アルバニア・ヴョサ川 ヨーロッパ最後の原生河川、パタゴニアの映画『Blue Heart』の川を旅する(後編) | パックラフト・アディクト #64
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文・写真:コンスタンティン・グリドネフスキー 訳・構成:TRAILS
TRAILSのアンバサダーであるコンスタンティンが、今回レポートしてくれるヴョサ川。この川は、ヨーロッパ最後の原生河川と言われ、パタゴニアも映画『Blue Heart』 (2018年) でこの川をテーマに描いていることで知られている。
ヴョサ川は、ヨーロッパで最後のダムのない大河川であり、それゆえヨーロッパ最後の原生河川と呼ばれている。コンスタンティンは、以前に観たパタゴニアの映画に触発され、この大河を源流域から海まで7日間かけてパックラフトで旅することにした。
ヴョサ川の旅もいよいよ終盤。アドリア海にそそぐ河口部に近づいてくると、しだい川幅は広くなってくる。途中、パタゴニアの映画でも問題提起された水力発電所の建設予定地も目の当たりにする。この自然環境を守るべく早く国立公園に指定されることを願う二人。
これまで日本ではほとんど紹介されていない、ギリシャ、アルバニアのヴョサ川でのパックラフティング・トリップ。その貴重なレポートをお楽しみください。
ヴョサ川の広大な流れの脇に立つ、要塞の街テレペナ。
ヴョサ川はゴルジュ帯のエリアを抜けると、一気に開けた景色になりました。川の流れの特徴も大きく変わります。洪水でできた砂利が多い広い平野のなかを、川はいくつかの流れに分岐して流れていきます。テペレナの町の近くでは、まさにこのような川の景色が広がっています。
テペレナの町は、私たちが寄った町のなかで2番目の大きな町です。この町は、オスマントルコ時代は要塞を中心とした町でした。観光案内板によるとバイロン卿 (イングランド貴族のバイロン男爵) がここを訪れたことがあるそうです。しかし、その中には、城壁に囲まれた住宅があるだけで、あまり見るべきものはありませんでした。町のなかのお店はまだ開いていて、私たちはヨーグルトや乳製品を手に入れることができました。そうこうしているうちに、夕暮れのジロ (ジロは「歩く」を意味するアルバニア語。夕暮れ村や町の周りをぐるっと散歩する習慣を指す) の時間になりました。
パックラフトに戻るころには、もうあたりが暗くなってきていました。そのため、この日は数km先までの漕ぐ予定でしたが、少し先にあった川にかかる歩道橋の近くで陸に上がることにしました。
そこは古い要塞のちょうど反対側の場所でした。私たちはそこで真っ暗闇の中、カウボーイキャンプすることにしました。その夜、私は地元の伝説を読みました。テペレナの町は、建物が100棟を超えると、街が破壊されるという伝説です。私はこの話を読んで、もしかしたらこれは川によって破壊される、という言い伝えなのかもと想像しました。
川幅が広く開放的で緩やかな流れのなかを、のんびり漕いでいく。
旅の5日目は、37kmを超える長距離を漕ぐ、長い一日になりました。時折、ピンボールのような流れで遊ぶこともありましたが、全体的に川は大きく広がっていて、のんびりした流れでした。
メマリアージュ村の岸辺で、30隻以上のシーヤック (ドイツのプリヨン社のカヤック) を見かけました。ハンガリーのツアー会社のもので、この後にツアーのお客さんを乗せるために準備をしていたようです。そこにいたガイドの一人に話を聞くと、ツアーでは4日かけて70kmほどを漕ぐプランだとのことでした。
私たちが先に出発しても、すぐに私たちはこのツアーのグループに追いつかれるだろうと思いました。でもディディエは、「ツアーのお客さんはほとんどが未経験者だから、初日はのんびりと過ごすだろう、特にこのような大所帯の場合はね」と言いました。そして実際、ディディエの言う通り、ツアーの人たちにこの後に会うことはありませんでした。
川の周りの景色は、山から丘に変わりました。川が流れる平野はさらに広くなり、私たちが選択できる流れも1本ではなく複数あります。どっちの流れの方が水量が多いかは、推測するしかありません。海から遠く離れていましたが、ほとんど一日中、強い向かい風が吹いていました(午前11時から午後6時まで)。もし川の流れがなかったら、漕ぐのが大変だったでしょう。
パタゴニアの映画でも取り上げられていた、水力発電所の建設予定地。
イリラスの町で昼食をとり、さらに漕いでいくと、川が山脈の中に入っていき、ここでまた川幅が狭くなります。左手の高台には山火事の跡が見えます。
谷が再び開ける直前、両側の山が巨大な階段状になっているのが見えました。左の階段の横には、山肌を切り拓いた事務所や、川岸に仮設の建物がいくつか見えます。その一つから警備員らしき人が出てきました。
「ここはダムを作っていた場所に違いない」と私はディディエに言いました。「その通りだと思う」と彼も答えました。
たしかに水力発電所を建設する予定の場所のようでした。もし建設されれば、この日、昼食をとった場所も、その周辺の多くの集落も水没してしまうでしょう。しかし、もしヴョサ川が原生河川として国立公園に指定されれば、この川には水力発電所はもちろん、その他の水力発電所の建設も不可能になり、地元の人々はもちろん、世界中の科学者やアーティスト、活動家などの戦いは勝利することになるでしょう。
さらに少し進んだところで、大きな掘削機が、半分ほど川に浸かっているのが見えました。どうやらヴョサ川も、ダム建設と戦っているようです。
私たちは、さらに10kmほど漕ぎ続けました。もう暗くなり始めていたのですが、石だらけの河原でキャンプに適した場所を見つけるのにしばらく時間がかかりました。しかし、そのうちカウボーイキャンプに最適な平らな砂地を見つけることができました。
山奥の村にあるレストランで、この旅で一番おいしい肉料理を食す。
Googleマップのアプリで、そう遠くない村にバー&レストランがあるのを確認できたので、行ってみることにしました。この人里離れた山奥の村まで、50分ほどたっぷりかかりました。
Googleがレストランと言ったところは、実は閉まっていました。しかし、その隣にもう2軒開いている店舗がありました。そのうちのひとつに入ってみました。どちらかというとお店のように見えたからです。
Google翻訳を駆使して、レストランがどこにあるのか聞いてみました。店主は手を振って、「7km先にあるよ」と言いました。「でも、何か食事がしたいのであれば村のなかにあるよ」と言うので、そうすることにしました。
お店の前では、何人かの人が座って飲んでいました。ディディエは英語を話せる人がいるかかどうか尋ねましたが、誰もいませんでした。なぜだか覚えていませんが、次にドイツ語を話せる人がいないかを聞いてみました。すると、一人の男がドイツ語を話せることがわかりました。
私たちは食事がしたいと説明しました。彼は私たちを中に入れてくれました。そこでは年配の男性が非常に簡素なキッチンでテレビから流れる民謡の祭典を聴いていました。ドイツ語を話す男が通訳をしてくれました。「何が欲しい? 肉がいいかい?」と彼は言いました。
それは間違いない。厨房のおじさんは冷凍庫を開け、そこから大きな肉を取り出し、厨房にあった肉切り台の上で斧を使って何枚も切り刻みました。そして、その肉を秤に乗せました。
800gありました。「このくらいでどう?」と彼は私たちに聞きました。十分すぎるほどでした。そして、ガスコンロに火を入れ、香りのよいフレッシュハーブを使った、この旅で一番おいしい肉料理を作ってくれました。 夏の夜の暖かい空気の中、夜空にどこまでも続く天の川を眺めながらキャンプに戻るのは、とても気持ちのいいものでした。
右岸にある24時間営業のオートグリルか、左岸の小さな町セレニツェか。昼食で悩む。
6日目は、33kmほど漕ぎました。川はさらに広がり、川の流れも緩やかになってきました。ビーチチェアや傘が置かれた、南国のビーチのような場所もありました。さらに、川を渡るためのボートも見かけるようになりました。時には、粗末な金属製の船もありました。
昼食は、右岸にある24時間営業のオートグリルか、左岸の小さな町セレニツェで食べるか、どちらかを選ぶことになりました。前夜のグリル体験に後押しされ、ディディエと私はより「本物の体験」を求めて、この町を訪れることにしました。そして事実、より「本物の体験」を、ここで手にすることができたのです。
川のそばでは、10代の若者たちが泳いだり、水に飛び込んだりしていました。そのうちの何人かが、私たちのほうに泳いできて、パックラフトの上に乗ろうとしました。そして、私たちの名前を聞いてきました。
私たちはパックラフトを彼らのそばに置きたくなかったので (「トラブルを起こさないこと」を考えていた) 、もう少し漕いでから、迷路のような生い茂ったセクションを通って、セレニツェに向かいました。
旅をしながらアルバニアのことを知っていく。
正直なところ、私はここに来るまではアルバニアのことをよく知りませんでした。おそらく西ヨーロッパの多くの人がそうだと思います。ヨーロッパの国々をアルファベット順に並べると最初に来る国ではありますが、多くの人にとってはまだまだ謎の多い国なのです。
たとえば、アルバニアがガスや石油の産出していることを知りませんでした。また、自国の呼び名が「シュキペリア」で、「鷲の国」を意味し、住民はシュキプタレ、「鷲の子どたち」であることも知りませんでした。だから、国旗に鷲が描かれているのです。
私たちがセレニツェに着いたのはシエスタの時間帯で、そのため、いくつかのレストランでは食事を提供していませんでした。
ドリンクを注文することは可能でしたが、私たちは何か食べたかったのです。そして、飲むヨーグルトやスイカ、ちょっとした食べ物を買えるお店を見つけました。
いくらかと聞くと、店の主人は7000と言いました。1ユーロが116アルバニアレク (レクはアルバニアの通貨) なので、7000は高すぎると思いました。私たちが困っていると、主人は700レクでいいと言いました。
後でわかったのですが、2019年に国立銀行がゼロを1つ減らした新レクを導入したそうです。それでも多くの人が旧レクで値段を言うので、混乱することがあるのです。
帰り際、地元の男性に誘われて、彼の母親と子ども2人と暮らす彼らの実家へ行くことになりました。彼は洗車場を持っていて、そこにはアルバニアの国旗がたくさん飾られていました。
一緒に紅茶やコーヒーを飲もうということでした。私たちはスイカをシェアしました。ご主人の若い甥は英語が上手で、通訳をしてくれました。これもまた、素晴らしい “本物の体験 ” でした。
この日は、カシシュト村の隣で一泊しました。昼食をとっていなかったので、何か食べたいと思ったのですが、残念ながらこの村にはレストランがありませんでした。でも、トマトとチーズを売っている店があり、そこの主人が簡単なサラダを作ってくれました。
標高がほぼゼロになり、ゴールの海まであと少し。
翌日は最終日の予定でした。標高がほぼゼロになり、海まであと少しというところでした。満潮の時刻を調べると、午前8時に出発しなければならず、1時間後に出発しました。
しかし、水はあまり流れていません。11時になると向かい風が強くなり、まともに進むことができなくなりました。しかも、ディディエのセルフベイラーはホワイトウォーターには最適なのですが、フラットウォーターでは、パックラフトの穴と余分な水が抵抗を生み出すのです。
水の透明度は目に見えて落ちてきました。川幅ほどの巨大な網を引き上げる仕掛けの上を通過しました。魚がいるのは間違いありません。12kmほど漕いだところで、フィトレの橋にたどり着きました。ここで昼食をとり、これからどうするか考えることにしました。
前途は多難です。もう1日かけて最後の18kmを漕ぐか、フライトまでまだ1週間もあるので何か別のことをするか。当初予定していたアルバニアの他の川には、あまり水がないこともわかっていました。
「モンテネグロのタラ川はどうかな?」私はディディエに聞きました。そしてネットで水量を調べ、私が知っているタラ川のキャンプ場2箇所に電話をしてみたら、いずれも大丈夫そうでした。「やろうよ!」とディディエは言いました。
こうしてヴョサ川での、7日間にわたる橋から橋へのパックラフティング・トリップが終わりました。
パタゴニアの映画『Blue Heart』の舞台ともなった、ヨーロッパ最後の原生河川、ヴョサ川の旅。
コンスタンティンもこの映画に触発され、「いつかこの川を漕ぎたい」と願っていた。その思いは、7日間かけて上流から河口までパックラフトで下るというビッグトリップとして結実した。
その旅は、原生河川の豊かな自然環境だけでなく、アルバニアの食やカルチャーも味わいつくす濃密な旅となった。
このレポートをきっかけに、パックラフトでヴョサ川を下る人が増えるかもしれない。そう思わせてくれる貴重なレポートであった。
TRAILS AMBASSADOR / コンスタンティン・グリドネフスキー
コンスタンティン・グリドネフスキーは、ヨーロッパを拠点に世界各国の川を旅しまくっているパックラフター。パックラフトによる旅を中心に、自らの旅やアクティビティの情報を発信している。GoPro Heroのエキスパートでもあり、川旅では毎回、躍動感あふれる映像を撮影。これほどまでにパックラフトにハマり、そして実際に世界中の川を旅している彼は、パックラフターとして稀有な存在だ。パックラフトというまだ新しいジャンルのカルチャーを牽引してくれる一人と言えるだろう。
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