BRAND STORY

国産カスタム・フライロッドのパイオニア MACKY’S CREEK(マッキーズ・クリーク) – その2 「MACKY’S CREEK」と「ARTIST」

2022.10.14
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文・構成:TRAILS 写真:宮坂雅木、柴田哲也、冨岡和陽、TRAILS

What’s BRAND STORY?/ 優れた製品を開発するメーカーには、それを実現させるだけの「他にはない何か」があるはず。でも普段の僕らは、つい新製品ばかりに注目しがちです。そこでBRAND STORYでは、編集部がリスペクトするあのメーカーの「他にはない何か」を自分たちの目で確認し、紹介したいと思っています。

Why MACKY’S CREEK?/ 1980年創業のMACKY’S CREEK (マッキーズ・クリーク ※1)。オーナーは、「マッキーさん」の愛称で親しまれている宮坂雅木 (みやさか まさき) 氏。フライフィッシャーの間では、言わずと知れた国産カスタム・フライロッドのパイオニアである。そんなマッキーズ・クリークが、2022年8月31年、42年の歴史に幕を下ろした。「MACKY’S CREEK」という場、およびマッキーさんが作り出したカスタム・フライロッドの製品シリーズ「ARTIST」が日本のフライフィッシングシーンに与えた影響とは。

*   *   *

マッキーズ・クリークの足跡を辿りなおし、その生い立ちから独自性、存在意義までを紐解いていく今回のBRAND STORY。本来は1ブランド1記事が原則だが、今回は日本のフライフィッシングシーンにおける歴史的とも言える瞬間にTRAILS読者のみなさんにも立ち会っていただきたく、特別連載企画としてお届けする。

今回の「その2」では、これから「マッキーズ・クリーク」とカスタム・フライロッドの製品シリーズ「ARTIST」の魅力や革新性を掘り下げるにあたり、知っておいてほしい基本情報を解説していく。

マッキーズ・クリークには、大きく2つの側面がある。ひとつは、ハンドクラフトによるカスタムのフライロッド「ARTIST」をつくるメーカーという側面。もうひとつは、お客さん自身がロッド・ビルディングができる「MACKY’S CREEK」というお店という側面である。この2つの側面におけるそれぞれの魅力を紹介していきたい。

※1 マッキーズ・クリーク:後に名称をマッキーズに変更しているが、マッキーさんと相談の上、今回のBRAND STORYではTRAILS編集部からのリスペクトを込めて創業当時から使用していたマッキーズ・クリークという名称を使用している。


工房も併設されたマッキーズ・クリークの店内。

大量生産の完成品が主の時代に、自らデザインし、ハンドクラフトで丁寧にビルディングしたカスタム・フライロッドを販売する。

マッキーズ・クリークのお店は、1980年 (昭和55年) にオープンした。最初は東京の中央区新富町にあった。

創業者の宮坂雅木さん(以下、マッキーさん)は、フライフィッシングの道具を販売するお店をスタートした。同時に、世の中にあるマスプロメーカーによる完成品のロッド (竿) ではなく、ハンドクラフトのカスタム・フライロッドのデザイン、ビルディング、そして販売までの全工程を自ら一気通貫で始めた。これは当時の日本では他に誰もやっていなかったことであった。

パーツやマテリアルから仕入れて、それをハンドクラフトで組み上げ、仕上げていく。そうやって作られたカスタムのフライロッドは、それまでの大量生産品にはない、美しさと使いやすさを兼ね備えた個性があるロッドであった。


細かなところの仕上げまで美しい、マッキーさんがつくるハンドクラフトのカスタム・フライロッド。

ロッド・ビルディング = Make Your Own Rods

このようにパーツやマテリアルから調達し、自らの要望に合わせて、自分仕様のロッドを、自らで組み上げていくことを「ロッド・ビルディング」という。ハイキングの世界ではMYOG (Make Your Own Gear) にあたる言葉だ。

マッキーズ・クリークのお店では、ロッド・ビルディングのためのパーツやマテリアルの販売も行なっていた。また商品を販売するスペースだけではなく、ロッド・ビルディングのための工房も併設されていて、お客さんも自由に使うことができた。


アメリカでロッド・ビルディングを実践し、情報発信もしていたデール・クレメンス。『Advanced Custom Rod Building』(1978)。

マッキーさんは、お店をオープンする前から、当時フライロッドのロッドビルディングにおいて最先端であった、アメリカの情報もリサーチしていた。またオープンして間もなく、ロッド・ビルディングについて詳しく、アメリカでマニアックな情報も発信していてたデール・クレメンスなどにも直接コンタクトをとり、最新のロッド・ビルディングへの造詣を深めていった。当時は、日本でロッド・ビルディングをここまで探求しているお店はなかった。

ロッド・ビルディングできるお店とは、つまりそれぞれのお客さんが、自分の釣りのスタイルや好みに合わせて、ブランク (ガイドやグリップを取り付けていない、加工前のロッド) やグリップ、糸を通すガイドの位置、またその他の細かい仕様までを自らデザインし、自分で選んだパーツやマテリアルを使い、自らビルディングすることができるお店ということである。

バックパックで例えれば、どのような大きさや形で、どのような生地の種類やカラーで、ポケットを付けるかどうかなどの仕様を自らデザインし、自分で選んだパーツやマテリアルを使って、自ら制作することができるお店というイメージだ。


ロッド・ビルディングに使う各パーツについて、さまざまな種類を取り揃えていた。「アングリング 第5号 (1984年)」に掲載の広告より。

当時のフライフィッシングは、アメリカやイギリスから入ってきた新しい釣りのジャンルであり、市場にあるものは主に海外メーカーの完成品のロッドが主流であった。その時代の日本において、自分のスタイルや好みにあわせてフライロッドをカスタムオーダーできたり、自ら自作でロッド・ビルディングできるお店というのは、革新的なことであった。

自社ブランドのカスタム・フライロッド「ARTIST」の誕生。

当時、パーツやマテリアルの調達やロッド・ビルディングの方法など、すべてにおいて確立されたものなど存在しない時代であった。マッキーズ・クリークは、カスタム・フライロッドにおいて、ひとつひとつ自らで新しいノウハウや技術を作り上げていった。

マッキーズ・クリークを1980年 (昭和55年)に始めてから、最初の10年くらいは、主要パーツであるブランクは、海外ブランドのものを仕入れていた。扱っていたのはアメリカのブランドのものがメインで、この時代に全盛であったオービスやフェンウィックなどのブランクを仕入れて、ロッド・ビルディングをしていた。パーツはアメリカ・ブランドのものを使う。しかし、細かな仕様や組み合わせは、すべてオリジナルの仕上げになっているフライロッドということである。


マッキーズ・クリークによる、ハンドクラフトで作り上げられたカスタム・フライロッド。「フライの雑誌 第4号 (1988年)」に掲載の広告より。

しかし小さなロッドメーカーが、海外ブランドにパーツをオーダーをするのは、その商品の多さややりとりの煩雑さもあって、かなりの苦労があったという。そこで、マッキーズは海外ブランドのブランクの仕入れから、国内のブランク製造メーカーにオリジナルのブランクの発注へと切り替えていくようになる。

この時代、ロッドの素材の主流はグラスファイバーからカーボン(グラファイト) へと変わっていた。カーボンは日本の素材メーカーが世界をリードしていた分野で、高いクオリティを持っていた。マッキーさんは国内のカーボンを扱う工場に、求めるロッドのアクションなどの要望を伝え、オリジナルのブランクを扱うようになる。

そうして自らオーダーしたブランクをもとに作られたのが、オリジナルブランド「ARTIST」のロッドであった。こうしてマッキーズ・クリークは、カスタム・フライロッド専門のメーカーとしても、独自の立ち位置を確立していくことになる。


マッキーズ・クリークの自社製品ブランドである「ARTIST」のカスタム・フライロッド。「フライの雑誌 第51号 (2000年)」に掲載の広告より。

美しさ(様式美)と使いやすさ(機能美)を兼ね備え、日本の個性に合ったカスタム・フライロッド「ARTIST」。


マッキーさんが作る美しいフライロッド。

マッキーさんがつくるロッドの特徴のひとつは、美しさ(様式美) である。

マッキーズ・クリークの製品ブランドである「ARTIST」のフライロッドを見ると、まずそのプロダクトとしての精巧さや美しさに驚かされる。細かな塗りや削りなど仕上げも丁寧に、一本一本つくられる、ハンドクラフトの製品だからこそなせるわざである。

当然、この頃はロッド・ビルディングが一般的でなかったので、ロッド・ビルディングのための工具や機械を、自作でつくっているものも多かった。ないものは作ればよいというパイオニア精神と探求心が、それまでの製品にはなかった美しいロッドをつくりあげていった。

マッキーズ・クリークは、商売上のメリットだけを考えてカスタム・フライロッドを始めたわけではない。そこにあったのは、オーナーであるマッキーさんの、より良いもの、より美しいものを自分の手で作り出したい、というロッド・ビルダーとしての矜恃である。


海外製のフライロッドとは異なる、「日本に合ったフライロッド」をつくる。「フライの雑誌 第20号 (1992年)」に掲載の広告より。

もうひとつの特徴は、追求された使いやすさ (機能美) にある。

当時、国内ではアメリカ製のフライロッドが主流であった。国産メーカーのプロダクトも、それを模しているものが多かった。アメリカ的=フライロッドにおける常識、という認識を誰もが疑わなかった時代だ。しかし、アメリカのフライロッドは、日本と比べると、広い川で大きな魚を釣るために作られていた。またアメリカ人は全体的に手も大きく、グリップも太めに作られている。つまり、それまでは日本の環境、日本人の体に合ったフライロッドがなかったのだ。

そこでマッキーさんは、日本でのフライフィッシングに合わせた使いやすさを実現するロッドを追求した。日本の小さな渓流とそこに住む魚のサイズに合わせて、ロッドの長さは短めのものに。日本人の体格や手のサイズに合わせ、グリップも短く細くした。こうして販売を始めた日本の環境に合わせたカスタム・フライロッドは、多くのフライフィッシャーを魅了することになった。

カスタムして組み上げるというロッド・ビルディングがほとんど知られていなかった時代に、まさそれは革新的なことであった。

「MACKY’S CREEK」は、日本のロッド・ビルディングの中心地になっていった。


マッキーズ・クリークのお店。

先述したように、工房が併設されたマッキーズ・クリークのお店は、マッキーさんが自らカスタム・フライロッドを製作するだけでなく、お客さんもそこにある道具を使い、自分でロッド・ビルディングをできる店であったことが大きな特徴だった。

それはつまり、お客さん自身がハンドクラフトのロッドを製作することができるということ。それまでパーツを買うことができるショップはあったが、その場で作ることができるお店というものは存在しなかった。

しかも、それだけではない。マッキーさんは、工房はもちろん機械や工具を貸すことだけにとどまらず、ロッド・ビルディングのアドバイスも惜しみなく行なっていたのだ。メーカーが製造のノウハウを公開してしまうというのは、まさにあり得ない話である。


お店では、マッキーさんはロッド・ビルディングのノウハウを惜しげなく伝えていた。

マッキーさんが、聞かれたら隠すことなくなんでも教えてくれる、というのは有名な話である。知識や技術を共有することで、ロッド・ビルディングを実践する人が増え、マッキーズ・クリークはフライロッドを自作するカルチャーの中心地ともなっていった。実際に、もともとお客さんで自らフライロッドメーカーを立ち上げた人もいるほどだ。

TRAILS読者のなかには、ゼロ年代のUL (ウルトラライト) ハイキングにおける、MYOG (Make Your Own Gear) カルチャーと非常に似ていると思った人もいるだろう。

たとえば、ゴッサマーギアの前身であるGVP Gearがフラッグシップモデルのバックパック、G4の型紙をフリーダウンロードにしたことは、MYOGカルチャーの進展に大きく寄与した。さらにULハイキングの黎明期においては、MYOGのガレージメーカー同士、お互いに実験した知識を交換しあいながら、それまでになかった新しいプロダクトが生みだされていった。それによりシーン全体が発展していったのだ。

このULハイキングのムーヴメントよりずっと前の1980年代に、同じようなことがフライフィッシングのシーンで起こっていたのだ。

「MACKY’S CREEK」は、ファッションデザイナーやエンジニア、文化人など、さまざまな人が集う場でもあった。


マッキーズ・クリークのは、創業の1980年の広告から、釣りのことだけでなく、いろいろ楽しむ場として宣伝していた。「別冊フィッシング 第20号 (1980年)」に掲載の広告より。

マッキーズ・クリークを訪れるお客さんも、ファッションデザイナーや能楽師、エンジニア、クリエイター、文化人など、自然と個性あふれるフライフィッシャーが集まってきた。

マッキーさんの交友は広く、作家であり、世界中で釣行するほどの熱心な釣師としても知られる開高健さんともよく飲んだりしていたという。

マッキーさん自身がオープンな人でどんな人とも分け隔てなく接したこと、マッキーズ・クリークが他にはない唯一無二の特徴を持つお店だったこと、だからこそ多種多様なお客さんが集まってきたのだ。

マッキーズ・クリークは、お店という固定観念にとられない、工房を備えたロッド・ビルディングを探求する場所でもあった。そこには自由に釣りを楽しみたいという共通目的を持ったフィッシャーマンやロッドビルダーが集う、新しいコミュニティのような場所でもあった。


お店のお客さんからも「マッキーさん」の愛称で親しまれていた、宮坂雅木氏。

それまでになかったカスタム・フライロッドを扱うお店としてスタートたマッキーズ・クリークは、フライフィッシングにおいて新しいスタイルをつくり出した、まさにパイオニアであった。

海外の完成品ロッドが主流のなか、日本の環境にあった「美しさ(様式美)と使いやすさ (機能美) 」 を備えたカスタム・フライロッドを作りだした。またマッキーズ・クリークという場所自体が、創造的な空間であり、新たなコミュニティでもあった。

次回からの記事では、実際に「マッキーズ・クリークという現場」に居合わせたお客さんや関係者の方々に直接話を聞いた、マッキーズ・クリークの魅力と革新性についての証言構成をお届けしたい。

<国産カスタム・フライロッドのパイオニア MACKY’S CREEK(マッキーズ・クリーク)>

その1 フライフィッシングの歴史 〜 「MACKY’S CREEK」誕生前夜

その2 「MACKY’S CREEK」と「ARTIST」

その3 <証言録>「ARTIST」というロッド(竿)

その4 <証言録>「MACKY’S CREEK」という場所

その5 <証言録> カムパネラ石川寛樹氏が語る「MACKY’S CREEK」

その6 <回顧録> 宮坂雅木氏が語る「MACKY’S CREEK」誕生秘話

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佐井聡(1979生)/和沙(1977生)
学生時代にバックパッカーとして旅をしていた2人が、2008年にウルトラライトハイキングというスタイルに出会い、旅する場所をトレイルに移していく。そして、2010年にアメリカのジョン・ミューア・トレイル、2011年にタスマニア島のオーバーランド・トラックなど、海外トレイルでの旅を通してトレイルにまつわるカルチャーへの関心が高まっていく。2013年、トレイルカルチャーにフォーカスしたメディアがなかったことをきっかけに、世界中のトレイルカルチャーを発信するウェブマガジン「TRAILS」をスタートさせた。

小川竜太(1980生)
国内外のトレイルを夫婦二人で歩き、そのハイキングムービーをTRAIL MOVIE WORKSとして発信。それと同時にTRAILSでもフィルマーとしてMovie制作に携わっていた。2015年末のTRAILS CARAVAN(ニュージーランドのロング・トリップ)から、TRAILSの正式クルーとしてジョイン。これまで旅してきたトレイルは、スイス、ニュージーランド、香港などの海外トレイル。日本でも信越トレイル、北根室ランチウェイ、国東半島峯道ロングトレイルなどのロング・ディスタンス・トレイルを歩いてきた。

[about TRAILS ]
TRAILS は、トレイルで遊ぶことに魅せられた人々の集まりです。トレイルに通い詰めるハイカーやランナーたち、エキサイティングなアウトドアショップやギアメーカーたちなど、最前線でトレイルシーンをひっぱるTRAILSたちが執筆、参画する日本初のトレイルカルチャーウェブマガジンです。有名無名を問わず世界中のTRAILSたちと編集部がコンタクトをとり、旅のモチベーションとなるトリップレポートやヒントとなるギアレビューなど、本当におもしろくて役に立つ情報を独自の切り口で発信していきます!

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