フォロワーゼロのつぶやき 中島悠二 #22 飛龍山
<フォロワーゼロのつぶやき> 中島君(写真家)による、山や旅にまつわる写真と、その記録の断面を描いたエッセイ。SNSでフォロワーゼロのユーザーがポストしている投稿のような、誰でもない誰かの視点、しかし間違いなくそこに主体が存在していることを示す記録。それがTRAILSが中島君の写真に出会ったときの印象だった。そんな印象をモチーフに綴られる中島君の連載。
#22「飛龍山」
奥秩父の飛龍山の頂上付近にいる(いた)。昨夜からの断続的な雨でぬかるんでいる。湿気。雨と汗が混じって流れる。たまに日が差してくるときがあって、草についた水は乾いてほしい。斜めの影が、ゆっくりと薄くなって、消えてなくなった。
この山に惹かれて、何度も来る。なんでだろうか、考える。
奥秩父の表に目立つ雲取山があって、その奥に隠れるのが飛龍山で、名前は派手なのに展望がなくて地味すぎる頂上が、看板がなかったら通り過ぎるほど、主張がなくてクール。
人が少なくてしんとして静か。ひとりで来てみると、ひとりがよく似合っている。山の懐深くにはいりこんだ、という感覚。奥秩父の“奥”が腹の底に感じられてぐっとくる。
山は寂しくないと嫌。
さっきから倒木に座っている。どうもこの頂上は、様子がおかしい。
今日は雨のせいで湿気てるからそうなのか、空気が重たくて、景色に色味がない。木はどれも細くてなさけない、樹皮が湿気でベロンとはがれて、生肌が剥き出しになっている。ところどころ倒れた木の破片は、爆撃でもうけて、破砕。それがそのまま放置されたみたいに散らばっている。
自然、という言葉から連想される、生と死の絶えまない新陳代謝が、ここにはない。活気がなく「時間に見離されている」といった印象。未来には進まないので、温度もなく、この倒木はこの先もずっと倒木であり続けるのだ。
力なく、写真の中のような世界の中で、動いているのは僕以外にもいて、蠅 (ハエ) がいる。2匹、小さな羽の音を震わせて、半分残しておいたスニッカーズを食べている、自分の頭部のまわりを飛んでいる。もう手ではらうこともやめた。眼で追いかけても、かわいくはない。親しみがわく、とも全然言えない。
「ここはお前のくるようなところではない」。
そう言われている気がする。
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