TRAILS環境LAB | 松並三男のSALMON RIVER #16 鮭川村での3年間の振り返り(前編)
構成:TRAILS 写真:松並三男
What’s TRAILS環境LAB? | TRAILSなりの環境保護、気候危機へのアクションをさまざまなカタチで発信していく記事シリーズ。“ 大自然という最高の遊び場の守り方 ” をテーマに、「STUDY (知る)」×「TRY (試す)」という2つの軸で、環境保護について自分たちができることを模索していく。
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『TRAILS環境LAB』の記事シリーズにおいてスタートした、松並三男 (まつなみ みつお) くんの連載レポートの第16回目 (前編)。
松並くんは、現在の仕事の任期がこの3月でいったん終了となる。今回の記事では、いままでの鮭川村での3年を振り返ってもらった。そして、思い描いていたことがどこまでできたのか、またどのように実現していったのかを語ってもらうことにした。
松並くんは2019年にパタゴニアを退職し、山形県鮭川村に家族で移住。そして鮭川村の鮭の現場で、「鮭」をテーマに環境問題に取り組んできた。この連載を通じて、僕たちも環境保護の「STUDY」を深めてきた。
彼はこの3年間、さまざまな試行錯誤と実験を繰り返してきた。TRAILSも、彼を通じて、鮭と環境問題に向き合い、学び続けてきた。
今回は、松並くんとTRAILS編集部crew (佐井、カズ、小川、根津) で、テレビ会議を使用して座談会を開催し、この3年間を語り合った。
その模様を、前編・後編にわけてお届けしたい。前編は、松並くんとの座談会。後編は、この3年間、松並くんをサポートし続けてきた鮭川村役場の西野さんと黒坂さんのインタビューだ。
鮭の存在そのものが環境の指標になる! そう確信して鮭川村への移住を決めた。
TRAILS佐井:2020年の7月にスタートした企画なので、あらためて大前提となる話も思い出しながら振り返りをしていけたらと思っているんだけど。そもそも、どうして鮭川村に移住したんだったっけ?
松並:高校時代にゴミだらけの海に衝撃を受けて環境問題に目覚め、大学では現場主義の恩師に出会い、そしてパタゴニアに入社しました。入社10年のタイミングで、娘も生まれ、将来を考えた時に、自分の言葉に力を持たせるには、今まで以上に現場に立つしかない、と思ったのがきっかけです。
妻の出身地である山形県で仕事を探していた時に目にとまったのが、鮭川村の地域おこし協力隊の募集で、「鮭の利活用」がテーマでした。それを見て、あらためて鮭を調べてみたら、すごく面白くて、「これだ!」と思ったんです。
TRAILS小川:現場主義というのがキーワードだったよね。鮭を「環境」という視点から見るようになったのは、移住してからだった?
松並:移住する前です。鮭を調べている段階で、この鮭の存在そのものが環境の指標になるということが明確にわかって、それが移住の決め手でした。たとえば、これが「鯉の利活用」とか「ナマズの利活用」とかだったら違いました (笑)。
TRAILS小川:鮭は海の環境も、川の環境も影響を受ける、回遊魚であることも大きかったという話をしてたよね。
松並:そうですね。1万km近く回遊して、また生まれた川に戻る遡上魚なんです。川だけではなく、海の環境も大事で、いずれもいい状態じゃないと生きていくことができない。そんな魚を指標にすれば、他のすべての魚も住みやすい海や川が前提となるはずだと考えました。また世界中で食べられている、なじみのある魚であること。日本が放流数では一番多い国であること。そういったことを考えても、これは面白い魚だと思いました。
TRAILS佐井:鮭であるということが大事なんだよね。僕たちも、松並くんの記事を通じて鮭とずいぶんと向き合ったけれど、川から海へ、海から川へと長い年月をかけて戻ってくる鮭、国内では縄文時代の遺跡から鮭漁の痕跡がみつかるなど、古くから世界中で食されている鮭だからこそ意味がある。本当に鮭は、環境におけるキラーコンテンツだよね。
松並:そうなんです。鮭はどの角度から見ても、すごく面白いんです!
1年目で現場を知り、2年目で試行錯誤を繰り返し、3年目で情報発信に努めた。
TRAILS佐井:移住が決まった際に、3年間でこれを実現しようといった目標はあったの?
松並:いま思えば、最初の段階では明確なゴール設定はなかったですね。役場としても、川のことに関しては、川遊びも含めてなんでもやってくださいという感じで。鮭についても、10月の漁のシーズンにならないとわかりませんでしたし。それが1年目でした。
TRAILS佐井:鮭の利活用という大目的はあるものの、まずは現場を知ることからだと。1年ごとで見ていくと、それぞれ具体的にどんなことをしてきた期間と言えるのかな。
松並:1年目は、とにかく人に会いに行って関係性を築いたり勉強したりする年でしたね。2年目は、鮭の食べ方をいろいろ試して、失敗もしながらようやく、ようのじんぎり (鮭を塩漬けして寒晒しにする、鮭川村の伝統的な保存食) や魚醤など、これだなというのがわかってきて。3年目は、やるべきことが見えていたので心の余裕がありました。
TRAILS佐井:2年目で方向性がある程度見えてきて、3年目はアウトプットという感じだよね。
松並:3年目は発信がテーマでした。やっぱり知ってもらわないと始まらないので。それで、サーモン月間プロジェクトを進めたり、TRAILSの連載に力を入れたりという感じでした。
鮭の旨味を出すには、塩漬け、寒晒しが正解ということが科学的にわかった。
TRAILSカズ:私たちも試作品を食べさせてもらってフィードバックもしたけど、いろんな食べ方を試してみて、うまくいったこと、いかなかったことってなんだった?
松並:まず、魚醤という鮭の活用法に気づけたことが良かったです。1年目に、生の鮭をさまざまな飲食店に送って試してもらったんです。そうしたら、とある送り先の店のお客さんがわざわざ魚醤を作って、送ってくれて。これがすごく美味しくて、魚醤はヤバイ!となったんです。
それで、鮭の魚醤を製造・販売しているところへ視察なども行きました。そこでは、匂いの研究もしていたんです。そのデータや論文を見せてもらい、鮭の臭みの原因が明確になったのは大きかったですね。
多くの郷土料理は、臭みを消しているわけではなく、あくまで軽減するようなマスキングの料理が多いんです。でも僕はそうではなく、鮭の旨味の本質を出したいと思っていました。血抜きや神経締めもやりましたが独特な匂いを解決できなくて。でも魚醤メーカーの人から、それが揮発性の脂肪酸の酸化であることを聞いたんです。言ってみたら、おじさんの加齢臭です (笑)。
揮発性っていうのがポイントで、魚醤のように塩漬けして保存することで匂いが抜けていくんです。ようのじんぎりも同じで、塩漬けすると水分が抜けて、寒晒しにして乾燥させていくと、最初はこんなの食べられるのかっていうくらい臭いんですが、乾燥が進むごとに見事に匂いが抜けていくんです。
旨味の最大値を出すためには、塩漬け、寒晒しが正解ということが科学的にもわかったのです。それが2年目でした。
TRAILS佐井:釣った魚の血抜きをやってきた僕みたいな人からしても、それは盲点だね。内臓と血が臭みの原因だと思っているから、脂肪酸の酸化なんて想像すらしたことない。
松並:血抜き自体は、血を抜いたほうが確かに旨味を強められるし腐りにくくなるので、意味はあるとは思います。一方で神経締めは、熟成を遅らせて旨味の最大値が後に来るようにする方法です。でも、僕がやっているような、そもそも長い時間をかけて熟成させる食べ物には、神経締めがどこまで有効なのかはまだわかりません。ようのじんぎりにしても魚醤にしても、何カ月も保存するわけですから。ただ、神経締めで鮭を苦しませずに死なせてあげるという意味では大事なのかなと。人間も、苦しみながら死ぬのは嫌じゃないですか。
TRAILS佐井:おくりびと的な感じだね。
松並:それはすごい思いました。これまで、2年間にわたって締め続けてきたので、これは生涯をかけてやり続けないと、鮭に申し訳ないという気持ちはあります。
鮭の「食べ方」と「増やし方」が、これからも重要なテーマであり続ける。
TRAILS根津:松並くんが掲げていた、鮭の「食べ方」と「増やし方」という2大テーマは、もともとあったというよりは、鮭川村に移住して、いろいろ試しているうちに明確になった感じ?
松並:そうですね。ここまで食べることについて話してきましたが、そもそも孵化 (ふか) 事業というのは、増やすために鮭をとっているわけですからね。2年目の時点で、この2軸で考える必要があると思いました。それは、TRAILSの記事を書きながらより明確になっていった感じです。
TRAILS根津:増やし方のひとつの手法である、発眼卵放流は今後どうなっていくの?
松並:まだまだ実験の段階なので、成果が明確になるまでには時間がかかると思います。現在、#12の記事 (詳しくはコチラ) でも紹介した生残率 (卵が稚魚に育つまでの割合) を、毎年出して、データを積み重ねています。
ただ、これまでメインとされてきた稚魚まで育てて放流する人工孵化の手法と比べて、発眼卵放流は大きな設備投資が必要なく、省コストであるので、持続性の観点でも導入メリットは明確です。なので、今後も推進していくべきだとは思っています。
山形県の遊佐 (ゆざ) に拠点を移して、鮭を通じたアクションを続ける。
TRAILS佐井:かなりの成果を出すことができた3年間だと思うけど、この春から松並くんは鮭川村を出て、日本海側の遊佐町 (ゆざまち) に移住するよね。鮭川村を離れるというのは大きな決断だよね。
松並:鮭川村の人たちからも、これだけやってきたのになんで出るの? という感じで言われることは多いですね。正直、この判断が正しいかどうか不安になることもありますが、それは今後の僕次第かとは思っています。
移住先の遊佐町には、月光川水系の川がいくつもあります。鳥海山の湧水を活かした3箇所の孵化場がある月光川水系の鮭の遡上量は、10万尾以上 (令和2年度)。鮭川が約2,000尾なので桁違いです。山形県全体の鮭の遡上量で考えると、この月光川水系が9割を占める計算になります。今後も、鮭に関わっていく上では、ここは無視できないと思っていますし、学べることがあると思っています。また、このエリアの鮭関係者の人たちとも、なにか新しいことができないかと相談をはじめたところです。
鮭の現場に立つことをやめない限りは、絶対に大丈夫だと信じて動いているつもりです。ですので、僕にとっても、鮭の今後にとっても、必要な場所に行くだけだと考えています。
TRAILS佐井:前提として、松並くんは鮭を通じて、自然環境を守り、いい循環をつくろうとしている。そのために、鮭を経済活動というシステムにおいても機能させていくことは大事だと思っている?
松並:それは必要だと思っています。美味しいものを作って、鮭にちゃんと価値をつける。たくさんの鮭が戻ってくる環境があって、それを増やしていくという循環が大事かと。
TRAILS佐井:その実現のために、松並くんは鮭川村を離れるわけだよね。ある意味、鮭川のためにアメリカ留学行く、みたいなイメージだよね。
松並:その通りですね。場所は少し離れますが、山形県のなかで鮭を通じた活動をすることは変わりません。特に川の規模や地形など、鮭川には月光川水系にはない強みもあると思っているので、こうした点については、これまで以上にきちんと伝えつつ、鮭川村ともいままでと形を変えて今後も一緒に活動していく予定です。
次回後編では、この3年間、松並くんをサポートし続けてきた、鮭川村役場の西野さんと黒坂さんのインタビューをお届けします。
鮭川村生まれ、鮭川村育ちのお二人から見た、松並くんおよび松並くんのアクションについて、語ってもらいました。
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