FISHING ESSAY

フライフィッシング雑記 田中啓一 #15 火の島の鱒 (前編)

2026.02.26
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文・写真・イラスト:田中啓一

What’s 『フライフィッシング雑記』 | フライフィッシャーであり、ハイカーであり、ファッションデザイナーである田中啓一さんによる、フライフィッシングにまつわるエッセイ。フライフィッシングは美しく、格調高く、ワイルドで、創意工夫の奥深さがあり、TRAILS読者とは親和性の高い個性あふれる遊びだと思う。釣り人はもちろん、釣りをしたことがない人も、田中さんが綴る魅惑的な言葉に運ばれて、フライフィッシングの深淵なる世界へ旅だっていただきたい。

火の島の鱒

グーグルアースを開く。東京のウチの周辺が表示される。表示を航空写真に設定。トラックパッドに親指と人差し大きく指を広げて置き、グーッとピンチする。23区が現れる。次いで関東地方が現れる。それを繰り返すと日本列島が現れ、アジア大陸、ついには丸い地球が現れる。それを右にスクロールしていくと北米大陸が顔をだす。今度は下にスクロールしていくと南米大陸が迫り上がってくる。コロンビア、ブラジル、チリ、アルゼンチン。南下するにつれ大きな大陸はだんだん細くなり、ついには右にきゅっと曲がった小さな尻尾のようになって終わる。
その尻尾付近、南緯40度あたりから南の地域がPatagoniaだ。パタゴニアとはチリとアルゼンチン両国にまたがるこの地域の総称である。

その尻尾を拡大していく。すると地図上にArchipiélago de Tierra del Fuegoという文字が浮かび上がってくる。この南米の尻尾はよく見ると細い海峡で大陸と分断されている島であることがわかる。
なので群島 (Archipiélago) なのだ。Tierra del Fuegoとは火の土地という意味だ。
実はこのフエゴ郡島はチリとアルゼンチンに分割統治されていて島の中に国境があるのだ。

「どこだったかなあ」さらに拡大し、群島の主島であるIsla Grandede Tierra del Fuego の州都Ushuaia (ウスアイア) を探す。あった!
日本語ではウシュアイアと表記されているが、スペイン語を話せて、ここに何度も釣りに来ているA君は「ウシュアイアではありません。ウスアイアです!」言っていたので、おそらく日本語表記が間違っているのだろう。
「ウスアイアから、東にずーっと行ったこのへんだったかなあ。二つ並んだ湖を探すが、なかなか見つからない。うろ覚えの地域をうろうろして、それらしき湖を拡大してみるものの名前が違う。諦めずに探しているうちにやっと見つけた。
Lago Santa Laura (サンタ・ラウラ湖) とLago San Ricardo (サン・リカルド湖) だ。そこから北北東に進んで南大西洋に流れ込むRio Ewan (エワン川) という平原を蛇行する川も見つけることができた。
そこが20数年前に我々が約1週間ほど釣りを楽しんだ場所だ。我々とは4人の日本人と2人のアルゼンチン人だ。そのうち一人はガイドのタンギート。もう一人のアルゼンチン人はタンギートの友人のウェボ。日本人は何度も南米を訪れているA君、バンブーロッドビルダーのYさん、僧侶のIさん、そして私。
我々日本人4人は真冬の成田空港を出発した。アメリカのケネディー国際空港でトランジット。次にアルゼンチンのブエノスアイレス行きの便に乗り、そこでまた国内便に乗り換えてウスアイアの空港に降り立った。この移動に要した時間はなんとまる二日。到着ゲートにタンギートが迎えにきてくれていた。旧知の中のA君とタンギートは「オラ!オラ!」と肩を叩き合いながら再会を祝した。

初日はウスアイアに泊まった。宿の名前は「山の上ホテル」。ウスアイアの小高い丘の上にあるからこの名前なのだが、東京に住む人間ならお茶の水の有名なホテルの名前を思い起こすだろう。ホテル名が日本語なのには訳がある。実はこの宿のオーナーは日本人なのだ。こんな地球の裏側の最果ての土地になぜ?と不思議に思うかもしれない。この宿を始めたのは上野さんという男性だ。彼の経歴を話すとそれだけで一冊の本が出来上がるほどなので、ざっくりと記すと、彼は戦後、大学の事務局長を辞した後、南米に移り住んだ。そして農業から始まりさまざまな職業を経験した後、釣り好きが高じて大きな鱒の宝庫であるこのフエゴ島に移り住んだということだ。宿を始めたのは、南米を縦断してここまでたどり着く日本人バックパッカーが意外と多いことが理由らしい。

残念ながらこの時には上野さんはすでに他界しており、奥さんが切り盛りしていた。簡素な宿だが居心地が良い。そして名前の通り高い丘の上にあるので眺望が抜群だ。

次の日の午前にタンギートとウェボに合流して、トヨタのランドクルーザーとスズキのジムニー2台で島の東に向けて長いドライブが始まった。現在はすっかり舗装されているようだが、当時は幹線道路までがほとんどオフロードだった。パタゴニアと言えば半砂漠の強風の荒地というのがもっぱらの印象だが、ここは違った。わりかし平坦な土地に森林が目立つ。しかし人っ気がない。すれ違う車も少ない。そんな景色の中土煙を巻き上げながら走り続け、ウスアイアから60kmほどの場所で車は止まった。そこは地主の家なのか事務所なのか、とにかくそこでゲートの鍵を借りた。つまりこれから行く釣り場は広大な私有地の中にあるということだ。

ゲートを開け車一台がやっとの幅の道を藪の枝を擦りながら車は進んだ。するといきなり行手を阻むモノが現れた。倒木である。しかもここにいる全員でも到底動かせないほどの大木だった。しかしそこは厳しい自然の地。そんなことは想定内と言わんばかりにランドクルーザーの前面にはウインチが装備されていた。ウインチのワイヤーを幹に巻き付け、車をバックさせた。ズルズルッと大木が動き、道と平行になったところでなんとか通れる幅を確保した。さらに進むと湖が見えてきた。それがサンタ・ラウラ湖だった。

湖畔の森の中にテントを張り、ランチを食べた。南半球は夏とはいえ大陸南端のこの島は決して暖かくはない。私はパタゴニアの厚手のフリースを着て釣りの準備を始めた。すると我々はタンギートが用意してきたフロートチューブ一式を渡された。どうするのかと思ったら、前方に見える小島に渡るのだという。そこから島の周りにキャスト (※1) するらしい。フロートチューブは初めてだったが、足ひれをつけた脚を上下させながら後ろ向きに進むと、思っていたよりスムースに進むので感心した。

その島は本当に小さく真っ平で木が一本も生えていなかった。バックキャストを遮るものが何もない、フライフィッシングには恰好の島だった。
この釣行のために用意したSAGE (※2) の9フィート7番の竿にタイプ3のシンキングラインを通しウーリーマラブーを結んで思い切りキャストした。数秒待った後リトリーブを始めるとすぐに引ったくるようなアタリがあり、次いで強烈な引きでリールが悲鳴を上げる。必死のやり取りの末、目の前に横たわったのは40cmをゆうに超える精悍な体躯のニジマスだった。
それからワンキャストワンフィッシュの入れ食いに突入するかと思いきや、そう甘くはなかった。そこがまた憎いところで、野生のニジマスたちは飽きない程度に我々を楽しませてくれた。

そろそろ夕飯の時間だったのでキャンプに戻ろうということになり、フロートチューブをこいていると前方でライズ (※3) があった。これを見過ごすわけにはいかない。先に岸に着いていた仲間も「投げろ投げろ」と叫ぶ。フロートチューブに乗った慣れない姿勢のままライズのあった方向にストリーマー (※4) をキャストした。着水後すぐにリトリーブを始めると間をあけずにゴン!ときた。明らかに今までとはサイズが違うことはすぐに分かった。
とにかく重い。魚の動きにつられてフロートチューブが回転する。リールを巻いて引き寄せるものの、こちらも水面に浮いているので引きずられてしまって埒があかない。
仕方がないのでそのままフロートチューブを漕いで岸に上がった。やはり両足が大地に付いているとやり取りは格段にやりやすくなった。そして上がってきた魚は60cmを超える逞しい雄のニジマスだった。
「これがフエゴ島か」
私は呆然とした面持ちで独言た。

続く。


A君とタンギート。

※1 キャスト: ロッドを振り、フライ (毛鉤) を狙ったポイントに投入する動作のこと。

※2 SAGE: 伝説的ロッドデザイナーであるドン・グリーンが創業した、アメリカの老舗フライロッドメーカー。高品質で精密なフライロッドを製造しており、革新的な材料と設計でキャスティング性能と耐久性に定評がある。

※3 ライズ: 魚が水面近くの虫などを捕食しに、水面まで上がってくること。

※4 ストリーマー: 小魚や泳ぐタイプのヒルなどを模したフライ。大抵はウエットやドライに比べて大型である。

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WRITER
田中啓一

田中啓一

東京生まれ。ファッションデザイナー、大学非常勤講師。入間川や相模川のオイカワ釣りで釣りに目覚め、10代後半でルアーフィッシングと出会い、ほどなくフライフィッシングにはまる。日光の湯川をはじめ、国内の渓流や湖にヤマメ、イワナ、各種鱒 (トラウト) を追い求める。ニュージーランド、パタゴニアなど、海外での釣行の旅もしている。シーバス、タナゴ、マブナ、クロダイ、ハゼなど、幅広く釣りを楽しむ。2000年代よりULギアに関心を持ち、MYOGで釣り用のシャツやパンツ、アルコールストーブ、ペグケースなどの自作も嗜む。ULギアは、主に釣り泊の道具として使用している。

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