北アルプスのラストフロンティア『伊藤新道だより』 | #06 ついに伝説の道『伊藤新道』が再開通
文:伊藤圭 写真:河谷俊輔、井上実花、三俣山荘事務所 構成:TRAILS
What’s “北アルプスのラストフロンティア『伊藤新道だより』” | 2021年に『北アルプスに残されたラストフロンティア』という連載シリーズでフィーチャーした『伊藤新道』。2022年には「伊藤新道 復活プロジェクト」のクラウドファンディングも成功し、復活へ向けて着々とプロジェクトが進行している。この連載では、伊藤新道復活の牽引役である伊藤圭さんに、“伊藤新道にまつわる日常” をレポートしてもらうことで、伊藤新道および北アルプスの現在と未来をお届けしていく。
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伝説の道『伊藤新道』の復活へのアクションは、2021年、『北アルプスに残されたラストフロンティア』と称して、TRAILSでも大きく取り上げた (※)。この『伊藤新道だより』の連載は、プロジェクトの牽引役であり当事者である伊藤圭さん本人による、その後の伊藤新道の復活に向けたリアルタイムのドキュメントレポートだ。
第6回目の今回は、ついに再開通した伊藤新道について、これまでの復活プロジェクトの道のりから、さらには『黒部の山賊』の著者である父、伊藤正一への思いまで、感慨深く振り返ってもらった。
いつもの近況報告からレポートは始まるが、伊藤新道と湯俣山荘の復活へ向け、圭さんと奥さんの敦子 (あつこ) さんは、ふたりとも、多忙を極める日々を送っていたようだ。
今月の伊藤新道だより:ゆまキャン2023
8月20日の伊藤新道開通を迎えて、19、20日と伊藤新道Opening Festival「ゆまキャン」なるアウトドアフェスティバルを開催した。
このフェスは2年前、ネオアルプスを立ち上げる構想の段階で、すでに開催しようと決めていたものだが、当初はさてどんなブランドやゲストを呼んで行なうのかと考えあぐねていた。
しかし三俣山荘図書室ができ、アウトドアブランドやショップのポップアップショップやワークショップを開催するうちに仲間も増え、伊藤新道や湯俣の再興に関してことごとく興味を持っていただけた。そして、共にネオアルプスオンラインショップを立ち上げた角倉氏と企画していくなかで、最終的に「みんなで湯俣で遊ぶだけで、なにか生まれるでしょ」という仕立てのフェスになっていった。
さてこのフェスの準備がどういうものだったかというと、ほぼ地獄だった。なぜかというと当初は湯俣山荘の完成祝いも兼ねてゆったりとという仕立てだったのに、先述の工事の1カ月遅れの影響で (詳しくはコチラ)、関係者の宿舎の機能を持たせるだけでも、前日まで関係者総動員でぎりぎりまでの準備となったからだ。僕などは、自分が参加するトークショーのお立ち台を開催1時間前まで組んでいたほどだ。
個人的には、初めてお話しした人も含めて、18日の関係者前夜祭からの、アウトドアブランド関係者、出展者とゆっくり話をする素敵な機会となった。やはり総じて言えることは、みんなアウトドアに限らず遊ぶことが大好きで、音楽に釣りにスケボーに登山にBCにと妥協を許さず遊んでいくなかで、自分だけのスタイルを確立し、既存の中に必要なギアや製品がなければそれを作る。遊びの達人たちが遊びのおすそ分けをしてくれているわけだ。
それは山小屋の人間が、自分がほれ込んだフィールドを紹介するために山小屋を立ててきた歴史にも通ずる所がある。
夜に焚火を囲んで、参加者たちが自然と形作るコミュニティーで自由を謳歌するさまは、自分が思い描いていたアウトドアの聖地湯俣の未来の姿だったのかもしれない。
そんな喧騒は露知らず、最奥地黒部源流では妻の敦子 (あつこ) を筆頭に、渇水対策とボランティアを迎えての道直しが続いていた。
今年の北アルプスの渇水はほぼ前例のないレベルで、三俣山荘ではメインの水源が枯れ、サブの水源もちょろちょろになってきており、洗い物も食器をふき取った上で水量を制限したり、すでに使った水をトイレ掃除に回すほどだ。
安泰だと思われていた湧水の小屋の水が枯れ、雨水の小屋のほうが夕立さえあれば事が済むという逆転現象も起き、やはり自然相手は油断ができない。三俣でも雨水をためるシステムの検討をしようと思っている。
登山道整備第1弾は伊藤新道上部、庭園までの草刈りと道幅の恰幅作業。労山石巻 (労山とは勤労者山岳連盟のこと) の方々で、当地でも登山道の整備をなさっている手慣れた人々を迎え入れての作業となった。
伊藤新道上部は俯瞰するとわかるが、鷲羽岳の懐を緩やかに巻き込んでいく道になっており、まともに草原を通してあるので、草刈や根ほりを怠るとすぐにただの斜面に戻ってしまう。毎年の地道な作業がものをいう場所なのである。
第2弾は東京の登山サークル「Tokyo Green」が登山道整備のボランティアに前向きで、去年からルーティーンで何班かに分かれて参加してくれているもので、三俣蓮華岳の荒廃地の修復および緑化である。
この地の地質は火山灰の上に僅か15㎝ほどの土壌があり、その上に植生が成り立っている。そのため人に踏まれ、草が枯れ、土砂が流出し始めるとあっという間に河川化してしまう。それを修復し緑化するプロジェクトを、参加者全員の知恵を振り絞って進行していくのである。
土をためる、水路を作る、踏圧で荒廃しないよう石段を積む、入ってはいけない所にロープを張る、植物性のネットで種子の流出を防ぎ保温する。人が通って良い場所は限られている。そして壊れない登山道を作ることは、人と自然の共生そのものであり、人知の限りなのだ。この作業は僕が死んでも、登山が続く限り永遠だ。
今、登山道整備のボランティアに人が集まってきているのは、この自然の奥行きに惹かれてのことなのだろう。このプロジェクトを率いているのは22年山小屋に従事してきている敦子の行きついた場所であり、黒部源流への愛情だ。
伊藤新道復活プロジェクト進捗・総括① 開拓の頃
2023年8月20日、ついに伊藤新道が再開通した。今後も整備や避難小屋の建設等、このプロジェクトは続いていくのだが、この再開通はひとつの区切りではある。そこで今回は、プロジェクトのこれまでを振り返ってみたいと思う。
今年僕は、三俣山荘に数えるほどしか行っていない。「小屋開け作業のため」「何か自分が見てないと難しい工事のため」「稀に人に会いに行く」などといった具合だ。
こんなに三俣に入らなかった年は、高校受験のために一夏下界で勉強していた中学3年以来かもしれない。
しかも三俣に向かう道は90%伊藤新道なので、何か黒部源流が違う場所になったような気分にもなる。こうしてみると登山なりハイキングなり、目的地の印象はたどり着くまでの行程にあるのかもしれない。
少し前、30代の頃に、三俣山荘を父から引き継ぐにあたって、どのような方向で経営していこうかと思い悩んでいたころ、三俣もしくは水晶小屋からあまりにも広大なフィールドを見回して、一体自分はどれほどこの地を知っているのか、また死ぬまでの間にどのくらい知りえるのか、またそんな小さな自分が知ったかぶりして黒部源流の本質を人々に伝えていけるのかと途方もない気持ちになり、辞めようとしたことが何度もある。
それは逆に開拓期にその情熱をもって、辺りを歩きつくした父、伊藤正一と自分を比べていたからかもしれない。
そもそも開拓者とその事業を引き継ぐものの間には、大きな差がある。それが山小屋であれば、開拓者は自分が惚れ込んだその地なり風景の魅力をなるべく多くの人々に見せようと情熱をもって調査し、探検し、そこにたどり着くまでの道を切り開き、四季の風土を知り、そこに建築するための最適解を探る。その道の途上でケガをするもの、場合によっては命を落とす者さえいる。
しかし二代目、三代目ともなれば、冒険しつくされたその地の魅力を次世代に残すために、現代技術を駆使し、より快適な山小屋に改築、語り部になったり、ビジネス的に成り立つよう努力するのがせきの山だ。開拓者が目にしたであろう、人類が初めて見た景色、その衝撃、達成感を得ることはまずない。遥か彼方の伝説ですらある。
父、伊藤正一は長野県は松本の大料亭の息子で、物理学を専攻し、戦時中はターボプロップエンジンの開発に情熱を注いでいた。しかし、敗戦と共にプロジェクトが中止となり失意のままに上高地などをぶらぶらしていた折に、三俣山荘の権利を購入する縁を持った人だ。
その後「人生最大の出会い」と語る雲ノ平を初めて目にしたときに、4軒の山小屋の建築を含めた黒部源流開拓、そして伊藤新道、下界まで続く巨大なフィールド構築のビジョンを持ち、すべての情熱を傾けていくのである。しかも料亭の巨大な資金を背景に、御曹司の立場を活かして何の躊躇もなく次々に成し遂げていった。
伊藤新道復活プロジェクト進捗・総括② 親子の確執
そんな父であるが、母親が小学生の時に亡くなり、また二度の離婚を経験するなど、私生活があまりに不幸であった故か、一般的な親子の絆的なものがあまりなく、また特有の物理的かつ客観的な視点で人を評価していくため、僕も弟も仕事上で高評価を受けた記憶が一度もない。
父は山小屋の地代の徴収方式を巡って、1990年頃から15年間林野庁を相手に訴訟を起こしていた。その間ペナルティーとして、一切小屋の改築もできず、プロジェクトたるものは動かなかった。
それを見ていた僕は、どこかで父がもっと評価されるべき業績や作品を、再評価される方向で、父が死ぬまでの間、黒子として秘書として動くことを決意した。水晶小屋の新築をかわきりに、「黒部の山賊」のリディストリビューション、伊藤新道の復活への道筋、黒部源流の写真展の巡回、メディアの取材のサポートなどである。
それぞれのプロジェクトに対する父の評価が傑作だ。
水晶小屋の新築「小屋が小さすぎるな……」、黒部の山賊再販「……」、伊藤新道に新しい巻道をつけろと指示を受けて作道したときなど「なんだこのアブナイ道は。やめとけ」、『源流の記憶』リリース記念のモンベルの写真展の巡回の頃にはもう耳もかなり遠く、しかもコンセプトの話し合いで散々けんかになる始末だった。
伊藤新道復活プロジェクト進捗・総括③ 永遠のプロジェクト
こうして僕の「伊藤正一に評価されるプロジェクト」は父が亡くなるまで日の目を見ず失敗におわってしまった。父は最後まで自分で考える人だったし、「お前もやることがあるんだったら一人でやれ」と。厳しい父だった。お陰様でプロジェクトは時を超えて、すべて現在進行形だ。
先述した「開拓者でもないし黒部源流のフィールドを何も知らない」問題は、時と共に解決に向かっている。なぜならば、何も共有できなかった父のおかげで、伊藤新道を中心に自分も一人で探索を繰り返し開拓のやり直しをしているからだ。そしてプロジェクトを進める間には多くの人に出会い、中には釣りを教えてくれたり、思いもしない自然の不可思議や付き合い方を教えてくれる人もいる。
なんだか長くなってしまったが、今年は伊藤正一生誕100周年で、伊藤新道が再開通して、湯俣山荘も再び開業した。なんだか偶然とは思えない。そして今度こそ空の上で父が言っている気がする「おもしれー道になったじゃないか!」と。
※9月3日より2024年に茶屋に建設予定の避難小屋のクラウドファンディングを開始しました。ご協力よろしくお願いします!
静かな語り口ではあるものの、圭さんが湯俣山荘および伊藤新道の復活に、どれだけの歳月をかけて、どれだけの情熱を込めて、苦労を重ねながらも諦めずにやり続けてきたのか……それがひしひしと伝わってくる内容だった。
圭さんに、心から「おめでとうございます」と言いたい。
そして、この伊藤新道復活プロジェクトは、再開通したら終わりというものではない。これからが本番といっても過言ではないはずだ。今後どんなアクションを起こしていくのか。次のレポートにも期待したい。
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