北アルプスのラストフロンティア『伊藤新道だより』 | #03 「湯俣山荘の再建」と「伊藤新道の工事」
文:伊藤圭 写真:伊藤圭, TRAILS 構成:TRAILS
What’s “北アルプスのラストフロンティア『伊藤新道だより』” | 2021年に『北アルプスに残されたラストフロンティア』という連載シリーズでフィーチャーした『伊藤新道』。2022年には「伊藤新道 復活プロジェクト」のクラウドファンディングも成功し、復活へ向けて着々とプロジェクトが進行している。この連載では、伊藤新道復活の牽引役である伊藤圭さんに、“伊藤新道にまつわる日常” をレポートしてもらうことで、伊藤新道および北アルプスの現在と未来をお届けしていく。
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伝説の道『伊藤新道』の復活へのアクションは、2021年、『北アルプスに残されたラストフロンティア』と称して、TRAILSでも大きく取り上げた (※1)。この『伊藤新道だより』の連載は、このプロジェクトの牽引役であり当事者である伊藤圭さん本人による、その後の伊藤新道の復活に向けたリアルタイムのドキュメントレポートだ。
第3回目の今回も、まずは圭さんと奥さんの敦子 (あつこ) さんの近況から。資金不足は承知の上で奮闘をつづける圭さんと、ジビエパーティーを目論んでいる敦子さんの今を紹介。
さらに、伊藤新道復活プロジェクトにおいては、湯俣山荘と伊藤新道の工事が同時進行で進みはじめ、忙しさが増してきている。そんな中で、楽しみと悩みが混在する実情をレポートしてくれる。
今月の伊藤新道だより:ハンモックに揺られ、伊藤新道の未来を妄想。
現在、伊藤新道復活プロジェクトにおいて重要な拠点として位置づけている、湯俣山荘の再建が進行中だ。
私がいま湯俣山荘再建にかける思いは、ただ山小屋が一軒復活するということではなく、大町市の山岳・アウトドア観光における湯俣温泉の一大拠点化だ。
ここには、河原で入れる温泉があり、天然記念物の噴湯丘あり、原生林、遊べる川があり、いざとなれば北アルプス各方面へのゲートウェイとなる。
さて、ここにどういったコンセプトの山小屋を配置するか。登山客、アウトドアのライト層、ファミリー層、みなさんが楽しく過ごせる小屋である。それはもはや山小屋というより、深い自然の中にあるゲストハウスだ。
このゲストハウス湯俣山荘は、ドミトリーになるし、夜になればバーになってゆっくりできるラウンジを作るし、ウッドデッキや、最近構想したハンモック場も敷設する。再建中の湯俣山荘にもハンモックを持ち込んで、今後の伊藤新道の姿を夢想しながら、ハンモックに揺られている。
一方、妻の敦子はというと、三俣図書室でのイベント準備を進めている。安曇野から大町にかけて、GW前後は水田に水が入り、その水面に北アルプスが映り、またカエルの大合唱と心地の良い気温と相俟って最高の季節を迎える。
三俣山荘図書室では、どこの観光地もそうであるようにこの時期イベントが目白押しだ。その中にジビエパーティーというのがある、提案者は敦子であるが、「イノシシの丸焼きをやるね」という。
「やっぱ丸焼きなわけ?」
「そう丸焼き迫力あるでしょ」
「そうだね」
「野口さんが二匹いいのが捕れたって言ってるし、楽しいでしょ!」
野口さんというのは懇意にしている北信の猟師だ。三俣山荘のジビエシチューの二ホンジカも大半がこの人を介している。
というわけでドラム缶に薪や炭をくべて縄文時代のような光景が繰り広げられる。三俣山荘でジビエ料理を出すようになったわけは、約10年ほど前南アルプスや八ヶ岳で高山植物の食害問題が取りざたされ始めたころ、いずれは北アルプスにも進出してくるだろうとの予測が流れ、それでは食肉流通に一役買おうという発想からであった。
伊藤新道復活プロジェクト進捗 ① 湯俣山荘再建にかける思いと現状
「うーんやっぱお金足りないね」
先日の打ち合わせにおいての、湯俣山荘再建の資金不足のことである。
2020年に立ち上げた「山と人と街プロジェクト」(※2) は伊藤新道の復活を軸に、北アルプスの大町エリアを面と捉え、埋もれている山岳観光におけるコンテンツを最大限活かし、エリアの振興ひいては登山文化や低迷している山小屋の持続可能性を担うプロジェクトだ。しかし、コロナ禍で史上最低に低迷している財政状態から一念発起したものであるから、資金が足りるはずはないのである。
そしてこのプロジェクトは山岳観光の在り方自体を変革することを目的としているので、社会に対してある種の完成形を民間レベルで示す必要がある。パーツはひとつも欠けているわけにはいかない。無理は承知なのである。
まず、大町市に山と街のハブとなるサロン「三俣山荘図書室」を作った。そして、皆様からのクラウドファンディングでいただいた資金をもとに伊藤新道復活を進行中。また去年7月にこれらプロジェクト、山小屋の公益的事業を切り離し、より能動的な環境保全、そのための資金獲得を目指して一般社団法人ネオアルプスを立ち上げた。
しかし、湯俣山荘再建をはじめ、大町市の山岳・アウトドア観光における湯俣温泉の一大拠点化という構想に向けて膨らんでいく見積もりに、妻の敦子には「三俣山荘を潰す気なの?」と言われるし、スタッフも「大丈夫なんすか?」と言ってくるありさまだ。大丈夫ではない。だが信念だけはある。
ここはみんなの楽園になるし、いつの日か、伊藤新道もバリエーションとしてスタンダードになるだろう。DIYでもなんでもいい。どうにか完成させるのだ。
ところでこの湯俣山荘のDIYだが、参加にいち早く手を挙げてくれた会社がある。ご存じアウトドアシューズ、サンダルで有名なKEENである。
KEENとはアウトドアライターの高橋庄太郎氏を介して協働に至ったのであるが、先述の「山と人と街」プロジェクトに共感していただき、同社のアウトドア部門のシューズの売り上げの一部をドネーションしていただく予定になっている。さらに使用されていない店舗、イベント什器を無償提供してもらい、湯俣山荘の内装のDIYに活かそうという構想である。
この辺も楽しみにしていただけたらと思う。同社の中込氏曰く、「KEENのシューズで北アルプス縦走と言われると簡単におすすめはできないが、湯俣にはうってつけだし大きな可能性を感じている」とのこと。
関連してもう一つ伝えておくべき話がある。今となっては時効だろうから話してもいいだろう。僕の父も黒部源流開拓期、伊藤新道を開通させ、三俣山荘、雲ノ平山荘、水晶小屋を建築していた当時、後ろ盾をしていた当時松本随一だった実家の松本の大料亭「みよし」を傾けるまで資金をつぎ込んだ。血は争えない、僕には後ろ盾はないが。
さて、少し山小屋建築について話をしてみたいと思う。ヘリコプター輸送しかできず、ライフラインから隔絶された山小屋の建築費は下界の4倍と言われている。この理由は、
1. 職人が山に入りたがらないため人工が高くつく
2. ヘリ輸送が天候不順などで工期が伸びる
3. インフラを自前で設備するため設備費が嵩む
と言ったところだろうか。上記に加えて、たとえば風の強いところであれば、揺さぶりやまくり上げに強い特殊構造にするし、積雪が10mにもなるところであれば、それに耐えうる構造とする。そして雨水だけで飲料水を確保する小屋であれば、屋根に降る雨水をすべて集水する構造なども必要といった具合だ。もちろん、暮らしや宿泊業に必要な電力や熱エネルギーはすべて自前である。
しかし、私はこういった風土との調和をとってきた山小屋建築は、建築文化として独自の進化を遂げており、気候変動に伴った再生可能エネルギーによるオフグリッドや、無駄のないエネルギー形態で自活する建築物として、実験の場になるのではないかと思っている。そして、そのような次世代のライフスタイルを提案する環境系テクノロジーを開発する会社などと、いずれ協働していきたいと思っている。
伊藤新道復活プロジェクト進捗 ② 湯俣山荘と伊藤新道の工事の同時進行
伊藤新道は、目下各種工程のスケジューリング中である。
去年に引き続き湯俣山荘の増改築と複雑に絡み合ったスケジュールで進行していくのだが、GW開けにスタッフが入山、下準備に入り、5月25日頃までに陸路で工事資材を運搬するためのダム管理道末端から湯俣までの河川の中の道を作る。これはバックホーとクローラーダンプ (ダンプにキャタピラーをはかせたような運搬車) による資材運搬のための準備になる。
この時点で今年の融雪の状態と、雪解け水による増水状態を見計らったうえで桟道 (さんどう) の工事に入る。河川部の工事、特にハーネスを使用して岩場にぶら下がるような工事はスキルのあるガイドや、高所作業の得意な職人の範疇だ。
私の動きと言えば、5月に入山したらさっそく伊藤新道ガイディングクラブの研修に参加し、そのまま湯俣に滞在して、ハンモック場の設計、整備に入る。
つまり、湯俣の工事と伊藤新道を行ったり来たり、冒頭の資金不足も相まって、7月の湯俣山荘工事の最終段には、若いころ目指した木工職人になるために培った技術を、ふんだんに使う羽目になるだろう。
ところで、深山での登山道等泊りがけでの作道工事とは風情のあるものだ。大きなテントやタープを張り、その下でランタンをともして鍋やおでんや、もはや何が入っているのか分からぬカレー等を当番が作り、各々好きな酒を飲みながら、普段しゃべるのかしゃべらないのか分からないような会話が飛び交う。
河原であれば、そのうちみんな川の音に耳を澄ましあまりしゃべらなくなる。山の歌があったころなどは歌でも歌い始める人がいたのだろう。山のヒップホップとかそろそろ誰か作らないのだろうか。
昨年の吊り橋工事を通して目を見張った技術の進歩がある。それはリチウムイオンバッテリーの進化で、充電設備 (発電機等) さえあればコードレスで作業が行なえることだ。このことによって、梯子等の工作物を現場で作れるようになったし、また軽量化も同時に進んでいるため高所での作業も迅速かつ安全になった。こういったことは新しい伊藤新道に大きく貢献している。
最後に、伊藤新道ガイディングクラブの会員数がまだ足りずどうしたものかと悩んでいる。このチームは、伊藤新道専属ガイドとしてネオアルプスにおいて広報されるだけでなく、我々と一緒に伊藤新道をブラッシュアップさせ、また維持管理していくものだ。
最初は前例のないアドベンチャーガイド的な要素や、一般道に比べてはるかに判断の要求されるシチュエーション等に辟易されると思うが、数年かけてシステムを磨き上げていけば、ビジネス的にも社会的意義としても充実したコミュニティになっていくと思う。ご覧になっているガイドがおられたら、ご検討いただけたらと思う。
湯俣山荘の再建、伊藤新道の復活において、課題は山積のようだが、強烈な情熱と信念を持って邁進している圭さん。
大変であることは間違いないのだが、悲壮感はなく、どこか楽しんでいるようにも見えるのが圭さんらしい。
日々刻々と状況が変わるなか、来月の伊藤新道はどうなっているのだろうか。また次回のレポートを楽しみに待ちたい。
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