アイスランド縦断ハイキング 575km / 18 days by ホイットニー・ラ・ルッファ #04
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文:ホイットニー・ラ・ルッファ 写真:ホイットニー・ラ・ルッファ、マイク・アンガー、ナオミ・フデッツ 訳・構成:TRAILS
今回レポートするのは、ニイダル小屋からランドマンナロイガルまでの141km。
前回のセクションでは、今までのハイカー経験のなかで最も過酷な天候に出会ったホイットニー。
今回レポートするランドマンナロイガルは、アイスランド内陸部の高地にある有名のハイキングルートのひとつ。アイスランド特有の火山地帯の砂漠から、色彩豊かな大地の景色まで味わうことができる。
キャンプサイトのマウンテン・モールは、砂漠にあるオアシスとして、アイスランドを旅するハイカーにとって憧れの場所のひとつだ。
ホイットニー・ラ・ルッファ (トレイルネーム: Allgood)。
ホイットニーはロング・ディスタンス・ハイカーであり、アメリカのハイキング・コミュニティに強くコミットしているハイカーのひとりでもある。ULギアメーカーのシックス・ムーン・デザインズ (Six Moon Designs ※1) でボードメンバーを務めた後、2025年より地図アプリのFarOutの最高収益責任者 (CFO) として活動している。
TRAILS – HIKING FELLOWのリズ・トーマスとは、古くからのハイカー仲間であり、アメリカのロング・ディスタンス・ハイカーのコミュニティであるALDHA-West(※2)では運営サイドのハイカーとして共に中心的な役割で活動している。
ホイットニーの初来日のときに、TRAILS Crewは彼と出会い、感性が共感し、即座に意気投合。以来、彼の来日の度に酒を酌み交わす間柄。2023年のPCT DAYS (※3)では、TRAILS Crewのトニーと現地で会っており、その後、ホイットニーが日本に来たときには、彼をゲストにTRAILSでイベントも開催している。
そのホイットニーの憧れの地のひとつが、「火と氷の国」とも呼ばれる、地球の自然の驚異が感じられるアイスランドであった。
この記事では、ホイットニーがアイスランド縦断のJ Leyルート(※4) 575kmをロング・ディスタンス・ハイキングしたレポートを、全6回で連載する。
それでは、厳しくも美しいアイスランドの自然を旅するトリップレポートの、第4回をお楽しみください。
※1 シックス・ムーン・デザインズ (Six Moon Designs): アメリカのULガレージメーカーの第一世代として、GVP Gear (後のGossamer Gear)、GoLite、 Tarptent、 ULA equipment等と並ぶブランド。創業者のロン・モークは1977年にアパラチアン・トレイルをスルーハイキングしているハイカーでもある。SMDを代表するプロダクトのひとつである「ゲイトウッドケイプ(Gatewood Cape)」は、レインポンチョとシェルターいずれの役割も兼ね備えた、ULを代表するマルチユースのギア。TRAILSでも創業者のロン・モークへのインタビュー記事を過去に掲載している(https://thetrailsmag.com/archives/28310)。
※2 ALDHA-West:The American Long Distance Hiking Association West。ロング・ディスタンス・ハイカー、および彼らをサポートする人々の交流を促進するとともに、教育し、推進することをミッションに掲げている団体。ハイキングのさまざまな面における意見交換フォーラムを運営したり、ハイカー向けの各種イベントを開催したりしている。
※3 PCT DAYS: アメリカ3大トレイルの1つPCT (パシフィック・クレスト・トレイル) のフェスティバルで、オレンゴン州のカスケードロックスで毎年8月に開催される。多くのギアメーカーの出展があり、プレゼンテーション、イベント、パーティなどが行なわれる。
※4 J Leyルート: Jonathan Ley Iceland Route (ジョナサン・レイ・アイスランド・ルート)。2006年にアメリカのロング・ディスタンス・ハイカーのジョナサン・レイとその友人が歩いたルート。ジョナサンは歩いたルートについて、ハイキングに必要な情報や写真を、ウェブサイトで公開し、多くのロング・ディスタンス・ハイカーの貴重な情報源となっている。https://phlumf.com/news/?page_id=443
アイスランド縦断のJ- Leyルート (575km)。
アンセル・アダムスの写真のような、モノクロームの景色。
ニイダル小屋で停滞して悪天候を避け、ようやく嵐が落ち着く。
ここ何日かの寒さ、そしてそのなかで雨、雪に降られながら歩いた私たちにとって、プランにはなかったですが、ニイダル小屋で休息を取れたことは、とても助かりました。
朝、小屋のなかは出発の準備をするゲストたちで賑やかでした。ほとんどのゲストはFロード (ジープロード) に沿って小屋まで車で来ていました。一緒にいたスイス人のハイカーたちが、私たちをランドマンナロイガル (Landmannalauger) まで車で送ってくれることになりました。彼らはその後に帰国の飛行機に乗るため、レイキャビク (アイスランドの首都) まで戻るとのことでした。
私たちは先に小屋を出発する人たちと別れを告げ、残りの1日を、次の行程のプランニングをしたり、昼寝をしたり、また小屋のハイカーボックス (※5) からかき集めた食料を食べたりして過ごしました。
この先、数日間は天気が良くなる予報だったので、これから歩く有名なランドマンナロイガルのエリアと、そこにあるマウンテン・モール (ハイカー憧れのキャンプサイト) に向けて出発するのをワクワクして待っていました。そこで旅の最終行程で必要な物資も調達する予定でした。
Fロード (ジープロード) を歩くマイク。
小屋を出て、アイスランドの内陸を通るFロードに沿って進みました。ランドマンナロイガルの初日は、特に問題なく歩けました。私たちは長い砂利の道を、順調に進んできました。天候は落ち着き、風も落ち着いていました。曇ってはいましたが気温は穏やかでした。
軽石の黒い砂、植物のない火山地帯の丘、野生動物もおらず鳥さえも飛んでいない、まるで月面のような風景が周りに広がっていました。アイスランドの内陸部は、アンセル・アダムス (※6) の写真の中を歩いているような感じでした。グレーと黒のグラデーションの美しい景色です。
モノクロームのアイスランドの砂漠の景色。
他にはない風景を楽しみながらも、私は緑などが広がる、生き生きとした大地の色を求めるようになっていました。
ニイダル小屋を出発したこの日は、天気も穏やかで地形もゆるやかだったので、49kmの距離を歩きました。
※5 ハイカーボックス:ハイカー (特にスルーハイカー) が不要になった食料や道具を入れる箱のこと。ハイカーは、必要なものは自由に持ち出すことができる。
※6 アンセル・アダムス:写真家。1920年代〜1950年代にかけて、カリフォルニア州のヨセミテ渓谷とシエラネバダ山脈の自然風景を、モノクロームの作品で残したことで有名。
強烈な風雨のなか、マイクが「何か」を見つける。
小さな峡谷を横切る。川の水はとても青い色をしていた。
翌日、野営地を片付けているとき、空には暗い灰色の低い雲が広がっていました。この日は、雨の中、歩くことになりそうでした。
歩き始めてしばらくしたところで、素敵な小さな峡谷を渡りました。そこには、美しい青い川が流れていました。川岸の周りは緑に覆われおり、その色彩の豊かさは私の目を楽しませてくれました。
しかしそれも一瞬のことでした。最初の休憩をとった後、風速は20m/sまで強くなり、雨が降り始めました。この日は、この後ずっとフードをかぶり、頭を下げたままでしたが、できるだけ長く歩いて、前向きな気持ちでいようと努めました。
強い雨風のなか、遮るものがないジープロードを歩く。
この日の風と雨は、かなり過酷なものでした。風が自分の左側から直接吹きつけていたので、体の左側半分だけが雨でびしょ濡れで、右側は濡れていないというような状況です。
日が暮れ始めてきました。風除けの木がないむき出しの地形では、非自立式のテントを設営することは難しく、野営する場所を探すのに苦労します。
吹きっさらしの大地に現れたコンクリートの壁。
丘の頂上まで登って、向こう側に下り始めると、巨大なダム施設が見えてきました。アイスランド南部に電力を送る水力発電のダムです。すると小さな丘の上に、大きなコンクリートの壁がありました。私たちは「これは野営地の防風林の代わりになるぞ!」と思って、足早にそこへ近づきました。
コンクリートの壁を風除けに、シェルターの設営を試みる。
風が激しく吹きつけ、テントを固定するために抑えるのがやっとの状態でした。マイクは、夜の間にテントのペグが柔らかい砂地から抜けないように、ペグの上に載せる石を探しました。
突然、マイクが「おーい、すぐにこっちに来てみて!」と言いました。私は自分の作業を止めたくありませんでした。ただただこの悪天候から一刻も早く逃れて、何か温かいものを食べたいと思っていたのです。
コンクリートの「洞窟」で一晩を過ごす。
マイクがコンクリートの壁のなかに見つけた場所。
マイクは「すぐに来てよ!」とまた言ってきたので、私は立ち上がって、壁の端にいる彼のところまで歩いて行きました。「見て」と彼は言いました。壁の端にある角を曲がったとき、そこにあったものを目にして驚きました。
そこはコンクリートの屋根と壁がある、人工の洞窟のような場所になっていたのです。奥に行くほど狭くなっていましたが、3人が寝るには十分なスペースがあり、悪天候から逃れて、乾いた暖かい状態でいられる場所になっていました。
私たちはすぐに荷物をまとめて、その「洞窟」に駆け込みました。
コンクリートの洞窟の中でキャンプ。
私たちは寝床をセットして、濡れた服を脱いで、乾いている暖かい服を着ました。そしてトレッキングポールを使って、即席の物干し竿をつくり、そこで濡れたレインウェアを乾かしました。
3人で並んで横になり、この幸運に笑いながら、温かい飲み物を飲み、温かい食事を楽しみました。この場所を発見したことに大喜びをして、自分たちがどれほどラッキーなのかを、何時間も語り合いました。そして自分たちが見つけた安全な避難場所を満喫し、眠りに落ちました。
トレッキングポールを使って、物干しを作る。
1930年代の白黒映画から、色鮮やかな現代の4K映画の世界へ。
ランドマンナロイガルの町へ向かうホイットニー。
次の日の朝。この濡れずに風もない場所から出発しなければいけません。また雨と風の強い天候に立ち向かわねばらないと、気持ちを全力で入れて歩き出しました。
ランドマンナロイガルのキャンプサイトまでは、あと35kmほどで着く距離でした。そこに到着すれば、温かい食べ物を買ったり、暖かい小屋に泊まったりできることはわかっていました。さらには川の温泉にゆったり浸かることもできます。
景色に色が付き、気持ちも明るくなる。
出発して数時間歩いたところで、水を汲める川を見つけました。舗装路に出ると、一緒に出発した2人のハイカーに出会いました。彼らは前の晩にそこでキャンプをしていて、私たちと同じ方向に歩いていたので、また次のキャンプサイトで会うことにしました。
色彩豊かなランドマンナロイガルの大地。
この日のハイキングはイージーな行程でした。雨の中をゆっくりと歩いて進みました。ここでは、いろんな緑の色合いの苔や草が、景色を豊かなに彩っていました。この美しい景色を見て、私たちは心が動かされました。まるで1930年代の白黒映画から、鮮やかな色で撮影された現代の4K映画に変わったかのようでした。
ランドマンナロイガルのエリアを歩く道中、この自然のなかに広がる景色をじっくり眺めるため、何度か立ち止まりました。それが舗装路にたどり着くと、突然の交通量の多さに圧倒されてしまいました。
アイスランドの砂漠のオアシス「マウンテン・モール」。
キャンプサイトのマウンテン・モール。古いスクールバスは売店になっている。
午後1時30分頃、小さな谷を下りていくと、遠くにランドマンナロイガルのキャンプサイトが目に入ってきました。大きな駐車場には車がいっぱい停まっていて、雨の中をツーリストたちがぞろぞろ歩いていました。
私たちがこの日に泊まる大きな小屋も見つけました。テントを過ぎて左に行くと、マウンテン・モール (キャンプサイト) に3台の緑色のスクールバスがありました。
マウンテン・モールでは、リサプライもできる。
私たちは、マウンテン・モールへとまっすぐ向かい、温かい食事を楽しみました。ホットドッグを3個、ガル (アイスランドのビール) を2杯、そしてサンドイッチを食べた後に、私たちは小屋に戻って宿泊のチェックインをしました。
ベッドに横になると、旅の残りの行程で必要な食料をざっと確認して、何を買う必要があるか考えました。マウンテン・モールは、アイスランドの人里離れた場所にあるので、必要なものだけを買いました。とても高価だったからです。
ショット (酒) をマイクと一緒に。奥はマウンテン・モールのスタッフたち。
午後は川にある自然の温泉に浸かり、シャワーを浴びました。その後、マウンテン・モールでキャンプファイヤーを囲みながら、世界各地から来たハイカーたちと話をしました。内陸部で他のハイカーたちとほとんど会わなかった私たちにとって、ランドマンナロイガルは国際港のようで、圧倒されるような場所でした。
その夜、私たちはパスタを作り、暖かい小屋のなかで夕食を楽しみながら、これまでどれだけ長く歩いてきたか、そしてこれから何が待ち受けているのかと考えました。
さまざまな困難があったにもかかわらず、私たちはここまでたどり着きました。この先、旅の終盤には、アイスランドでも1, 2を争う有名なトレイルである、ロイガヴェーグルとフィムヴォルズハウルスが待っています。
アイスランド縦断J- Leyルート (575km) も残り約100kmを切った。
(English follows after this page / 英語の原文は次ページに掲載しています)
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