TRAILS REPORT

LONG DISTANCE HIKER #19 川野直哉 | リタイアによって見えたロング・ディスタンス・ハイキングの自由

2024.11.25
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話:川野直哉 写真:川野直哉・Teenage Dream 取材・構成:TRAILS

What’s LONG DISTANCE HIKER? | 世の中には「ロング・ディスタンス・ハイカー」という人種が存在する。そんなロング・ディスタンス・ハイカーの実像に迫る連載企画。

何百km、何千kmものロング・ディスタンス・トレイルを、衣食住を詰めこんだバックパックひとつで歩きとおす旅人たち。自然のなかでの野営を繰りかえし、途中の補給地の町をつなぎながら、長い旅をつづけていく。

そんな旅のスタイルにヤラれた人を、TRAILS編集部Crewがインタビューをし、それぞれのパーソナルな物語を紐解いていく。

* * *

第19回目に紹介するロング・ディスタンス・ハイカーは、川野直哉 (かわの なおや) a.k.a. Naoさん。

Naoさんは、2016年、60歳のときにJMT (※1)をスルーハイキングした。その後、コロナ禍を経て2022年、66歳のときにPCT (※2) を歩いた。

『LONG DISTANCE HIKERS DAY』(※3) には、過去にお客さんとしても参加し、2023年にはスピーカーとして登壇してくれた。

実はNaoさんは、PCTではスルーハイキングを目標にスタートしたが、途中のアクシデントによりリタイアをしている。

リタイアの経験と、その時の心の葛藤が、Naoさんのロング・ディスタンス・ハイキングの考えに大きな影響を与えた。


2022年にスルーハイキングを目指したPCT。

自分が好きであった、”登山”と”バックパッカー”の2つが1つになった世界。


2016年にスルーハイキングしたJMT。

—— TRAILS編集部:川野さんは60歳になってからJMTをスルーハイキングしましたよね。それが2016年でしたが、最初のロング・ディスタンス・ハイキングのきっかけって何だったのですか?

 
川野:「1999年の夏、本屋でJTB紀行文学大賞という帯の付いた、加藤則芳 (※4) さんの『ジョン・ミューア・トレイルを行く』(平凡社) を見つけたんです。でも当時は、加藤則芳さんのことも、JMTのことも知りませんでした。当時は山岳系の紀行文として読みました。

ただ、それまで山といえば植村直己さんや長谷川恒男さんのようなピークハントを目的とした初登やバリエーション開拓しか知らなかったので、ロングトレイルという山頂を目指さない山歩きというスタイルがあることを、この本で初めて知りました。」

—— TRAILS編集部:1999年当時、加藤則芳さんの本を読んだとき、すぐにJMTを歩きたい!となったのですか?

 
川野:「それまで自分は”登山”も好きでしたし、”バックパッカー”の旅の世界も好きでした。ロング・ディスタンス・ハイキングは、自分の好きなその2つが1つになった、とても魅力的な世界だと感じたんです。

でも当時この本を読んだときは、山の中をひと月近くも歩くというのは、無理だと思ったんです。自分にとってはあくまで遠い憧れの世界だと思っていました。」


遠い憧れと思っていたJMT。

—— TRAILS編集部:最初は自分が行ける旅だとは思わなかったんですね。その後、具体的に行きたいと思えるきっかけがあったのですか?

 
川野:「その後、2011年に出た土屋智哉さんの著作『ウルトラライトハイキング』に出会って、UL (ウルトラライト) を通して、ロング・ディスタンス・ハイキングのためのスキルを、論理的に理解することができました。

ULを知ったことで、そのスキルを身につければ、自分も現実的にロング・ディスタンス・ハイキングができると思えたんです。ULは、自分のためのスキルだ!と思ったんです。」

—— TRAILS編集部:なるほど、面白いですね。ULはもともとロング・ディスタンス・ハイキングをするための方法論として生まれてきたものですからね。まさに現実的な旅の方法論としてULを取り入れたわけですね。

  
川野:「そうなんです。その流れで再び加藤さんの『ジョン・ミューア・トレイルを行く』を読み返してみたら、紀行文の読み物としてだけでなく、旅するための情報として読むことができました。12年前に読んだときとは、印象がまったく違いました。」


川野さんのJMTでの野営風景。

—— TRAILS編集部:そして、60歳のときににJMTを歩いたわけですね。

 
川野:「はい。いやぁ、JMTでは出会うすべての景色に感動しましたね。約340kmをスルーハイキングして、大きな達成感を得られました。

次はPCTだ!と思って準備を進めていましたがコロナになってしまって。それでコロナがおさまってきた2022年に、3年間の準備を経て、PCTを歩きました。」

自分にとってPCTはエクスペディションであり、レジャーではなかった。


2022年、スルーハイキングを目指したPCT。

—— TRAILS編集部:JMTのスルーハイキングの達成感とともに、次はPCTのスルーハイキングだ!という勢いだったのですか?

 
川野:「もうカナダ国境まで歩き通す。それ以外は頭になかったです。いろいろ調べていて、行く前から歩き通せるという情報にたくさん触れて、そういうものだという雰囲気に囲まれてましたね。ゴールに辿り着いたときの達成感を、自分も体験したい。それだけを考えていました。」


PCTを旅する川野さん。

—— TRAILS編集部:頭のなかは「スルーハイキング一択」だったわけですね。

 
川野:「とにかくスルーハイキングしか考えてなかったですね。

途中で出会ったハイカーに映画に誘ってもらったりしたのですが、当時の自分としては『そんな寄り道ってありなの?』と思ってたんです。

自分のなかでは、何ヶ月も要するPCTは、冒険、探検といった『エクスペディション』であって、そこにレジャー要素が入り込むイメージはまったくなかったんです。

そうやってとにかくストイックに前に進もうとしているなか、アクシデントがありまして。」

—— TRAILS編集部:どのようなアクシデントだったのですか?

 
川野:「歩き始めて24日目のことです。だいたいスタートしてから500kmくらいのところでした。スリップして転倒してしまったんです。その時にメガネも割れて、半分を紛失してしまいました。

メガネを買い直すために、一度ヒッチハイクして町に下りたとき、ちょっと足の痛みを感じ始めたんです。」


PCTを歩き始めて24日目にアクシデントで、メガネを半分紛失。

—— TRAILS編集部:メガネが壊れる、というだけでも動揺して、そちらばかりに気が取られますよね。その後に足の痛みがじわじわと?

 
川野:「トレイルに戻って、さらに80kmくらい歩いたら、かなり痛みが出てきてしまいした。町に下りて宿で2晩くらい過ごしたらよくなるかと思ったら、むしろ痛みがひどくなってきてしまって。それで現地の病院に行くことにしました。」

—— TRAILS編集部:そのときの医師の診断は?

 
川野:「骨折はしていないと診断されたのですが、4週間くらいこの病院に通いなさい、と言われてしまいました。『それはできない』『トレイルに戻りたい』と医師に伝えると、サポーターを出してくれたんです。これが、かなりしっかりしたサポーターで、分厚くてシューズもまともに履けないんです。それでも、このサポーターでトレイルに戻って歩いてみました。」


分厚くてしっかりした足のサポーターが必要な状態に。

—— TRAILS編集部:え!?それでもまたトレイルに戻って、再び歩き始めたのですか?川野さんのスルーハイキングへの執着というか、欲求の強さを感じます。

 
川野:「この時は前に進むことしか考えられてなかったのでしょうね。でも、シエラの手前にあるケネディメドウズの町に着く1日前に、本当に痛みがひどくなってきてしまって。」

—— TRAILS編集部:川野さんがPCTに出発する前に参加してくれた『LONG DISTANCE HIKERS DAY (LDHD)』では、同じようにPCTを足の故障でリタイアしたハイカーの話もあったんですよ。

 
川野:「実はLDHDの会場で、自分もそのハイカーの話を聞いていたんです。でも、スルーハイキングの情報しか集めていなかったから、リタイアの話をしてくれたことはまったく覚えていないんです。

リスク管理として、渡渉のことや、雪山のことなどは入念に調べていました。でも、PCTとはカナダ国境までスルーハイキングすること。それ以外に頭にはなく、リタイアは想定できていませんでした。なので、リタイアに対する心構えがまったくありませんでした。」


PCTの風景。

—— TRAILS編集部:そうすると、シエラの手前で足の怪我が悪化して、スルーハイキングができないかもしれない状況になったとき、かなりの葛藤があったのでしょうね。

 
川野:「簡単にはエスケープできない高山地帯のシエラの手前で、このまま進むべきかかなり逡巡しました。その時に、山のなかで身動きが取れなくなってしまったら?ということを想像しました。そして『命』という言葉が心に浮かんで、怖くなったんです。そこで『やめる』という決断が、初めて頭をよぎりました。

リタイアするとき、死ぬまでに後悔するかどうかを考えました。でも足がダメだった。山の中でこの状態で一人で歩くのはリスクだと思いました。

悩んだ結果、日本への帰国を決断しました。」

スルーハイキングを断念した後の、PCTへの思い。


日本に帰国して、足のリハビリをする

—— TRAILS編集部:日本に帰国してからはどのように過ごしたのですか?

 
川野:「日本に帰国して、病院のMRIで見てもらったら、じん帯損傷という診断でした。そして、全治1ヶ月半と言われました。それは歩けないわけですよね。」

—— TRAILS編集部:完全に休養が必要な状態ですね。

 
川野:「そうなんです。でも、スルーハイキングは断念したのですが、日本でリハビリして足が回復した後、諦めきれずに同じ年にもう一度アメリカに行ってPCTを歩くことにしたんです。」

—— TRAILS編集部:そうだったんですか!?川野さんのロング・ディスタンス・ハイキングへの強い執着を感じますね。どのような気持ちで、2回目のPCTを歩き始めたのですか?

 
川野:「前に進むことしか考えなかった1回目とは、まったく異なる気持ちでした。今度は『気張らずに行こう』と思っていました。思い返してみれば、現地を歩くハイカーたちは、実に気ままに歩いていました。その姿が浮かんだんですよね。」


一度帰国をした後に、再びPCTに戻ってきた。

—— TRAILS編集部:1回目のようなストイックに前に進んで行こうということではない、まるっきり違う川野さんになっていますね。

 
川野:「心持ちとしては、PCTのセクション・ハイカーでいこう!という感じです。1回目では絶対しなかったですが、2回目のときは歩き始めて2時間で昼寝をしたりしましたから (笑)。」

—— TRAILS編集部:PCTをスタートしたときの川野さんからは、まったく想像できないですね。

 
川野:「そうですね。実は2回目のPCTは結果的にすぐにおわることになりました。歩き始めて3日目に、遠くに山火事の煙が見えたんです。

スマホの電波が入らないエリアにいて、迂回する方法を探してみたのですが、その先に進む方法を見つけられませんでした。さらにその先のカナダとの国境付近でも火事が起きている状況でした。そこまで無理して続けてもと思い、先に進むことをあっさりと諦めました。」


遠くで山火事が見えて、この先へ進むことをやめることにした。

—— TRAILS編集部:いま、自分のPCTの旅を振り返ってみて、どのように思いますか? 

 
川野:「大きな達成感というのはないですが、後悔などのネガティブな感情もありません。思い返せばPCTを歩き始めたときは、1日何マイル歩けるかとか、水の確保や食料補給の方策を最優先していて、形のない何かに追われているような日々でした。

そのなかで24日目に眼鏡を破損し、じん帯を痛めたことにより想定外の行動を強いられました。でもPCTを客観的に考える時間ができたことで、ロング・ディスタンス・ハイキングに対する考え方が変化していきました。

今でもカナダ国境に達することこそPCTの醍醐味だと思ってはいますが、トレイルを忠実にトレースすることへの固執は薄れ、到達は結果であって目標ではない。その過程はハイカーによって自在でよいのだろうと感じています。」


リタイアを経て、ロング・ディスタンス・ハイキングの考え方も大きく変わった川野さん。

This is LONG DISTANCE HIKER.


『 リタイアによって見えた自由 』
 
川野さんはロング・ディスタンス・ハイキング=スルーハイキングと捉えていた。その真面目で強い冒険心が、PCTでの怪我によって変わった。
 
憧れであったスルーハイキングをしない、あるいはできないとなったときの、激しい心の葛藤を経て、ロング・ディスタンス・ハイキングはその過程をそれぞれのハイカーが自由に楽しむことであるという考えにいたる。
 
ハイカーは、リタイアのときに何を思い、どう心を整理するのか。川野さんの体験と思考は、同じ状況に置かれうるハイカーのひとつの道標となるだろう。
  

TRAILS編集部


※1 JMT:John Muir Trail (ジョン・ミューア・トレイル)。アメリカ西部のヨセミテ渓谷から米国本土最高峰のホイットニー山まで、シエラネバダ山脈を南北に貫く211mile (340㎞) のロングトレイル。ハイカー憧れのトレイルで、「自然保護の父」として名高いジョン・ミューアが名前の由来。

※2 PCT:Pacific Crest Trail (パシフィック・クレスト・トレイル)。メキシコ国境からカリフォルニア州、オレゴン州、ワシントン州を経てカナダ国境まで、アメリカ西海岸を縦断する2,650mile (4,265㎞) のロングトレイル。アメリカ3大トレイルのひとつ。

※3 LONG DISTANCE HIKERS DAY:日本のロング・ディスタンス・ハイキングのカルチャーを、ハイカー自らの手でつくっていく。そんな思いで2016年にTRAILSとHighland Designsで立ち上げたイベント。2023年4月に7回目を開催。

※4 加藤則芳:1949年埼玉県生まれ。作家・バックパッカー。日本にロングトレイルを紹介した第一人者であり、国内外の自然保護やロングトレイルをテーマに執筆をつづけた。『ジョン・ミューア・トレイルを行く』『メインの森を目指して』(平凡社)など著書多数。信越トレイルには構想段階からかかわる。2013年4月17日永眠。

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佐井聡(1979生)/和沙(1977生)
学生時代にバックパッカーとして旅をしていた2人が、2008年にウルトラライトハイキングというスタイルに出会い、旅する場所をトレイルに移していく。そして、2010年にアメリカのジョン・ミューア・トレイル、2011年にタスマニア島のオーバーランド・トラックなど、海外トレイルでの旅を通してトレイルにまつわるカルチャーへの関心が高まっていく。2013年、トレイルカルチャーにフォーカスしたメディアがなかったことをきっかけに、世界中のトレイルカルチャーを発信するウェブマガジン「TRAILS」をスタートさせた。

小川竜太(1980生)
国内外のトレイルを夫婦二人で歩き、そのハイキングムービーをTRAIL MOVIE WORKSとして発信。それと同時にTRAILSでもフィルマーとしてMovie制作に携わっていた。2015年末のTRAILS CARAVAN(ニュージーランドのロング・トリップ)から、TRAILSの正式クルーとしてジョイン。これまで旅してきたトレイルは、スイス、ニュージーランド、香港などの海外トレイル。日本でも信越トレイル、北根室ランチウェイ、国東半島峯道ロングトレイルなどのロング・ディスタンス・トレイルを歩いてきた。

[about TRAILS ]
TRAILS は、トレイルで遊ぶことに魅せられた人々の集まりです。トレイルに通い詰めるハイカーやランナーたち、エキサイティングなアウトドアショップやギアメーカーたちなど、最前線でトレイルシーンをひっぱるTRAILSたちが執筆、参画する日本初のトレイルカルチャーウェブマガジンです。有名無名を問わず世界中のTRAILSたちと編集部がコンタクトをとり、旅のモチベーションとなるトリップレポートやヒントとなるギアレビューなど、本当におもしろくて役に立つ情報を独自の切り口で発信していきます!

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