FISHING ESSAY

フライフィッシング雑記 田中啓一 #04 和洋毛鉤考(前編)

2023.06.02
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文・イラスト・写真:田中啓一

What’s 『フライフィッシング雑記』 | フライフィッシャーであり、ハイカーであり、ファッションデザイナーである田中啓一さんによる、フライフィッシングにまつわるエッセイ。フライフィッシングは美しく、格調高く、ワイルドで、創意工夫の奥深さがあり、TRAILS読者とは親和性の高い個性あふれる遊びだと思う。釣り人はもちろん、釣りをしたことがない人も、田中さんが綴る魅惑的な言葉に運ばれて、フライフィッシングの深淵なる世界へ旅だっていただきたい。

和洋毛鉤考 (前編)

明治維新以降、日本は多くの西洋文化を吸収し、政治、経済、生活のあらゆる面を欧米化していった。釣りにおいても、より広い範囲を探れるよう、投げ釣り用の竿やリールが作られるようになり、日本の釣りも徐々にではあるが変化してきた。

日本にフライフィッシングがもたらされたのは、明治時代であった。1902年 (明治35年) 日光の中禅寺湖と、そこに流入する湯川で楽しむために、スコットランドの貿易商トーマス・ブレーク・グラバーおよび領事館員の ハロルド・パーレットが、北米原産のブルックトラウトを放流したという記録からも、それがうかがえる。また、当時、彼らとともに外交官や日本の華族達もフライフィッシングを楽しんだようだ。

トーマス・ブレーク・グラバーと言えば、明治維新前後の日本において、様々な物品、特に武器、弾薬を日本で売り捌いた人物として有名である。また、長崎のグラバー邸も有名観光地なので知ってる方も多かろう。ブルックトラウトが直訳の「川鱒」以外に「パーレット鱒」と呼ばれるのは、ハロルド・パーレットの名が由来である。

またアイルランド系イギリス人実業家を父に持つ日英ハーフの実業家ハンス・ハンター (範多範三郎) は、トーマス・ブレーク・グラバー没後、彼の中禅寺湖畔の別荘を買い取り、1925年 (大正14年)、Tokyo Angling and Country Clubを設立し、社交及びハンティングとスポーツフィッシングの拠点とした。ただしメンバーは華族、政府高官、外交官、実業家などごく一部の人達に限られていた。

そんなわけで、この「西洋式毛鉤釣り」は当時は庶民には全く縁のない釣りだった。フライフィッシングが、一般に浸透したのは戦後しばらく経ってからの話だ。

私が初めてフライフィッシングを知ったのは、1970年代初頭だ。すでにハーディー (※1) やオービス (※2) のロッドやリールは輸入されていたが、現在のようにどこでも手に入るわけではなく、東京では2、3軒のショップでしか売っていなかったと記憶している。当然「フライフィッシング」などと言ってもほとんどの日本人には通じないマイナーな釣りだった。キャスティングもわずかな書籍を参考に試行錯誤していた時代である。ともあれ、このイギリスでシステム化された毛鉤釣りは、その後徐々にファンを増やし、日本にしっかりと根付いた。

釣りをする読者の中には、フライフィッシングによく似たテンカラという日本古来の毛鉤釣りがあることはご存知の方も多いと思う。最近は、ウルトラライト (UL) ハイカーの間にもフライフィッシングは普及しているが、少し前まではULハイカーの釣りと言えば、やはりテンカラという印象が強かった。

渓流の毛鉤釣りは、長年日本で親しまれてきたが、元々はマタギや職漁師が山女魚や岩魚などの渓流魚を旅館や料亭に卸す目的で始めたと言われている。

なかでも、木曽 (長野県)、美濃、飛騨 (岐阜県) などの山岳渓流で行われていた毛鉤釣りはテンカラと呼ばれていて、つり人社が1965年 (昭和40年) に出版した『渓流のつり 入門から研究へ』で紹介された。その本の中で、木曽福島の開業医である杉本英樹という人物が、テンカラについての記事を寄稿したのである。その記事に触発された、釣りの研究家であり随筆家の山本素石 (やまもとそせき) は、現地を訪れ、杉本医師に毛鉤の巻き方や釣り方を教わった。

テンカラの魅力にとりつかれた山本素石は、1967年 (昭和42年) に著書『近畿を中心とする渓流の釣』(釣の友社) の中でテンカラを紹介した。それ以降も、山本素石はテンカラにまつわるエッセイなどを多数発表するようになる。これがきっかけとなって、テンカラという名称が一般の釣り人の間に徐々に浸透していった (※3)。

それ以前のテンカラの歴史は、文献化されていないようで、深い霧の中である。テンカラという呼称は、前述の木曽、美濃、飛騨あたりのローカルな呼称であったことは分かっているが、渓流の毛鉤釣りがなぜテンカラと呼ばれ始めたかは諸説あり、断定的なことは言えないのが現状のようだ。

しかしよく考えてみると、彼らはなぜ川虫、ミミズ、ブナ虫などの生餌を使わずに、わざわざ偽物の毛鉤を使ったのだろうか。それは効率のためだと言われている。

まず生餌は一尾釣るごとに新しい餌に付け替えなければならない場合がほとんどだ。餌を現地調達する場合は、そのための時間も必要である。反面、毛鉤は何匹釣っても、糸が切れるか毛鉤が壊れない限り使い続けられる。テンカラ釣法は毛針を水中に沈める釣りなので、一尾釣るごとに乾かす必要もない。また、錘を使って水中をゆっくり流す餌釣りより、次々とポイントを移れるので、手返し (※4) が早い。釣り自体のスピードが段違いだ。このように、短時間でその日に必要なだけの量をササッと釣るには、格好の手段だったのだろう。

このように、イギリスの紳士が優雅に余暇を楽しむフライフィッシングと、それとは真逆の、食いぶち確保のための効率的な釣法が、奇しくも非常に似通っているというのも面白い事実である。

テンカラは、今や欧米を中心にかなりの勢いで普及しつつある。極東の小国の山奥で生まれ、渓流釣りの手法としても決してメジャーとは言えないたテンカラが、なぜこれほどまでにインターナショナルな釣りになりえたのか。それには、日米の幾人かの人達が関わっていた。またすでにインターネットが普及していたことも大きな要因だろう。

2009年にダニエル・W・ガルハルドという人物が、Tenkara USA (※5) という会社を立ち上げた。彼は、2007年に日本の釣りの歴史と文化を調査中にテンカラに出会ったという。彼もバックパッキング中にそれで釣りを楽しもうとテンカラタックル (※6) 一式を持ち帰った。ダニエルは、日本発祥のこのミニマムな道具は、アメリカのフライフィッシャーも興味を持つだろうという確信にいたる。

そしてテンカラの情報がほとんどないアメリカで、自らが情報源とタックルの供給源となるべく、情報発信のためのウェブサイトを立ち上げ、また、自らデザインしたオリジナルロッド、毛鉤、ラインなど、タックル一式を販売した (おそらく製造は日本のロッドメーカーにOEMしたと推察するが詳細は不明)。日本以外で初めてオリジナルのテンカラ竿を販売したのはこの会社ではないかと思う。

この頃、ライアン・ジョーダンという人物が主催するウェブサイトBPL (バックパッキング・ライト) のフォーラムでも「TENKARAは、ULな釣りのギアとして有望なのではないか?」と囁かれ始めたと聞いている。

おそらくこの時点では、まだ一部の好事家の間での話題だったのではと推察する。「山より道具」というブログで、当時、日本のコアなULハイカーから熱狂的な支持があった寺澤英明さんも、BPLでの話題に刺激され、2010年7月よりテンカラを始めたそうだ (※7)。またTRAILSの佐井夫妻も同年8月に、JMTのハイキングでテンカラ釣りをしたらしい。

次に現れるのが、アウトドアウェアブランドのPatagoniaの創始者、イヴォン・シュイナードである。彼は、フライフィッシングより手軽でシンプルなテンカラに目をつけて、2014年に「Simple Fly Fishing: Techniques for Tenkara and Rod and Reel」という本を著した。この本はシンプルフライフィッシングをテーマにテンカラとフライフィッシングという二つの釣法について書かれたものである。キンドル版も発売した。その頃から、テンカラが欧米に一気に広まったと考えられる。

同ブランドからもテンカラロッドも発売された (2023年現在はディスコン)。そして逆輸入という形で、日本の比較的若い世代のハイカーや釣り師達に広まったというわけだ。ちなみに、イヴォン・シュイナードが1990年代後半に日本を訪れた際、日本の某大手アウトドアショップの社長とテンカラ釣りを楽しんだことがあると聞いた。この経験が彼をテンカラの世界に引き釣り込んだのかもしれない。テンカラの世界的伝播には、これら有名無名の人達が大きく関与していたことは明らかだろう。

ではなぜフライフィッシングがすでに普及している欧米にこの釣りが瞬く間に受け入れらたのだろうか。英語テキストによるネットでの拡散というだけでは、理由にはならない。それには二つの理由が考えられる。

一つ目は、フライフィッシングとの共通点が非常に多いということだ。まず毛鉤釣りという点。これが最も大きい。対象魚が主にサケマス科の魚。ラインの重さで軽い毛針を投げる釣法。毛鉤のサイズ、素材、形状が非常に似ている。従来のフライも使える上に、フライタイイングのツールでテンカラ毛鉤も作れる。欧米にも日本の山岳渓流と似たような規模の釣り場が存在すること。

フライフィッシングは専用のテーパーライン (※8)、テンカラは太さの均一なフロロカーボンやナイロンラインというのが現在の主流であるが、旧来のテンカラは、馬の尻尾の毛を束ねて先細りのテーバー状に撚り合わせた馬素 (ばす) を用いていた。

つまりフライと同様に、より力の伝達がスムースなテーパーラインの重さで飛ばしていたわけだ。違いといえば、ラインの長さを変えられるか変えられないかの違いだけだ。 (テンカラ用のナイロンやフロロカーボンののテーパーラインも作られているし、愛用者は多い。レベルライン (※9) より高価にはなるが、決して高いものではない。馬素はさすがにネット通販では見つけられなかった。新品を買おうとすると苦労するかもしれない)

二つ目は、フライフィッシングに比べて格段にシンプルで超軽量であること。タックルも、より安価で揃えることができる。キャストが楽。ダブルホール、メンディングなど複雑なテクニックを習得する必要もない。毛鉤 (フライ) を飛ばすのに近距離ならこれで十分なんだという、まさに眼から鱗の発見もあったのだと思う。

全く文化圏が異なる地に、これほどまでに似たような釣法が存在すること自体驚くが、釣鉤に獣の毛や鳥の羽を結び付けて虫に似せるというアイデア自体は、非常に素朴な思考回路によるものだとも言える。

次回、後編では、私自身のテンカラ釣り経験をもとにフライフィッシングとの比較などを書こう思う。


 
※1 ハーディー (Hardy):19世紀、ウィリアム・ハーディーとジョン・ジェームス・ハーディー兄弟が、イギリスで創業した老舗釣具メーカー。優れたフライロッドとフライリールを生産してきたが、フライリールは特に美しく、好事家の間ではコレクターズアイテムになっているほどである。

※2 オービス (Orvis):19世紀にチャールズ・F・オービスがアメリカで創業した老舗釣具メーカー。インプレグネイテッドという、竹の繊維に樹脂を浸含させて強度を持たせたバンブーロッドで一世を風靡した。リールもとても美しく機能的だが、一説では、イギリスのハーディーのOEMだと言われている。

※3 資料提供 つり人社

※4 手返し:一言で言うと、釣りのテンポのこと。例えば、餌釣りでは、餌を鉤に付ける、餌を振り込む、流してアタリを待つ、反応が無ければ引き上げる、次の振り込みのために餌の付いた鉤を左手に持つ、という一連の動作を繰り返すわけだが、テンカラの場合は、餌を付け替えたり、鉤を一旦左手で持ったりせずとも、竿の一振りで次に移れると言う点で、釣りのテンポが早いと言える。釣りではこのようなことを総じて、手返しが良い、と言う。誤解しないで欲しいのは、手返しが良いことが必ずしもマストではないと言うこと。じっくり探って確実に釣ると言う方法もあるのだから。

※5 TenkaraUSA:テンカラに関する情報発信と、テンカラのタックルその他アパレルやアクセサリー、書籍などを販売するウェブサイト。https://tenkarausa.com

※6 タックル:この場合は、竿やリールなどの釣り道具を指す。

※7 詳しくはコチラの記事を参照。

※8 テーパーライン:手元が太く、先に行くに従って細く作られた糸。最近では、このテーパーを一本の糸で作る技術があるのだが、以前は細い糸を数本撚り合わせて、先に行くに従って徐々にその本数を減らしながら作る手間のかかるものだった。テーパーが付いていることで、力の伝達がよりスムースである。

※9 レベルライン:元から先まで太さが均一の糸。

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田中啓一

田中啓一

東京生まれ。ファッションデザイナー、大学非常勤講師。入間川や相模川のオイカワ釣りで釣りに目覚め、10代後半でルアーフィッシングと出会い、ほどなくフライフィッシングにはまる。日光の湯川をはじめ、国内の渓流や湖にヤマメ、イワナ、各種鱒 (トラウト) を追い求める。ニュージーランド、パタゴニアなど、海外での釣行の旅もしている。シーバス、タナゴ、マブナ、クロダイ、ハゼなど、幅広く釣りを楽しむ。2000年代よりULギアに関心を持ち、MYOGで釣り用のシャツやパンツ、アルコールストーブ、ペグケースなどの自作も嗜む。ULギアは、主に釣り泊の道具として使用している。

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