take less. do more. 〜 ウルトラライトとMAKE YOUR OWN GEAR by グレン・ヴァン・ペスキ | #01 Introduction
文・構成:TRAILS 写真:グレン・ヴァン・ぺスキ、TRAILS
そのグレンによる「ウルトラライト (UL) × MYOG」に関する連載をスタートする。
なぜ「ウルトラライト × MYOG」か?両者は分かちがたく結びついており、その本質を理解することが、現在のハイカーやMYOGer、ガレージメーカーが共有すべき新たな知恵になるはずだからだ。
グレンは、ウルトラライトとMYOGに関する「リビング・ディクショナリー (生き字引) 」の筆頭であり、その本質を伝える語り手として、グレン以上の人はいない。それは、いち早くULガレージメーカーを立ち上げた先駆性、プロダクトや思想の革新性や独自性において、他と一線を画しているためである。
また2010年に以前より親交のあったロータス福地さんのアテンドのもとグレンは来日し、Hiker’s Depot土屋さん主催のHiker’s partyにて今や国内のシーンの中心にいるハイカー達に大きな影響を与えた。その時にパーティーに参加していたのが、日本のULハイカーに多大な影響を与えたブログ「山より道具」の寺さん、国内ULガレージメーカーでは初となるULシェルターを開発し本国アメリカでも絶賛された「LOCUS GEAR」の丈太郎さん、国内では他に取り扱いのないULギアをあつかうオンラインショップ「MoonlightGear」を立ち上げたばかりの千代ちゃん、JMT (※4) を夫婦で歩き国内のULガレージメーカーで最も躍進したメーカーと言えるであろう「山と道」創業前夜の夏目夫妻、そして同じくJMTを夫婦で歩き日本初のトレイルカルチャーを扱うメディア「TRAILS」創業前の佐井夫妻聡がいた。
いまや黎明期を越え、普及期に入ったウルトラライトは、多くのハイカーが実践する手段となった。またULガレージメーカーも、第3世代とも言うべき、新たなメーカーが日々誕生している。
しかし、世の中の他のムーブメントと同様、そのスタイルや技術、方法論が定着すると、その黎明期に宿っていた革新性や実験性などの本質を顧みられる機会は少なくなる。
いま新たにグレンの言葉や軌跡を辿り、「ウルトラライト × MYOG」の本質を探求してみたいと思う。
連載の第1回は、なぜグレンに語ってもらう必要があるのか、というイントロダクションをTRAILSからお届けする。
ロング・ディスタンス・ハイキングから、ウルトラライトとMYOGが生まれた。
ULガレージメーカーはMYOGから生まれた。
Gossamer Gear (前・GVP Gear) を始め、GoLite、ULA、Six Moon Designs、Tarptent、Mountain Laurel Designs、Zpacksなど、第一世代のULガレージメーカーたちは、当時、革新的であったMYOGという手法・思想を取り入れることによって誕生した。
MYOGとは「MAKE YOUR OWN GEAR」の頭文字をとった言葉であり、字義どおりにとれば「ギアの自作」を指す。しかしその誕生の経緯から、厳密には「”UL”ギアの自作」を指す言葉でもある。
その思想と方法論を提起したのは、レイ・ジャーディンである。グレンも、レイ・ジャーディンが1992年に出版した『The PCT Hiker’s Handbook』(後に、『Beyond Backpacking』『Trail Life』と改題) をきっかけに、本格的な軽量化のためのMYOGを始めている。
レイ・ジャーディンは、80年代後半よりロング・ディスタンス・ハイキングに傾倒する。彼が初めてPCTをスルーハイキングしたのは1987年。記録によれば、その年たったの29名しかPCTをスルーハイキングをしたハイカーはいなかった。今では毎年500名以上、多い年では1000名以上のスルーハイカーがいるなか、当時のロング・ディスタンス・ハイキングが、いかにチャレンジングな試みであったかが容易に想像できる。
当時のパックウェイトは20kg〜30kgであったと言われる。それがレイ・ジャーディン『The PCT Hiker’s Handbook』 (1992年) の巻末にあるギアリストでは、この時代にしてパックウェイト9kgと、従来の半分以下に抑える驚くべき軽量化の実績が記されている。
彼はロング・ディスタンス・ハイキングのために本当に必要なものを、極端なまでに突き詰めた。これはTRAILSのプロダクト (ULTRALIGHT CLASSICシリーズ) では「シンプル (必要十分) 」の追求と表現しており、グレンの言葉では「take less. do more.」と表現してるものの原点にあたる。
このレイ・ジャーディンによる実験と実績のなかで生まれてきたのが、ウルトラライトでありMYOGであったのだ。
エマおばあちゃん (エマ・ゲイトウッド) は、1955年に約3,500kmのアパラチアン・トレイルをスルーハイキングした。その際に使ったスニーカーや布袋などのシンプルな装備は、ウルトラライトにおいて伝説として語られる。レイ・ジャーディンは、1990年代に入ってから、ウルトラライトの思想と方法論として世の中に提示した。
レイ・ジャーディンは、既製品にはない、従来の常識にとらわれない、イノベイティブな軽量化を実現した。つまり、MYOGとは、それまでにない超シンプルで超軽量な、革新的なギアを生み出すための方法であった。
ウルトラライトとMYOGは、革新的なギアを生み出すための、切り離すことのできない不可分な手法であり、思想であるのだ。
グレン = ウルトラライト、MYOG、ULガレージメーカーのゴッドファーザー。
ウルトラライト × MYOGを最も象徴するULガレージメーカーとして筆頭に挙がるのがGVP Gear (後のGossamer Gear) であり、そのファウンダーのグレン・ヴァン・ペスキである。
彼はMYOGから生み出された、革新的なULガレージメーカーをつくった第一人者である。冒頭でも触れたように、いち早くULガレージメーカーを始めた先駆性、またそのプロダクトや思想に見られる革新性と独自性において、唯一無二の存在である。
世の中に「ULガレージメーカー」なるものが存在しなかった時代、グレンはGVP GearとしてULバックパック「G4」の販売を開始した。1998年のことである。
同じ年に、もう1つの最初期のULガレージメーカーGoLiteがスタートしている。GoLiteは、レイ・ジャーディンが直接、設計に協力したプロダクトを、この年から販売開始している。
なお、ULA、Six Moon Designs、Tarptent、Mountain Laurel Designsがスタートしたのは2000年代である。その年代を見ると、グレンの先駆性が際立つ。
1998年に生まれた、歴史的なULバックパック「G4」。72Lの容量で340gと、現在の基準に照らしても極めてウルトラライトなバックパックだ。
またその設計においても、ウルトラライトの原則のひとつのマルチユース (1つのもので2つ以上の役割を担い軽量化する)のデザインが反映されている。ショルダーハーネスの中のパットの代わりにソックスを入れる仕様になっていたり、背面パットが取り外し可能なスリーピングマットを使う仕様となっていたりする。
レイ・ジャーディンのアイディアから発展させ、新たな「0→1」を生み出したその革新性は、同時代になかったものだ。
また革新を継続的に生み出し続けているのも、グレン (およびGossamer Gear) の類稀なる特徴といえる。G4のリリース後も、グレンはUL史において、いくつもの画期となるマイルストーンを刻んだギアを開発し続けてきた。
100g台という軽量化を極限まで突き詰めたバックパック「Whisper」。カーボンを採用したそれまでにない超軽量トレッキングポール「LT」。アウトドアプロダクトとしてそれまで使われてこなかったスピンネイカーを使用したバックパック「G5」やタープ「Squall tarp」。ウルトラライトとロング・ディスタンス・ハイキングでの快適性において、新たなバランスを追求し、アルミフレームを搭載したバックパック「Mariposa」。
とりわけ主なカテゴリーであるバックパックについては、 Gossamer Gear (GVP Gear) のバックパックの歴史が、ほぼそのままULバックパックの歴史となっている。
上記のような先駆性、革新性、その継続性だけではなく、グレンでなくてはならない理由として、その思想を言語化する力の高さが挙げられる。昨年には、自身のウルトラライトの方法論と哲学をまとめた著書も上梓するなど、ウルトラライトとMYOGにおける本質とは何かを、言葉にして知恵として昇華できる人物としても、グレンの名前が挙がるのである。
TRAILSが主催するMYOGer NIGHTのコンセプトでもある“UL GARAGE MAKER MOVEMENT” (※5)がどのようにして起こったのか。その内容をこれからのグレンの連載でお届けしていきたい。
冒頭にも書いたように、いま新たにグレンの言葉や軌跡を辿り、「ウルトラライト × MYOG」の本質を再定義することで、今日のハイカーやMYOGer、ガレージメーカーの刺激となる知恵として届けることができたらと思う。
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