オランダ・ビースボッシュ 長年憧れていた国立公園でのパックラフティング・トリップ2Days | パックラフト・アディクト #68
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文・写真:コンスタンティン・グリドネフスキー 訳・構成:TRAILS
TRAILSのアンバサダーであるコンスタンティンが、今回レポートしてくれるのは、「オランダのマングローブ」とも呼ばれるほど豊かな植生がある、「ビースボッシュ国立公園 (※1)」でのパックラフティングだ。
この国立公園は、オランダで最大規模を誇る国立公園であり、葦が生い茂り、さまざまな動物が生息する肥沃なエリアである。実はこの国立公園は、コンスタンティンがパックラフトを始めた頃から、いつかは漕ぎたいと憧れていた場所なのだ。
憧れの地での1泊2日のパックラフティング。果たして、どんなトリップになったのでしょう。
パックラフトを始めた頃から、ずっと行きたかった場所。
ついにやりました。オランダ南西部にあるビースボッシュ国立公園へ、パックラフティングをしに行ってきたのです。ビースボッシュ国立公園は、私がパックラフトを始めてから10年近く、私の行きたいリストに入っていた場所です。でも、ずっと行けずにいました。
ドルトレヒトやロッテルダムの近く、オランダの端のほうに位置するこの場所は、なぜかいつも「遠すぎる」と感じていたのです。最初は車を持っていなかったことも理由のひとつです。その後、車を手に入れても行かなかったのは、時間や優先順位の問題でした。そうして何年もの間、そこでのパドリングは「遠い夢」のままでした。
でも今回、すべてが完璧に揃いました。妻と娘がしばらく実家のポーランドに帰るため自分一人の時間ができました。またここ数カ月はパックラフトをちゃんと漕げる機会が少なかったので、長い旅に出たいとちょうど考えていたタイミングだったのです。そして、今回の旅を決行することにしたのです。
オランダのマングローブと称される湿地帯。
ビースボッシュは、オランダ最大の国立公園のひとつであり、北西ヨーロッパで最後の淡水潮汐湿地 (※2) の広大な地域のひとつ。ここに1泊2日のパックラフティング・トリップに出かけたのです。
川、島、そして細長い小川と太い小川の広大なネットワークからなる緑の迷路のようなこの地域は、まるで「オランダのマングローブ」のようです。少なくとも、この地を何度も訪れている私の友人たちはそう呼んでいました。
そのうちの一人、ハロルドに旅の前に話をしたら、キャンプができそうな場所のポイントを教えてくれました。私はそれを地図に書き込みました。「車を停めるのに安全な場所はある? 私は彼に尋ねた。彼は、前に行った時は公園の南東にあるヨットハーバーに車を停めていたと言いました。
「でも、今はここにオフィシャルのビジターセンターがあるんだよ」と彼は言い、博物館島と呼ばれている場所のリンクを教えてくれました。「博物館島は、ノートワールトというエリアの中にあって、ここ何年かで自然に囲まれた今の場所に移ったんだ。僕はカヤックやパックラフトでまだ行ったことはないけど、この国立公園には興味があるんだよね」とハロルドは言っていました。私はネットでその場所を確認し、そのエリアの中心に近い場所だったので、旅を始めるには良い場所だと思いました。
そうして、ポーランドに帰る家族を空港まで送って降ろした後、さらに1時間かけて博物館島に到着しました。すでに午後2時を回っていましたが、私は川に入るのを急いではいませんでした。今年の6月は記録的な暖かさでした。容赦なく照りつける太陽と猛暑を避けたかったので、博物館はありがたい避難場所でした。また、国立公園とその歴史について学ぶ絶好の機会でもありました。
出発前に、ビースボッシュ博物館でこの地域の歴史を知る。
この国立公園ができたのは1994年です。この地域は、中世の時代は、泥炭湿地と湿原に覆われた場所でした。その後、堤防や排水路の建設、燃料となる泥炭の採取など、人為的な手が加えられ、次第に農業地帯へと変わっていきました。
しかし1421年、セント・エリザベスの洪水と呼ばれる大洪水が、この地域を壊滅的な打撃を与えました。そして、堤防が決壊して、たくさんの小川や島が形成されました。この洪水により、この地域は淡水と海水 (北海から流れてくる潮汐性の海水) の両方の影響を受ける、変化に富んだ河口となりました。
その後、数世紀にわたりこのビースボッシュは、漁業や狩猟、イグサやヨシ、ヤナギの枝の収穫など、さまざまな目的で利用されました。ビースボッシュという地名は、かつてイグサが豊富に生えていたことに由来し、文字通り「イグサの森」を意味します。
しかし、デルタ計画 (オランダのライン川河口の三角州を高潮から守ることを目的にした、治水構造物建設の計画) の完了後、潮の流れが著しく減少しました。その結果、イグサはほとんど姿を消し、他の植物に取って代わられました。
20世紀には、土地の埋め立てや産業開発計画によって、ビースボッシュは大きな脅威に直面したのですが、最近では、自然の生息地の回復と維持に努めています。
たとえば1988年にはビーバーが新たに導入され、現在では約100の借用地に300匹以上のビーバーが生息しています。今年6月初めには、試験的に少数のチョウザメがこの地域に新たに導入されました。
これが成功すれば、さらに大規模な再導入が行なわれることになるでしょう。博物館には、これに関する小さな臨時展示もありました。最近、このあたりの干拓地の一部で洪水が始まったとのことでしたが、ハロルドがこの地域について語っていたのは、このこと意味していたに違いないです。
博物館を訪れたことで、こういった土地の背景を知ることができただけでなく、いくつかのカヤック・ルートが記載されたパンフレットも手に入れることができました。実は、パックラフティング・トリップの前にインターネットでいくつか候補を探したのですが、あまり見つからなかったので、このパンフレットはとてもありがたかったです。
ちなみに私が事前に見つけたのは、旅行会社が企画した2日間のパックラフト・トレイル・ツアーでした。これは以前にも一度だけ目にしたことがあったが、すっかり忘れていました。
彼らのウェブサイトに掲載されていた情報も、体験に関するものが多く、ルートについての説明はあまりありませんでした。地図もどちらかというとアーティスティックな印象で、まったく見やすくなかったので、これもあまり利用できませんでした。
しかし、私が見つけた無料のパンフレットには、いいルートがたくさん載っていました。私が興味を持ったのは「ラビリンス」と呼ばれるもので、迷路のような狭い水路を行くエキサイティングな旅でした。そしてそれこそが、私が探していた「オランダのマングローブ」でした。
葦の生い茂る川を、這うようにして進んでいく。
博物館の見学を終えて川に出たときには、すでに午後6時を回っていました。夏至の直後だったので、まだ4時間から4時間半ほど明るい時間がありました。
その時点では、私が今晩どこでキャンプをするか決まっていませんでした。私が知っていたのは、ハロルドが送ってくれたキャンプ地のおおよそのポイントだけでした。私は一番近い場所を選び、そこに向かって漕ぎ始めました。なるべく小さな川を通り、より広い川を避けるようにルートを考えました。そうすれば、不要な向かい風を避けることもできるのです。
でも、結果的にそれは間違いでした。最初に入った細い川は、すぐに生い茂った葦が立ちはだかっていました (地図上では通れそうに見えました)。そのため進みがとても遅くなり、通過するのにかなりのエネルギーを必要としました。
葦の中を「這いながら」進むと、3年前のポーランドの旅がフラッシュバックしました (詳しくはコチラ)。でも、あの時とは違って、ここでは土手も生い茂っていたため、以前のように陸に上がって回避するというわけにはいきませんでした。だから、ゆっくりと前進するしかなかったのです。
粘り強さが功を奏し、私はなんとか大きな流れにたどり着き、そこで複数のモーターボートに遭遇しました。晴れた週末の夕方だったので、遊んでいる人がいるのは当然でした。
でも、国立公園の水路をクルージングする大音量のパーティーボートの多さには驚かされました。もう少し進むと、大小さまざまなボートが岸辺に停泊していて、そのうちの1隻からは大音量の音楽が鳴り響いていました。私がスタート直後に抱いていた旅の高揚感は、苛立ちに変わっていきました。
ただ幸いにも、私が計画したルートは、モーターボートの進入が禁止されているエリアでした。川幅いっぱいに連なった浮きブイに行く手を阻まれているのです。2本の金属ポールの間にある狭い隙間は、パックラフトやカヤックでしか通れない幅になっています。
この「パドラー専用」エリアは実に楽しかったです。野生動物もたくさん見ることができました。ある地点で、私は水上の枝を走る大きなネズミを見つけました。危険を感じると、しっぽで水を叩いて他の仲間に警告しつつ、捕食者を脅かすのです。
キャンプ敵地を見つけて、スイカを食べて涼む。
その日の暑さ、藪こぎ、そして川で受けた向かい風のせいで、私はかなり疲れていました。ハロルドが教えてくれた一番近いキャンプ場までは、まだかなりの距離がありました。
彼は、その場所はボートに乗る人たちが出入りするので、無料かどうかはわからないと言っていました。私は彼らの隣でキャンプをしたくはありませんでした。そのため、テントを張るのに適した空き地 (ほとんどの土手は生い茂っていた) を見つけた時、私はここにしようと決めました。そこはまだ「パドラー専用」ゾーンだったので、騒がしい隣人もいませんでした。
MSRハバハバNXをセミオープンに張り (スター・ウォーズに出てくるストーム・トルーパーのヘルメットに似ているので、私はストーム・トルーパーと呼んでいます)、途中のスーパーで買った小玉スイカを夕食に食べ、テントの中に入りました。
疲労困憊していたので、テントに入るとすぐに眠気に襲われました。眠りにつくと、かすかな水しぶきの音が耳に届き、カヤックで滑走するカップルがちらっと見えました。私はかろうじて起きあがり、そのカップルに手を振りました。
翌朝、私はゆっくりと食事をして道具を乾かしました。前日の経験から、距離を少し楽観的に考えすぎていたかもしれません (ここまでたった5kmに2時間もかかりました)。
なので、パンフレットに載っていた「ラビリンス」のルート (25km以上) をコンプリートするなんて問題外でした。私は地図を調べ、近道と思われるものを見つけたので、そこに行くことにしました。ここを通ればルートを大幅に短縮することができそうでした。
DAY2スタート。複数のモーターボートに遭遇する。
時計の針が11時に近づいていたので、私はパックラフティング・トリップの2日目をスタートさせることにしました。「パドラー専用」ゾーンを出て、私はモーターボートの往来に加わることになりました。
私に近づくと減速してくれる親切なボートもあれば、私を気にかけないボートもありました。でも、私はボートからの波を楽しんだので、まったく気にならなりませんでした。強烈な日差しが照りつけていたので、ボートのおかげで首と腕が太陽光から守られたのはありがたかったです。
当初キャンプする予定だった場所の近くを通ることになったので、チェックしてみることにしました。案の定、土手にはキャンプ用のテーブルと椅子が置かれたボートが何艘かあり、空のビール瓶が入った木箱が置かれていました。
近道への曲がり角にさしかかると、パドリングボート専用という標識がありました。その後、ボートのプロペラが消された標識がもうひとつありました。それに励まされながら進むと、ブイの鎖が道をふさいでいました。進入禁止の標識はなく、個々のブイの間隔も十分に広かったので、このまま進んでも大丈夫そうでした。
奥に進むにつれて、流れは徐々に細くなり、より困難な道となりました。倒木が行く手を阻み、その下をくぐり抜けるには慎重な操作が必要でした。
人の気配がないのは明らかで、このあたりはめったに人が訪れないようでした。やがて、水草が生い茂り、水が透き通っている浅い池にたどり着きました。絵のような風景に浸りながら休憩していると、突然、水面下で動きがあるのに気づきました。
驚いたことに、大きなウナギが優雅に私のパクラフトに寄り添い、魅惑的な光景を見せてくれていたのです。その後、大きな鯉の姿も見えました。
退屈な風景がつづくも、カニとの出会いで気分がアガる。
近道の終わりに着く直前、私はまた別のブイを見つけました。しかし今度は「立ち入り禁止」の標識がありました。やっぱり今通ってきた場所は立ち入り禁止だったのです。意図的ではないものの、立ち入り禁止区域に入ってしまったようです。戻るという選択肢はなかったので、すぐにブイを渡って本流に入りました
まだ日は浅く、車に戻るには早すぎると思いました。私は、このエリアをもっと探索し、ノールトワールトの干拓地を漕ぎたいと思いました。もう一度地図を見て、ハロルドが教えてくれた別のキャンプ場もチェックしに行くことにしました。
そしてようやく見つけたのは、私が思っていたよりも少し離れたところにある、まさにワイルドなキャンプ場でした。今年の3月、私はウェールリッベン・ウィデン国立公園で同じようなキャンプ場に泊まりました (詳しくはコチラ)。キャンプのルールは小さな看板に書かれていました。裏のタイムスタンプによると、今年の4月に更新されたばかりで、古い看板は隣の草むらに転がっていました。
ノールトワールト干拓地の奥に行けば行くほど、そこは田園の雰囲気が広がっていました。水辺を縁取る柳の木は、草原や畑へと姿を変えました。ここはまだ新しい場所なんだと感じましたが、退屈ではありました。
それを変えてくれたのは偶然の発見でした。浅瀬でカニを見つけたのです! オランダに淡水ガニがいるなんて知りませんでした (後で調べたら、これは外来種の中国産毛ガニでした。さすがにそれは誰もわからないでしょう)
パックラフトを担いで、スタート地点まで歩く。
博物館の隣にある駐車場までの最後の区間は、また「立ち入り禁止区域」だったので歩かざるを得ませんでした。そこで私はパックラフトを担ぎ、最後の2kmを徒歩で移動しました。
歩いていると、PFD (ライフジャケット) と4ピースパドルをバックパックにつけた若いカップルを見つけました。私はペースを上げて彼らに追いつきました。「これはパッククラフトですか? と私は尋ねると「そうです」と返ってきました。
そのカップルは、私が事前にインターネットで知ったパックラフト・トレイルの1日目を終えていたのです。彼らによると、この日の朝スタートしたのは30人ほどだったとのことです。
私たちはしばらく一緒に歩きながら、パックラフトのことについて (彼らはパックラフトを試すのが初めてでした) 、語り合いました。もう少し歩くと、PFDと4ピースパドルを持った人たちがもっとたくさんいました。
こうして2日間のパックラフティング・トリップは終わりました。山あり谷ありでしたし、新しいものを見たり学んだりもしました。そして、今まで漕いだことのない面白いエリアを漕ぐことができました。これ以上、望むものはないくらいのトリップでした。
コンスタンティンが長年憧れていた場所でのパックラフティング・トリップは、いかがだっただろうか。
以前にTRAILS crewがレポートした北海道の美々川 (びびがわ) を連想するような(詳細はコチラ)、穏やかな流れでありながら冒険心を刺激されるフィールドであった。
単に川を下るだけではなく、博物館に立ち寄って、その土地の歴史や文化をじっくり学ぶあたりが、コンスタンティンらしい旅のスタイルだ。憧れていたからこそ、そのエリアのことをより知りたいという思いが強かったのだろう。
今年はロング・トリップがまだなく、長い旅に出たいという欲求が強くなっているようなので、次のトリップも楽しみだ。
TRAILS AMBASSADOR / コンスタンティン・グリドネフスキー
コンスタンティン・グリドネフスキーは、ヨーロッパを拠点に世界各国の川を旅しまくっているパックラフター。パックラフトによる旅を中心に、自らの旅やアクティビティの情報を発信している。GoPro Heroのエキスパートでもあり、川旅では毎回、躍動感あふれる映像を撮影。これほどまでにパックラフトにハマり、そして実際に世界中の川を旅している彼は、パックラフターとして稀有な存在だ。パックラフトというまだ新しいジャンルのカルチャーを牽引してくれる一人と言えるだろう。
(English follows after this page)
(英語の原文は次ページに掲載しています)
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