AMBASSADOR'S

土屋智哉のMeet The Hikers! ♯1 – ゲスト:川崎一さん

2015.01.16
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■2005年のジョン・ミューア・トレイル

土屋 川崎さんがJMTへいったのっていつでしたっけ?

川崎 2005年ですね。セクション7だけですけど。土屋さんが2008年に行ったとき、ヨセミテまでのアプローチってどうしました? やっぱりバスとか電車とか乗り継いでいきました?

土屋 俺はトレイル・エンジェル(注1)がやってくれましたよ。友達が向こうに住んでいたんで。

川崎 ああいいな。その問題だけですよね。その問題さえクリアできれば日本からもっと行けますよね。結構大変でしたからね。アムトラックを日本から予約するのも初めてだったし、乗り継ぎうまく行くんだろうかとか。途中の宿とかどうしようかとか。荷物どこへ置いて行くかとか、乗り継ぎの時間とか。

土屋 だからやっぱりその時期って、川崎さんが先導きってたんですよね。加藤則芳さんの本(注2)はもう出てたけど情報がまだ少なかったし。

川崎 当時JMTはやっぱり加藤さんの影響が圧倒的にありましたよね。

土屋 あの当時、本場でULのスタイルやりたいっていう衝動がすごくあったんですよね。そこらへんの2004~5年前後って、仲間うちでも「いつJMT行く?」みたいな話ばっかりしてて。でもそこでPCT(注3)にならないあたりがやっぱりあの当時だったんだなって(笑)。そもそもULの装備でJMT歩けるのかどうかもわからなかったし。さっきレイウェイ・タープ使って雁峠ですごい寒かったとか、そういう試行錯誤じゃないですか。パーソナルな部分でもシーンでも。でも、そういうことが逆に面白かった時代ですよね。

川崎 『Beyond Backpacking』をよくよく読むとレイウェイは小さな焚き火が前提なんですよね。だからダウンとかインサレーションは必ず焚き火で乾かせって書いてあるんですよ。

土屋 いまはカリフォルニアでは山火事なんかもあって焚き火厳しくなっているけれど、アメリカのトレイルは基本的には定期的にファイアーサークルがあって、焚き火していい環境があるんですよね。だからやっぱり焚き火ってアメリカのハイキングでは欠かせないものだと思うし。まあレイ自体はそういう焚き火やっていい場所以外でもステルス・キャンピング(注4)でやっているんだろうけれど。

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川崎 だから『Beyond Backpacking』すごく面白いから、今度はこれを翻訳しようと思ってレイに手紙を出したら、「いいよ」っていってくれたんで、こつこつ始めたんですよ。そしたら途中で気がついたのが、ステルス・キャンピングと焚き火の技術を抜きにしてはあの本は骨抜きだということ。でも日本でステルス・キャンピングと焚き火というのはほとんど不可能だし、あまりおおっぴらにしちゃいけない話でしょ。

――まあ雑誌とかマスメディアじゃ無理ですね。

川崎 そこで翻訳が止まったんですよ。そこは超えられない壁というか。あまりいっちゃいけないことなんだろうなと。

土屋 JMTにいったとき、超ドキドキだったんじゃないですか?

川崎 超ドキドキ(笑)。

土屋 ULで歩いている人なんて見当たらなかったでしょ。

川崎 ヨセミテでも少なかったですよね。ULA(Ultralight Adventure Equipement)のバックパックを持っている人がひとりいたくらい。「すごくいいバックパックだね」っていったら、「君のは変わってるね」って。ラグジュアリー・ライトは向こうでもマイナーだったみたい(笑)。

土屋 自分がいった2008年もJMTってULの実践の場じゃなくて、ティピカルなバックパッキングの人のほうが多かったんですね。やっぱりアメリカのなかでもスペシャルな一本だし。PCTを今年歩いた方に聞くとうちの店の長谷川が行った2010年に比べて、今の方がUL系のバックパックを使う人が格段に増えているんですよ。結局ULのゆりかごだったPCTですら今ようやく一般のハイカーにまで広まってきているみたいなんですね。うちの店のスタッフの長谷川(晋)が歩いた2010年の時点でもまったくメジャーでなくて、アメリカでもむしろ変わり者だったと。

(注1)トレイル・エンジェル:米国のロングトレイルでハイカーを物心両面でサポートしてくれるボランティアのこと。(注2)加藤則芳さんの本:日本のアウトドア文化に多大な足跡を残した作家/バックパッカーの加藤則芳氏筋萎縮性側策硬化症のため2010年に死去)が1999年に出版した『ジョン・ミューア・トレイルを行く バックパッキング360キロメートル』のこと。(注3)PCT:カリフォルニア、オレゴン、ワシントンの三州に跨がり、メキシコ国境からカナダ国境まで4260kmに渡ってアメリカ本土を縦断するパシフィック・クレスト・トレイルのこと。独特のカルチャーがあり、ULもそもそもは主にPCTを歩くスルーハイカーたちのなかで熟成されてきた方法論。(注4)ステルス・キャンピング:キャンプ指定地以外でこっそりと痕跡を残さずキャンプすることを指す言葉。

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■裏山でも冒険できる

土屋 その当時の川崎さんの発言で「フィジカルエリートのものではないウルトラライト・ハイキング」っていうのがあって、それが自分が店を出す上ですごいヒントになったんです。ウルトラライト・ハイキングって、基本的にはロングトレイル・カルチャーのなかから、PCTやAT(注1)やCDT(注2)を歩く人の中で熟成されてきた方法論で、そういう出自があるから、俺はULってもともとはマッチョな文化だと思うんですよ。でも、そのエッセンスを取り出して日本に紹介するときに、マッチョだった文化を「フィジカル・エリートのものじゃなくていいんだ」っていうところに、川崎さんはうまく翻訳してれていた。

――たしかにULの装備は体力に自信がない人や女性や高齢者にも軽量さで得られる恩恵はありますよね。

土屋 ウチの店のホームページはトップページの写真も女の子だし、店のロゴもマッチョじゃないでしょ。店の雰囲気をそういう柔らかい方向に持っていきたかったのってやっぱり川崎さんの影響なんです。俺自身は探検部出身で根っこにどうしてもマッチョな世界観があるんだけど、それを律する意味でも自分の対局にある考え方を見てうまくバランスをとることが大事だなって。日本にアメリカのようなロングトレイルはないという現状のなかで、そこでULをただ道具だけの文化に終わらせないで、この方法論を使って何をしようかっていうときに、「なにもロングトレイルは歩かなくてもいいんだよ」っていうことを川崎さんはいち早くいっていた。日帰りでも一泊二日の山でも低山でも、ULで得られる恩恵があるんだっていう変換を一番始めにやってくれたんですよ。

川崎 僕の仕事は精神科医で、そこでよく感じるのは、力を持つと力を持ったことに酔っちゃうのが人間の性だということ。それってどの世界でもそうで、山屋さんには山屋さんの序列があるし、会社のなかにもあるし、医者のなかにもある。いま「パワハラ」って言葉があるけれど、そこで犠牲になっている人たちと接する仕事でもあるので、「力を持っていることから来るおごり」がすごく嫌なんです。だから水平指向のバックパッキングに惹かれたんですよ。なので舟田靖章くん(注3)の文章がすごく好きで。他の人は本人が威張っているわけじゃなくても、どうしても「俺はこれだけ歩いた」「これだけ冒険した」っていうことがどうしても話の中心になるじゃないですか。舟田くんはトリプルクラウンなのに、そういうところに重点を置いてないんですよね。

――たしかに舟田さんのホームページを見ても、自分の成したことよりも純粋にロングトレイルの魅力やそこを訪れる人へ役立つ情報を伝えることのみに注力しているように感じますね。

川崎 そうそう。そういうところに惹かれちゃう。で、ULって自分にとって何かというと、さっきいったように「弱い人のためのものでもいいんじゃないか」って思うんです。軽くできればそのぶん逆に余分なものを持ってけるから、枕持っていって山の上で昼寝してもいいし、ベッド持ってってもいい。僕が最近やっているのが、嫁さんの調理道具を担いで山の上で料理作るんです。五つくらいジェットボイル担いで登ってますから(笑)。こっちではチリコンカン作ってこっちではアヒージョ、こっちではベトナムのブンボーフエとか(笑)。低山に登ってはそういうことをやっています。最近はそういうことやらないと嫁さんが一緒に登ってくれなっちゃって(笑)。それに「裏山でも冒険できるんじゃないの?」って思うんですよ。

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土屋 ああ! 当時そのフレーズありましたね(笑)。

川崎 たとえば足の不自由な人が登ったらすごい冒険ですよね。タープ一枚で泊まってみれば裏山でも結構な体験できますし。わざとギリギリの装備で安全なとこに泊まってみたりするのも絶対楽しいですよ。いちど沼津の地元の山で五感を使って山に登ってみるというワークショップをやったんですよ。その前と後で参加者のストレスを計測したんですけど、激減したんです。驚くほど治療効果があって。ティク・ナット・ハーン(注4)っていう人が歩く瞑想っていうのを提唱しているんですけど、グーグルでも月一回全社員で歩く瞑想をしているみたいですね。ゆっくり普通に歩くだけなんですけど、足の裏や関節や肌に来る情報を一瞬一瞬意識しながら歩くんです。僕のクリニックでも応用してて、鬱までいかないくらいの人はジョギングとか近くの公園を歩くことを勧めています。やった人はびっくりするくらいの治療効果がありますよ。とにかく30分くらい単調な運動をするだけで、抗鬱効果はすごく高い。歩くだけでそうなんだから、2~3日タープ一枚で山に泊まってみたら、相当な効果があるんじゃないかな。

土屋 自然と自分との間にものが少ないってことは、やっぱりそこに意味や効果がありますよね。

川崎 最初にタープ泊したときは驚きましたよね。風とか音とか。まわりの音がよく聞こえるんですよ。でも一人で泊まるときには、その方が怖くないんです。最初ひとりでモスのテントに泊まったときは怖かったですから。外と隔てられていると見えないから逆に怖いんですよ。

(注1)AT:アメリカ東部アパラチアン山脈に沿って約3,500kmに渡って伸びるアパラチアン・トレイルのこと。毎年2000人以上もの人々がスルーハイクを試みる。(注2)CDT:アメリカ中央部の大分水嶺に沿ってメキシコ国境からカナダ国境まで4500km以上に渡って伸びるロングトレイル。CDT、AT、PCTは米国三大ロングトレイルと呼ばれ、そこを全踏破したハイカーはトリプルクラウンと呼ばれる。(注3)舟田靖章:そのトリプルクラウンを日本人で初めて達成したハイカー。超ロングインタビューがTRAILSのTRAIL TALKにも掲載されているので是非。(注4)ティク・ナット・ハーン:ベトナム出身の僧侶・平和運動家。アメリカとヨーロッパを中心に仏教とマインドフルネスの普及活動を行っている。

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■ULはみんなで作っていけるカルチャー

川崎 最近常念岳でゴッサマー・ギアのバックパックを背負った女の子とすれ違ったんですよ。思わず二度見しちゃいました(笑)。

土屋 素晴らしい(笑)!

川崎 ULが日本で定着するなら女の子かなって思いますけどね。うちの嫁さんにもよく「ウルトラライトでかわいいのないの?」っていわれますもん。

土屋 それは確かにそうですね。でも、うちの店の長谷川ともよく話すんだけど、女の子ってその子が属するコミュニティごとにかわいいの基準が違うんですよね。ULを日本で定着させる話でいうと、俺はもう長期戦でいいかなって。うちの店が始まって7年経つけど、雑誌でULは結局ネタ的なトピックスのままじゃないですか。大手メーカーもUL系のものをちょっとやってもそのラインを長続きさせるわけじゃないし。店もトレランの店はいっぱいできたけど、明確にウルトラライトとかハイキングってものを声高にいう店が増えたかという増えない。やっぱりこれはわかりにくい文化だと思うんですよ。ULを日本に紹介するなかで今でもすごく難しい部分って、さっき話したみたいなステルス・キャンピングや焚き火の問題だとか、マスプロダクトの否定だったりだとか、全部を伝えようとすると、従来的な山やアウトドアの文化のなかでのタブーが多いんだよね。「だから日本では無理」っていう論調もあるけど、俺はだからこそ今でもみんなで作っていけるカルチャーだと思うんですよ。それこそ俺や川崎さんが10年前ブログのコメント欄とかmixiとかでやり取りして盛り上がっていたのと同じようにね。

――「現在進行形のカルチャーである」ことはULの大きな魅力ですよね。いま「バックパッキング」っていっても現在進行形なものではないですからね。

土屋 最近、2000年前後にULがアメリカでも認知され始めたのと同じタイミングで、川崎さんや大畑さんが日本にもULの雫をポーンと落としていたのがすごく大きかったと思うんです。それまでのアウトドアとかスポーツのカルチャーって、アメリカで生まれたものがある程度成熟してから日本に入ってきていたでしょ。『Beyond Backpacking』やゴーライトがアメリカで広まり始めたときに日本でもごく一部の人たちだったにせよ認知されていたという同時性はすごく重要で。いまアメリカのスルーハイカーたちの間でもようやくUL系バックパックが増えてきたというのと同じように、日本のトレイルでもUL系のバックパックを見かけるようになってきたというのはある意味パラレルな関係だしね。アメリカと日本はどっちが早い遅いじゃなくて、「実は同じような歩調なんじゃないのかな?」って、最近ようやく気づいた。その原因がどこにあるのか考えたときに、やっぱりスタート段階で川崎さんがいたのは持ち上げる意味じゃなくて凄まじくでかかった。そういうこともあって、この対談をやっていくにあたって「やっぱり一回目は川崎さんでしょ!」って(笑)。

川崎 恐縮です(笑)。

土屋 川崎さんがホームページ作って14年、うちの店がオープンして7年経ったけど、結局まだこの状況なんですよね。正直まだまだだけど、でも、だからこそできることもいっぱいあると思うんだ。俺が店を出したときも「オワコン」になったって思った人もいっぱいいたと思うんだよね。その前からULに注目してた人たちからしたら「あーあ、もう世間に知られちゃったね」みたいなさ。でも、それってすごく短期的な目線だと思うんだ。「じゃあ川崎さんがホームページたちあげたのいつ?」とか「バックパッキングが始まったのはいつ?」みたいに辿っていったら、それもこれもすごく長い歴史の一断片だってわかるんじゃないですか。だから今までと同じように確実に時間かけてやるしかないのかなって。PCTも構想からできあがったのが70年後なんだよね。だからやっぱり急ぐ努力はするけど、焦る必要はないかなって。

川崎 ロングトレイルも日本でもできつつありますしね。

土屋 正直、日本でいわれているいまのロングトレイルって、言葉だけロングトレイルを使ってアメリカの現状を見ないで作っている場所がほとんどなんですね。信越トレイルは事務局の人たちもアメリカ視察にいって、アメリカのナマの状況を持ってきているんですけど。たとえばロックが好きならロンドンいきたいとか、ミュージカル勉強したかったらブロードウェイにいきたいとかあるじゃないですか。それと同じように、ハイキングやアウトドアのカルチャーを知りたかったらやっぱりアメリカにいかなくちゃならない。当然、日本には日本独自の文化があっていいと思うけど、それも本場を知ったうえでやっているのと知らないでやっているのとはぜんぜん違うから。でも、昔から比べるとPCTやATの日本人ハイカーもすごく増えているんです。JMTにいく人なんか本当に増えた。かつて川崎さんがULのナマの情報を日本に伝えてくれたように、その子供たち…川崎さんの名前は知らなくても、うちの店やTRAILSなんかを経由して間接的に影響を受けたような人たちが、ロングトレイルを歩いてトレイル・カルチャーのナマの情報をどんどん発信してくれたら、これからの7年や10年がすごく面白くなると思うな。

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■土屋智哉の取材後記

取材場所で久々に出会った川崎さんは、やはり川崎さんだった。乗ってこられたクルマはBMWのi3。「試乗車ですよ」と笑っておられたが、カーボン・シャーシの電気自動車に興味を持つあたり、革新的なテクノロジーへの旺盛な好奇心はこの15年何ひとつ変わっていないようだった。

そしてもうひとつ、弱者側からの目線も変わらない。フィジカル・エリートでなくとも山を歩く楽しみは得られるし、裏山ですら個人的冒険のフィールドになりうる。それをサポートしてくれる方法論がULなのだ、という姿勢。こうしたブレない姿勢が日本におけるULカルチャーを造ってきたのだ。

わたしも川崎さんも、やりたいことは山ほどあるので昔を懐かしんでいる暇はさほどない。しかし、文字資料が少ない日本のUL事情からすると、取り留めのないこんな対談も貴重な記録かもしれない。わたし自身、この対談であらためてULへの強いモチベーションをいただけました。やはり川崎さんは師匠です。(土屋)
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WRITER
土屋智哉

土屋智哉

1971年、埼玉県生まれ。東京は三鷹にあるウルトラライト・ハイキングをテーマにしたショップ、ハイカーズデポのオーナー。古書店で手にした『バックパッキング入門』に魅了され、大学探検部で山を始め、のちに洞窟探検に没頭する。アウトドアショップバイヤー時代にアメリカでウルトラライト・ハイキングに出会い、自らの原点でもある「山歩き」のすばらしさを再発見。2008年、ジョン・ミューア・トレイルをスルーハイクしたのち、幼少期を過ごした三鷹にハイカーズデポをオープンした。現在は、自ら経営するショップではもちろん、雑誌、ウェブなど様々なメディアで、ハイキングの楽しみ方やカルチャーを発信している。 著書に 『ウルトラライトハイキング』(山と渓谷社)がある。

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