TRAILS 環境LAB

TRAILS環境LAB | 松並三男のSALMON RIVER #02 釣りバカ & ヨコノリ少年が環境問題に目覚める

2020.07.15
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文・写真:松並三男 構成:TRAILS

What’s TRAILS環境LAB? | TRAILSなりの環境保護、気候危機へのアクションをさまざまなカタチで発信していく記事シリーズ。“ 大自然という最高の遊び場の守り方 ” をテーマに、「STUDY (知る)」×「TRY (試す)」という2つの軸で、環境保護について自分たちができることを模索していく。

* * *

『TRAILS環境LAB』の記事シリーズにおいてスタートした、松並三男 (まつなみ みつお) くんの連載レポートの第2回。

松並くんは昨年パタゴニアを退職し、山形県鮭川村に家族で移住した。そこで「鮭」をテーマに環境問題に取り組んでいる。この連載を通じて、僕らも環境保護の「STUDY」を深めていく。

第2回の今回は、松並くんの環境問題への「目覚め」を語ってもらった。

重度の釣りバカ、魚バカであり、またスケートボードやスノーボードなどヨコノリも大好きな彼が、どのような経緯で「環境」というテーマに意識的になっていったのか。

自然のなかで遊び、旅したりしていると、おのずと自然環境にも意識的になる。でもその先にどんなことができるのかが、わからないことも多い。

そんなとき、僕らと同じくトレイルを愛する松並くんのライフスタイルは、いろいろなヒントを与えてくれる。

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現在、山形県鮭川村に住んでいる松並くん。今回は、環境に興味を抱いたきっかけから、大学入学、パタゴニア入社までのエピソードを語ってもらう。



台風後の釣りで、ゴミだらけの海に衝撃を受けた。



大学卒業まで神奈川県中郡大磯町で生まれ育った。家の前に花水川、すぐ後ろに高麗山 (こまやま)、自転車で海まで行ける環境だったこともあり、幼少期より虫取りや魚取りに明け暮れていた。

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大学1年の冬、地元大磯港に通い込んで釣った良型シーバス。(写真:すずき釣具店)

小学校2年生のときに近所の友人家族とハゼ釣りにでかけたのをきっかけに釣りにハマり、海や川へ通うようになった。

中学に入るとサッカー部のかたわら、休日はいつも釣り。高校は部活に入らずアルバイトしながら海のルアー釣り、スケートボード、夏はスキムボードざんまい。学校よりも趣味を通じた仲間の方が多かった。

中3のときだったかな。台風のあとにシロギス釣りに出かけたとき、ゴミだらけで釣りにならず、当然魚も釣れなかった。

釣師のポイ捨てゴミと毎回引っかかってくるビニール袋にうんざり。

「これ、なんとかせねば……」

思い返せば、これがぼくの環境に対する意識の最初のターニングポイントだった。

写真3 釣りとゴミ
釣師のポイ捨て、台風後の海……ゴミだらけの海に直面。これが環境問題を意識するきっかけとなった。



海を良くしようと思ったら、森を見ていく必要がある。



高1のときに新聞記事から「赤潮の発生をミズクラゲのアレロパシー物質により抑制する」という記事を見つけ、生態系の仕組みに興味を持った。

この記事を書いたのが日本大学生物資源科学部の海洋環境学研究室で、このときに「ここで学びたい」と思い進路を決めた。そのため高校では成績をキープしながらこの学科の推薦を取り、無事に目的の学科に入ることができた。

そして進路が決まった高3の冬、「漁師が山に木を植える理由」(著・畠山重篤、松永勝彦)という書籍と出会う。推薦で合格した後、海の勉強をしようとたまたま手に取った本のひとつ。

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日本大学生物資源科学部への合格が決まり、海の勉強をすべく手にした本。

海の砂漠化 (※) の原因は陸域にあり、広葉樹の落ち葉が堆積し発生する腐植酸が鉄分の運搬に関係しているという話だった。

海を良くしようと思ったら森を見ていく必要があるという考え方を知った。この本を読んでから、海に対して幅広い視野を持つことを意識するようになり、それは今も考え方の基礎になっている。

※ 海の砂漠化:海藻が消滅して、海中の岩石や岩盤が白色の石灰藻で覆われた状態のこと。数十年あるいは数百年にわたり海藻が回復しない可能性がある。これを、北海道大学教授である松永勝彦氏が「海の砂漠化」と称した。

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地元大磯の自宅裏にある高麗山 (こまやま) は、小さい頃からよく通った裏山。海を良くするにはこういった森も重要なのだ。

大学入学後、研究室は海洋環境学と決めていた。研究室に入るまでは、とにかく行動に移していくため、学内の身近なゴミ対策をする有志団体に入り、学園祭のゴミ問題を考える全国的なネットワークでも活動した。

学園祭の裏側で発生する大量のゴミに対し、非木材紙容器への切り替え、国産間伐材割りばしの販売、オーガニックコットンTシャツ販売(パタゴニアBeneficial T’s)、当日のゴミ回収と分別、といった裏方での地道な活動を続けた。

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大学の学園祭で集められた大量のゴミ。



「自然を理解するには現場に通う」。これが若い頃からのぼくの変わらないスタンス。



大学3年から研究室がはじまると、恩師である荒功一先生に出会う。

「グローバルな視野を持って、レジオナルに研究する」、「自然を理解するには100回も1000回も現場に通う」というのが、当時からの荒先生の研究方針だった。

先生はこれを地道に実践し、相模湾沿岸のリアルなデータを積み重ね、現場の漁業者や活動家に、誰よりも敬意をはらう尊敬できる先生だった。

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荒功一先生の研究室では、海岸での清掃活動も頻繁に行なった。

研究テーマを決めるときも、「お前ら間違っても図書館行くなよ。海を見て考えて決めろ」と言われたことが印象深く、素直にそのまま海に向かい、ゴミだらけの海を前に決めたテーマが「海岸漂着ゴミ」だった。

海ゴミは、今でこそSDGs (※) の流れもあり世界的に認識されるようになったが、当時はまだ特定の人の論文しかでておらず、社会的にも「ポイ捨てはやめよう」くらいで根本的な原因には大きく取り組まれていなかった。

※ SDGs:「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」のこと。2015年9月の国連サミットで採択された、2016年から2030年までの国際目標。持続可能な世界を実現するための17のゴール(グローバル目標)と169のターゲット(達成基準)で構成されている。

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大学の研究室では、海ゴミの研究に没頭した。

研究については、ある時期の水平展開での漂着ゴミ調査は多かったが、定点観測での時系列のデータがあまりなかったことから、SEN(サーファーによる環境を考えるネットワーク)主催の海岸清掃活動に参加しながら、半年間の定点観測を実施することにした。



海岸にあるプラスチックが「人工芝の破片」であることに気づく。



単位面積当たりの砂中にあるプラスチックをすべて選別、カウントしていく地道な作業からの大きな気付きは、緑色のプラスチック片が「人工芝の破片」であることに気付いたことだった。

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海で見つけた緑色のプラスチック片は、実は人工芝の破片だった。

当時、レジンペレット (直径数mmの円筒形か円盤形のプラスチック粒) についてはどこの海岸にもあり問題視されていたが、同じようにどの海岸にもあるこの緑の破片については「プラスチック片」の一部としか認識されていなかった。

発生源に気付いたのは、海からかけ離れた長野県の知人宅。玄関に落ちている緑色の破片を発見し「あっ!これ!」と思わず拾って持ち帰った。

人工芝は海で使うものでもなければ、ましてポイ捨てするようなものでもないが、どの海岸にも必ず存在する。このことから、海のゴミは日常生活の消費すべてと密接に関わっているという感覚が確信に変わった。

現場に通わないと気付けなかったことであり、その後の活動をぶれずに進めていく上でとても重要な経験だった。

SDGsでようやく世界的な課題として認識された今、あのときのプロセスが間違っていなかったということをあらためて実感している。



大学卒業後は、就職せず、ほぼ毎日ゴミにもまれる日々を送る。



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かながわ海岸美化財団の海岸清掃員時代。仕事として毎日、海のゴミを拾い続けた。

大学卒業後は就職せずに、フリーターで海岸清掃や釣り中心の生活を続けた。思い付きで国内を旅し、仕事は山形蔵王や小笠原での住み込みバイト、訪問販売、イタリアンレストランなど、すべて貴重な社会経験として今に繋がっている。

特に印象深かった仕事は、卒論でもお世話になった公益財団法人かながわ海岸美化財団の海岸清掃員。リーマンショック時の緊急雇用対策だったが、失業者の中で唯一自分だけがこれを「目的」として志望し、受け入れてもらった。

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花火大会後の朝。目を覆いたくなるようなゴミ回収にも携わった。

平日は仕事として海のゴミを拾い、休日もボランティアでの海岸清掃、夏休み中は民間業者での海ゴミ回収の仕事もいれていた。半年間ほぼ毎日ゴミにもまれる日々を過ごした。



もっと海を良くしたい。その強い思いを胸にパタゴニアに入社。



海のゴミは社会の縮図だ。海のゴミは日常生活と密接に紐づいている。

夏の海水浴場の裏側、花火の後のゴミ山、台風後の海岸、磯でのゴミ回収、ボランティアレベルでは対応できないハードな海岸清掃をしていく中で、この感覚はもう否定する隙がまったくないほど体に染みついている。

この仕事の契約満了時、仕事を通じてもっと海を良くしていきたいと考えていたとき、ちょうどパタゴニアの募集を見つけ、応募、入社することができた。

「この会社なら自分の思いを重ねられるかもしれない」という希望を胸にしながら。

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パタゴニアに入社して最初の配属先はゲートシティ大崎。立ち上げスタッフとして携わった。

最後に、恩師である荒先生の当時の資料に記載されていた学生へのメッセージを紹介したい。

「日本をダメにした大人たちを信用するな!」

これについては大人になった今、次の世代に同じことを言いたくなってしまう。現場に100回も1000回も通い詰め、そこから見えた道を進めばいいのだと思う。

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家族 (妻と娘) と一緒に、大好きな海で。

松並くんの話を聞くと、自然のなかでの遊びが好きだった少年が、まっすぐに環境や自然を守るアクションに進んでいったことが伝わってくる。

海と釣りが出発点だった松並くんは、「海を良くしようと思ったら、森を見ていく必要がある」という考えに出会った。やがてそれは現在の山形県鮭川村での活動にもつながっていく。

次回の連載レポート第3回では、彼がパタゴニアで学んだことと、その後、鮭川村に住むことに決めた経緯について語ってもらう。

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WRITER
松並三男

松並三男

1983年、神奈川県生まれ。大磯町という海や川に恵まれたエリアで生まれたこともあり、幼少期から虫取りや魚釣りに夢中になる。中高と海釣り (ルアー) にハマる。その頃、海で大量のゴミを目にしたことをきっかけに環境に興味を抱き、日本大学生物資源科学部に入学。海洋環境学の研究に没頭する。卒業後は就職せず、海岸清掃と釣り中心の日々。その後「もっと海を良くしたい」という思いが強くなり、パタゴニアに入社。約10年にわたりさまざまな店舗で勤務する。2019年、川鮭と環境問題の関連性に注目し、それを追求すべく、山形県鮭川村に移住。鮭川村の地域おこし協力隊として働きながら、鮭をテーマに活動している。 Photo by Mitsuru Itabashi (バシフォト)

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