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井原知一の100miler DAYS #15 | 家族との生活(信越五岳トレイルランニングレース)

2022.11.04
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文・写真:井原知一 構成:TRAILS

What’s 100miler DAYS? | 『生涯で100マイルを、100本完走』を掲げる、日本を代表する100マイラー井原知一。トモさんは100マイルを走ることを純粋に楽しんでいる。そして日々、100マイラーとして生きている。そんなトモさんの「日々の生活(DAYS)」にフォーカスし、100マイラーという生き方に迫る連載レポート。

* * *

トモさんの暮らしを「走る生活」「食べる生活」「家族との生活」という、主に3つの側面から捉えていきながら、100マイラーのDAYSを垣間見ていこうというこの連載。

第15回目のテーマは、「家族との生活」です。

今回は、トモさんにとって思い入れのとても強い『信越五岳トレイルランニングレース』(以下、信越五岳※1) を紹介してくれます。

トモさんは、110キロと100マイル合わせて、今回が7回目の信越五岳。最初に出場したのは2010年。それ以来、12年間ずっとトップ3の表彰台を目指していた大会でもあります。

信越五岳への熱い思いとともに今回の信越五岳の振り返ってもらい、また大好きなレースに挑む際に過ごした家族との時間についても語ってもらいました。

※1 信越五岳トレイルランニングレース:SFMT (Shinetsu Five Mountains Trail)。2009年に第1回目を開催した日本を代表する歴史あるトレイルランニングレース。トレイルランナー石川弘樹プロデュースのレースとしても有名。SFMこと信越五岳は、新潟・長野県境にある斑尾山、妙高山、黒姫山、戸隠山、飯縄山、5つの独立峰の総称で、北信五岳とも呼ばれる。2017年からは100マイルのカテゴリーが新設された(ただし、2017年は悪天候により110キロの短縮コースになった)。


信越五岳のレース風景。

信越五岳:12年間、トップ3の表彰台を目指し続けた大会。

過去にこの連載でも書きましたが、信越五岳は海外の人にも国内の人にも、日本の100マイルの中で特におすすめしたい大会です(詳細は以下の記事:井原知一の100miler DAYS #02 | 食べる生活(信越五岳2019))。


コロナによる大会中止が続いたが、久々の開催となった信越五岳。

信越五岳はとにかく大好きな大会。大好きだからこそ、2010年から始まり、12年間にも渡ってこんなにも走らさせていただきました。その分コース上には、仲間と切磋琢磨した思い出、試走で走った思い出、甘い思い出、苦しかった思い出、大会を開催してくれる方々への感謝の気持ち、本当に本当にたくさんの思い出があのコース上には詰まっています。

コースは信越「五岳」という名前のとおり、信越エリアにある5つの山を通るレースです。その中で、ピークを通るのは斑尾山だけで、あとはそれぞれの山の麓の走りやすいコースをつないでいくコースとなっています。国内の1番か2番を争うビッグレースだけあって、応援している方もたくさんいますし、充実したエイドや大会のホスピタリティが象徴的なレースです。


信越エリアの5つの山を通るコースを走っていく。

信越五岳は、過去に100キロを4回、100マイルを2回、出場しています。今回は7回目の信越五岳でした。最初に出場したのが2010年で、それ以来ずっとずっとトップ3の表彰台を目指し続けている大会でもありました。

信越五岳は、2010年からの最初の4回は100キロの部に出場しました。100マイルの部に初めて出たのが2018年です。このときは7位という順位でした。その翌年の2019円は前回より順位を上げたものの、表彰台1歩手前の4位という順位でした。そして今年、12年目にして、ようやく目指し続けた信越五岳の表彰台に登ることができました。順位は今までの最高位の3位です。


12年間目指しつづけたトップ3の表彰台に立つトモさん。

【家族との生活 (その1):レース4週間前】今までで最高の走り込み。家族との諏訪での休養。

今年はバークレーで敗退し、怪我をし、再びトレーニングを開始できたのが4月からでした。5月に彩の国100を走っています。

9月の信越五岳に向けて、4月からトレーニングを始めました。4月は、521km/75時間/23,500m。その後も5月から9月は、平均で毎月589km/82時間/27,400kmを走りました。

累積標高もけっこう走ったので、累積の標高の上り下りを、平坦に換算するとおそらく800km~1000kmを平坦で走ったのと同じくらい、走り込んだと思います。2009年から走ってきて、過去最高に走り込んだと思います。


過去最高の走り込みをした後の、諏訪での家族との休養。

これだけの練習量をこなしてきて疲労もあるので、怪我の予防として週2回治療院に通ったり、コロナにならないように気をつけたりしていました。しかしレース2週間前に、ちょうどテーパリング (徐々に練習・トレーニングの負荷を減らすこと) に差し掛かったところで、帯状疱疹になったのです。

帯状疱疹は体への痛みもひどく、ウィルスを抑える薬と痛み止めを飲みながら過ごしていました。とにかく安静にすることが1番のお薬ということで、睡眠時間を多めに取って過ごしていました。ちょうど帯状疱疹だったとわかった時の週末は、家族で諏訪湖の近くにあるペットが宿泊できるホテルに泊まって休養をとっていました。

その晩はただの風邪だと思って、葛根湯と熱を抑えるためのロキソニンを飲んで、何とか家族との楽しい時間を無駄にしないように精一杯過ごしていました。諏訪湖の宿に泊まった翌日は、姪っ子の初の個展にも足を運びました。


姪の個展に遊びに行く。親戚とも久しぶり会えて、素敵な一日。

【家族との生活 (その2):レース直前】直前まで治らない帯状疱疹に不安と焦りが募る。

レース1週間前も帯状疱疹が治っておらず、ついちょっと前まではチームメイトや仲間に「俺、いま超絶に絶好調だから信越はぶちかますよ!」と言っていた自分をぶん殴りたい気持ちでした。

相変わらず、皮膚はピリピリ、ズキズキ、チクチク。針で刺されたような痛みや、焼けるような痛みが続き、本当に信越五岳に出られるのか不安な気持ちになっていました。しかし同時に、ここまでしっかりと練習してきたことや、サポーターやペーサーまでも仲間にお願いしていたので、何とかスタート地点に立たないと!という気持ちで、毎日の睡眠量を増やして、家族にはバランスの良い食事をいつもながら作ってもらっていました。


家族にはバランスを考慮した食事を作ってもらい、リカバリーに努めた。

娘のさくらには「パパ、大事なレースだと分かっているけど、無理しないでね。無理をして走れなくなったら、もっと嫌でしょ」と言われ、さくらもしっかりと考えるようになったんだなあとふと思いました。


娘のさくらの言葉にも励まされ、レースへと向けて気持ちを整えていく。

【家族との生活 (その3):レース直後】3位入賞の盾を娘に見せて喜んでもらう。

レース直後はすぐに家族へ3位になったことを告げて、家に帰ってすぐにさくらに総合3位までの人がもらえる盾を見せてあげました。

さくらが嬉しそうに盾をさわっり見ていたのがとても印象的でした。さくらも今はクライミングに夢中で、全国小学生の大会でも頑張っているので、競技は違えど、パパが頑張っている姿を見せることで、刺激を与えることができたのではないかと思います。


3位入賞の記念の盾を娘のさくらに見せる。

レース後も帯状疱疹の皮膚の痛みが続いていたので、外で走ることや、お仕事で外に出ることは極力減らし、リカバリーに努めました。信越五岳の翌週はさくらが外岩でクライミングをする予定だったので、自分も行く予定でしたが、あいにくの雨で外岩は中止になり、さくらと妻はクライミングジムに行きました。自分は家族に気を遣ってもらい、家でゆっくりと休んで過ごしました。


レース後は、帯状疱疹の回復も兼ねて、ゆっくりと家族で過ごす。

【家族との生活 (その4):レース2週間後】家族への負担も振り返りながら、次へと向かう。

レース2週間後は再び信越五岳の前に行った諏訪湖のホテルに行く予定でしたが、今度はさくらの体調が悪くなってしまい、2週間後の運動会にも影響が出てしまうと心配になり、ホテルはキャンセルしました。

信越前の週末を練習に費やしたりと家族での時間が少なかったから、ゆっくりと過ごす予定でしたが、結局自分も家族も体調を崩してしまって、ちょっと家族に負担をかけすぎたかな〜とかいろいろと考え、今後の自分のあり方を考えさせられる時間にもなりました。


信越五岳のゴール後のトモさん。長野出身のトモさんは、いつも信越五岳では両親も応援しに来てくれる。

トモさん62本目の100マイルとなった2022年の信越五岳は、念願の3位入賞という大快挙で幕を閉じた。しかし実はその裏では、レース前にかかってしまった帯状疱疹に悩まされるトモさんの姿もあった。そのときも、いつもながらの家族のサポート、ボルダリングをする娘のさくらとの激励の交換があったのが印象だ。大きな目標のひとつをクリアして、今後はどんな100マイルを走っていくのか。今後のトモさんの活動にも期待したい。

 

TRAILS AMBASSADOR / 井原知一
現在の日本における100マイル・シーンにおいてもっともエッジのた立った人物。人生初のレースで1位を目指し、その翌年に全10回のシリーズ戦に挑み、さらには『生涯で100マイルを、100本完走』を目指す。馬鹿正直でまっすぐにコミットするがゆえの「過剰さ(クレイジーさ)」が、TRAILSのステートメントに明記している「過剰さ」と強烈にシンクロした稀有な100マイラーだ。100マイルレーサーではなく100マイラーという人種と呼ぶのが相応しい彼から、100マイルの真髄とカルチャーを学ぶことができるだろう。

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井原知一

井原知一

1977年、長野県生まれ。アメリカの大学を卒業後、仕事を転々とした末、2007年にスポーツ商社に転職。同企業のダイエット企画がきっかけでトレイルランニングに出会う。当時31歳。すぐさま夢中になり、トレイルラン2年目でOSJ (アウトドア・スポーツ・ジャパン) のシリーズ戦全戦を完走。3年目にはSFMT (信越五岳トレイルランニングレース) で8位。初めての100マイルは、2010年に自ら企画した草レースTDT(ツール・ド・トモ)。以降100マイルの魅力にとりつかれ、『生涯で100マイルを、100本完走』を掲げて走るようになる。つねにチャレンジしつづけることをモットーとし、90歳での100マイル完走も目標のひとつ。走ることの素晴らしさを広め、人生を変えるきっかけづくりのために、ポッドキャスト『100miles, 100times.』や、自ら立ち上げた『Tomo's Pit』を通じてコーチングも手がけている。

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