アリゾナ・トレイルのスルーハイキングレポート(その6)| by 河西祐史 a.k.a. Wonderer #06
文・写真:河西祐史 構成:TRAILS
クレイジーなまでにアメリカのロングトレイルを歩きまくっている日本人ロング・ディスタンス・ハイカー、河西祐史 a.k.a. Wonderer (ワンダラー)。自分が行きたいと思うアメリカのトレイルをまとめた『おもしろそうリスト』は、つねにパンパン。そのくせ歩きに行くと、トレイルそっちのけでガンガン寄り道をしてアメリカを遊び倒してしまう型にハマらないハイキングスタイルが、僕たち好み。そんな河西さんによる、This is Americaなハイキング・レポート。
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河西さんほどアメリカのトレイルを歩いている現役日本人ハイカーはいないだろう。そんな彼が、この連載第一弾でレポートしてくれるのは、アリゾナ・トレイル (AZT ※)。
アリゾナ・トレイルの北端からスタートし、ノーザン・セクション、セントラル・セクションを経て、ついにラストのサザン・セクションに入った河西さん。
トレイルから外れたところにある山頂に寄り道したり、補給地の街で現地の人と雑談したり、毎回キャンプ適地を見つけてはタープ泊したりと、旅の終わりが近づこうとも何ら変わりなくスルーハイクを楽しんでいるのが印象的だ。
そんな河西さんによる、アリゾナ・トレイルのレポート最終回。どんなフィナーレを迎えるのか、想像しながら読んでみてください。
岩だらけのトレイルを越えて、プリズンキャンプの跡地へ。
朝イチから道を間違えて、全然違う方向に行ってしまった。まあ、そんなこともある。
今日は今の標高で少し進んで、そこから一日下りだなと思っていた。ところがなかなか下りにならず、気がついたら周りは岩だらけのエリアになっている。地形としては面白いが、ちっとも距離が進まない。危ないところだった。
元々はマウントレモンの手前から、早朝スタートで標高の高いエリアを一気に越えるつもりだったのだ。高所では今夜あたり雪かみぞれの予報で、1日で山越えプランだったら、標高が下げられないまま悪天候直撃だったかもしれない。高所でキャンプはちょっと寒かったけど正解だったと思う。その後、この日は標高1,200mまで一気に下った。
トレイルが「ゴードンヒラバヤシキャンプグラウンド」をかすめていたので寄ってみる。キャンプサイトがあり、馬をつなぐ区画があり、トイレがあってゴミ箱がある。典型的なキャンプ場だ。
ここは戦時中に日系アメリカ人が収容され、近隣の道路建設に従事させられた「プリズンキャンプ」の跡だという。アリゾナ・トレイルから離れたほうに、石垣や建物の基礎らしきものがちょっと残っているようだったが、どれが何なのかはよく分からなかった。
正直、意義はあまり感じられない。近くには悲劇的な事件の犠牲者の名前を冠したトレイルヘッドなどもあり、そういったネーミングにこそ役割が見出されているのかもしれない。
国立公園でのキャンプは申請が必要になるため、一気に通り抜ける。
サグアロ国立公園が近づいてきた。マウントレモン同様に、これも通り過ぎるハイカーにとっては問題で、標高の高いところが国立公園の範囲内になっている。
キャンプの許可を申請して指定のサイトに泊まるのも手間なので、アリゾナ・トレイルのハイカーは「直前でキャンプして1日で山越えし、その日のうちに国立公園を出る」作戦を取ることが多いようだ。登り始めると地形は厳しくなるので、SNSや地図アプリで公園のすぐ外ギリギリにキャンプできるスポットの情報が盛んにやり取りされている。
登りの途中で真っ暗になってしまったが、目指してきた場所にようやくたどり着いたと思ったら、例のカップル (詳しくは前回の記事を参照) のテントがそこにあって笑ってしまった。ヘッドランプを頼りに、岩や茂みの間を縫うようにあたりをうろついて、どうにか横になれるスポットを見つけてキャンプ。
翌朝は薄暗い時間から動き出して早々と国立公園に入り、中の山マイカマウンテンを越える。山頂はアリゾナ・トレイルからちょっと外れていたが行ってみた。標高2,627mと地図にあるが、松林の中の周りに景色が何も見えない山頂だった。
さらに外れて、ツーソンの街が見えるという岩場スパッド・ロックまで行ってみる。あいにくの曇天で、眺めはまったく面白くなかった。岩場そのものはなかなかだったが、とにかく今日中に山を下って国立公園を出なければならないのでゆっくりもできない。トレイルに戻り、先を急ぐ。
標高が下がるにつれ植物相が変わり、そのうち国立公園の名前通りにサグアロ (巨大サボテン) だらけになった。
日暮れ時、標高が1,000mを切るまで下ってようやく国立公園を出る。次第に暗くなる中でキャンプできそうな場所を探しながら歩いていたら、いきなりジーッ!と音がして凍り付いてしまった。近くにガラガラヘビがいたのだ。慌ててヘッドランプを出して点け、音のほうを照らして蛇を見つける。
幸いトレイル上ではなかったので、そーっと通り過ぎた。ここのところ暗い中を歩くことが多かった。事情もあるから仕方ないけど、やっぱり危険はある。気をつけないと。
砂場を見つけて、久しぶりにタープを張る。ここ数日は高所でみぞれか雪の予報で、結局ここでも明け方に小雨がぱらついた。カウボーイキャンプはもう終わりにして、あとは毎晩張ろうと決める。山越えの後なんかはいちいち張るのが面倒だけど。
日本の格闘技の大ファンというタコベルの兄ちゃんに、声をかけられる。
マウントレモンから4日目、ヴェイルという街の近くを通る。ヴェイルの向こうにはツーソンがあり、新型コロナがなければ都市部に出て補給する手もある。自分はいろいろ考えた末、道路を歩いてヴェイルに行くことにした。
暑い中、2時間ほどかけてスーパーまで移動する。駐車場を囲むようにガソリンスタンドやファーストフードがある、郊外型の大きなスーパーだった。
とりあえず駐車場のタコベルに入って注文すると、タコスを待つ間にレジの兄ちゃんが「日本人か。あー……ミノワマン?」と言ってきた。びっくりしていると「タカノーリ・ゴミ、シンヤ・エイオウキー、カズーシー・サクルアーバー……」と続けてきた。
すっげえマニアだなと笑ってやると、俺たち大ファンなんだという。これは日本の格闘技イベント「PRIDE (アメリカではPRIDE Fighting Championshipという)」の選手の名前だ。自分はこれまでにも何度か「お前日本人か。プライド・ファイティング!」などと言われたことがある。昭和の頃はこれが「カラーテ!」だったのだろう。
スーパーで食料を買い込んでいると「お、アリゾナトレイルか! 送ろうか?」と声をかけられた。ちょっと迷ったが、向こうは地元のハイカーで事情が分かっているらしく「車だとすぐだ。気にするな」というので甘えてしまった。帰りは10分もかからないくらいでトレイルに戻る。
トレイルマジックに遭遇して、チキンサンドイッチとチーズとビールをいただく。
しばらくはツーソンの郊外エリアなので、道路や線路をくぐったり渡ったりして進む。
ある道路を渡ったら、すぐ近くにクーラーボックスが置いてあった。見ると中にはミネラルウォーターのボトルが入っていて「1ドル入れるか、Venmo (アメリカのモバイル決済サービス) で支払って」とある。
すぐ近くにトレイルエンジェルが水を置いてくれているので、売り上げは低調そうだった。しかしエンジェルの「ウォーター・キャッシュ」はタイミング次第ですっからかんだったりするので、ありがたい取り組みではある。
また、あるダートロードに差し掛かった時、道路脇に折り畳みの椅子とクーラーボックスがあった。トレイルマジックだ。
ノートもありその書き込みを見ると、前日にここで感謝祭のパーティーとして、ハイカーに食事を振舞ったエンジェルがいたらしい。クーラーボックスの中にはまだいろいろ入っていた。サイコーだ。ありがたくチキンサンドイッチとチーズ、そしてビール (ああ!) をもらう。
最後の補給地でリフレッシュして、2,500mを越えるピークが密集するエリアへ。
ヴェイルでの補給から3日目、マウントレモンから数えると7日目。最後の補給地となるパタゴニアという街に着いた。
この時点 (2021年) では街の中を通る道路がアリゾナ・トレイルになっているが、街を迂回するトレイルが作られていて、新型コロナがなければもうそっちにルートが変更されているはずだった。アメリカのロングトレイルでは、こういうことが常に行われている。作って終わり、ではないのだ。
街に着いたら、泊まれそうなところがどこもいっぱいだった。後から分かったのだが、どうやら年に1度のアートイベントにぶち当たってしまったらしい。地元の方から、街外れでアーティストに庭を開放していた家を紹介してもらう。お金を渡して、庭でキャンプさせてもらうことになった。
ちょうどそこはハイカーが泊まれる場所としてやっていこうとし始めたところで、あれがビジネスなのか、いわゆるトレイルエンジェリング (トレイルエンジェルとしての行為) なのかはもう分からない。
アリゾナ・トレイルの南端はかなり辺鄙な場所にあるので、迎えを手配することにした。すると日程が決まってしまうのだが、国境の近くはキャンプが禁止だったり、山越えがあったりして天候次第ではなかなか厳しい。
昼に街を出て、暗くなったところでキャンプ。翌日はそこから17mile (27km) 進んで、標高1,600mほどでキャンプ。
パタゴニアから3日目。2,500mを越えるピークが密集するエリアへ。アリゾナ・トレイルは山頂を通らないが標高はどんどん上がり、日影になる斜面には雪が残る。長く残った雪でトレイルが凍っている場所もあり、想定よりも時間がかかった。17mile (27km) 進んで2,884mのミラー・ピークに登り、山頂近くでタープを張る。
アリゾナ・トレイルは標高で100mほど下を通っているのだが、これより先には3、4カ所ぐらいしかキャンプできるスポットがないという情報で、追い越したり追い越されたりしているハイカーで埋まってしまっているはずだ。寒い最後の一夜を過ごした。
ついに、アリゾナ・トレイルの南端、メキシコ国境にたどり着く。
4日目は6.5mile (10km) ほどで国境へ。下ってきて、もう少しで平地というか荒野になるというところでフェンスについた。有刺鉄線だけの簡易なフェンスが延々と続き、その脇には鉄骨の巨大な壁の骨組みがあった。フェンスのすぐ向こう側、見たところはメキシコ国内にモニュメントがある。
鉄骨はトランプ大統領による「国境の壁」、つまり不法移民を防ぐためにメキシコとの国境に巨大な壁を作るという計画の一部、というか作りかけだと言われている。
ちょうど居合わせたローカルのハイカーが “So Ugly (醜い) !” と吐き捨てるように言っていた。トランプが嫌いなのだろう。ただ、自分は「あの鉄骨は壁建設の大統領令以前からあった」という説も聞いたことがある。ついでに言うと、壁が作られ始めてからこのエリアは立ち入り禁止になっていて、ハイカーといえども国境のモニュメントまで行ってはいけないという説もある。
もう何が何だか分からないが、とにかく目の前のトランプ嫌いにカメラとスマホを渡し、記念撮影してもらった。
追い越したり追い越されたりしてきたスルーハイカーたちは誰もいない。ちょっと面白くないが、誰か来るまでゆっくりもしていられない。迎えのシャトルと待ち合わせているので、時間までにサイドトレイルを歩いて道路まで出なければならない。さっさと国境を後にする。感慨も何もない。
スルーハイクが終わってすぐ、もしもう一回歩くなら……と妄想し始める。
シャトルでツーソンの空港まで移動し、そのままPCR検査を受ける。結果の受け取りが翌日になるからだけど、ちょっと環境の変化についていけない。
本当ならこんなに急ぎたくはないが、数日前に「オミクロン株」と名付けられたばかりの新型コロナ変異株に日本政府が警戒態勢を取り始めていて、とにかく帰国することを優先した。
空港の近くにホテルを取り、洗濯と入浴。翌日はツーソンで最後のゼロデイとした。アウトドアショップに行ってガスの残った缶を店員さんに「使ってくれ」とプレゼントする。ボロボロになったブーツを捨ててバックアップの新品に履き替え、あとは帰るだけだ。
こうしてハイクは終わる。意外と林が多かった、だからハンモックがあっても良かったな。もっと街に寄りたかった、そうすれば食料補給も楽だし。どうせなら今回と逆向き、スタンダードなノースバウンドで……と、反省点を考えることが「もう一回歩くなら」の計画になってしまう。
楽しかったからなあ。新型コロナでいろんな制約があってこれだから、本来もっと楽しいかもと思ってしまう。いずれもう一回……。冗談抜きで、チャンスがあれば行ってしまうかもしれない。
アリゾナ・トレイルをスルーハイクしたことで、感動や満足感、達成感、寂しさといった何かしらの感情がわきあがってくるかと思いきや、コロナ禍の影響もあり、ゴールしたらそそくさと空港へと向かいPCR検査を受けた河西さん。
きっと河西さんにとっては、このアリゾナ・トレイルのゴールも、あくまで旅の途中でしかないのかもしれない。だって、彼が行きたいと思うアメリカのトレイルをまとめた『おもしろそうリスト』は、まだまだパンパンなのだから。
しかも、ゴール後にさっそく「アリゾナ・トレイルをもう一度歩くとしたら……」の妄想まではじめてしまっているほど。もう次のトレイルに向かっているのだ。
河西さんの連載第二弾は、どこのトレイルになるのだろう。今から楽しみで仕方がない。
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