが去っていく。もうこの後は、トレイルにとどまってもあんまり楽しくないのだ。
最寄りの街ノーストロイ (※7) の宿に電話したら、話が通じなくて1回ブチッと切られてしまった。まさかこんな時期にハイカーが来るとは思っていなかったとのこと。まだチェックイン前だが「そんなのいいわ、迎えに行ってあげる」と言ってトレイルヘッドまで来てくれた。2年前だかにベッド&ブレックファストを始めたという彼女によると、やっぱりスキー客のほうが多く、ハイカーはそんなに計算に入れていなかったらしい。
感じのいい宿だったが、道路に積もるほど雪が降る予報が出ている。翌日はシャトルを手配し、一気に大都市バーリントン (※8) まで出ることにした。あとはもう、ハイクじゃなく普通の旅行だ。
運転手は中古のスクールバスを改造して家族で住み、何年か全米を旅して暮らし、つい最近近所に住み始めたという男だった。「カリフォルニアなんかは山火事が多すぎる。だから最近、金持ちたちもバーモントに熱視線だ。水が豊かで森はきれい、冬はスキーし放題。ニューヨークやボストンも近いし、まだ土地が手に入る」。
彼はニヤニヤしながら言うのだった。「来るんなら、今のうちだぜ!」
ついに、アメリカで一番古いロング・ディスタンス・トレイルである、バーモント州のロングトレイル (LT) をスルーハイクした河西さん。
お気に入りのトレイルであるATと重なるルートもあったからか、LTのゴールでは「旅の終わりだな。心の中から何かが去っていく」と、いつも淡々としている印象の河西さんとは違った心情が垣間見れた。
次はどこのトレイルを歩くのか。河西さんが行きたいと思うアメリカのトレイルをまとめた『おもしろそうリスト』は、まだまだパンパン。第三弾のスルーハイキングレポートを楽しみに待ちたい。
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