フォロワーゼロのつぶやき 中島悠二 #17 トレイルエンジェルぽい
<フォロワーゼロのつぶやき> 中島君(写真家)による、山や旅にまつわる写真と、その記録の断面を描いたエッセイ。SNSでフォロワーゼロのユーザーがポストしている投稿のような、誰でもない誰かの視点、しかし間違いなくそこに主体が存在していることを示す記録。それがTRAILSが中島君の写真に出会ったときの印象だった。そんな印象をモチーフに綴られる中島君の連載。
#17「トレイルエンジェルぽい」
夏だった。家のアパートの隣にある小さな公園の中央にあった桜の木が昨年の台風19号で根元から折れてしまって今はない。それより前の夏ので、きっと木にはセミがたくさんとまって鳴いていた。
その木陰でたばこを吸っていると、突然声をかけられた。40歳くらいか、坊主頭の男性。濃紺のTシャツ。万事こまりはてたという顔に玉の汗が浮く。小さな使い古したポシェットを手にして「これ、買ってくれませんか」と言った。面白い。けどポシェットは全然欲しくなかったので「要りませんね」、と言った。彼は「ですよね」、という大きな間があってそれからため息を吐いた。「何があったのでしょうか」。訳をきかないわけにはいかなかった。
家まで帰る電車賃がないと言う。「仕事がないのです」。以前はエレベーターを設置する業者で働いていたが、事故をおこして指を一本失くしました。 (手を広げて見せるとほんとに一本なかった)。次の仕事も逃げ出しました。昨晩、助けを求めて頼りの知人を電車で尋ねたんですが留守でした。
電車賃もないし行き場がないので夜どおしかけて豊島区から歩いてきました。「すごい遠いですね」と彼は言った。家は横浜方面と言うからまだはるか先。茫然として公園で休んでると、あなたが現れて思い切って声をかけてみました。「全部自分が悪いんです」といってまた大きなため息をついた。「それにしても野良犬って、もういないんですかね、会うのは猫か鳩くらいでした。子供の頃はあんなにいて、よく道端で睨み合ったもんですが」。彼はそう言うと公園の蛇口から水をガブガブと飲みはじめた。
嘘をついているとは思えなかった。ポシェットは要らないけど、ご飯でも食べに行きますかと提案して、近くの台湾料理屋に入った。彼はおいしい、といって食べた。両親にはこれ以上金を借りれない、と言った。全部自分のせいです、と言った。それ以外話題はなかった。うまく言葉が出なかった。それから店をでると、大きな欅並木の道を新宿駅まで歩いた。
駅の地下道で彼はトイレに行きたいと言った。彼はトイレに入ると突然入り口の洗面台で勢いよく水をだし、坊主頭をつっこんで頭をばしゃばしゃと洗いはじめた。終わったのか頭を上げてすっきりしたーという爽やかな顔をして「お待たせしました」と言うので笑ってしまった。ハイカーみたいだと思った。いや、彼はハイカーではない。ハイカー以前の、もっと素朴な原型のようなものだった。交通費を渡すと、改札を抜けていく彼は、タオルがないから濡れたままだった。
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