井原知一の100miler DAYS #04 | 走る生活(HK4TUC)
文・写真:井原知一 構成:TRAILS
What’s 100miler DAYS? | 『生涯で100マイルを、100本完走』を掲げる、日本を代表する100マイラー井原知一。トモさんは100マイルを走ることを純粋に楽しんでいる。そして日々、100マイラーとして生きている。そんなトモさんの「日々の生活(DAYS)」にフォーカスし、100マイラーという生き方に迫る連載レポート。
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トモさんの暮らしを「走る生活」「食べる生活」「家族との生活」という、主に3つの側面から捉えていきながら、100マイラーのDAYSを垣間見ていこうというこの連載。
第4回目は、第1回につづいて「走る生活」です。
今回は48本目の100マイル完走となった2019年の『HK4TUC』(※1) を紹介してくれます。
100マイル完走とは言ったものの、このレースの距離は185マイル (298km)。制限時間は60時間。実は知る人ぞ知る過酷なレースなのです。
そんなレースに臨むときも、緩急のメリハリをつけた生活を送っていたり、どんなレースでも日々のトレーニングは標高600mにも満たない地元の高尾山をベースにしていたり、そういったルーティンはとてもトモさんらしい “DAYS” です。
※1 HK4TUC:Hong Kong Four Trail Ultra Challengeの略称。2012年に、香港在住のウルトラランナーであるアンドレ・ブルームバーグによって創設された。香港にある4つのロングトレイル (マクリホース・トレイル、ウィルソン・トレイル、ホンコン・トレイル、ランタウ・トレイル) をつなげた、全長298kmのレース。4日間かけて走るステージレースとして始まったが、翌年に3日間に短縮、2014年からは制限時間60時間となった。ただし、75時間以内にゴールすればサバイバーとして認定される。
ゴール付近で、サポートしてくれた仲間やレースのスタッフに迎えられるトモさん。
HK4TUC (Hong Kong Four Trail Ultra Challenge):レースで泣いたのは、人生で初めて
このレースのことは前から知っていて、出たいと思いつつもいいタイミングがなくて。
ただ、前年の2018年にバークレー (※2) でDNF (Do Not Finish) となったのがきっかけになりました。というのも、HK4TUCの制限時間がバークレーと同じ60時間で、点と点がつながり出走することにしたんです。
※2 バークレー・マラソンズ:アメリカ・テネシー州のフローズンヘッド州立公園で毎年3月に開催されている耐久レース。「世界一過酷なレース」とも呼ばれている。1986年に第1回目が開催。以来、34年間で完走したのはたった15人。発案者は、ラズ(ゲイリー・カントレル)。総距離は100マイル以上、累積標高は2万メートル以上、制限時間60時間。エントリー方法も公開されておらず、謎の多いレースでもある。
『HK4TUC』のスタート地点、マクリホース・トレイルのトレイルヘッドにて。
ここまで47本100マイルを完走してきて、それなりの自信はありました。だから60時間以内にかならずゴールできると思っていました。
でも、香港特有の死ぬほど階段を上り下りさせられるコースや、トレイルとはいえほとんどがアスファルトという硬いサーフェスは、想像以上にキツかった。
「もうこれ以上走れない」という脚を、無理やり動かして何百段もある階段を下るときは、一歩ごとに歯を食いしばっていたほどです。
57時間が経ち、約2日半の旅も終わりゴールが見えたときは自然と涙が出ました。これまでレースで泣いたことなんてありませんでした。でも、HK4TUCはレースではなく、あくまでチャレンジなんです。
主催者のアンドレがやりたいからやっているこのチャレンジに、ウルトラ (※3) の新しい楽しみ方だったり、人の温かさ、サポートクルーへの感謝、そして新たな壁を乗り越えた自分にホッとしたような、いろんな気持ちが混ざった瞬間でした。あらためて、ウルトラは過酷さが魅力で、それが楽しさなのだと思いました。
※3 ウルトラ:ウルトラランニング (長距離レース) のことで、ロードであれば100キロ、トレイルであれば100マイル (160キロ) を指すことが多い。
自然と涙が出たトモさん。レースで泣いたのは人生で初めてとのこと。
【走る生活 (その1):レース16日前】ハワイの100マイルレース『HURT100』に出場
HK4TUCの次に控えていたバークレーを見据えて、『HURT100』に出場しました。バークレーの2カ月前だったので、刺激入れの意味合いと、現時点の自分の実力をはかるためでした。
結果は4位。そこまで頑張らなかったけど結果がついてきたので、調子がいいなと感じました。
2019年の『HURT100』。エイドでトモさんをサポートする愛娘のさくらちゃん。
ただ、バークレーに向けて追い込みすぎたこともあって、ダメージは大きく、『HURT100』が終わってから1週間はしっかり休んで、ウォーキングやサウナやマッサージで疲労回復に努めました。
『HURT100』のあと、行きつけの治療院でマッサージを受ける。
【走る生活 (その2):レース直前】30kmで累積標高が3,000mある高尾のコースを走る
レース7日前から、HK4TUCというよりバークレーを意識した練習をしました。
具体的には、30kmで累積標高が3,000mあるような高尾のコースを、2日に1回のペースで走るというもの。
雪の日の地元高尾。天候にかかわらずコツコツと練習をつづけた。
今振り返ればHK4TUCに合わせた練習をしていれば、もっと当日には疲労も抜けていたんでしょうけど、このときはバークレーしか頭になかったのでしょうがないですね。
SUB60 (※4) の自信はありましたが、HK4TUCにはトレイルの標識はあれど、コースマーキングが一切ない。つまりルートをしっかりと覚えておかないといけなかったので、ここだけが心配でした。
※4 SUB60:60時間以内に完走すること。SUB (サブ) とは英語で「下」を意味する単語。
『HK4TUC』のコースを頭に叩き込むべく、地図を何度もくまなくチェックした。
大会前日にコースのGPSデータを携帯アプリに入れて、走っている間も音声ガイドをしてもうツールを教えてもらったことが、功を奏したと思います。
【走る生活 (その3):レース直後】 冷却シートで疲労回復
HK4TUCが終わって、サポートしてくれた仲間のみんなで食事をしました。お酒も食事も美味しく、このレースを通してあらためてお会いできた素晴らしい仲間に感謝です。
どの100マイルであっても、走った後の7日間はしっかり休んで、カラダの声を聞くようにしています。
どこか悲鳴をあげていれば、7日後には走れるように、セルフケアや治療院に行ってメンテナンスをしてもらっています。
自分の場合、やるときはとことんやるので、このように休む時もとことん休まないと、いざやる時にモチベーションが保てないんですよね。こういうメリハリをつけてやることがルーティンとなっています。
レース後は、かならず冷却シートで疲労回復。下半身はもちろん、腕振りで酷使した上半身のリカバリーも大事。
【走る生活 (その4):レース1週間後】バークレーに向けて高尾で走りまくる
7日間しっかりとレストをして、カラダに異常もなく、蓄積された疲労もとれてきたので、バークレーに向けて練習を再開しました。
バークレーはとにかく距離が長く、上りが多い。そこで地元高尾で高低差400mくらいの山を一気に上り下りして、最低でも距離に対して斜度が10%を超えるコース(例:50km / 5,000m)を選びながらフィジカルを鍛えました。
また、苦手な夜間のナビゲーションを克服するために、夜に登山道から外れた谷や尾根など、いろんなトレイルをとにかく走りまくりました。
いつも楽しんでいる表情が印象的なトモさんが、ゴール後に涙を流したことには驚かされた。でもそれは、このHK4TUCが「レース」ではなく、「チャレンジ」だったからだろう。
競うのではなく、その過酷さを存分に味わい、楽しむ。100マイラーのトモさんの真骨頂と言えるのではないだろうか。
次のチャレンジは来春に控えたバークレーだろうか? その時、トモさんがどんなパフォーマンスを見せてくれるのか、楽しみで仕方がない。
TRAILS AMBASSADOR / 井原知一
現在の日本における100マイル・シーンにおいてもっともエッジのた立った人物。人生初のレースで1位を目指し、その翌年に全10回のシリーズ戦に挑み、さらには『生涯で100マイルを、100本完走』を目指す。馬鹿正直でまっすぐにコミットするがゆえの「過剰さ(クレイジーさ)」が、TRAILSのステートメントに明記している「過剰さ」と強烈にシンクロした稀有な100マイラーだ。100マイルレーサーではなく100マイラーという人種と呼ぶのが相応しい彼から、100マイルの真髄とカルチャーを学ぶことができるだろう。
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