TRAIL MAINTENANCE CREW / 信越トレイル集中整備 & 加藤則芳メモリアル トレイル開き
最高の旅を与えてくれるロング・ディスタンス・ハイキングというカルチャーへの、僕たちなりのコミットの方法のひとつとして、信越トレイルの整備に毎年参加している。トレイルはメンテナンスをしてケアされなければ歩けるようにならず、また人が歩かなければ廃れていってしまう。
今年は「ハイカーの整備の輪」が広がっていくように、仲間のハイカーを誘い合わせ、8名でのトレイル整備ツアーにでかけた。自分たちの遊び場を自分たちで作り、守っていく。未来に向けてトレイルを維持していくために、自分たちができることを実践していく。そのような輪がつながっていけばと思う。
そして今年は信越トレイル開きにも参加させていただき、加藤則芳さんへの思いも新たにした。また加藤さんが思い描いていたことが、このカルチャーにコミットした人々の中に脈々と生き続けているのを感じることができた。
トレイル整備ツアー with ロングディスタンスハイカー
TRAILSとHiker’s Depotで通い始めた信越トレイルへの整備ボランティアも、今年で4年目となった。ささやかなりとも今後「ハイカーの整備の輪」を広げていくために、1泊2日のツアープログラムを組んでみた。今年はそのテストケースの年でもあり、その仲間にジョン・ミューア・トレイルなど実際に海外ロングトレイルを歩いたハイカーたちを誘った。その多くは今年1月に開催したLONG DISTANCE HIKERS DAYに参加してくれたハイカーでもある。トレイル整備をするだけでなく、そのトレイルを歩き、またローカルのおもしろさを感じられるようなプランを考えた。
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– Day 1: 信越トレイルDay Hike & 飯山ローカルツアー
1日目は、新幹線も開通した飯山駅に集合し、信越トレイルの斑尾(まだらお)エリアをDay Hike。この季節は、雪解け後にいっせいに緑が芽吹く時期であり、むせかえるほどの生命のたくましさを感じられる。関田山脈の里山が育む、植生の豊かさも味わえる。Day Hikeを終えたハイカーご一行は、ふもとの飯山の街でローカル・フードと温泉を楽しんで、ほくほくの状態で寝床に着く。
– Day 2: 信越トレイル トレイル整備
日本有数の豪雪地帯でもある信越トレイルの一帯は、冬の間に雪の重みで道標が倒れたり、階段が土砂で流されてしまったりする。そのため毎年、雪解け後の季節に、信越トレイルのエリア毎の管理団体とボランティアの人たちによって、集中整備が行われる。今年はこの集中整備に、われわれも参加させてもらうことになった。
雪解け後の新たな芽吹きを迎えた草木は、みるみる成長して、あっという間にトレイルを覆ってきてしまう。トレイルを歩きやすくするため、適度に草刈りと枝切りをしてあげるのが、今回の仕事。自分でやってみるとわかるのだが、人の手の入ったケアされた道からは、その自然を楽しもうとする人たちの愛情を感じられる。 今回のプログラムに参加してくれたハイカーにとっても、トレイル整備は、新鮮な経験であり、新たな視点を提供してくれるものとなったようだ。このようにハイカーとトレイルとの関係性が、いろいろな角度から豊かになっていってくれると嬉しい。「信越トレイルがぐっと身近な存在になった。信越トレイルを実際に維持・管理してくださっている方々と直接会って話を聞くことができ、トレイルを維持することの大変さやその重要さを、リアリティをもって知ることができた。」
「いつも整備をしている方から、トレイルの周りにある草花や植生について、とても詳しく話をしてくれた。整備をしながら、自分だけでは気付かない植物や花など知ることもできて、とても楽しかった。」
加藤則芳メモリアル 信越トレイル開き
集中整備の期間を終え、6月下旬に信越トレイルのトレイル開きが行われる。加藤則芳メモリアルという冠タイトルが付いている、信越トレイル開き。同氏は、日本でロングトレイルをつくることに情熱を注ぎ、その場所として信越トレイルを選び、晩年までこの地に精力を捧げてきた。加藤さんとともに信越トレイルを作ってきた関係者は、毎年このトレイル開きのときに、改めて自分たちの胸に刻もう。そういう関係者の思いが託されているタイトルである。
毎年トレイル開きが行われる戸狩の会場の近くのお寺で、2013年に加藤則芳さんの樹木葬が行われた。6月にはたくさんのあじさいが咲くことから、「あじさい寺」としても親しまれている高源院。その本堂の裏手にある、一本の大きなブナの木の下に、加藤さんは眠っている。ブナの木の下には、信越トレイルの道標を模した碑が立っている。 今年の信越トレイルのトレイル開きには、弟の加藤正芳さんがいらっしゃっていた。兄の則芳さんとは年子の弟さんで、小さい頃から双子のように、一緒に遊んだり喧嘩したりしながら過ごされていたそうである。その正芳さんが、兄との思い出や、兄が信越トレイルにかけた思いについて話してくれた。「信越トレイルができるずいぶん前の話ですが、兄貴がかなり熱い調子で、アパラチアン•トレイルやジョン•ミューア•トレイルのようなトレイルの文化を日本にもつくりたい、と何度も語っていたのを覚えています。今では信越トレイルには、国内外いろいろなところから人が訪れてきてくれています。兄貴はそのことをほんとうに喜んでいることと思います。」
「自分も普段はアウトドアをやっており、定年を迎えたら、是非とも兄貴のガイドでこの信越トレイルをゆっくり歩いてみようと思っていました。ところが自分が定年を迎えたときには、残念ながらもう兄貴はいませんでした。定年を迎えたあと、供養の意味もこめて、信越トレイルの全区間をセクションハイクで歩きました。最後のセクションを歩いたのは10月のおわり頃で、ブナの紅葉が素晴らしくきれいだったことを覚えています。」
加藤則芳さんは、人ひとりがやっと通れるような細い道が続いているロングトレイルのことをたとえて、「大地に刻まれた一本の引っ掻き傷」であると語っていた。NPOや地域の住民、ボランティア、ハイカーなどいろいろな人々が、その「引っ掻き傷」を大切に守ってくれている。だからトレイルはいつでも新たな旅に出る人を待ち受けてくれている。TAGS: