土屋智哉の10年 ウルトラライトとロングトレイル / (前編)ULハイカーの葛藤
文:根津貴央 構成:TRAILS
土屋智哉。トレイルズ読者には、もはや説明は要らないであろうこの男。ウルトラライトハイキングと言えばこの人あり。日本でウルトラライトを広めた立役者であり、東京は三鷹にあるハイカーズデポのオーナーである。しかし、ウルトラライトが誕生する母胎となったロングディスタンスハイキングに対して、土屋さんは常に挑戦と葛藤をくり返してきていた。それは率直に土屋さんの「コンプレックス」でもあった。
ウルトラライトは、ゼロ年代から本格的なムーブメントとして勃興してきた。それから現在までの10数年間という時間をかけて、極限までつきつめた軽量化の実験と、ロングディスタンスハイキングの本質への希求との間を、行ったり来たりを繰り返すことで現在の形へと到達してきた。そのウルトラライトの約10年の歴史は、そのまま土屋さんが、ウルトラライト専門店の開業を決意してから、現在にいたるまでの10年と呼応する。
だから、今このタイミングで土屋さんの10年間の個人史を語ることが、日本のウルトラライトのネクストステップを語ることにつながると考えた。今回の記事は、今年の初めに開催されたLONG DISTANCE HIKERS DAYで、土屋さんが話した「ロングトレイル・コンプレックス」という発表をもとに、歴史的なバックグランドや、発表後の土屋さんの所感や発言などを補足し、再構成されたものである。
ウルトラライトの母=ロングディスタンスハイキング
ウルトラライトハイキング(ULH)ーー。これは軽い荷物で山を歩く行為のことだが、何をもってウルトラライトというのか。そこには、ベースウェイト(水・食料・燃料などの消費材を除いたバックパックの重量)が10ポンド(約4.5kg)以下であること、という一定の定義がある。
−土屋 「ULHがなんで生まれたかというと、発端はロングトレイルなんです。アメリカの三大トレイル ー アパラチアン・トレイル(AT)、パシフィック・クレスト・トレイル(PCT)、コンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT)ー をスルーハイクしようと思ったら、半年くらい必要になる。それだけ長期間歩く上では、装備はシンプルなほうがいいし、軽いほうがいいわけです。それでULHが実践されるようになったんです」
1992年にレイ・ジャーディンが出版した『Pacific Crest Trail Hiker Handbook』(後に『Beyond Backpacking』『Trail Life』と改題)。数々のロングトレイルをスルーハイクした彼ならではのライトウェイトでシンプルな方法論こそが、ULHの始まりだった。
週末実験室的なULへの熱狂。その中で逃げていくロングディスタンスハイキングの本質
ところが2000年代以降レイ・ウェイはどう変化し、どこに着地していったかというと、スルーハイクを目的とするロングディスタンスハイカーにではなく、ULそのものを目的とするウルトラライトハイカーに定着していく。
ライアン・ジョーダンが主宰するバックパッキングライト(BPL)が、手法としてのULの熱量を集める中心地となり、ULの方法論や道具に革新的な発展をもたらした。またULをロングディスタンスハイカーという限られた層だけでなく、多くのハイカーに触れる機会を作り、ULを入り口にしたあらたなハイカーが生まれていった。しかし、リアルなスルーハイカーに “超” ULが必要だったのかといえば、必ずしもそうではない。土屋さんはこの当時の自分を振り返り、ロングハイキングに必要なものとして生まれたULと、自分が没入したULとの違いに気づき始めていたという。
−土屋 「手段であったはずの軽量化が、目的になっていったんです。ULがデイハイクにおける数字遊びであったり、ウィークエンドで1〜2泊する際に『こんなに軽くできるぜ!』という競争的なものだったり。もちろん、これはこれでカルチャーとして楽しいし、ここから革新的な道具も生まれてきたんです。メーカーの研究開発(R&D)みたいなことを本気でやっていて、それが促した技術や手法の革新はすごかったんです。でも、僕自身はロングディスタンスハイキングにつながるものとしてULを始めたわけなので、いまのULって、ぜんぜん違うところにあるの?どうしよーみたいな。そんな葛藤が生まれてきたんです」
「ホンモノ」のULって? 「ホンモノ」のロングトレイルって?
「自分がやってるULは手段に過ぎないのか? それは母胎であるロングディスタンスハイキングに通底する何かがあるのか? ホンモノのULって何?」という問いが土屋さんの頭のなかをぐるぐるとかきまわす。そして土屋さんが抱きはじめた矛盾や葛藤は、日本人のスルーハイカーが増えるにつれて、さらに大きなものになっていく。
−土屋 「日本人初のトリプルクラウンである舟田くん(舟田靖章)と親しくなったり、ハイカーズデポのスタッフの長谷川(長谷川晋)がPCTのスルーハイカーになったり、さらに他のロングディスタンスハイカーがウチの店に集まってくるようになったり。みんなULのエッセンスは取り入れてくれるんだけど、僕個人としてはなんとなく取り残された感が出てくるんですよ。自分もJMTを歩いてるんだけど、みんなのようにロングトレイルを歩いた感じはなかったんですよね。だから、お店のなかにいても、なんか僕だけ仲間外れというか(笑)。でも、このコンプレックスがきっかけで、ロングディスタンスハイキングで得られるものとは何か? を考えるようになりました」
−土屋 「舟田くんとか長谷川の話を聞いていて、ロングトレイルの面白さっていうのはきっと補給にあるんだろうなと思うようになったんです。でも、JMTを13日間歩いた際に補給もしたんですが、どうもしっくりこなかった。なんでだろう? と思ったときに、期間が足りないんじゃないかと。1カ月以上、800㎞以上歩けば違うんじゃないかと思ったのです」
そして土屋さんは、2011年、2012年と連続でコロラド・トレイル(CT)に足を運ぶ。歩いた距離は800㎞、日数は25日にもおよんだ。
−土屋 「CTを歩いて気づいたのは、大事なのは補給をすることよりも内面における変化だということ。それは山と街との関係の変化です。ロングディスタンスハイキングでは補給が必要なので、ずっとウィルダネスというわけではありません。自然のほかに人との関わり、街での出会い、文化との触れ合いがあるわけで、そういう山と街との関係をどうとらえるかが重要なのだろうと思ったんです」
ロングディスタンスハイキングで経験する「非日常の日常化」を求めて
土屋さんが気づいた山と街との関係性の変化。これに関して、舟田氏は「日常と非日常の逆転」と言い、長谷川氏は「非日常の日常化」と表現した。
−土屋「まずは『日常と非日常との連続性』。次に、この行為自体は誰もができることなので『特別ではない普通のこと』。そして、長期にわたる行為ゆえがんばりつづけるのは難しいため『がんばらなくなる』『気負わなくなる』。これらの感覚を見出せれば、たとえ半年間にもおよぶスルーハイクをしなくても、ロングディスタンスハイキングの楽しさが味わえるんじゃないかと考えたのです」
「ロングディスタンスハイキングの本質を知らずして、ホンモノのULを語れるのか」そんな葛藤のなかで見えてきた、解答を示すぼんやりとした光。そこにウルトラライトの本質と、ロングディスタンスハイキングの本質とを結びつける、ミッシングリンクがあるのではーー。
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