フライフィッシング雑記 田中啓一 #07 緩急
文・イラスト:田中啓一
What’s 『フライフィッシング雑記』 | フライフィッシャーであり、ハイカーであり、ファッションデザイナーである田中啓一さんによる、フライフィッシングにまつわるエッセイ。フライフィッシングは美しく、格調高く、ワイルドで、創意工夫の奥深さがあり、TRAILS読者とは親和性の高い個性あふれる遊びだと思う。釣り人はもちろん、釣りをしたことがない人も、田中さんが綴る魅惑的な言葉に運ばれて、フライフィッシングの深淵なる世界へ旅だっていただきたい。
緩急
スポーツ選手や政治家が顔の近くで拳を強く握るポーズをよく見かける。「がんばりました」または「これからもがんばります」という意思表示なのだが、あれは自身のパフォーマンスに力を込めることを意味している。
私はあのありきたりなポーズが好きではない。児玉清のアタックチャンスかよ、と突っ込みたくなる。
まあそれは置いておいて、実際のスポーツ競技の最中に選手が拳を握っている場面はほとんど見たことがない。ボクシングの選手でさえシャドーボクシングでは拳は開き気味でやっている。陸上の短距離、長距離、ラグビーやサッカーの選手がフィールドを疾走する場面、体操、スケート、どれを見ても拳を握り締めてはいない。
なぜだろうか。それは拳を強く握ることは指だけではなく、実は腕全体に力が入るからだ。時には大胸筋まで緊張する。
そうするとどうなるか。素早い動きができなくなるばかりか、動きがギクシャクし、また無駄なエネルギーを消費してしまう。つまり、頑張る時ほど拳を握ってはダメなのだ。
スポーツにしろ、ダンスにしろ、楽器演奏にしろ、何かしらの身体運動を伴う場合、まず最初に、肩の力を抜け、脱力しろ、リラックスしろ、と指導されたことはないだろうか。
運動とは筋肉の収縮と伸張の繰り返しだ。だから運動をする以上、完全な脱力はできない。「脱力しろ」とは極力無駄な力は使うなという意味だ。力は必要な部位にその時点で必要な分だけ使い、そのほかの部位はなるべくリラックスしておけということだ。また、そのような力の入り切りより、正確な動きを学ぶ方が先だ。
より良いパフォーマンスをするためには、まずどこをどう動かしたら効果的かをゆっくり練習すること。その段階ではあまり力が要らないことが多い。動きをマスターしたら、だんだんと早く動かす練習に入る。しかしそこで力んではいけない。なるべく力を抜いて素早くだ。これが言うほど簡単ではない。ついつい力んでしまう。
それができたら、必要なところは全力で、必要ないところでは力を抜く最終段階に入る。
実はこれ、フライキャスティングでも同じで、適正な動きと、力を入れる瞬間を覚えることが大切なのだ。
バックキャスト (後方投げ) でロッドをどう動かして、どこで止めるのか、フォワードキャスト (前方投げ) は、どのタイミングで始めるのか、その時の肘の位置、手首の角度など、他の釣りのキャティングとの共通点があまりにも少ない。
フライフィッシングは難しそうでハードルが高いとよく言われるのは、このキャスティングの特殊性ゆえだ。他にも覚えなければいけないことは多々あるのだが、まずこの初っ端で躊躇してしまう人が多い。とはいえ、この釣りをする以上、これだけは避けて通れない問題だ。
この短い紙面でフライキャスティングの全てを語ることはできない。なのでひとつだけ、誰がいつ紹介したのか忘れてしまったが、過去私が最もわかりやすいと思ったコツの掴み方を書こうと思う。
まず、あなたは右手に金槌を持っている (左利きの人は、以降右を左に置き換えて読んでください)。
あなたの右後方後頭部くらいの位置にやや前方に傾いて立っている板がある。そこには直角に釘が刺さっている。釘の位置は頭頂部よりやや上。
また前方にもやや斜めに傾いた板があり、そこにも直角に釘が刺さっている。あなたの目の高さあたりだ。
その2本の釘を、釘を曲げないように金槌で叩く。この動作がフライのバックキャストとフォワードキャストの要になる部分の動きに極めて近い。
腕の動き、手首の角度、力を抜くタイミングと入れるタイミング。
この運動をエアーでやるには、まず想像力が大切だ。
まず金槌は軽く握っておく。そして釘を曲げないような慎重なストロークを意識する。最後のインパクトの瞬間だけはしっかりと金槌を握らないと釘に力が伝わらない。
特に問題なのは後ろの釘だ。釘を叩く瞬間に手首が後方に曲がってしまったら、釘を斜めから打ちつけることになり、釘が曲がってしまうだろう。手首は使わず腕全体で、頭の右やや上方にある釘を叩くイメージだ。
力を抜けと言われると、急に動きまで遅くなってしまう人がいる。それでは釘を打ち込むには十分なパワーが得られない。力を入れすぎず素早く、そしてインパクトの瞬間にはグッと力を込める。
文章だけではわかりづらいだろうから図で示す。
手首の角度がほとんど動いていないことと、後ろと前では肘の位置も移動していることに注目。フライライン (※1) の長さなど様々な条件の違いで、角度やストロークの長さは変化する。これは概念図と理解していただきたい。
この動作は、ロッドを曲げるための動作だ。フライロッドは適度な張りと柔らかさを持っているので、このように竿の手元を早く動かすと、慣性の法則でロッドの先の方は元の位置に留まろうとするので、ロッドが曲がる。もちろん先端から長く伸びたフライラインの重さも加わるので 尚更ロッドは大きく曲がる。
当然ロッドには弾性があるのでスプリングバック作用 (※2) で元に戻ろうとして、フライラインを引っ張りつつ元の直線に戻る。竿先に引っ張られたフライラインは逆側に投射される。なので、人間は基本的には図のような動作をすれば、あとはロッドが仕事をしてくれるというわけだ。
しかし、これも言われた通りにやってすぐできるわけではなく、ある程度の慣れが必要だ。それはスポーツ、ダンス、楽器の演奏などと同様で 練習を積まなければうまくはならない。
話を金槌と釘に戻すと、釘を打った瞬間に金槌は止まる。実際に釘を打ったら強制的に金槌は止まるが、エアーでもそれを意識することが大切だ。野球やゴルフのスイングのように振り切ってはいけない。野球のバットやゴルフクラブの場合はインパクトの瞬間にボールはバットやクラブから離れて飛んでいくので、その後はバットやクラブの影響は受けない。
しかしフライラインはロッドから離れないので、振り切れば要らぬ方向 にラインを引っ張ってしまうことになる。つまりフライラインはすぐ目 の前の水面や後方の地面に向かって飛んでしまい、キャスティングにならない。
振ったら止める。これが重要だ。
しかし、話はこれで終わらない。
ロッドを止めるのはわかった。言われた通りロッドをビュッと振ってビタッと止めてみる。さてどうなるか。手元を急激に止められたロッドの先端はやはり慣性の法則で今度は逆側にたわみ、すぐにまた逆側にたわむ。水泳の飛び込みで、選手が飛び込んだ後の飛び込み板のようにボヨヨヨヨンと振動してしまう。この振動は当然フライラインにも伝わり、せっかく前方に飛んでいったラインが、一瞬引き戻されたりしてラインは綺麗な弧を描かない。
オイオイ、さっき前後で止めろと言っただろう、 とお怒りになるかもしれないが、実はまだ先がある。
止めたらすぐに脱力する必要があるのだ。ロッドは絶対に振り切ってはならないが、脱力をして、ロッドをやや送ってやることは非常に大切な動作の一つだ。
これは、キャストし終わった瞬間にロッドの振動を殺すためだ。投げる、止める、リラックス、送り。これを前後に繰り返すことがフライキャスティングの基本動作になる。
これをドリフトと呼んでいる。バックキャストのドリフトの時は手首は開いて (後方に倒して) も構わない。というか、次のフォワードキャストのためにやや開くべきだ。
このドリフトの長さの分、次のキャストのストロークの長さを稼げるというわけだ。
次の図は、フライラインを前後に飛ばすために力を込める範囲とドリフトの範囲を示している。
ドリフトで手首が開いていることに注目。
なぜこのように細かい動作まで解説したかというと、ある程度フライキャスティングを習得した人を側から見ていると、この一連の動作が淀みなく繋がっているために、単に竿を前後に大きく振っているようにしか見えないからだ。特にロングキャストの場合、ロッドを振り切ってしまっているようにも見える場合すらある。
しかし実際はこのような緩急を含んだ動作をしていることを初心者の方々に理解してもらいたいと思ったのだ。
以上がフライキャスティングの基本動作である。紙面の関係上今回はこのくらいにしておくが、フライキャスティングは 非常に奥が深く、また楽しい。是非みなさんも習得してフライフィッシングを楽しんで欲しい。
もしTRAILS主催で簡単なキャスティングワークショップなどがやれたらもっとわかりやすく解説できると思う。
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