フォロワーゼロのつぶやき 中島悠二 #15 歩く生き物
<フォロワーゼロのつぶやき> 中島君(写真家)による、山や旅にまつわる写真と、その記録の断面を描いたエッセイ。SNSでフォロワーゼロのユーザーがポストしている投稿のような、誰でもない誰かの視点、しかし間違いなくそこに主体が存在していることを示す記録。それがTRAILSが中島君の写真に出会ったときの印象だった。そんな印象をモチーフに綴られる中島君の連載。
#15「歩く生き物」
毎朝、同じ時間に目が覚めた。朝はパン一枚と、湯をわかしてスープを飲む。朝はのんびりしない。テントを片づける。歩くのは遅い。
夕方まで歩いたら、気持ちのいい場所をみつけてそこにテントを張る。中に入ると家に帰ってきたみたいだ。夕食までは散歩して写真を撮ったり、水を汲んできて体を洗った。たばこも吸って、日記を書いた。この時間が一番好きだった。食事を済ますと本を読んだり、暗くなったら寝袋に入ってライトを消して、そのまま寝るか、落語の声をきいた。夢はほとんど見なかった。何の意識も寄せ付けないかたくなな眠りだった。
また朝になった。朝はのんびりしない。テントを片づける。「行ってきます」と、声には出さない。規則正しい生活。無駄のない簡潔さ。与えられた業務を淡々とこなしていくだけでそこに疑問を差しはさむ余地はない。なにか人に話して面白いことを考える必要もない、スカしたイノベーションもいらない。毎日歩いて前に進むだけの、そういう簡単な生き物になった。これが求めていた自由かと思うとおかしかったけど、たしかに十分、ほかに何もいらないのだった。
食料補給のために町へおりた。街はずれの荒野にキャンプ場があってそこでテントを張った。すぐに堕落したかった。ガソリンと排気ガスの匂いがうまい、砂埃も混じったそれを鼻から吸って、脂ぎった不健康なものを食べたい。喉が詰まるくらい強引にビールで流し込んだら、渾身のゲップを吐くのだ。いや、それでは足りなくて、ほんとうはもっと悪いことがしたかった。すぐに酔った。疲れすぎて、骨までグニャグニャになった。便所に立つと、身体が意識に遅れた。口を開けて尿を放つ。戻ってきた。自分の腕が日焼けで黒いのをぼんやり見つめた。シエラの太陽の光が確実に自分の身体に染み込んでいるんだなあ、と耽った。
車で旅をしているカップルが話かけてきた。缶ビールをくれた。話に内容はなかった。顔も覚えていない。ふたりは笑っている。夕暮れの光を背景にふたりが肩を寄せたシルエットだけが思い出されて、それがなつかしい。
最後の食料補給だった。またザックがパンパンになって、重いけど、新鮮な気持ち。翌日は山に戻って、また同じ朝を繰り返す。
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