北アルプスのラストフロンティア『伊藤新道だより』 | #05 「湯俣山荘」の家具のDIYと「伊藤新道」の桟道完成
文・写真:伊藤圭 構成:TRAILS
What’s “北アルプスのラストフロンティア『伊藤新道だより』” | 2021年に『北アルプスに残されたラストフロンティア』という連載シリーズでフィーチャーした『伊藤新道』。2022年には「伊藤新道 復活プロジェクト」のクラウドファンディングも成功し、復活へ向けて着々とプロジェクトが進行している。この連載では、伊藤新道復活の牽引役である伊藤圭さんに、“伊藤新道にまつわる日常” をレポートしてもらうことで、伊藤新道および北アルプスの現在と未来をお届けしていく。
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伝説の道『伊藤新道』の復活へのアクションは、2021年、『北アルプスに残されたラストフロンティア』と称して、TRAILSでも大きく取り上げた (※)。この『伊藤新道だより』の連載は、プロジェクトの牽引役であり当事者である伊藤圭さん本人による、その後の伊藤新道の復活に向けたリアルタイムのドキュメントレポートだ。
第5回目の今回も、まずは圭さんと奥さんの敦子 (あつこ) さんの近況から。圭さんは、小屋開きの準備に追われながらも、三俣、湯俣、伊藤新道、下界を行き来する日々。一方敦子さんは、三俣山荘を拠点に、シーズンインした山小屋の女将としてスタッフをまとめているとのこと。
伊藤新道復活プロジェクトにおいては、いよいよ8月中のオープンを控えて、湯俣山荘の再建やトレイル整備も佳境を迎えているようだ。
今月の伊藤新道だより:年1回の最大イベントとも言える「小屋開け」
いつでも目まぐるしく駆け回っているが、山小屋の人間は小屋開けともなると一年のそのピークを迎える。
7月3日に三俣山荘小屋開けのために、新穂高から8人ほどで入山した。8人中7人が複数年選手なので、気心も知れ賑やかなものだ。今年は残雪が甚だしく少なく、その影響で花期も例年より3週間以上早い。そして水不足になりえる心配なども話題として、花も話も花咲きつつ、何しろ好天のなかをほどよい疲労とともに三俣山荘にたどり着いた。
山小屋の小屋開けは、段取りがだいたい決まっている。内部は厨房の整理から始まり、外部は雨戸をあけ明かりをとり、電気、水道、ガスなどのインフラの開通を急ぐ。そして、大仕事と言えば、梅雨時の天気を読みながらの布団干しだ。お客さんが入る前に何としても4部屋中1部屋分は干し終えたいところだ。
入って初日の夕食時、誰かがケータイを見ながら言い出した。「小屋開けって8日じゃなくて7日って書いてあるけど……。しかも7日予約入ってる!」「えっ? じゃ、あと3日しかないじゃん!」。
どこがどう間違っていたのか、8日小屋開けのつもりが、一日早く発表、しかも誰も気づいていないという事態になっていたのである。小屋開け早送り。はあ疲れた。でもまあいいか。
7日に三俣山荘の小屋開けを終えると水晶小屋に移動、10日の小屋開けを目指す。こちらは雨水小屋 (小屋で使用するすべての水を雨水でまかなう) なので、なるべく早く雨樋を設置し、一滴でも多く屋根からこぼれ落ちる雨水を集めて営業に備えなければならない。
天気のことなので神頼みになることもある。夕立が一発でも降れば解消する場合もあるので、そのようなときは感謝の気持ちで一杯になるものだ。
三俣山荘で人気者の長男・弘也 (こうや) は中学三年生となり、受験勉強で今年は一日も山に来ないらしい。自分と違って結構勉強するタイプの人間に育っていて、親なんだけれどもびっくりする。そして少し寂しい。
三俣、湯俣、伊藤新道、下界を行き来している自分と違い、妻の敦子と長女・華也 (かや) は三俣に入りっぱなし、華也は「カヤドラ」というここ3年のヒット商品のどら焼きを毎日コンスタントに生産し、それなりの売り上げを出しているらしい。あとカヤバッチなる手書きの缶バッチも好評なようだ。
敦子のほうは三俣山荘の女将としてテキパキとスタッフをまとめている。意外と職人肌なのだ。また最近リリースした、登山道整備に対する愛情、フィロソフィー、ロジックをまとめたテキスト「風景と道直し」を具体化するべく、共同執筆者の石川氏と、ボランティアをまとめて道直しに励んでいる。
それにしても、コロナに対する過剰な規制も終息し、晴天続きなものだから毎日満員御礼の日々には感謝しかない。
伊藤新道復活プロジェクト進捗 ① 湯俣山荘の家具をDIY
水晶小屋の小屋開けが終わると10日に下山。お次は木工職人。
どういうことかというと、高知は「一二の洋品店」の高橋康太さんと、三俣山荘図書室でワークショップをやった時、「昔木工やってて家具なら手伝えるから、湯俣山荘大変そうだし、なんか手伝いましょうか?」というありがたい申し出を受けた。
それで話し合ったうちに、我が家の木工所で (自分も過去に木工職人になろうと思った過去があり心得があるのだ) バーカウンター用のハイスツールを4脚作ることになったのである。
とっておいたヤチダモ材を木取って、高橋氏の設計に合わせて分担しながら進めていく。しかし、断熱もなくクーラーもない木工所の40度近辺の灼熱の中での作業となり、思いもよらない苦行となったが、どうやらかっこいいスツールができそうである。お楽しみに!
伊藤新道復活プロジェクト進捗 ② ほぼ手つかずだった中間地点の整備と、桟道の設置
7月27日から30日にかけて第5吊り橋から赤沢にかけての整備を野営しながら行なった。最初、繁忙期でどの山荘も人が出せないというものだから、ひとりでやるつもりだったが、旧友の新聞社のカメラマンが取材がてら手伝ってくれるというので、ふたりで行なうことになった。
この第5吊り橋から赤沢というのは、どこが入り口でどこが出口か全くわからないというので、評判の悪かった箇所だったので、かねてより整備したかった場所だ。
なぜ整備が今まであまりなされてこなかったかと言えば、伊藤新道総長10kmのちょうど中間地点であり、まともに整備しようと思えば、今回のように泊まり込みでなければできないからである。そういった意味でも、来年施工予定の茶屋の避難小屋は重要な意味合いを帯びてくる。
入り口には目立つ看板、上りづらいざれ場には丸太のステップを、滑りやすい草付きのトラバースには切り欠き (一部をカットして溝や穴を作ること) を入れて、10割とはいかなかったが、7割ほどの整備が入り、大分歩きやすくなったと思う。それにしても伊藤新道は全体的に岩や砂が明るい色をしていることもあって、照り返しも厳しく、今年の山は暑い。
一旦下山し事務仕事を終えると、8月1日から4日にかけて、去年第一吊り橋の損壊事故の影響で施工できなかった、第1吊り橋上流のスラブ岩に桟道を設置する工事を行なった。
この工事は3年前より伊藤新道プロジェクトに協力してもらっているマウンテンワークスを主体に行なった。彼らは、普段山岳での行方不明者の捜索を仕事の主としているが、メンバーの中には大工がいたり、そもそもほぼ全員クライミングの心得があるので、こういったぶら下がりの工事はお手の物だ。
対して僕はクライミング未経験で、ハーネス、ガチャの類もほぼ使ったことがない。今回の工事のためにハーネス、スリング、カラビナをいくつか購入して臨んだ。真新しいギアを身に着け30分ほど講習を受けて臨んだぶら下がり工事は、新鮮で楽しいものだった。
こうしてまたひとつ伊藤新道の難所が通行しやすいものになり登山者にとって身近になっていく。多くの人が伊藤新道を通行する日が楽しみである。
山小屋シーズンもスタートし、さらに忙しさが増している圭さん。しかしながら、伊藤新道復活プロジェクトは、着実に進んでいるようだ。
特に今回、桟道の設置、および伊藤新道の中間地点 (つまり湯俣からも三俣山荘からも遠い) の整備をしたことによって、正式オープンに向けて大きく一歩近づいたと言えるだろう。
伊藤新道復活まであと一息。また次回のレポートを楽しみに待ちたい。
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