パックラフト・アディクト | #33 ヨーロッパにある国境の川を旅する
(English follows after this page.)
文・写真:コンスタンティン・グリドネフスキー 訳:トロニー 構成:TRAILS
今回は通常のトリップレポートとは一風変わった、「国境の川」というコンセプチュアルなテーマのレポートを、TRAILSアンバサダーのコンスタンティン (HikeVentures) が届けてくれました。
「国境」は、ソビエト連邦 (ソ連) で生まれ育った彼にとって、とても大きな存在でした。ソ連では、ビザの取得も難しく、国境を越えることは簡単ではありませんでした。
だからこそ彼にとって、いまパックラフトで国境を自由に旅できるということは、特別な意味を持っているのです。
今回のレポートは、私小説のように、国境をめぐるさまざまな情景が描かれています。パックラフトの旅を通して、彼のなかで強固な存在であった「国境」のイメージが変わっていく様子が伝わってきます。
話は小さな頃のソ連の思い出から始まります。
モンテネグロとボスニア・ヘルツェゴビナの国境を通るタラ川でのパックラフティング・トリップ。
ソ連生まれの私にとっての国境とは?
私はソ連で生まれました。その私にとっては、国境とは、永久不変であり、越えられないものであり、重い存在でした……。
隣国に入るのに、簡単に国境を越えることはできないのです。ビザを取得するのにも、長く大変なプロセスを経なければいけませんでした。しかも、もし手に入るならば、という話です。また、場合によっては出国用のビザも必要でした (ソ連にもそういうものがあったのです) 。
その後、国境検問所に行き、数時間待ってから、両方の国で国境警備隊や税関職員による非常に厳しくて、信じられないほど不愉快なチェックを受ける必要があります。
そうして、ようやくその国に入国することができたのです。また、国境の検問所以外の部分は、有刺鉄線、監視塔、シェパード犬、地雷原、無人地帯が立ち並び、横切るのは困難を極めました。
オランダに住み始めてからもう19年近くが経ちます。オランダに住む前にも、ヨーロッパへは旅行で訪れたことがありました。そしてヨーロッパ内の国境では、みんな緊張状態ではないことを知りました。
社会主義の時代に生まれたポーランド人の妻ですらも、私が国境を怖れたり、魅惑されたりする気持ちを理解できないようです。ポーランド人にとっては、今もなお私の感覚とは違うのでしょう。
ソ連で暮らしていた時、私の父親はよくカヌーで川をくだっていました。
国境に対する私のスタンスは、1990年に公開されたソ連のコメディ映画『パスポート』(ゲオルギー・ダネリヤ監督)の中でよく表現されています。
この映画は、イスラエルに移住することになった異母兄弟の一人を描いた作品です。内紛によって、もう一人の兄弟が国外退去を余儀なくされるのですが、彼がソ連に戻るまでの間、いくつもの国境 (中には有刺鉄線や地雷原もある) を越え、結果的に刑務所に入れられてしまうという、不運の旅路が描かれています。
この映画の主人公が横断する最後の国境は、単なる浅い川にすぎません。その対岸に、彼が帰りたかった故郷がありました。
ヨーロッパ各地の「国境の川」をめぐる旅。
私がこれまでにパックラフトで旅した、ヨーロッパにある7つの国境の川。
川はもともと人々を分かつ自然の障壁でした。それがやがて、さまざまな国の国境として利用されるようになりました。
私がこういった国境の川に興味を抱くのは、国同士の関係が複雑になることが多いなかにおいて、川だけは自然のままで、人間による影響をあまり受けないからです。
ベルギー (左岸) とオランダ (右岸) を隔てるマース川にて。
私が最初に漕いだ国境の川は、グレンスマース (国境のマース川という意味) にある川でした。そこにあるマース川の47kmの区間は、オランダとベルギーの国境になっています。
この区間の川は比較的浅いのですが、小さな瀬 (※1) もあります (川の流れのほとんどが運河に流れ込んでいます)。小さくとも美しい川です。
一緒に旅をしたのは、HikeVenturesを一緒に運営している友人のパトリックでした。
この頃は、まだ私たちはパックラフトを始めたばかりでした。なので、クラスI〜II (※2) くらいの小さな瀬でも、十分にエキサイトしていました。
実際、初心者のパドラーが最初に漕ぐのにもピッタリの川です。年間を通して十分な水量もあるし、川を漕ぐための許可証 (パーミット) も必要ありません。
※1 瀬:川の流れが速く水深が浅い場所。瀬を越えるのはスリリングかつ、難易度が高くなるほどテクニックも要するため、ダウンリバーにおける醍醐味のひとつでもある。
※2 クラス:瀬の難易度。クラス (グレードや級とも表現される) が I〜VI (1〜6級) まであり、数字が大きいほど難易度が高い。
グレンスマースは私が漕いだ最初の国境の川でしたが、それ以降、ディンケル川 (ドイツ – オランダ)、ツイード川 (スコットランド – イングランド)、ドゥナイェツ川 (ポーランド – スロバキア)、タラ川 (モンテネグロ – ボスニア・ヘルツェゴビナ) を2回、ドンメル川 (ベルギー – オランダ)、ルーア川 (ベルギー – ドイツ) も下りました。
グレンスマースへは、2度訪れています。2回目に旅したときは、オランダ人とベルギー人のパックラフターのグループと一緒でした。
「国境の川」の面白さを一番感じたのはルーア川 (ドイツ・ベルギー国境)
こういった川の中には、ドンメル川のように国境を横切るだけのものもあれば、ディンケル川のように二国間を数百mにわたって平行に流れるものもあります。
また、グレンスマース、ツイード川、ドゥナイェツ川、タラ川などは、川自体が国境の一部分となっています。
スコットランド (左岸) とイングランド (右岸) を隔てるツイード川にて。
しかし、これらの川は私が子どもの頃に考えていた国境とは違っています。私が思うような場所や川も実在するのですが、まだそういった場所で漕いだことはありません。
私が漕いできた中でもっとも興味深かった、「永久不変」の国境の川はルーア川です (ルーア川のトリップレポートはコチラ)。
ベルギーとドイツの国境を行き来するルーア川。歴史的建造物も印象的でした。
ルーア川は一般的な国境の川とはちがってとても特殊で、国境のあたりを複雑に蛇行して流れています。
ベルギーとドイツの国境を越えてドイツに入ったあと、数十mドイツを流れ、ふたたび国境を越え (ベルギーで10〜15m)、また越えて (ドイツで数百m)、また越えて (ベルギーで10〜15m)、また越えて (ドイツで数百m)、さらに越えて (ベルギーの10〜15m)、最終的にドイツに入るまでの間、しばらく国境を行き来します。
こんなにややこしい国境になった理由には、フェンバーン (フェン鉄道) というかつてのドイツの鉄道路線の影響があります。10〜15m幅の鉄道敷地だけが、第一次世界大戦後に部分的にベルギー領となったのです。そのため、このエリアにはドイツの飛び地が点在する複雑な国境線になったのです。
「国境の川」は、2つの国を同時に旅する楽しさがある。
川のなかにどのように国境が引かれるかについては、共通のルールはありません。川の地理的な中央部の場合もあれば、水の流れの中央部の場合もあります (これは異なるものを指します)。
あるいは、堤防が国境になっていることもあります。国境線のルールは常にわかりやすいわけではないのです。(川を漕いでいるときは)地図上で自分の位置を常に確認するわけではないので、その時々で自分がどちらの国にいるのか、わかっているわけではありません。これは私にとって、とても面白いことです。
モンテネグロを流れるタラ川。後ろに見える山々はボスニア・ヘルツェゴビナ。
たとえば、あなたが誰かと一緒にパックラフティングをしているとき、二人はそれぞれ別の国にいるかもしれないのです。あるいは、あなた自身が2つの国にまたがる場所にいることもあるでしょう。変な感じだけど、面白いですよね。
しかし、国境を流れる川を漕ぐ旅は、こういった気持ちの面での楽しさだけではありません。
独自の言語、伝統、考え方といった、2つの異なる文化に触れることもできるのです。
ポーランドとスロバキアの国境を流れるドゥナイェツ川を漕いでいたときには、私は地元料理に興味があってスロバキア側でランチをとりました (私の妻はポーランド人で、ポーランド料理は慣れ親しんでいたからです)。しかも、お値段もお手頃でした。
文化の違いや物価だけではなく、国によって川の扱い方も大きく異なっている場合もあります。
たとえば、モンテネグロのタラ渓谷のパドリングの場合、そのほとんどはドゥルミトル国立公園を通っていて、その利用には許可が必要です (しかも高額です。詳しくは私の過去の記事をご覧ください)。
地元のパドラーたちからは、モンテネグロでは川の下流 (国立公園の先) のパドリングも同様に許可制にしようとしていると聞きました。でも、ボスニア側はそれを望んでいなかったため、下流部は誰でも入れるようになっています。
パックラフトの旅を通じて変化した「国境」のイメージ
この7年間を振り返ってみると、パクラフトを持っていたおかげで、たくさんの面白い場所を訪れることができました。
また、国境に対する私の考え方も少し変わりました。
国境の川は、単に境界の役割を果たすだけではなく、何かを結びつけるものでもあります。こういった捉え方が、私が持っていた考えを変えるきっかけになりました。川はもはや障壁ではなく、探検への道なのです。
私は、これからもたくさんのそういった川を、パックラフトで旅したいと思っています。
スロベニアのソチャ川は、透明度が高く、エメラルドグリーンの色をした水面がとてもキレイでした。
コンスタンティンがレポートしてくれた、ヨーロッパにある国境の川をめぐる旅。
ソ連出身であるコンスタンティン自身の個人史とむすびついた、とても興味深い内容でした。
島国である日本では体験できない、隣り合う二国の異なる文化を一度に味わうことのできるパックラフティングの旅。しかし日本でも、川をまたげば文化が異なるようなところもたくさんあるでしょう。まずは国内の川でチャレンジしてみようと思います。
TRAILS AMBASSADOR / コンスタンティン・グリドネフスキー
コンスタンティン・グリドネフスキーは、ヨーロッパを拠点に世界各国の川を旅しまくっているパックラフター。2012年に、友人と一緒に『HikeVentures』を立ち上げ、パックラフトによる旅を中心に、自らの旅やアクティビティの情報を発信している。GoPro Heroのエキスパートでもあり、川旅では毎回、躍動感あふれる映像を撮影。これほどまでにパックラフトにハマり、そして実際に世界中の川を旅している彼は、パックラフターとして稀有な存在だ。パックラフトというまだ新しいジャンルのカルチャーを牽引してくれる一人と言えるだろう。
(English follows after this page)
(英語の原文は次ページに掲載しています)
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