アパラチアン・トレイル (AT) | #07 トリップ編 その4 DAY27~DAY45 by Daylight(class of 2022)
文・写真:Daylight 構成:TRAILS
ハイカーが自らのロング・ディスタンス・ハイキングの体験談を綴る、ハイカーによるレポートシリーズ。
2022年にアパラチアン・トレイル (AT) のスルーハイキングにトライした、トレイルネーム (※1) Daylightによるレポート。
全8回でレポートするトリップ編のその4。今回は、ATのDAY27からDAY45までの旅の内容をレポートする。
道迷いの事件で助けてもらったハイカーとの再会。 (DAY27〜28)
前回のレポートで書いた、道迷いの事件があった後 (前回の記事はコチラ)、再びトレイルを歩き始めた。このあたりはどこに熊が潜んでいても、わからないような場所だった。
この日の午後、事件のときに助けてもらったハイカー2名に出会った。その1人は私を見るなり、“Don‘t move!“と、叫んできた。20分前にそこで熊に襲われたと言うのだ。勇敢にも彼はトレッキングポールで威嚇して撃退したそうだ。もう1人がレンジャーに連絡して、しばらくするとライフルを持ったレンジャーがバギー車で迎えに来て、車道に通じる公園まで連れて行ってくれた。
怖いので宿に泊まろうかという提案もあったが、温かい飲み物を飲むと落ち着いてきたようで、トレイルに戻ることになった。ハイカーの知り合いが来て、トレイルヘッドまで車で送ってくれた。近くのシェルターまで歩き宿泊した。
翌日は彼らと別れて泊まるはずだったモーテルに向かった。しかし到着した日はあいにく満室だった。宿の主人は待っていたわけでもないと思うが、玄関先にいた。客でもないので恐縮しながら給水のお願いと、いらなくなった古い靴の廃棄を申し出ると、もちろんOK。それどころかハイカーボックスからトレイルミックスなどの食料をくれた。
礼を言ってモーテルを出ると、車で追いかけてきて、近くの店でサンドイッチと飲み物を奢 (おご) ってくれた上に、トレイルヘッドまで送ってくれた。事情を知っていたとはいえ、ここまで親切にされるとは想像を超えた親切を体験した。
夕方、降雨の予報だったので、近くのキャンプサイトでのんびりしていると、朝別れたハイカーたちと再会した。1人は親類の結婚式に出るために夫に迎えにきてもらうそうだ。なんと自由なのだろう。
次の町、ソルズベリーでのゼロデイ。(DAY29〜37)
トレイルのアップダウンが激しくなってきた。
5月下旬で最高気温が32℃の予報。実際にはトレイルは標高も町より多少高く、9割以上が木陰なので上り坂で汗をかき、下り坂で汗がひく感じだ。それでも3Lの水を消費した。シェルターの近くに水道水が使える施設があることを他のハイカーに教わり、やや汚い水と入れ替えた。
Deliに立ち寄りサンドイッチを注文した。Deliとは、デリカテッセンの略で、ここでは惣菜 (野菜や肉) を入れたサンドイッチを提供する店。バンズ (パン) の大きさや中に入れる野菜や肉料理を指さして作ってもらう。レタスは細切れだし、トマトも厚さ2mmで野菜はお飾り程度だ。
ソルズベリーという町でゼロデイをとった。事前に宿に電話で予約をしたときは、92歳のマリアさんが対応してくれた。しかし、泊まる当日に改めて電話をするとお孫さんが電話に出て、予約を受けた記録が残っていないと言われてしまった。マリアさんの記録漏れはよくあるそうだ。
幸いその日は部屋が空いていたので泊まれるようだった。しかしこの宿は、地図に場所が記載されていないので、電話で聞いた記憶をもとにホステルまで歩いた。行ってみたら、電話で受けた説明だけで簡単に宿を見つけることができた。
ソルズベリーの町では図書館にも立ち寄った。どこの町でも図書館は古い建物が多く、パソコン、Wi-Fi完備。充電しながらソファーでリラックスできる。
夕方、車でコインランドリーまで送ってもらった。近くのレストランで夕食のハンバーガーを食べながら出来上がりを待つスタイルだ。
翌朝、部屋のコンセントに付いている小さなランプを触るとブレーカーが落ちてしまった。宿のお孫さんは来られないので、電話で指示を受けながら復旧しなければならなかった。一回完全にoffに倒さないとonにならないということがわからずに苦労した。
念願のトレイルネームをゲット。(DAY38〜40)
昼前に舗装路に出ると“Trail Stand (トレイルスタンド)“の矢印があり、その先に小屋があった。トレイルスタンドとは無人販売所で、近くの家から電気を引いていて、冷蔵庫の中にあるアイスやジュースを格安で提供している。隣にベンチもある。隣にベンチもある。ジュースは1ドルぐらいの価格で、アイスも3つ食べ、1時間ぐらい後から来たハイカーとおしゃべりを楽しんだ。
今日の宿は、ドネーション (寄付) で利用できる朝食付きのキャビン (山小屋)。しかし、コロナの影響でキャビンは利用できなかった。翌朝、朝食を食べに行くと、例の事件の時にもいたエバさんがいた。世話人がパンケーキを焼いてくれ、コーヒーを飲みながら長いことおしゃべりをしていた。
当然例の事件のことが話題になり、エバさんが「あなたは昼間 (daylight) しか動いちゃダメだよ」と言ったので、Daylight (昼間、陽光) をトレイルネームとしていただくことにした。
カッコいいトレイルネームが欲しかったので、とても嬉しい気分だ。そのままエバさんとおしゃべりを続けたかったが、この日も18マイル歩く予定だったので出発することになった。「暗くなる前に着きたいから、出発します。なぜなら僕はDaylightだから」と言って。
シェルターには暗くなる前に到着した。なんとそこには一緒に行動した、ハイロードさんがいた。彼もSNSで事件のことは知っていたが、詳しく話した。
この後は、チェシャーという町の端にあるキャンプサイトに泊まった。テント用に芝生が整備されていて、USB電源、水道水、トイレがあり、ハンモック用の木があったり、自転車も何台か置かれていた。ボランティアクラブの人が来て、トイレ掃除をしていた。順番で毎日来るそうだ。
MYOGしたバックパックが壊れてしまう。(DAY40〜45)
歩いている途中で、MYOG (MAKE YOUR OWN GEAR) したバックパックのショルダーベルトの下部が裂けて、ボディから離れてしまった。
応急処置をしてキャンプサイトまでなんとかたどり着くことができた。補修はできたが、ゴールまでは使えない気がした。
ハイカーのモンソンさんが、故障したバックパックを心配してくれて、新しいものを手配すると申し出てくれた。私のバックパックの形状からHyperlite Mountain Gearの3400 Southwestをすすめてくれたのだが、次のトレイルタウンで手に入れることができるのはOspreyだった。彼には浄水器の清掃の仕方や、トレイルでのスキルも教えてもらった。
マンチェスターセンターに通じるトレイルヘッドで宿のピックアップを待っていると、車から声がかかり乗せてもらった。ATは自分がヒッチハイクする前に車から声がかかる方が多かった。電話の調子 (通話のみ) が悪かったので、運転手に宿への連絡を頼みピックアップをキャンセルした。サンドイッチとブルーベリーヨーグルトがおすすめの店を教えてもらい、その店の前で降ろしてもらった。その店はとてもおいしかった。
トレイルタウンでOsprayのバックパックを手に入れ、MYOGしたバックパックを家に送り返し、買い出しをして宿に向かった。
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