北アルプスのラストフロンティア『伊藤新道だより』 | #07 三俣山荘の小屋閉めと伊藤新道復活後の課題
文・写真:伊藤圭 構成:TRAILS
What’s “北アルプスのラストフロンティア『伊藤新道だより』” | 2021年に『北アルプスに残されたラストフロンティア』という連載シリーズでフィーチャーした『伊藤新道』。2022年には「伊藤新道 復活プロジェクト」のクラウドファンディングも成功し、復活へ向けて着々とプロジェクトが進行している。この連載では、伊藤新道復活の牽引役である伊藤圭さんに、“伊藤新道にまつわる日常” をレポートしてもらうことで、伊藤新道および北アルプスの現在と未来をお届けしていく。
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伝説の道『伊藤新道』の復活へのアクションは、2021年、『北アルプスに残されたラストフロンティア』と称して、TRAILSでも大きく取り上げた (※)。この『伊藤新道だより』の連載は、プロジェクトの牽引役であり当事者である伊藤圭さん本人による、その後の伊藤新道の復活に向けたリアルタイムのドキュメントレポートだ。
第7回目の今回も、まずは圭さんと奥さんの敦子 (あつこ) さんの近況から。前回の記事では、ついに再開通した伊藤新道のこれまでを振り返ってくれたが、今回は再開通後の今だ。
ちょうど三俣山荘の小屋閉めのタイミングということもあり、三俣山荘の話を中心に伊藤新道の課題についても語ってくれた。
今月の伊藤新道だより:早い冬の訪れ
今年、久しぶりに北アルプスに早い冬が訪れた。
この5年間というもの、小屋閉めまでほぼストーブなしで暮らせていたので「ああ、やはり本当に温暖化が進んでいるんだな」などと思っていたら、どうやら地球というものはそう単純なものではないらしい。
体育の日を絡めた10月の三連休を前にして、気温は-5度、積雪はふきだまりで60cmという事態となり、水道もほぼ完全凍結。予約が満員だった連休をどうこなそうかとスタッフで会議をしていると、連休自体が連日大嵐となり、キャンセルでほぼ人も来ず事なきを得た。
しかし槍ヶ岳では、雪に埋もれた凍死者が発見されたというのだからやはり山は恐ろしい。
僕が水晶小屋の小屋番をしていた10年から20年ほど前は、9月も20日を過ぎるとこのような気象はざらで、小屋閉めは寒さと雪との戦いだった。
屋根の上の作業などは手先の感覚がなくなるほどだ。むしろ初雪のタイミングで小屋を閉めるのは、リスクを避けるための山小屋の歴史そのものなのであろう。
9月の後半から10月初旬まで、毎年恒例のように三俣山荘周りの登山道整備月間となる。
今年からは一般社団法人ネオアルプスの登山道補修専門のプロジェクトチーム、三俣トレイルワークスの舵を敦子がとり、整備は進行していった。
長年整備の難所として我々の中で名高い三俣峠より山頂のがれ場を、石積みや整備のプロとしても活動している、やまたみ (信州まつもと山岳ガイド協会やまたみ) の赤田氏を筆頭に3人のチームで整備した。
さらに、裸地化してしまった蓮華~双六の巻道の緑化復元を、前回の記事でも紹介した登山サークル「Tokyo Greenを」中心に3チームほどの構成で行なった。
ところで、この三俣トレイルワークスの登山道整備の基本方針、施工方法は、北海道山守隊の岡崎哲三氏の「近自然工法 (※)」に大きくインスパイアされたものである。
インパクトに対して強度を保ちつつ、存続性を担保しつつも、景観や生態系に寄り添うものであるのが、そのフィロソフィー、ロジックを三俣トレイルワークスなりに咀嚼し、黒部源流域に落とし込んだ。それを登山道整備のテキスト『風景と道直し』として、敦子と、敦子の登山道整備のパートナーでもある石川吉典氏の共著でリリースした。
国立公園の登山道や生態系に思いを馳せ、利用者全体で維持管理していく第一歩としての内容となっており、機会があればぜひ手に取っていただきたい。
伊藤新道復活プロジェクト進捗 ① 伊藤新道復活後の三俣山荘にて
今年は伊藤新道の開通、湯俣山荘の建築と忙しく、ほとんど三俣山荘には入れなかったのだが、10月初旬の10日間、敦子が用事で下山するタイミングで、連休対策ということもありピンチヒッターで三俣入りした。
ただし、前述のようにほぼ人が来なかった状態だったので、お客さんのほとんどいない小屋内でスタッフと映画館をやったり、ダンス教室を開いたり、昼から酒を飲んだりした。
おかげで僕にとっては久しぶりのチルな休暇となり、今シーズンを振り返ったり、スタッフたちと相まみえたりと、ほどよい時間となった。
ただ、問題がひとつだけあった。悪天続きで出た300人ほどのキャンセルのための食材をどう処分するかだ。30〜40年ほど前はコンプライアンスの意識も薄く、大穴を掘って埋めるなどしたものだが、現代はそうはいかない。選択肢は2つだ。1つ目はスタッフで食べる。2つ目はヘリで降ろして、分配する、寄付する、ほそぼそ使うだ。
山小屋歴スタッフ歴3年目で、今年から食材管理をしてくれている女性が告げる。「300人分の人参が余っていますので、賄 (まかな)いは毎食、人参を使ってください。また暇な時間にラぺを作るなどお願いします」。
僕はこれでも賄いを作るのは好きなので、人参スパイスカレー、人参シーフードパスタなど作って好評を博した。しかし、動いてないのに毎食もりもりのごはんで、おなか一杯だったなあ。
伊藤新道復活プロジェクト進捗 ② 伊藤新道復活後の最初の課題
今年、僕は整備や三俣への入山路として、伊藤新道を10往復ほどした。開通以降、日に日に増加していく利用者によって、道は踏みしめられ立派な「登山道」の体をなしていた。
それは自分の「秘密の場所」が、「みんなの伊藤新道」に変わった瞬間でもあり、開通までの道のり、父との思い出、プロジェクトの成功に対する感動、一方で寂しさが入り混じった複雑な涙になっていった。
シルバーウィーク前半に通行したときなどは、70人ほどとすれ違い、シーズン計1,500人以上が通行したようだ。これからますますスタンダード化していき、なるべく多くの人の思い出と大切な体験になっていってほしいと心から思う。
一方この10往復の中で、課題と感じた部分は、旧第二吊り橋付近の地形が去年の大雨でかわったことによって、渡渉が比較的難しくなったこと。今年は水量が劇的に少なかったから良かったものの、来年度以降どうするか。
また、ビバークをする方が多く (国立公園内では、緊急避難時などの例外を除きテントの設営は原則禁止)、し尿問題や焚火問題など、マナーに関する部分を、今後整理してルールを皆さんにお伝えする必要性も感じた。
大切なことは、この類稀なフィールドを、なるべく自由に、いかにインパクト少なく末永く利用し保全していくかということである。皆さんと共に考えていきたいと思う。
伊藤新道復活、そして湯俣山荘の再開に長らく注力してきた圭さんだったが、今回久しぶりに三俣山荘入りして、貴重な時間を過ごした。
そして、シーズン計1,500人以上が通行した伊藤新道に喜びつつも、人が増えたことによる課題も浮き彫りになり、まだまだこれからも忙しい日々が続きそうだ。
三俣山荘も小屋閉めし、伊藤新道を歩く人も少なくなる冬。これからの伊藤新道、そしてこれからの伊藤新道復活プロジェクトは、どうなっていくのか。次回の伊藤新道だよりを楽しみに待ちたい。
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